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p128

「世界は現象論的見方を許す」

なぜだろうか?

 まず言っておかなくてはならないことは,本書ではこれは経験事実として扱われている,ということである.したがって,一応,どうしてそうなっているかということを考えずにこ事実はフルに利用する,特にいわゆる人間原理(anthropic principle)と躊躇なく組み合わされる.現象論的理解が可能でないような世界で一般的な知的能力が意味をもつとは考えにくいから(ページ脚注4参照),われわれはこ世がそような理解が可能な世界だからこそ発生できたであり,したがって,必然的に,われわれが見る世界は現象論的見方をいろいろと許す世界である.

 原子分子から成り立つような世界では,知的能力をもった生きものの大きさは原子スケールからは少なくとも10^{-3}m/10^{-10}m = 10^7くらい大きくないといけない(1章脚注20, p11).これは熱ゆらぎを十分小さいと見なせる大きさである.つまり,物理で言うcollective coordinatesでいろいろなことが記述できる世界である; 大数法則おかげでゆっくりと変化する現象が幅をきかせる世界である.こページ脚注4にあるように,世界より安定な特徴をまずきちんと認識することが,生きもにとって有利であるにちがいない.たとえば「人生に影響を持つ」ある変数(たとえば気温)がそうそう変わらないということをきちんと認識している生きもと,それを認識してない生きもでは,投資すべき方向は違うだろう.そして後者が不利になることは自明である.こうして,知能は原子世界から見るとcollective featuresを認識するように進化させられる.いいかえれば,現象論をまず認識するように進化する.現象論的に記述できる現象が豊富な世界生きもほど知的になる.あるいは,世界現象論的豊富さと見合った知能を持った生きもが究極的には生じうると言ってもいい.こうしてわれわれには世界いろいろ(たぶん重要)な側面を現象論的に見ることが許される.どうして世界が現象論的見方をゆるすか,ということはこように,自己無撞着的に説明することも可能であると思われる.