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Cauchy Fourier の関係

残念ながら彼ら関係について証言する文献をまだ見いだしていない.

「尺度干渉」について

「尺度干渉」に関して読者から二つのコメントをいただいた.一つは「干渉」という言葉が意味する内容について,もう一つはこれが非線形を特徴付けるという考えについての批判である.

(1) 「干渉」という言葉は物理では波の干渉に見られるように線形重ね合わせのことである.したがって,このイメージで考えられるとまったく的が外れる.ということは「干渉」という言葉はよくないのではないか.

 確かに,物理の用法ではそのとおりだが,広い世の中での用法はかなり,あるいは大いに,異なると思われる.「内政干渉」や「三国干渉」に見られるように,しばしば破壊的な効果を持つ相互作用のことである.さらにその効果は「対称でない」,つまり,干渉する側とされる側があって,される側に通常甚大なことが起こる.本書での「干渉」という意味の使い方はこのような通常の用法である.ラップトップについて いる大辞泉によるとトップにあるのは「他人の ことに立ち入って自分の意思に従わせようとすること」である. 口出し•お節介•手出し•ちょっかい•介入•容喙•邪魔を見よ,とある. 英語でもInterferenceという言葉は常識的にはThesaurusを見るとわかるように intrusion, intervention, intercession, involvement, trespass, meddling, pryingあるいは disruption ,  disturbance, distortionなどである.さらに専門用語にこの言葉が現れるとき,線形重ね合わせを意味するのは物理学においてのみのようである.Wikipediaのdisambiguationのところをみると自然科学分野に限ってもこの結論は正しく見える.

 要するに,ここでは新しい「術語」を作るにあたって物理での誤用(これは和訳にはじまったことではない)を無視して,ことばの原義に遡ったということである.

(2) 非線形性を尺度干渉で特徴付けようとしているが,これはいくつかの部分に分けて考えてその間で何かが起こるということを意味する.これはいわば非線形性を摂動論的に考えているからであって,非線形の本質ではなく,その取り扱い方の欠陥によるものであり,われわれの見方の欠陥,計算能力の無さをあげつらっているだけではないか.[ G. Paquette氏による] 

 これははなはだもっともな批判である.これについての著者の直接的返事は次のようなものである.

(i) スケールの分離が出来ないなら,それはいずれにせよもちろん線形な系ではない.

(ii) われわれのスケールのまわりのスケールを見るだけで理解できる(ある種の規則性を見抜ける)現象がないならば,「知的生きもの(intelligent organisms)」は発生しなかったにちがいない.

(iii) したがって,われわれの住んでいる世界では,たくさんのスケールがほぼ分離できるような現象や系があるにちがいない.

(iv) だが,これらのほぼ認識できるようなスケールがあるときでもしばしばその性質や発展則は,はなはだかけはなれたスケールで起こることを考えにいれないとわからない.

 つまり,この世界はスケール認識不可能な系や認識できても干渉が強くて分離して考えられない系に充ち満ちている,といってよい.スケール認識不能な系というのはまったく手に負えない系だから「知性」は相手にしてこなかった(はじめから投げてきた).この意味で,われわれにとって重要に見える非線形現象はいろんなスケールのあることは見えるが,それらが絡み合っている系なのだ.そもそも「スケール干渉」という概念ですべての(線形性の否定としての)非線形性をカバーできるかいないかはあまり重要なことでない.「われわれにとって重要に見える非線形現象」の特徴が掴めればいいというのが主旨だから「スケール干渉がある」というのはわれわれが関心を持つ非線形な系の十分意味のある特徴付けになるはずである.

 この答えでは相手にしている系がそもそも自然にスケールをもつか否かということを中心に考えている.だが,もっと素朴に考える方が自然である.大きく異なったスケールのことを全然知らないで,たとえば,われわれのスケールのある現象が理解できるかどうか,という質問はその現象が「自然な」スケールの階層から成り立っていなくても意味のある質問である.フィルターをかけてある時空スケールの情報を消去する(見ないことにする)ことは出来る.見る,見ないをわけるスケールが系にとって自然なスケールの切れ目に沿っているか否かなどということはどうでもいい.見ない,相手にしないとこっちで勝手に決めたとしてもそれが許されるかどうかはわれわれの自由にはならないことが多い.見ないでおきたいスケールで生じる現象のおかげでわれわれの人生が大いに変わることは多々あるだろう.

 世の中の非線形といわれている現象は多くの場合,このように見えないことが理由で「大いに変わる」現象であるといってよいのではないか.これが「スケール干渉」のこころである.