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学生を大学顧客と見るような立場

「お客様は常に正しい」 というが商売秘訣なら,教育は商売であってはならない. [ 「お客様は常に正しいです.もし,お客様が間違っているとします.それは間違っていることが正しいです.」(永六輔「商人」岩波新書 557 (岩波書店 1998) p9) ]

 Lee RubelCalculus Reformをまじめな数学会で取り上げるに値しないことと見なした(第二章p72補足に全文引用されている彼のNotices AMSのletter参照).これは見識である.

 教育学は(アメリカでは)何を教えるかよりもいかに教えるかにはるかに力点がある.これを反映して,授業評価にそ内容はまったく関係ない.ウソでも受ければいいだ.そして,受けねらいでは内容が二次になるは仕方ないことである [イリノイ大学工学部数学教育連絡会議長をしていたとき話題になっていたことは,授業内容から数学を減らすとそ授業評価が確実に上がることであった].優秀な学生による授業内容批判検討こそがまずなされねばならない授業評価である.「大衆反乱」はチェックされなくてはならない.

Integrative Natural History

大規模な講義ノートは共同研究をやる気ある人以外に,著作権都合で,公開できない.著作権問題ない版は今後作るかも知れないが,それは図や表を一切割愛するという,いちいち原論文に行かないと理解困難なもの(つまり使い物にならない代物) になるだろう.内容テーブルは 掲示されているとおり .そ趣旨は岩波科学2008 11 月号に多少述べてあるが,何でか著者だけに課された厳しいページ制限(のinvited authorsの2/3) でぶっきらぼうになっているでまともな版を岩波許可を得てhomepage に掲載予定.

( 未完 )

ハイジンハまえがき

原文は多少ニュアンスが違うかもしれない.``based on the German original and the author's translation’’

`` In treating of the general problems of culture one is constantly obliged to undertake predatory incursions into provinces not sufficiently explored by the raider himself. To fill in all the gaps in my knowledge beforehand was out of the question for me. I had to write now, or not at all. And I wanted to write. ''

 予期したように衒学的であるという書評がでた.しかし,ほんとうにまともに読んだ結果書評なかどうかはよくわからない.評者がよく知っている所を見るとそこが不十分であることは分かるが,残り部分はあまりよくはわからないということを正直に表現すると評として迫力に欠けるで,はちょっと出来かねるでカオス解説書だ,とか複雑系について本である,などという書き込みを見る限り,全体を見たあげく書評ではなく一部をなで回して柱ようだとかホースようだなどと言っているように見える.明白に馬鹿なことを書いていない本辛い書評というはむつかしい.著者が手放しでは誉めえない本書評をしない理由である.

 第二章で測度論,計算理論,Kolmogorovの複雑性などが説明されるが,それらはカオス特徴付けにいる部分をつまみ食いするためには十分だが最小限の(通俗的言い方では必要最小限の)説明しか与えていない.さらに概念分析として興味深い部分に説明重点が,当然ながら,置かれている.概念分析でなく分析されている概念そもに関心があれば食い足らなくなって当然である.