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対象にとらわれない窮理の學
これが本当の意味の「自然哲学」がめざすべきことである.第5章まで読めばわかるが,現象の正しい理解は(世界の正しい理解は)たぶん社会的政治的意味さえもつ.
Feynmanのコメント
基礎物理でえられたものの見方の普遍性に関してFeynman の物理学の講義の本を読んだ人はその終わりの言葉を思い出すにちがいない.「これに反対したいほかの科目の教授連がたぶんいるだろうが,彼らは完璧にまちがっていると私は確信している.」
原文は
R. P. Feynman, Lectures on Physics III 21-19 “Feynman’s Epilogue”
“I wanted most to give you some appreciation of the wonderful world and the physicist’s way of looking at it, which is a major part of the true culture of modern times. (There are probably professors of other subjects who would object, but I believe that they are completely wrong.”
ついでながら,岩波書店から出ている『ファインマン物理学』には微妙 に正しくない訳が散見されるがこの引用箇所のすぐ前の部分はその例である. ( 未完 )
明晰に語りうることと数理の関係
ここにあるように明晰に語りうるならばそれは数理化できる.しかし,明晰に語りえない真理は多々ある.ものに語らせなくてはいけない真理があるのである. 後に出てくるが,実例に基づく議論は実例が情動に直接訴える効果を活用する議論であるということができる. ( 未完 )