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定理2.3.1 の証明
脚注54「日本を追い出されたので」補足
ここに「帰ってくるな」と言われてアメリカに難民として流失するまでに経験した九大工学部化学系の偏狭かつ封建的体質を経験に即して詳説するつもりだったが,自伝のようになるのが嫌なので,その出だしの所だけに当分とどめる.
著者は教養部以上の中程度の数学や物理の教育は,自習である(裳華房の大学演習の問題を解くというのが有効であった).九州大学の工学部合成化学科の卒業であるが,修士に進んだところで,このままでは学問的に殺されると考えて留年した.理由はかなり単純である.当時学園紛争で授業がなくなり勉強する時間が出来て少しものを知った(ランダウの力学の出だしはショックであったし,ディラックのはじめをよんで量子力学のなんたるかを少し知った; 数学ではニッカーソン,スティーンロッド,スペンサーの「現代ベクトル解析」がかなりのショックであった)こともあるが,教授達にいろいろ問題を感じ始めたからである.たとえばほとんど英語の本丸写し翻訳書を平気で出す高名かつ人格者と見られていた教授,解析の初歩もわかっていないのにラプラス変換を教える教授,群論の初歩を解ってなくて表現論を教える教授,いろいろな意味で基礎に疑問があるのに有機物理化学を教える教授,などなど.教授にはそれぞれ専門があるから知らないことがあるのはもちろんかまわない.初歩的なことを知らないというのは恥ずかしいかもしれない(と感じれば見込みがある)が,教育においても「知ラズヲ知ラズトナス」誠意は少なくとも持つべきなのだ.そうでない教授達は必然的に人格さえいやしくなる.時に,わかっている学生にたいして卑屈でさえある.もちろん,みながみな呆れた教官であるはずはなく経験知識人格すべてにおいて尊敬に値する教授達はおられた: 低分子合成のM,T,高分子合成のA,K,キレート化学のU,Kの各教授,助教授など.学生運動はなやかだったころ(の末期)だが,真の学生運動は教官と授業の(トップクラスの学生による)品質管理であると著者は言っていた.この意見は今でも変わらない.
修士を出て博士コースで当時応用理学科にあった尾山研究室(高分子物理科学)に移った.そこではじめは実験的テーマを与えられたが,実質的にそれが可能でないことを論証したので,尾山教授からは,では何か好きなことをやってなさい,と言われた,ただし,研究室のテーマに関係したことで,と.半年後までにS. F. Edwardsの経路積分による平均場理論をみつけた(こうしてself-avoiding walkおよび高分子希薄溶液論のやたらと数学に近いところを始めた).
ただし,日中は合成化学の腕を生かした物作りのレールを研究室に引くことをやっていた(特定の部位の水素を重水素で置きかえたペンタン,厳密に単分散の炭素数100近いアルカンの合成など).[Predocの液体と熱力学に関した論文の紹介はここ: 液 熱 ]
当分ここまで.この次には(どこにでもいる?)無能な(枕詞?)上司の話が出てくる.日本だけではない.
誤解のないように付け加えておくが,本書のどこかにも書いたと思うが,著者は有機合成化学は嫌いではない.それは芸術だ(少なくとも,近い).ある化合物を合成するということは数学の定理の構成的証明に似ている.有名な人名反応が有名な定理や不等式に相当する.数学と違うところは,定理や不等式に相当するものがいつも文字通りには働かない(その適用範囲が不明確な)ことだけである.
I-853 合成研究はかなりの美学的、文化的、芸術的要素をもっており、これらの要素が、私がビタミンB12を合成する決心をする上で、非常に決定的でした。 [Woodward,“Herr Woodward bedauert, dass die Sache fertig ist” Nachr Chem Techn 20 , 147 (1972)]