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学問の初心に帰ることは時代に逆らうことらしいが· · ·. 先達たちは:
「 あなたがた、創造する人々よ、この『…のために』を忘れよ. 」(ニーチェ[手塚富雄訳「ツァラトゥストラ」(中央公論社)ツァラトゥストラの言説 高人11).
「 知るに値するといふのは何もこれらの法則によって何か技術上の目的を達することができるからといふのではなく,むしろ—これらの学問を以て己が「天職」とする以上は—『学問それみずからのために』知るに値するといふ意味なのである. 」(M. ヴェーバー[尾高邦雄訳]『職業としての学問』(岩波文庫,1936 年).
松本眞「りんごが落ちたって万有引力は発見されないさ」
教養,あるいは専門を問わない常識だろう,に関して.
本書は教養書であることもめざす.それにしては親切でないかもしれないが,細部でなく全体としての雰囲気がわかってもらえればいいのだ.現代では「教養主義」は地に堕ちたかもしれない.しかし,ある程度の下地,あるいは急速に必要な下地を整備できるだけの枠組みないしは足場はあらかじめ持っていなくてはならない.何かを知っている,ある知識があるというようなtrivia的な知識でなく,語学力などに相当するような基礎体力のような学力である.そのような基礎体力をつけるためには昔から言われている「教養」をつける習慣はそう悪いものではないだろう.
もちろん,できる人は何をしてもいいのだ.たとえば,橋本治「「わからない」という方法」(集英社文庫2001)p234 には次のようにある: 「 私は『知らない』ということを恐れない.知らないのなら、それを改めて知ればいいのだし、それを『知らない』のままにしていたのは、それを知る必要がなかったのだから、別に恥じる必要もない.すべてを『一般教養』的な枠にはめて、『知っておくべきことはカクカクシカジカ』と信じている人達は、時としてそういう実際主義者をバカにするが、そういう一般教養主義者はたいしたことのない人間ばかりだから、べつに恥じる必要もこわがる必要もないのである.恥じるべきことはただ一つ、自分に必要な下地を欠落させていること—それに気づかないでいることだけなのである. 」上の引用で大事なのはもちろん最後の文である.
正確に言うと本書が「教養書をめざす」というのは適切でなく「下地を作るための動機を与える本」であることを目指しているのである.「改めて知ればいい」といっても知らないことを改めて「知る」のは簡単ではない.そのための前提である基礎的な科目ほど外国語と同じで,後で「改めて知る」わけにいかないのがふつうだからである.
( 未完 )
博学は知性と両立しない
ディオゲネス:「博学は知性を持つことを教えはしない。」(山本光雄翻訳「初期ギリシア哲学者断片集」(岩波, 1958) i より正確には,「博学は知性と両立しない」のではないかと著者は考える.この本にはいろんなことが書いてあるから著者は「博学にちがいない」と軽蔑している人がたくさんいると思うが,よく読めばわかるように,ソースは極めて偏っている.一例を挙げると,文学についても少し書いてあるが,著者は現代小説はほとんど読む事がない.芥川賞の作品はたぶん一切読んでないし,大江健三郎も村上春樹も全く読んだことがない.だいたい日本文学ではcutoffは15 世紀である.新日本文学大系には江戸文学が多数取り上げられているから,かなりの努力をして読んでみたが文化は退化しうるという印象さえ持ってしまい,二度と読まない.
このように読むものを極度に限定しているから普通に言われている教養などまったくない.シェークスピアなどまともに読んだのはほとんどない.トルストイも全くない.(西欧)文学一般をほとんど読んでない.その代わり,古典ギリシア,諸子百家,原始仏典など古代の文献はかなりまともに読む.自然科学を除くと,人間のものの考え方は紀元前に出尽くしていると思うからである.さらに,シェークスピアを読むのが大事だという人の大半が日本の古典文学を読んでいないことは確かだろう.ギリシア悲劇よりもシェークスピアの悲劇の方が「深みがある」ようなことを言う人もあるが,前者の方が往々にして根源的かもしれないのである.
総花的にいろいろ身につけることは時間的に絶対的に不可能である.つまり,博学は雑学にしかならない.読まない見ないと決めたものは必要に迫られない限り禁欲的にこれを厳しく避けるしかない.
脚注38補訂「精密な定義がなかったならそれについて何かを知っているとは言えないのです」
ほんとうにそうか?本書を読み進めればわかるように,実は,話はこんなに単純ではない.「知っている」ことと「言えること」が重ならないからである.前者がはるかに大きい.つまり,「何かを知っているとは言えない」のではなく「何か知っていることを言葉では言えない」と正確には書かなくてはいけない.