p194
村上陽一郎先生
根本的誤謬だと指摘されている引用は村上陽一郎「クーン主義と科学者」(世界1998-11、p312(岩波書店)から取ったがこれを書いた人の名誉のために少なくとも本文では匿名にした.
村上陽一郎氏は数学についてもいろいろ面白いことをおっしゃる方である.たとえば ,村上陽一郎「時間を巡って(承前)」[図書 1999-3 p58(科学哲学の窓)]の冒頭には次のようにある:
瞬間速度という概念が、微分という便宜的な算法を使わずには成り立たない、あるいは概念上の困難がある、ということを前回に述べた。日常的な考えに従えば、速さという概念は、あくまで一定の時間が定義されたとき、その時間内に移動する距離との比によって与えられるものだからであり、「瞬間」である限り、そこには一定の値を持つ「時間」が定義できないからである。
それを微分を使って切り抜けて、見事に成功をおさめたのが、 近代力学であった。しかし、そこに争い難い問題が残ることも確かである。
それは結局時間幅をゼロに近付ければ移動距離もゼロに近付くはずなのに、移動距離のほうだけはゼロにならない、という微分の言い抜けである。
誠実であること,知的であること,および科学論者であること,これら三者は同時には成り立たないのだろうか (国家社会主義者については成り立たないと言われた).
730 カエサルはなぜあれほど女にモテ.しかもその女達の誰一人からも恨まれなかったのか...
─中略─
─中略─
─中略─
重ねて言うが, 女が何よりも傷つくのは,男に無下にされた場合である.
イタリアのある作家によれば,「女にモテただけでなく,その女たちから一度も恨みをもたれなかったという希有な才能の持主」であったカエサルの,以上が私なりの史実の読みこみによる推察である.そして,女と大衆は,この点ではまったく同じだ.人間の心理をどう洞察するかに,性別も数も関係ないからである.
[塩野七生「ローマ人の物語 IV ユリウス・カエサル—ルビコン以前— (新潮社1995) 第四章 青年後期 p135-9]
731 なぜカエサルが女という女からモテ,モテただけでなく恨みを買わなかったのかの解明が,男性独占と言ってもよいのが現状の史家や研究者の考察を追っていてはできず,女の立場に立って初めて可能になったのに似て,なぜ権力もなかった時期のカエサルにあれほども多額の借金が可能であったかの考察も,地方の裕福な知識人プルタルコスや,研究費も大学が負担してくれる現代の研究者等の真面目な考察の範囲に留まっているかぎり,推理も解明も不可能ではないかと思う. [塩野七生「ローマ人の物語 IV ユリウス・カエサル—ルビコン以前— (新潮社1995) 第四章 青年後期p139]
しかし,私は,彼女は試みもしなかったと思う.猫は可愛がってくれる人間を鋭くも見抜くが, 女も猫と同じである.なびきそうな男は,視線を交わした瞬間に見抜く.
著者が科学論者たちの「論理(能力)」に危惧を抱かざるを得ない理由の一端である. この誤謬は筆の滑りか(それなら「図書」の編集者の能力の問題である; それも考えなければいけない理由が,「図書」に出る日本語起源に関する記事を見ていれば,ないわけではないとしても). そうではないだろう.「微分という便宜的な算法」、「微分の言い抜け」という言い方から考えると、問題は深刻である.
脚注23 補足 生物学と女性
Cryptic species として見てすぐわからない種の分析が続々とされるようになったのはごく最近である.
博物学への女性の寄与は大きい.例えば地衣類が藻類と菌類の共生したものだと言うことを初めて認識した人の一人はPeter Rabit で有名なBeatrix Potter である.あるいはDeuterostomiaを初めて認識したのはLibby Hyman である.Libby Hymanの The Invertebrates (6巻) は復刊されていい名著である.彼女については http://www.answers.com/topic/libbie-hyman 参照.もう少し長い評伝 Rose Rose M. Morgan: Libby Heinrietta Hyman, eminent invertebrate zoologistがAmerican Biology Teachers 60, 251 (1998)にある.
New et al., Spatial adaptations for plant foraging: women excel and calories count
PRS 274, 2679 (2007)
The experimental method is worth reading.
関連した引用 番号は 証 の中の引用番号
IV−43 学界はやっぱり男の研究者が主ですから,女の視点で見ることがなかなか難しいし,そういう先生に教えられると,女でも男性視点の従来説が正しいかと思うようになるんですね.だから新しいことは,なかなか言いにくい.アカハラとは言いませんけれども,その辺のことは感じています.」
[「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き (笠間書店, 2010) 第十章 若い方に伝えたいこと p199.]
ついでながら塩野七生『ローマ人の物語』には随所に女性の視点の重要性が出て来る.いくつかの例は次の通り.
III- 719 アウグストゥスという人は,政治心理学では極めつきの達人と思うが,なぜか個人の心の動きには無神経な人だった.古代の美的基準では,カエサルに比べれば圧倒的に美男だったが,女にモテたかどうかということになると,さしてモテなかったのではないかと思ったりする.女の感性とて馬鹿にしたものではなく,女とは,権力にも美貌にもそうは簡単には騙されないものなのだ. [塩野七生「ローマ人の物語 VI パックス・ロマーナ(新潮社1997) 2. 統治中期 p263]
727 カエサルは,モテるために贈物をしたのでなく,喜んでもらいたいがために贈ったのではないか.女とは,モテたいがために贈物をする男と,喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを.敏感に察するものである. [塩野七生「ローマ人の物語 IV ユリウス・カエサル—ルビコン以前— (新潮社1995) 第四章 青年後期p85]
しかし,カエサルだけが,ある作家の言を借用すると,列を作って自分の順番がくるのを待つかのように,上流夫人を総なめにする栄誉に輝いたのである.記録に残る名をあげるだけでもこの豪華さだ.カエサルにとっては金を貸してくれる第一の人であった,クラッススの妻テウトリア.オリエントで戦争を指揮している将軍の留守宅を守らねばならないはずの,ポンペイウス夫人のムチア.ポンペイウスの副将だから同じく出征中の,ガビニウスの妻のロリア.· · · そして,カエサルの愛人たちの中でも最も有名なのは,後年のクレオパトラを別にすれば,セルヴィーリアであろう.後にカエサル暗殺の首謀者になるブルータスの母セルヴィーリアは,再婚話を断ってまで,カエサルの愛人でいるほうを選んだ女であった.
─中略─
一人前の男なら,自分から醜聞は求めない.だから醜聞は,女が怒ったときに生まれる.では,なぜ女は怒るのか.怒るのは,傷ついたからである.それならどういう場合だと,女は傷つくのか.
まず第一に,愛する女を豪華な贈物攻めにしたのはカエサルのほうである.これも彼の莫大な借金の理由になったのだが.借金が増えるから贈物などしなくてもよいなどと言うのは妻であって,それ以外の女ならば例外なく愛しいと感ずる.そして,誇らしいと思う.カエサルがセルヴィーリアに贈った六百万セステルティウスもの真珠はひとしきり首都の女たちの話題を独占したものであった.もしも事実なら,パラティーノの丘の上の豪邸が二つは買える額である.
そして第二だが,カエサルは愛人の存在を誰にも隠さなかった.彼の愛人は公然の秘密だった.いや,女の夫まで知っていたのだから,秘密でさえもない.オリエントで戦争中のポンペイウスもガビニウスも,自分たちの妻の浮気を知っていた.これでは.スキャンダルにもならない.公然なら,女は愛人であっても不満に思わないからである.
また,理由の第三は,史実によるかぎり,どうやらカエサルは,次々とモノにした女たちの誰一人とも,決定的には切らなかったのではないかと思われる.つまり,関係を清算しなかったのではないかと.
二十年もの間公然の愛人であったセルヴィーリアには,愛人関係が切れた後でもカエサルは,彼女の願いならば何でもかなうように努めた.彼女の息子のブルータスがポンペイウス側に立って自分に剣を向けた際も,戦闘終了後のブルータスの安否を心配し,生きていたとわかるやただちに母親に伝えさせている.また,公然の愛人がクレオパトラになった後でも,セルヴィーリアの生活に支障がないよう,国有地を安く払い下げさせるなどという,公人ならばやっていけないようなことまでやっている.
752 王宮内で一度,三十九歳の女王と三十三歳の勝者は会ったといわれている.どのような話が交わされたかは知られていない.この二人以外に,列席した者はいなかったからだ.古代の史家の幾人かは,その時クレオパトラはオクタヴィアヌスに対して.カエサルやアントニウス相手に成功したと同じ手を試みたと書いている.試みはしたが,失敗したのだ,と.四十に手のとどくようになっては,有名なクレオパトラの魅力もさすがに効力を失っていたというわけだろう.
クレオパトラも,整った美貌の三十三歳の冷たく醒めた視線を受けたとたんに,この種の戦術の無駄を悟ったのではないかと思う.そして,自分を待つ運命をはっきりと見たのではないか. [塩野七生「ローマ人の物語 V ユリウス・カエサル—ルビコン以後— (新潮社1996) 第八章 アントニウスとクレオパトラ対オクタヴィアヌス p479]