Section 19
註17 保存量の等分割について
そこではたとえばエネルギーをすべての同じ形大きさの分割片に等分するといいと書いてある.これはあんまり勝手すぎると考える人がいる.これはミクロカノニカルアンサンブルを作ろうとしているからである.勝手な作り方ではあるが,とにかく分割したものともとの系が熱力学的に等価であることは間違いない.
本文では実際の巨視系がアンサンブルと見なせると書いてあるが,確かに,その場合のアンサンブルがこんな勝手な取り方になっているはずはない.エネルギーその他の示量的な量はこの場合だいたい等分されているだけでありきちんと等分されているはずがない.一つの部分系を考えるとこれは示量変数すべてをそのまわりとやりとりできる平衡状態であるから,むしろここに述べてある部分系への分割は部分系のグランドカノニカルアンサンブルに実質的には近く,すべての示量変数についてreservoirを考えるのでmaximally grand canonical ensembleを動機付けていると見たほうが自然かもしれない.これがp22の註23にちらっと書いてあることの意味である.
通りの巨視系
このあたりに出てくる「巨視系」には三通りのものがある
(i) 文字通り熱力学的極限と考えられる無限系あるいはそれに近い巨視系,
(ii) われわれが通常の実験で熱力学的実験を行うような巨視系,
(iii) われわれから見るとかなり小さい(たとえば0.1 mm立方)が原子や分子から見ればやはりりっぱな巨視系.
熱力学はどれにでも成立するが,少し触れてあるように,測定値のゆらぎは系の大きさ(体積あるいは粒子数)の平方根に比例する.たとえば,ゆらぎが無視できるような系(ii)を百等分すると分割片のゆらぎの大きさは十倍になるから無視できなくなるかもしれないが,この百個の部分系のすべてのデータを平均すれば大数の法則からゆらぎは十分の一になる.
ここのあたりで言っていることは,(ii)を(iii)のアンサンブルとして考えることができるということである.大数の法則が成り立つにはそんない極端に大きなサンプル数がいるわけではないから,これは十分に可能なのである.
臨界点でも分割合体の議論は通用するか
臨界点では空間相関の減衰がゆっくりなので小さな巨視系を沢山の無相関な部分的巨視系に刻むのは難しいだろう.確かに臨界点直上では問題が起こるかもしれない.しかし,その任意近傍では実際的に巨視系では相関距離は小さいとしてよい.そこで本書では,臨界点で分割論法に問題が起こるならば,臨界点そのものは避けて熱力学的極限を考えることでその任意近傍で分割論法は使え,こうして建設した統計力学を使って臨界点は極限として論じるという立場をとる.
いずれにせよ,1.1節に書いてあることは「動機付け」であるからここまで細かいことを気にする意味はないかもしれない.
エントロピーも単一のミクロ状態で決まる
単一のミクロ状態で内部エネルギーや仕事座標が決まると言うのはいいとしてもエントロピーもそうなのか? もしそうでないとすると熱力学は一つのミクロ状態で決まるという言明はウソではないか.
エントロピーというものはおおよそのところ巨視的状態と整合的なミクロ状態の数の対数であるから,これは単一のミクロ状態では決まらないと思うかもしれないが分割論法では単一のミクロ状態もそれが巨視的系のミクロ状態ならアンサンブルと考えられるのである.しかし,そうして得られるアンサンブルに含まれる状態の数は,ミクロカノニカルアンサンブルに比べると圧倒的に少ないのではないか? これにたいする一つの解答は,理論的には熱力学的極限をとる(一つ上の(i)を考える)というものである.しかし,たぶんもっとよい答えは,エントロピーの絶対値は実際の実験で直接測定にかからないことに着目することである.状態の数が二倍になれば,エントロピーの変化は1ビットである.これは(ii)を(iii)に分割することで十分によい近似値で得ることができるのである.つまり,熱力学座標を正しく計算できるようなサンプルが採れるアンサンブルならエントロピーの差も正しく評価できると考えられる.
この論法の行き着く先は,ミクロ状態のエントロピーはその状態のKolmogorov complexityである,というものである.
p54
Liouvilleの定理から等重率の原理を導こうとする論法について
たとえばC. M. van Vliet, ``Equilibrium and Non-equilibrium Statistical Mechanics,’’ (World Scientific, 2008) p47では平衡分布あるいは密度作用素が恒量であるからそれは恒量の関数でなくてはならないと論じる.そしてエネルギーのみがアンサンブルのすべてのメンバーについて知られている恒量であるので平衡分布はエネルギーの関数でなくてはならない,と結論する.
この論法の不用意な点は平衡分布が恒量だからそれは恒量の関数だと結論したところにある.平衡分布が(独立な)恒量で決定される,というところまでは正当な議論であるが,関数であるというのは独断である.写像関係があればいいのである.汎関数であるという所までしか言えないはずである.
孤立系においては示量的な量が確定している,本来の等重率原理はこのような状態に課されるものである.広義の孤立系では系と相互作用を合わせた系に孤立系に準じた処方がとられる.
示量的量がすべてほぼ(ゆらぎの範囲で)確定している巨視的状態なら等重率の原理を適用して統計力学が熱力学を再現できると考えられる.つまり,示強性の量をも使って熱力学的状態を指定してもよいが,その状態がすべての熱力学座標が(ゆらぎの範囲で)確定した状態でない限り,一般には,等重率の原理を仮定して平衡統計力学によって熱力学は再現できない.一つの方法はエネルギー一定条件はこれを課しつづけることである.エネルギーのゆらぎを許すと大きく異なったエネルギー(いかに小さくとも正の確率で実現しうる)にも同じ重みを与えなくてはならなくなるが,エネルギーの無制限のゆらぎを排除する限り,他の仕事座標のゆらぎは許容できるというのがここの考えである.
統計力学を純粋に微視的に組み上げたいならば,等重率の原理が適用できるマクロ系の状態(ミクロ状態の集合)は力学的に一義的に指定されなくてはならない.そのためには,少なくともそのハミルトニアンとその中の外部から指定されるパラメタ(たとえば外部磁場)の値および系の境界条件が確定していなくてはならない.
アンサンブルの等価性について
ここで熱力学座標で指定されたアンサンブルと,仕事座標Xが固定されずその共役量xが指定されたアンサンブルの二つが出てきた.こうして計算した二つのエントロピーは同じなのだろうか? 以下に見るように熱力学的には同じ値を出すことがわかる.
根本的な点は,等重率原理を課す固有状態の集合はどのハミルトニアンの固有状態か,ということである.系が熱力学量を観測される際に実際に支配されているハミルトニアンをこのハミルトニアンに選ぶと以下のようになる.下の(10)において作用素を使って簡単に表現できるのは最後の式,すなわちmaximally grand canonical ensembleだけであるが,W(E,X)などが意味がないわけではない(不便だが).
しかし,すぐ上の段落にあることを見るとわかるように,たとえば系本来の(つまり,内部エネルギーにあたる部分だけの)ハミルトニアンをもとにすると,たとえ[X]の固有状態についての和と(11)の右辺が見られても,Hと可換でない限り,(10)との一致は難しい.