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みすず読書アンケート


2023

1.Cheryl Misak, ``Frank Ramsey’’ (Oxford

 University Press, 2020) A shear excess 

of powers という副題のついた,興味の赴く

ところすべてに基本的な寄与をした,ただた

だ知力に溢れた,若くして死ななければ計算

基礎論や計算機そのものについてもチューリ

ングなどと並ぶ寄与をしたに違いない天才の

かなり詳細な伝記.それぞれの寄与について

の専門家によって書かれた解説がついている

が,筆者が理解できる狭い範囲については食

い足りない.だから,彼の寄与を,仕事その

ものからでなく,ケインズやラッセルやウィ

トゲンシュタインなどがいかに彼に影響され

たかを通して感知するための本である.


2.中畑正志「アリストテレスの哲学」岩波新

書1966(2023)アリストテレス哲学入門書

は日本語英語(英訳)ともかなり読んできたが,

本書は素晴らしい.自然科学者が共感できる

解説だ.筆者はアリストテレスの本質は自然

科学者だと思う.なにもないところで真面目

に自然科学や社会科学をしようとすればなん

でも基礎からやらざるを得ない不幸を背負っ

てしまったが.根が科学者の哲学者は大多数

の哲学者に理解されないように感じるが,こ

の本にはその弊がない.


3.「熱力学」の教科書いろいろ 基礎物理の

一部としての熱力学は「世界は何でできている

か」とか「世界の始まりはどうなっているか」 

というような神話の入る余地のある物理 (怪力

乱神をも語ろうとする物理) と一線を画してい

る点で枢要であると筆者は考える.アメリカで

は物理学科に熱力学の授業はない.日本が大い

に違うのは慶賀すべきことであり,今年も大出

版社や老舗の科学書出版社から熱力学や統計力

学と抱き合わせた本が続々出ている.しかし,

熱力学を舐めてはいけない.いろいろ出ている

のにまともな本が今でもほとんど田崎晴明「熱

力学」(培風館)くらいなのはどういうことか.




2022

1. S. Hossenfelder,``Existential Physics’’  

(Viking, 2022) 

A Scientist's Guide to Life's Biggest 

Questionsという副題がついていて,章の

見出しには時間の方向性,不可逆性,自由意

志や宇宙関係の話題が並んでいる.キリスト

教を意識した書き方がいろいろあり全体が日

本向きとは言い難い.「最先端物理」に批判

的な`Lost in Math’*の著者が本書で本当に

言いたいことは,章の見出しに並んでいるあ  

りふれたテーマについての彼女自身の意見で

はなく「科学者は真面目に科学せよ」に尽き

よう.つまり,土台のはっきりしない推論の結果をさ

も確立された事実であるかのように喧伝し,

例えば「なぜ宇宙が在るか?」という疑問に

答えられたかのようなことを言うべきでない.さらに,

(マジェランの世界周航も誤情報で踊った結果

だから,)研究者は想像を大いに逞しくするべ

きとは言え,現と夢の混同を助長すべきでは

ない.


2. 須藤靖「ものの大きさ」第2(東京大学出

版会、2021).

素粒子から宇宙までの1060桁のスケール

にわたる世界の階層を解説し「宇宙を学び世

界を問う」基礎物理学者の営為を追体験する

という本.著者のようにミクロを基礎とみな

す真っ当な物理学者と筆者は世界について根

本的に意見を異にする,とはいえ好著である.

最終章は「人間原理とマルチバース」である.

柄谷氏に従えば,生産によらない経済規模

の拡張の行き着く先の破綻が恐慌である.経

験によらない知識の拡張は形而上学であり,

その行き着く先の破綻は何なのだろうか.


3. 倉本一宏編「王朝再読」(臨川書店, 2021)

平成年間の(他で見ることのできるものは除

いたらしいが)読む価値のある論文の選集で

ある.冒頭にある,藤原氏の策謀とされる諸

事件の皇位継承に関係づけたより納得できる

解釈から始まって,官人昇進の基準の詳細,

京での消火活動や水害など平安文学ファン向

けの一般書では詳しく取り上げられない話が

いろいろとあって興味深かった.




2021

1村井康彦「藤原定家『明月記』の世界」(岩波新書 2020)

筆者は「明月記」の全体像を堀田善衛「定家

明月記私抄」(正・続)を通してしか知らない

が,「私抄」に驚きはもちろん多々あった.

本書にあるのは遥かに実証的な驚きだ,牧の

方との関係,「道家が幕府と朝廷の双方に力

を持った史上唯一最強の摂政であった」とい

う指摘などなど.あるいは「荘園を歩く」等

の現地訪問の諸記事,そして俊成女所縁の越

部荘「てんかさま」の写真,日吉社裏の盤座

の写真など,濃密な本だ.著者は1930年生

まれである.学究はかくありたいと思う.す

べての写真は著者によるものである.著者は

貴重な写真を多々お持ちのはず,詳細に解説

のついた写真集を出版されんことを.


2.A. Damasio, ``Feeling and Knowing, 

making mind conscious’’ (Panteon Books, 2021)

魂と肉体の絶対的不可分性をかなりの説得力

を持って説明している.ごくやわらかい語り

口の一般書ではあるが,著者の研究の到達点

を述べた本と言っていいと思う.「くりこみ

理論」などで口過ぎをしてきた人間は,意識

という現象はそれを「担う」物質面と切り離

し得て,他の物質的系でも担える,と考えが

ちである.本書によれば意識は普通の物理学

者のそういう発想の対極でのみ理解できると

いうことになる.そうなのだろうか.


3.長谷部光泰「陸上植物の形態と進化」(裳

華房,2020)

本書はゲノム,細胞のナノ構造から発生,進

化系統にわたって蓄積されてきたすべての知

見を統合した陸上植物の形態進化の教科書で

ある.著者のブログ「読む植物図鑑」の読者

には期待通りの図版写真入りのどこを開いて

も楽しめる本であった.しかし,本書は,英

語の教科書のようには大判でない.重要な図

版が口絵として分離している.学名索引さえ

ない.要するに体裁が内容に見合ってない.

大きな版で専門のデザイナーに指図して作っ

た英語版を是非出していただきたい.「読む

植物図鑑」は(ほぼ)和英対訳ではないですか.


補足

2023年に同じ著者が同じ出版社から「食虫植物」という大判の写真満載の本を出した.内容体裁ともに素晴らしい.もちろんもっとゆったりと美的に完成した本は出せただろうが日本では無理だろう.そういう英語版を出されんことを.



2020

1S. Hossenfelder, Lost in Math: how beauty leads physics astray (Basic Books 2018).

高エネルギー物理のこのごろの動向は,実験は標準理論を超える結果を出さず,超対称性とか自然さなどの数学的美意識を指針として標準理論を越えようとする理論的試みも全て外れた,と著者は要約する.科学が美意識などに頼ってよいものか.そういうものに頼った挙句がこの為体なのだ,云々.ではどうする.この著者は高エネルギー物理がすべての基礎であるということに疑問を抱いてないから,その健全な発展のための「社会学的」な指針が付録などに並んでいる(具体的研究指針はあるべくもない).しかし,何らかの数学的美意識抜きでまともな理論ができるとは筆者は思わない.本当に学ぶべき教訓は,極微の世界に基礎があるという形而上学こそ克服されるべきだということであろう.

 

2. A. Potochnik, Idealization and the aims of science (U Chicago Press,  2017)

仕事上必要があって,科学における「理想化」を反省するうちにこの本に行きあたった.従来の科学哲学が「科学とは何か」にまともに答え得なかったことの反省に立って,本書は,「現実とは一致しえない理想化」が不可避な科学の目的は真理ではありえず人間による世界の理解なのだ,と議論する.もっともな面はあるが,その人間は「社会的な産物」であるとするので,文系哲学者と本職の科学者では,いつもながら,科学観が食違う.


3.幸田弘子朗読・三田村雅子解説「源氏語り五十四帖」(JP Creative Entertainment 2019-2020)

筆者はオーディオブックは前後緩急自在の斜め読みも抜き書きもできないので使わないが,これに紙の本はない.二つ目の源氏の全文朗読が手に入るかと期待したが,解説でズタズタの抜粋朗読だったので初めはがっかりした.ところが,嬉しい驚きは三田村氏の解説が知的にも娯楽としても大いに楽しいことだった.後の巻ほど冴えわたる.朗読は飛ばせばいい.

注記: ただし,解説者は博物学的知識にはかなり欠ける.3例を挙げる

夕顔: ユウガオはウリ科のものをさしているはずであるが,解説は俗にユウガオと言うヨルガオを多分指している。今本物のユウガオは滅多に見ない.

末摘花: 黒テンをチンチラだと解説.

蜻蛉: 「ありと見て手には取られ」ないものは虫ではなく「糸遊」の可能性もある.トンボというのはちょっとひどい.



2019

1R. E. Rubenstein, Aristotle’s Children (Houghton Mifflin Harcourt Publishing, 2003). 「中世の覚醒 アリストテレス再発見から知の革命へ] (ちくま学芸文庫)小沢千重子/

この頃拙著の中に人の尻馬に乗ってアリストテレスの悪口を書いた.「形而上学」を眺めていてそれを反省し,彼が(物理学者の間で)なんで悪く言われるようになったか見るうち,一般向けの11-12世紀のアリストテレス受容史である本書に行きあたった.要するに,「正気の哲学」に向き合った神学者は結局アクィナスのようにアリストテレスをねじ曲げるしかなかった.彼の物理は大いに問題だから物理学者が悪口を言うのも無理はないものの,物理より根本的な世界に向き合う彼の構えの「健常さ」を著者がするように高く評価すべきだ.ただし,著者はこの時代を信仰と理性の創造的緊張があった時代と見,近代を超克するためにこの緊張を取り戻すことを唱導する.これは「科学とは何か」全く理解しない世迷言であるが,同じ主張がアメリカ物理学会の会誌(20191月)にさえ出るから,まだ中世は終わってないのだ.


 2    D Hoffmann, The Case Against Reality (Norton & Company 2019)

われわれの感覚器官は外界をより正しく映すためにではなく生存競争のために進化したと著者は(正しく)話を始める.ここから,彼は時空どころか外界そのものがわれわれが想定しているようなものではないと主張する.真面目に考えるべき問題を正面から扱う意欲を見せる本として評価するものの,どこまでの批判に耐えるか?真の外界は今流行の量子重力的世界像と親和性があるとする(隙間の神ならぬ隙間の量子力学!).外界そのものは不可知であると著者はするのだから,突っ込み所満載なのだが,いろいろ考えるきっかけに悪くない本ではある.


3.岩佐美代子 竹むきが記全注釈 笠間書院 2011 

玉葉,風雅の時代に続く混乱期における北朝上級貴族の「家刀自」 日野名子の半生自伝.詳細な註はたいへん興味深い.彼女は尊氏やあるいは直義の奥方ともある程度近しかったようだし,参禅した女性の嚆矢らしい.太平記に親しんでいる人は特に読むべきだと思う.