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p242

ダーウィン過程

遺伝学と進化論つじつまを合わせたいわゆる総合説(Modern Synthesis)というもは遺伝情報変化は適応的なもだけであると考え,変異にかかる歴史的制限や天変地異効果は取るに足りないと考えてきた.しかし,

(1) 塩基配列レベルで変異は多くは目立って有益でも有害でもなく,そ運命は純粋に確率的に決まる(運だ)と考えるべきである(中立な遺伝モード分子レベルで卓越).

(2) 中生代と新生代変わり目に大隕石が寄与した可能性高いことから分かるように,時々激烈な擾乱が世界には加わったに違いない(天変地異は重要性).

(3) Deep homologyの存在は突然変異が勝手に変えうる部分が制限されていることを如実に物語っている(系統的慣性存在)[たとえば眼についてW. J. Gehring and K. Ikeo, Trends Gen. 15 , 371 (1999)参照]

 こういう事実前に,Gouldが鋭く批判してきたように,いわゆる総合学説は大拡張あるいは大改築を迫られることとなった. 

ダーウィニズムは実証されているか

ダーウィニズム(Darwinism)とは,ダーウィン過程だけがパストゥール連鎖を起動し,世界「複雑性」を真に増加させうる, という主張である.ダーウィン過程がすべてであるとすることはデザイナー必要性否定であり,これがダーウィニズム核心である.ダーウィン過程が全てであるとすれば,全て新奇性はランダムネスからしか生じない.そして,こゆえに尺度干渉無しに複雑系が発生することは不可能である.

 本書立場では,ウォーレスとダーウィン功績はデザインなしに複雑な系を生成するメカニズムを提案したことである.それが現実複雑な系構成ときに唯一メカニズムとして使われたかどうかは,どうでもいい.どうでもいいというはいいすぎではあろうが,とにかく,メカニズムを提案したことそを最大功績と見る.もちろん,ダーウィンは彼提案したメカニズムこそ生物系進化メカニズムであったと「ダーウィニズム」を「種起源」において提案したであった.もちろんウォーレスも同じ提案をしただが,論理徹底さにおいてダーウィンに一歩も二歩も譲る.たとえば,ウォーレスは人間には自然選択を適用することをよしとしなかった.

 ダーウィン提案に対する反論試みが二つある.

(i) ランダムネスが作りうるアンサンブル(選択肢全体)は大きくない,ランダムネス(突然変異)にできることは大したことではないだ(つまり,ノイズはユニバーサルな情報源ではない).したがって選択しても大した結果が得られるわけではない.

(ii) ランダムなもで原理的には何でも作れるとしても,これを40億年でやってしまうは不可能(つまり,ノイズは事実上ユニバーサルな情報源だがそ力をふるう時間が足りない) [Thomson(後のKelvin卿)はダーウィニズムを潰すために地球年齢がせいぜい数百万年しかないことを論証しようとしたことは有名な事実である.これについては一章で引用したK\"{o}lnerのフーリエ解析本またはGould: SETのp492参照.そこ出だしを引用すれば,`` In 1866, William Thomson, the future Lord Kelvin, published one of the most arrogant documents in the history of science---a one-paragraph paper (with an appended calculation) boldly entitled ``The `Doctrine of Uniformity' in Geology Briefly Refuted. ''

 (i)が有効な反論でないことは次議論からわかる.突然変異が熱核反応をエネルギー源とする(有機化合物でできた)生物を作りえないことは自明だから,当然ながら,ノイズ=突然変異には造れないもがある.しかし,今まで地球上に生きてきた生物は全て突然変異で結び合わせることができること,すなわち,出発点と到達点とが与えられれば,それらをつなぐある進化経路が,影響小さなそして選択されうる(つまり,生存ために有利な)突然変異集積だけで,たどれると想像することには無理がない(``遺伝的ホモトピー''がある;たとえば眼進化などで考えられているように [Nilson, ``Pessimistic estimate of time required for an eye to evolve,'' Proc. Roy. Soc. B 256, 53 (1994)]),むしろ,いくらでも考えられる; デネット(Dennet)はこれを答えがないではなくありすぎるという贅沢な悩みといっている).つまり,ノイズは万能ではないがわれわれが知っている生物ぐらいは作れる.

進化に関する副次的論争

言語と思考

論理操作と自然言語操作が脳異なる部分に担われているという論文がある.

9 Montiet al., The boundaries of language and thought in deductive inference

Logical inference is not embedded in natural language

P  106 12554

`core' regions of deduction [Brodmann area (BA) 10p and 8m], whereas linguistic inference alone recruited perisylvian regions of linguistic competence, among others (BA 21, 22, 37, 39, 44, and 45 and caudate). In addition, the two inferences commonly recruited

of linguistic processes.

 (ii) が強力な反論ではない(らしい)ことはドーキンズ(Dawkins)などが縷々述べているところ,要するにパラレルサーチをやればいい.しかし「たしかに並列演算は強力だが,まだそれでもそれは不十分なだ」と言いつることは可能である.そしてそ揚げ句に出てくる主張は「 実はランダムネスは本当にはランダムではなく賢い(バイアスがある),いいかえると,どこかに実はノンランダムネスがあってこれが実時間で進化を可能にしただ.」ということになる(それ以外可能性は論理的にない).つまり,厳格なダーウィニズムは正しくない,たとえば獲得形質遺伝も枢要(いいかえると遺伝系は洞察力を持つ),というところに反ダーウィニズムは落ちつく [獲得形質遺伝が存在するという主張ではなく,非自明な進化ために必須であるという主張であることに注意]

 これに事実で反論するは容易でない.「巷に反ダーウィニズムが跳梁するはなぜか, $¥cdots$それを唱える人がちゃんと勉強していないからだ」というは安易に過ぎる.今生物状況は19世紀末原子論をめぐる論争を思い起こさせるところがある.こ場合も相手が勉強していなかったわけでは全くなく,実証可能性等いろいろ哲学的問題が絡んでいただった.こうしてみるように,ダーウィニズムが生物発生,進化を説明すると実証されたわけではない.理論物理あるいは数理科学者に出来ることは実証データを集めることではない.さらに実証データを集めても歴史的過程実証とはどういうことかなどうるさいことをいう人はごまんといるだろう.

 ノイズがノイズである所以はそ効果があらかじめ個体(再生産)にとって有利になる保証がないことだから,(ii)に反論するには,ランダムノイズ起源情報だけで十分である(ただし,他情報源を否定する必要はない)ということをいうために:

(A) あくまでパラレルサーチ効率がよいことを論証し抜くか,

(B) サーチ空間が実はそれほど思っているより広くない(つまり,相対的にサーチ効率がよい)ことを論証するか,

あるいは,ランダムノイズ起源でない情報をあくまで排除するか,つまり

(C) ランダムネスが重要でないプロセスは有害であることを論証するか

しかない.

著者見るところでは,(A)の説得力を今以上に上げるは難しい(というよりもそれでは不十分だろう).さらにこ路線は,話がうますぎるという印象をどうしても伴う.たとえば,生命発生確率意味ある評価は不可能である(非平衡系ノイズ分布はどんなもかというは現時点で統計物理未解決問題なだから,進化生じる確率とか,ましてや生命発生する確率など正気で論じることはできない)[Miller-Orgel反応で有名な L. E. Orgel ``The origin of life - how long did it take?'' (Origin of Life and Evol Bio. 28, 91 (1998))で自己複製系が発生するに必要な時間スケール上限も下限も見積もれないことを強調している).そこで(A)でも十分かもしれないが,それはさておいて, (B) (C)を真剣に実証しようとすることが中心的戦略であるべきだろう.(B)に関する試みとしては絶対的探索空間が狭いというはかなり難しいが,実はそある種同値関係による商空間で探索すればいいという考え方と,生物学的に意味ある部分空間へは意外と簡単にたどり着けるという考え方がある.後者例がKauffmanによる``order for free''とでもいうべきアイデアであり,前者にあたると思われる考え方にFontanaSchusterらがRNAの進化に関して主張している,ど遺伝状態近傍にもうまい状態があり,わざわざ大域的探索をするには及ばない,という考え方がある.Kauffmanらによってたと

えば遺伝子やポリペプチドネットワーク自己組織化が詳しく調べられていて, 実際に自発的秩序化ようなことが可能であることが示されている「S. A. Kauffmanの大著 The origins of order

 (Oxford UP, 1995)が集大成であるが,たぶん1/10ページで十分書ける内容であろう] しかし,生物個体発生特徴は自己組織的でないことであったし,系統発生特徴は大規模並列処理を長時間要するということであるから,Kauffmanがいうような秩序発生に疑問余地はないものの,そような結果が複雑系にとって意味があるとするには大いに躊躇される.簡単に出来てしまうということが複雑系説明としては命取りに見える.

 ダーウィニズムを支持するため論法の(B)に関しては次ようなことを考えるべきだろう.当然ながら,進化効率(ランダムサーチ効率)を上げる方向に進化が進むことは十分考えられる.そためには,

(1)エラー検出低コスト化(間違いがなるべくすぐ分かること).

ランダムノイズ効果を認めるだが,当然それは確立された秩序に対してはネガティブに作用する.そこで,そような「有害な」ノイズ効果をできるだけ効率よく排除することが望ましい.これは「発生的制約」とか「内部選択説」話である,つまりダメなもはできるだけ早く排除する [これが「系統的制約」を引き起こすかもしれない.ただし,進化的には,こ低コスト化は発生効率化(速やかかつ安定な発生)ために要求される発生制御機構ある種組織化副産物だろう] しかし,これがサーチ効率向上に寄与するためには,これだけでは不十分で,発生的制約をクリヤしたもは「うまくできあがって働く」ようになっていないといけない.形質間に高度相関を持たせることによって「はじめよければ終わりもよい」系が進化できると考えられる.つまり

(2)パラレルサーチ効率化

とこれは表裏一体である.たとえば,心臓手術から回復するように人間が選択されてきたとはまず考えられないが,そ回復メカニズムは,かすり傷修復メカニズムが基本にあるわけで,後者改良ためなら低いコストで試行錯誤ができる(大数法則が活用できる程度に).こういうことが沢山あるに違いない.

もちろん,こように系が組織化される事自体突然変異によって用意され選択されているであるが.進化仕方が進化するは当然であり,ノイズ使い方がうまくなる(サーチ能力が上がる)ことも当然考えられる.ラマルク的メカニズムが効率がよい場面は明らかにあるわけであるから,そシミュレータをも発達させたに違いない.これは

(3)模擬ラマルキズム(simulated Lamarckism

とでも言えるもである.ウォディントン(Waddington遺伝的同化(genetic assimilation) [遺伝的基礎を持たず変異として現れていた特異な表現型を選択していくとそ発生が遺伝的に正常な表現型として決定されるようになる現象こと.これは獲得形質遺伝ではなく,まさに変異を選択することが変異を生じやすい遺伝子組を選択することになるためである.Waddingtonの研究自伝がよい解説であろう.最も最新総説はM. Piglliucci and C. J. Courtney, ``Geneic assimilation and a possible evolutionary paradox: can macroevolution sometimes be so fast as to pass us by?'' Evolution  57 , 1455 (2003)] などはそ最たるもである.

(4)突然変異率(とそ効果)制御

ダーウィン過程そのの過程進化(メタレベルで進化)は論理的に考えられるから実際にあるに違いない.つまり,生存に適当でない環境下で突然変異率増加(または突然変異形態へ効果を増大させること)は好都合だろう.また,突然変異が生じるとまずいことが分かっているところ突然変異修復効率を大きく上げるというようなメカニズムで,有害突然変異確率を下げるメカニズムがダーウィニズム中で生じると考えられる.

 ダーウィニズム必要性は次ような議論が支持していると考えられる.生命歴史を,生命(生命をもった系を全体として考えて)とそ自然環境と 生命が負ければそこで生命が消滅するようなゲームであると考えよう.今まで40億年間生命が続いてきたということは,生命は自然に対して負けなかったということを意味する.そ相手である自然はこ上考えることができない最強ノイズ生成源である.そような相手に対して必勝手段があるか?それはノイズで対抗する以外にない.つまり,ノイズを援用した手段が必須である.しかし,こ論理は,それ以外,たとえばラマルク的なプロセス [ここで通例にしたがって,獲得形質遺伝をラマルク的だといっているが,実はこれはラマルク独創ではなく,ラマルクは当時一般通念を採用したに過ぎない.彼は生物は進歩するという原理を認めたであり,こ原理が用不用説で基礎付けられたではない.進歩大枠なかで適応的な微調整にこ説を使ったである. Gould: SET p188など参照] がないということまで主張するわけではない.

以上「必勝手段」有無とある意味で関係しているが, (C)に関して,確率的考察が可能である.ある生物Hとそ病原体Pを次ようにモデル化しよう. Hp種類形質があり,病原体は(たとえばインフルエンザように)いろいろな型を持ちそれがホスト遺伝型 p に対抗できると r_p 倍に増殖するが,一致しないと ``免疫''のために滅ぼされてしまって0になる.ここで

 ¥sum_p (1/r_p) = 1

という条件をおく.病原体がホスト遺伝型 p に対抗できる型を確率 ¥pi_p でとりうるとするとき,次世代で病原体の p に対抗できる型期待値は ¥pi_p r_p になる. とき ¥pi_p1/r_pに比例すればすべて型が温存されることが期待される.そこで(規格化は適当にすればよいで) 式*を要求しておく. Hとしては病原体方が無制限に増えないようにしなくてはいけない.*条件もとでは,ホストHは形質 p をどういう順序や比率でもかってに発現できるとしても,長時間の p の頻度が 1/r_p に比例するようにしないと病原体方に無制限に増殖出来る「戦略」が存在する.こ「戦略」はユニバーサルな戦略であって,ホストやり口をながめてそれから学ぶことによってPがそれに合わせて選ぶというようなもではなく(つまり,PHに適応することによるもではなく),Hが如何なる形質出し方で子孫時系列を決めようとそれが今述べた「大数法則」に従わないならば(たとえランダムであっても),こ戦略はPを上限なしに増やすことを可能にするである [命題は竹内啓「「賭け」数理(1):ゲームとして賭け」数理科学 No. 474, 76 (2002)の命題(詳しい証明がある)翻訳であるがこ記事自体 G. Shafer and V. Vovik, Probability and Finance---It's only a Game ? (Wiley, 2001) の命題に基づいている].つまり,偏った子孫作り方をするとそれへ寄生虫は限りなく増殖する(子孫が生存しているならば).

あるいは計算理論的モデル化も可能かもしれない.記憶媒体状態(遺伝情報といおう)がs, 環境がEであるときに,生き残るか否かを遺伝情報集合と環境状態集合直積から {0, 1} 関数 S で表現するもとしよう. 1が選択されることであり0が淘汰されることであるとする.E E’に変わるだろうし子孫状態も s' に変わるだろう. S(s,E) = 1のとき常にS(s',E') = 1ならば子々孫々滅亡を免れる.ところが,自然は強力な情報源=ノイズ源であるから E' E から完全には推定できないだろうし,さらにそれが分かっても S をあらかじめ計算して S(s',E') = 1になるような s' の集合求めることは困難であろう. そこで S^{-1}(1) (生き残り集合)をRENR集合であると考えると,実際に「生きてみれば」答はあっという間にでる(人生決着が付く)が,あらかじめ計画するは不可能ということになる.よい戦略を探すにはいろいろ s を作ってみるしかない.以上ではこモデル化は計算できるか否かという絶対的差に基づいているが, P-NPのような差であってよい.つまり,暗号問題として考えることも可能である. 

数理的な立場で見る限りダーウィニズム「理論体系として良さ」は高く評価すべきである.これは趣味問題だとある意味では言えるかも知れない.しかし,趣味問題は理論にとって根本的に重要である.

いろいろな話題や説があたかもダーウィニズムを揺るがすかように取りざたされてきたが,実はまったくそうではない問題ばかりである.

(1)断続平衡説

ダーウィンは微小な変化蓄積によって大きな変化が出来るということを主張したが,これは大進化問題がわれわれ時間スケールで実験的研究対象になるということを意味し,進化を普通自然科学として研究する可能性が開かれた. もちろん,これは事実に基づく主張でもなければ,論理的に演繹できる主張でもない.こ論理に従えば,すべて生き物は時間関数として常にじわじわと変わっていることになる. EldredgeGouldは古生物学的資料を見る限りしばしばそうでなく,長時間変化ない状態(stasis)とわりと(古生物学的時間スケールで)急な変化フェーズで進化が表現できることを指摘し,大進化は漸進的ではなく断続平衡的であるという断続平衡説を提唱した.断続平衡は,分類単位多くが(神が作ったと思い誤られるまでに)安定であることと進化起こり方は昔も今も大同小異であるという考えを組み合わせれば論理的帰結である [これに関して,たとえばGould SET p435では``We know, after all, that most species are stable in both current and paleontological perspective. If a lineages were as mutable as O. Lamarckiana , we would never be able to designate Linnaean taxa.''と述べるが「博物学者」心情を代表するもだろう].(断続平衡説は「種起源」にさえ書いてあることに注意.)

(2)中立説

中立説は自然選択が適応的意味をもたなくてよい可能性を指摘する.これは完全にダーウィニズム内部論争である.それは大数法則が使えるか否かと要約できる(大数法則が使えるならば,確率ゼロ例外を除いて中立なもはあり得ない).個体数(つまりサンプル数)にくらべて,遺伝子組み合わせ方が天文学的に多いことを考えると,大数法則が遺伝子組み合わせ統計に適用できないことは自明である.したがって,中立性は正に突然変異ランダム性あらわれと解釈すべきなであり,正統的ダーウィニズム強化そである.

(3)偶然性効果

大進化に偶然性が無視されない効果を持つ.アミノ酸が$d$$l$かなどということはこ例だと普通いわれている.これこそ,ダーウィニズム成立証拠であるが,これを軽々に言い出すはよくない(安易にすぎる [Gould は肢数(4),そ数(5)をfrozen accidentsの例として挙げていたが,たとえば,サンショウウオ数はかわりうることより考えて,数が固定されているとは考えられないから,指数がこ例であるとはにわかには信じがたい.大きな動物数が4であることは適応的である可能性がある(たとえばムカデが全速で走るとき地面に着いている点数は3.慣性が小さい動物では(軽い動物では)多分足数は少し多くないといけない.昆虫が6脚であることにも適応的理由がある可能性は大きい.ともに力学的に必要な最小偶数でなないだろうか]

(4)構造主義

いわゆる「構造主義生物学」は突然変異が選択されるまでに(物理学者流にいえば)非線形的相互作用があって,丁度,原子論と熱力学間に中間的記述があるように,メソスケール構造が現れる,これを介して生物を理解するが本質的に重要であるという,極めて正統的なダーウィニズムを強化するまともな立場以外では内容がない.

(5)選択レベルに関する論争

Selfish genesに代表されるような遺伝子レベルが淘汰基本レベルであるという考え方に対してGouldに代表されるようなより高次レベル(たとえば種選択[Gould SET Chapter 8に長大な説明がある.])にもそこ分類単位を単位とした選択過程があるという考え方がある.これは,物理言葉でいえば,単に集団座標が現象記述に必須か否かという問題に過ぎない.ただし,「遺伝子」一つ一つが恰も独立線形に表現型に寄与するというような考え方はもちろん単純に過ぎ,そういう主張をしている人は遺伝子レベルが淘汰レベルだといっている人なかにもいない.だが,Gouldがいうように,線形重ね合わせが論外ときに,遺伝子を淘汰レベルと考えることが論理的にとおるかどうかは大いに問題である [物理学者なら「粒子」かわりに「準粒子」,あるいは「裸遺伝子」かわりに「くりこまれた遺伝子」を考えるかもしれない.こ考え方萌芽はP.¥ Hammerstein, ``Darwinian adaptation: population geneticsand the streetcar theory of evolution,'' J. Math Biol.  34 , 511 (1996)に見られる]

(Stupid Q) Is human thought fully embedded in language, or do some forms of thought operate independently? 

*3T fMRI study

*When contrasted with matched grammaticality judgments, logic inference alone recruited

*Logical inference is not embedded in natural language and confirm the relative modularity

a set of general `support' areas in frontoparietal cortex (BA 6, 7, 8, 40, and 47). 

しかし,これは言語を使った思考異なったタイプを比較しているであって,深い意味で思考は言語より根源的な部分からくるというようなことを意味しているわけではない.