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ダーウィン過程
遺伝学と進化論のつじつまを合わせたいわゆる総合説(Modern Synthesis)というものは遺伝情報の変化は適応的なものだけであると考え,変異にかかる歴史的制限や天変地異の効果は取るに足りないと考えてきた.しかし,
(1) 塩基配列のレベルでの変異は多くは目立って有益でも有害でもなく,その運命は純粋に確率的に決まる(運だ)と考えるべきである(中立な遺伝モードの分子レベルでの卓越).
(2) 中生代と新生代の変わり目に大隕石が寄与した可能性の高いことから分かるように,時々激烈な擾乱が世界には加わったに違いない(天変地異はの重要性).
(3) Deep homologyの存在は突然変異が勝手に変えうる部分が制限されていることを如実に物語っている(系統的慣性の存在)[たとえば眼についてW. J. Gehring and K. Ikeo, Trends Gen. 15 , 371 (1999)参照]
こういう事実の前に,Gouldが鋭く批判してきたように,いわゆる総合学説は大拡張あるいは大改築を迫られることとなった.
ダーウィニズムは実証されているか
ダーウィニズム(Darwinism)とは,ダーウィン過程だけがパストゥール連鎖を起動し,世界の「複雑性」を真に増加させうる, という主張である.ダーウィン過程がすべてであるとすることはデザイナーの必要性の否定であり,これがダーウィニズムの核心である.ダーウィン過程が全てであるとすれば,全ての新奇性はランダムネスからしか生じない.そして,このゆえに尺度干渉無しに複雑系が発生することは不可能である.
本書の立場では,ウォーレスとダーウィンの功績はデザインなしに複雑な系を生成するメカニズムを提案したことである.それが現実の複雑な系の構成のときに唯一のメカニズムとして使われたかどうかは,どうでもいい.どうでもいいというのはいいすぎではあろうが,とにかく,メカニズムを提案したことそのものを最大の功績と見る.もちろん,ダーウィンは彼の提案したメカニズムこそ生物系の進化のメカニズムであったと「ダーウィニズム」を「種の起源」において提案したのであった.もちろんウォーレスも同じ提案をしたのだが,論理の徹底さにおいてダーウィンに一歩も二歩も譲る.たとえば,ウォーレスは人間には自然選択を適用することをよしとしなかった.
ダーウィンの提案に対する反論の試みが二つある.
(i) ランダムネスが作りうるアンサンブル(選択肢の全体)は大きくない,ランダムネス(突然変異)にできることは大したことではないのだ(つまり,ノイズはユニバーサルな情報源ではない).したがって選択しても大した結果が得られるわけではない.
(ii) ランダムなもので原理的には何でも作れるとしても,これを40億年でやってしまうのは不可能(つまり,ノイズは事実上ユニバーサルな情報源だがその力をふるう時間が足りない) [Thomson(後のKelvin卿)はダーウィニズムを潰すために地球の年齢がせいぜい数百万年しかないことを論証しようとしたことは有名な事実である.これについては一章で引用したK\"{o}lnerのフーリエ解析の本またはGould: SETのp492参照.そこの出だしを引用すれば,`` In 1866, William Thomson, the future Lord Kelvin, published one of the most arrogant documents in the history of science---a one-paragraph paper (with an appended calculation) boldly entitled ``The `Doctrine of Uniformity' in Geology Briefly Refuted. ''
(i)が有効な反論でないことは次の議論からわかる.突然変異が熱核反応をエネルギー源とする(有機化合物でできた)生物を作りえないことは自明だから,当然ながら,ノイズ=突然変異には造れないものがある.しかし,今まで地球上に生きてきた生物は全て突然変異で結び合わせることができること,すなわち,出発点と到達点とが与えられれば,それらをつなぐある進化経路が,影響の小さなそして選択されうる(つまり,生存のために有利な)突然変異の集積だけで,たどれると想像することには無理がない(``遺伝的ホモトピー''がある;たとえば眼の進化などで考えられているように [Nilson, ``Pessimistic estimate of time required for an eye to evolve,'' Proc. Roy. Soc. B 256, 53 (1994)]),むしろ,いくらでも考えられる; デネット(Dennet)はこれを答えがないのではなくありすぎるという贅沢な悩みといっている).つまり,ノイズは万能ではないがわれわれが知っている生物ぐらいは作れる.
進化に関する副次的論争
言語と思考
論理操作と自然言語操作が脳の異なる部分に担われているという論文がある.
9 Montiet al., The boundaries of language and thought in deductive inference
Logical inference is not embedded in natural language
P 106 12554
`core' regions of deduction [Brodmann area (BA) 10p and 8m], whereas linguistic inference alone recruited perisylvian regions of linguistic competence, among others (BA 21, 22, 37, 39, 44, and 45 and caudate). In addition, the two inferences commonly recruited
of linguistic processes.
(ii) が強力な反論ではない(らしい)ことはドーキンズ(Dawkins)などが縷々述べているところ,要するにパラレルサーチをやればいい.しかし「たしかに並列演算は強力だが,まだそれでもそれは不十分なのだ」と言いつのることは可能である.そしてその揚げ句に出てくる主張は「 実はランダムネスは本当にはランダムではなく賢い(バイアスがある),いいかえると,どこかに実はノンランダムネスがあってこれが実時間での進化を可能にしたのだ.」ということになる(それ以外の可能性は論理的にない).つまり,厳格なダーウィニズムは正しくない,たとえば獲得形質の遺伝も枢要(いいかえると遺伝系は洞察力を持つ),というところに反ダーウィニズムは落ちつく [獲得形質の遺伝が存在するという主張ではなく,非自明な進化のために必須であるという主張であることに注意].
これに事実で反論するのは容易でない.「巷に反ダーウィニズムが跳梁するのはなぜか, $¥cdots$それを唱える人がちゃんと勉強していないからだ」というのは安易に過ぎる.今の生物の状況は19世紀末の原子論をめぐる論争を思い起こさせるところがある.この場合も相手が勉強していなかったわけでは全くなく,実証可能性等いろいろ哲学的問題が絡んでいたのだった.こうしてみるように,ダーウィニズムが生物の発生,進化を説明すると実証されたわけではない.理論物理あるいは数理科学者に出来ることは実証データを集めることではない.さらに実証データを集めても歴史的過程の実証とはどういうことかなどうるさいことをいう人はごまんといるだろう.
ノイズがノイズである所以はその効果があらかじめ個体(の再生産)にとって有利になる保証がないことだから,(ii)に反論するには,ランダムノイズ起源の情報だけで十分である(ただし,他の情報源を否定する必要はない)ということをいうために:
(A) あくまでパラレルサーチの効率がよいことを論証し抜くか,
(B) サーチ空間が実はそれほど思っているより広くない(つまり,相対的にサーチ効率がよい)ことを論証するか,
あるいは,ランダムノイズ起源でない情報をあくまで排除するか,つまり
(C) ランダムネスが重要でないプロセスは有害であることを論証するか
しかない.
著者の見るところでは,(A)の説得力を今以上に上げるのは難しい(というよりもそれでは不十分だろう).さらにこの路線は,話がうますぎるという印象をどうしても伴う.たとえば,生命の発生の確率の意味のある評価は不可能である(非平衡系のノイズの分布はどんなものかというのは現時点で統計物理の未解決問題なのだから,進化の生じる確率とか,ましてや生命の発生する確率など正気で論じることはできない)[Miller-Orgel反応で有名な L. E. Orgelは ``The origin of life - how long did it take?'' (Origin of Life and Evol Bio. 28, 91 (1998))で自己複製系が発生するに必要な時間スケールの上限も下限も見積もれないことを強調している).そこで(A)でも十分かもしれないが,それはさておいて, (B) (C)を真剣に実証しようとすることが中心的戦略であるべきだろう.(B)に関する試みとしては絶対的探索空間が狭いというのはかなり難しいが,実はそのある種の同値関係による商空間で探索すればいいという考え方と,生物学的に意味のある部分空間へは意外と簡単にたどり着けるという考え方がある.後者の例がKauffmanによる``order for free''とでもいうべきアイデアであり,前者にあたると思われる考え方にFontanaやSchusterらがRNAの進化に関して主張している,どの遺伝状態の近傍にもうまい状態があり,わざわざ大域的探索をするには及ばない,という考え方がある.Kauffmanらによってたと
えば遺伝子やポリペプチドのネットワークの自己組織化が詳しく調べられていて, 実際に自発的秩序化のようなことが可能であることが示されている「S. A. Kauffmanの大著 The origins of order
(Oxford UP, 1995)が集大成であるが,たぶん1/10位のページで十分書ける内容であろう]. しかし,生物の個体発生の特徴は自己組織的でないことであったし,系統発生の特徴は大規模並列処理を長時間要するということであるから,Kauffmanがいうような秩序の発生に疑問の余地はないものの,そのような結果が複雑系にとって意味があるとするには大いに躊躇される.簡単に出来てしまうということが複雑系の説明としては命取りに見える.
ダーウィニズムを支持するための論法の(B)に関しては次のようなことを考えるべきだろう.当然ながら,進化の効率(ランダムサーチの効率)を上げる方向に進化が進むことは十分考えられる.そのためには,
(1)エラー検出の低コスト化(間違いがなるべくすぐ分かること).
ランダムノイズの効果を認めるのだが,当然それは確立された秩序に対してはネガティブに作用する.そこで,そのような「有害な」ノイズの効果をできるだけ効率よく排除することが望ましい.これは「発生的制約」とか「内部選択説」の話である,つまりダメなものはできるだけ早く排除する [これが「系統的制約」を引き起こすのかもしれない.ただし,進化的には,この低コスト化は発生の効率化(速やかかつ安定な発生)のために要求される発生制御機構のある種の組織化の副産物だろう]. しかし,これがサーチ効率の向上に寄与するためには,これだけでは不十分で,発生的制約をクリヤしたものは「うまくできあがって働く」ようになっていないといけない.形質の間に高度の相関を持たせることによって「はじめよければ終わりもよい」系が進化できると考えられる.つまり
(2)パラレルサーチの効率化
とこれは表裏一体である.たとえば,心臓手術から回復するように人間が選択されてきたとはまず考えられないが,その回復メカニズムは,かすり傷の修復のメカニズムが基本にあるわけで,後者の改良のためなら低いコストで試行錯誤ができる(大数の法則が活用できる程度に).こういうことが沢山あるに違いない.
もちろん,このように系が組織化される事自体突然変異によって用意され選択されているのであるが.進化の仕方が進化するのは当然であり,ノイズの使い方がうまくなる(サーチ能力が上がる)ことも当然考えられる.ラマルク的メカニズムが効率がよい場面は明らかにあるわけであるから,そのシミュレータをも発達させたに違いない.これは
(3)模擬ラマルキズム(simulated Lamarckism)
とでも言えるものである.ウォディントン(Waddington)の遺伝的同化(genetic assimilation) [遺伝的基礎を持たず変異として現れていた特異な表現型を選択していくとその発生が遺伝的に正常な表現型として決定されるようになる現象のこと.これは獲得形質の遺伝ではなく,まさに変異を選択することが変異を生じやすい遺伝子の組を選択することになるためである.Waddingtonの研究自伝がよい解説であろう.最も最新の総説はM. Piglliucci and C. J. Courtney, ``Geneic assimilation and a possible evolutionary paradox: can macroevolution sometimes be so fast as to pass us by?'' Evolution 57 , 1455 (2003)] などはその最たるものである.
(4)突然変異率(とその効果)の制御
ダーウィン過程そのものの過程の進化(メタレベルでの進化)は論理的に考えられるから実際にあるに違いない.つまり,生存に適当でない環境下での突然変異率の増加(または突然変異の形態への効果を増大させること)は好都合だろう.また,突然変異が生じるとまずいことが分かっているところの突然変異の修復効率を大きく上げるというようなメカニズムで,有害突然変異の確率を下げるメカニズムがダーウィニズムの中で生じると考えられる.
ダーウィニズムの必要性は次のような議論が支持していると考えられる.生命の歴史を,生命(生命をもった系を全体として考えて)とその自然環境との間の, 生命が負ければそこで生命が消滅するようなゲームであると考えよう.今まで40億年間生命が続いてきたということは,生命は自然に対して負けなかったということを意味する.その相手である自然はこの上考えることができない最強のノイズ生成源である.そのような相手に対して必勝手段があるか?それはノイズで対抗する以外にない.つまり,ノイズを援用した手段が必須である.しかし,この論理は,それ以外の,たとえばラマルク的なプロセス [ここで通例にしたがって,獲得形質の遺伝をラマルク的だといっているが,実はこれはラマルクの独創ではなく,ラマルクは当時の一般通念を採用したに過ぎない.彼は生物は進歩するという原理を認めたのであり,この原理が用不用説で基礎付けられたのではない.進歩の大枠のなかで適応的な微調整にこの説を使ったのである. Gould: SET p188など参照] がないということまで主張するわけではない.
以上の「必勝手段」の有無とある意味で関係しているが, (C)に関して,確率的考察が可能である.ある生物Hとその病原体Pを次のようにモデル化しよう. Hにp種類の形質があり,病原体は(たとえばインフルエンザのように)いろいろな型を持ちそれがホストの遺伝型 p に対抗できると r_p 倍に増殖するが,一致しないと ``免疫''のために滅ぼされてしまって0になる.ここで
¥sum_p (1/r_p) = 1 *
という条件をおく.病原体がホストの遺伝型 p に対抗できる型を確率 ¥pi_p でとりうるとするとき,次世代での病原体の p に対抗できる型の期待値は ¥pi_p r_p になる. このとき ¥pi_pが1/r_pに比例すればすべての型が温存されることが期待される.そこで(規格化は適当にすればよいので) 上の式*を要求しておく. Hとしては病原体の方が無制限に増えないようにしなくてはいけない.*の条件のもとでは,ホストHは形質 p をどういう順序や比率でもかってに発現できるとしても,長時間の p の頻度が 1/r_p に比例するようにしないと病原体の方に無制限に増殖出来る「戦略」が存在する.この「戦略」はユニバーサルな戦略であって,ホストのやり口をながめてそれから学ぶことによってPがそれに合わせて選ぶというようなものではなく(つまり,PがHに適応することによるものではなく),Hが如何なる形質の出し方で子孫の時系列を決めようとそれが今述べた「大数の法則」に従わないならば(たとえランダムであっても),この戦略はPを上限なしに増やすことを可能にするのである [この命題は竹内啓「「賭け」の数理(1):ゲームとしての賭け」数理科学 No. 474, 76 (2002)の中の命題(詳しい証明がある)の翻訳であるがこの記事自体 G. Shafer and V. Vovik, Probability and Finance---It's only a Game ? (Wiley, 2001) の中の命題に基づいている].つまり,偏った子孫の作り方をするとそれへの寄生虫は限りなく増殖する(子孫が生存しているならば).
あるいは計算理論的モデル化も可能かもしれない.記憶媒体の状態(遺伝情報といおう)がs, 環境がEであるときに,生き残るか否かを遺伝情報集合と環境状態の集合の直積から {0, 1} への関数 S で表現するものとしよう. 1が選択されることであり0が淘汰されることであるとする.E はE’に変わるだろうし子孫の状態も s' に変わるだろう. S(s,E) = 1のとき常にS(s',E') = 1ならば子々孫々滅亡を免れる.ところが,自然は強力な情報源=ノイズ源であるから E' を E から完全には推定できないだろうし,さらにそれが分かっても S をあらかじめ計算して S(s',E') = 1になるような s' の集合求めることは困難であろう. そこで S^{-1}(1) (生き残り集合)をRENR集合であると考えると,実際に「生きてみれば」答はあっという間にでる(人生決着が付く)が,あらかじめ計画するのは不可能ということになる.よい戦略を探すにはいろいろ s を作ってみるしかない.以上ではこのモデル化は計算できるか否かという絶対的差に基づいているが, P-NPのような差であってよい.つまり,暗号の問題として考えることも可能である.
数理的な立場で見る限りダーウィニズムの「理論体系としての筋の良さ」は高く評価すべきである.これは趣味の問題だとある意味では言えるかも知れない.しかし,趣味の問題は理論にとって根本的に重要である.
いろいろな話題や説があたかもダーウィニズムを揺るがすかのように取りざたされてきたが,実はまったくそうではない問題ばかりである.
(1)断続平衡説
ダーウィンは微小な変化の蓄積によって大きな変化が出来るということを主張したが,これは大進化の問題がわれわれの時間スケールでの実験的研究の対象になるということを意味し,進化を普通の自然科学として研究する可能性が開かれた. もちろん,これは事実に基づく主張でもなければ,論理的に演繹できる主張でもない.この論理に従えば,すべての生き物は時間の関数として常にじわじわと変わっていることになる. EldredgeとGouldは古生物学的資料を見る限りしばしばそうでなく,長時間の変化のない状態(stasis)とわりと(古生物学的時間スケールで)急な変化のフェーズで進化が表現できることを指摘し,大進化は漸進的ではなく断続平衡的であるという断続平衡説を提唱した.断続平衡は,分類単位の多くが(神が作ったと思い誤られるまでに)安定であることと進化の起こり方は昔も今も大同小異であるという考えを組み合わせれば論理的帰結である [これに関して,たとえばGould SET p435では``We know, after all, that most species are stable in both current and paleontological perspective. If a lineages were as mutable as O. Lamarckiana , we would never be able to designate Linnaean taxa.''と述べるが「博物学者」の心情を代表するものだろう].(断続平衡説は「種の起源」にさえ書いてあることに注意.)
(2)中立説
中立説は自然選択が適応的意味をもたなくてよい可能性を指摘する.これは完全にダーウィニズムの内部の論争である.それは大数の法則が使えるか否かと要約できる(大数の法則が使えるならば,確率ゼロの例外を除いて中立なものはあり得ない).個体数(つまりサンプル数)にくらべて,遺伝子の組み合わせの数の方が天文学的に多いことを考えると,大数の法則が遺伝子の組み合わせの統計に適用できないことは自明である.したがって,中立性は正に突然変異のランダム性のあらわれと解釈すべきなのであり,正統的ダーウィニズムの強化そのものである.
(3)偶然性の効果
大進化に偶然性が無視されない効果を持つ.アミノ酸が$d$か$l$かなどということはこの例だと普通いわれている.これこそ,ダーウィニズム成立の証拠であるが,これを軽々に言い出すのはよくない(安易にすぎる [Gould は肢の数(4),その指の数(5)をfrozen accidentsの例として挙げていたが,たとえば,サンショウウオの指の数はかわりうることより考えて,数が固定されているとは考えられないから,指の数がこの例であるとはにわかには信じがたい.大きな動物の足の数が4であることは適応的である可能性がある(たとえばムカデが全速で走るとき地面に着いている点の数は3.慣性が小さい動物では(軽い動物では)多分足の数は少し多くないといけない.昆虫が6脚であることにも適応的理由がある可能性は大きい.ともに力学的に必要な最小の偶数でなないだろうか].
(4)構造主義
いわゆる「構造主義生物学」は突然変異が選択されるまでに(物理学者流にいえば)非線形的相互作用があって,丁度,原子論と熱力学の間に中間的記述があるように,メソスケールの構造が現れる,これを介して生物を理解するのが本質的に重要であるという,極めて正統的なダーウィニズムを強化するまともな立場以外では内容がない.
(5)選択のレベルに関する論争
Selfish genesに代表されるような遺伝子のレベルが淘汰の基本レベルであるという考え方に対してGouldに代表されるようなより高次のレベル(たとえば種選択[Gould SET Chapter 8に長大な説明がある.])にもそこの分類単位を単位とした選択過程があるという考え方がある.これは,物理の言葉でいえば,単に集団座標が現象の記述に必須か否かという問題に過ぎない.ただし,「遺伝子」一つ一つが恰も独立線形に表現型に寄与するというような考え方はもちろん単純に過ぎ,そういう主張をしている人は遺伝子レベルが淘汰のレベルだといっている人のなかにもいない.だが,Gouldがいうように,線形重ね合わせが論外のときに,遺伝子を淘汰のレベルと考えることが論理的にとおるかどうかは大いに問題である [物理学者なら「粒子」のかわりに「準粒子」,あるいは「裸の遺伝子」のかわりに「くりこまれた遺伝子」を考えるかもしれない.この考え方の萌芽はP.¥ Hammerstein, ``Darwinian adaptation: population geneticsand the streetcar theory of evolution,'' J. Math Biol. 34 , 511 (1996)に見られる].
(Stupid Q) Is human thought fully embedded in language, or do some forms of thought operate independently?
*3T fMRI study
*When contrasted with matched grammaticality judgments, logic inference alone recruited
*Logical inference is not embedded in natural language and confirm the relative modularity
a set of general `support' areas in frontoparietal cortex (BA 6, 7, 8, 40, and 47).
しかし,これは言語を使った思考の異なったタイプを比較しているのであって,深い意味で思考は言語より根源的な部分からくるというようなことを意味しているわけではない.