III  901-1000 

原研哉「日本の資源は美意識である」   塩野七生× 池内恵「『パクス・ロマーナ』が壊れるとはどういうことなのか」 丸山豊「月白の道」 水村美苗「世界中から「国語」がなくなる日」  田中二郎「ブッシュマン,永遠に」 水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」 田中克彦「ノモンハン戦争モンゴルと満州国」 Keynes, Newton, the Man G. Tett, Fool’s Gold 

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901 美人,ちょっと美人の人が,すごい美人になろうとする上昇志向は,まあ,ありじゃないですか,美人じゃない人が,「ちょっとの美人にだったら自分ならなれるかもしれない」というのはすでにまやかしが入っているんですよね.でもそれが大衆化じゃないですか.そうすると量がガーッと増えるから,産業としても成り立つのだけれども,問題もどんどん出てくる.でも産業として成り立っちゃうと問題もどんどん出ているということに関しては,どこかで知らん顔をしてしまうんですよね,

 インターネットの弊害というのも,そういう大衆化みたいなもので,本来参加しない方がいい人が,どんどん参加してきてしまうから,そのことで意味がなくなってしまうのかなあという気はする. こういうことを言ってはいけないのかなあ· · ·[「橋本治と内田樹」(筑摩書房2008) p252-3 橋本の発言]

902 “Lorrie and I are grateful for your incredible outpouring of support. It’s great to be home and Danville with our neighbors and friends. Circumstance determined that it was this experienced crew that was scheduled to fly on that particular flight on that particular day. But I know that I can speak for the entire crew when I tell you that we were simply doing the jobs that we were trained to do. Thank you.” [On Jan 24, 2009 Captain Chesley Sullenberger, who carried out a successful emergency landing on New York’s Hudson River, has made an emotional homecoming to Danville, in the San Francisco Bay area ]

903 大本営の中枢,参謀本部作戦部長真田穣一郎少将は,ビルマ防衛は戦略的持久作戦によるべきであり,危険なインパール作戦のような賭に出るべきではないとみなしていた.したがって昭和19 年一月初旬,綾部が上京しれ,「ウ号作戦」決行の許可を求めたときにも,真田は,補給および制空権の不利と南部ビルマの憂慮すべき事態を指摘して作戦発動不可を唱えた.綾部は,この作戦は戦局全般の不利を打開するために光明を求めたものであり,寺内南方軍司令官自身の強い要望によるものである,と大本営の許可を懇請したが,真田はそれに答えて,戦局全般の指導は南方軍ではなく大本営の考慮すべき任務であると反論した.ちょうどそのとき,杉山元参謀総長は,寺内のたっての希望であるならば南方軍のできる範囲で作戦を決行させてもよいではないか,と真田の翻意を促し.ついに真田も杉山の「人情論」に屈してしまった.またしても軍事的合理性よりは,「人情論」,組織内融和の優先であった[戸部良一ほか「失敗の本質日本軍の組織論的研究](中公文庫, 1991,原書1984 ) p160-1]

904 For we know that our patchwork heritage is a strength, not a weakness. We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus, and nonbelievers. We are shaped by every language and culture, drawn from every end of this Earth. [B. Obama, TheInaugural Address, Jan 20, 2009]

905 「現象とは認識の前に屈服するものである」と,私は『摩訶止観』をそう読んだ.[橋本治「窯変源氏物語」3 賢木(中公文庫, 1995) p401]

906 按ずるに筆は一本也.箸は二本也.衆寡敵せずと知るべし

 明治の作家兼評論家斎藤緑雨の残した一代の名句である.[加藤廣「物書きの夢と現実を語ろう」中央公論 2008/12, p196]

907 欧州はもっぱら「ブランド」という付加価値を巧みに運用して,世界中に「贅沢」を販売する秘策を展開してきた.これはものやサービスの「質」を扱っているように見えるけれども,「ブランド」の本質はある種の錯覚であって,世間で称揚されているほど誉められたものではない.実のところは,美意識が希薄で何を買っていいかよくわからない新興富裕層に都合のよい選択肢を提供しているというのがブランドの実体ではないか.[原研哉「日本の資源は美意識である」UP 2009 2 (No. 436) p4]

908 日本特有の美意識は,誤解を恐れずに言えば「簡潔」,「清潔」,「丁寧」,「緻密」というようなことだ. ゴージャスを称揚する美意識でもなければ, 現代アートのような先鋭感でもない.たとえば,海外から成田空港に帰ってきた時を想像していただきたい.その空間は生真面目で面白くも何ともないが,いずれの空間も掃除が行き届いていてすばらしく清潔である.どこに寝ころんでも汚れないような,完璧な清掃が隅々まで行き届いている.これは管理が堅実と言うだけではなく,掃除をするひとりひとりが,ちゃんと責任を全うして丁寧に働いているということだ.おそらくは,就業時間を少し超えても,区切りの悪いところで仕事を中断したりしないで完遂させようという暗黙の精神を僕はそこに感じる.これは世界でも希少な精神である. [原研哉「日本の資源は美意識である」UP 2009 2 (No. 436) p5]

909 デザインとは主観的なものではなく,普遍的な人間悪寒か区全体に染み渡って感動を生み出すものであり,生きてこの世にいる幸福を,知的充足で満たすものである. [原研哉「日本の資源は美意識である」 UP 2009 2 (No. 436) p6]

910 「心持ちの雄々しさ」とは「頑な」ということである.「生真面目」とは「鈍感」,「素直」とは「他愛がない」の同義語である. [橋本治「窯変源氏物語」8 藤裏葉(中公文庫, 1995) p237]

911 It (= this book) is about them (= the Pirah˜a [pee-da-HAN]) Indians in Brazil) and the lessons they taught me, both scientific and personal, and how these new ideas changed my life profoundly and led me to live differently. These are my lessons. Someone else would no doubt have learned other lessons. Future researches will have their own stories to tell. In the end, we just do the best we can to talk straight and clear. [D. L. Everett, Don’t Sleep, There Are Snakes— Life and language in the Amazonian jungle (Pantheon 2008) pxiii]

912 現実の問題として,もしトルコがEU にはいると,トルコの出生率からいって,早晩トルコはEU で最大の国になるEU 議会の構成は,各国の人口比で決まることになっているので,これは大変な問題なんです. [塩野七生× 池内恵「『パクス・ロマーナ』が壊れるとはどういうことなのか」波2009/1, p5 塩野]

913 ヨーロッパには『自由と平等』と言うような,近代のとても美しい理念があり,その理念は一応普遍的でなければならないわけですが,そこにはイスラムは入らないのじゃないかということを,ヨーロッパ人は感覚的にわかっている.しかし,それを言うと,「差別」「非寛容」とされてしまうから言わない.

中略

ヨーロッパの人々が,イスラム教徒を好きか嫌いかは別にして,ある種の根本的倫理を共有していない,と受け止めていることをよく感じます.人間主義が定着した世界においては,ある絶対的な規範が神によって人間の外部から与えられている,と信じてそこからすべての論理と倫理を組み立てる人々とは,一人の人間として同じ平面でお互いに語り合うことができない,ということろに行き着いてしまう. [塩野七生× 池内恵「『パクス・ロマーナ』が壊れるとはどういうことなのか」波2009/1, p5 池内]

914

塩野: 要するに,法の精神がなくなるとどうなるのか.腕力が前面に出てくる.

池内: 自力救済の世界になってしまうわけですね.

塩野: よく言えば,自力救済ですが.

池内: しかし,大抵,自力だけでは対応できないので,宗教で補完するようにもなる.

塩野: 宗教は個人的な精神の平安を与えてくれるのであればいいのですが,人々が絶望したときの希望を与えるようになると困るなと私は思っています. パクス・ロマーナは実に簡単なことだった.紀元二世紀に,皇帝ハドリアヌスがローマ帝国全土を巡回します.文字通りの辺境の軍団基地を巡回しているのですが,驚くほど軽装で旅をしている.技術者集団だけを連れて,一個大隊にさえ警備をさせていない.

中略

塩野: ゲーテが,「秩序なき正義」と「秩序のある不正義」のどちらを選ぶかと問われれば,後者を選ぶと言いましたが,私も同じ考えです.中略私は,普通の人々が安心して家を出て,旅ができるという世界を作るのが,統治者の役割だと思っています.

池内: ヨーロッパ中世というのは,沿岸部でも内陸部でもそういう安全が守られなかったんですね. [塩野七生× 池内恵「『パクス・ロマーナ』が壊れるとはどういうことなのか」波2009/1, p7]

915 当初,この新政府の女子留学生募集の呼びかけには応募する者がなく,再度の募集によってようやく五人が集まった.津田梅子 (6 ),永井繁子 (10 ),山川捨松 (11 ),吉益亮子 (14 ),上田悌子 (16 ) である.その身元はいずれも幕末維新の戦いで賊軍とされた幕臣や佐幕藩家臣の子女たちであり,官軍と称し た側には一人の応募者もあらわれなかった.  [寺沢龍「明治の女子留学生最初に海を渡った五人の少女」 (平凡新書,2009) p10] 

916 ふるさとの橋本薬剤将校の家で,帰還将兵の最初の集会をした.そのときはしぜんに,階級序列なしの車座をつくってこれからの協力をちかい合った.たしかな民主主義の根が,ここからのびてゆくと思われた. ところがいつのまにか,形だけの民主主義,すなわち体制に組みこまれた民主主義がえだをはった.昨年のある旧軍人の会合など,戦地のままに階級順で整列し,レコードの軍歌はなりひびき,数十名の自己紹介を兼ねたあいさつのうち,戦争の意味をあらためて問う気配があったのは,たったの二人だけであった.[丸山 豊「月白の道」(創言社, 1970) p4-5]

 私は,戦いのある日ある時の真相を書こうとしているのでもなければ,声高く私じしんの汚れた手を告発しようとするのでもない.この随筆は一種の酔いをおさえながら,戦時から今にいたるまで,鎮魂のねがいをこめて,醒めつづけ痛み続ける胸奥の覚えがきである. [丸山豊「月白の道」(創言社, 1970) p38]

917 私たちはじぶんの声の質にふさわしく発言すればよいし.じぶんの脚力に応じてあるいてゆけばよい. じぶんの視力が,ひとよりすぐれたものであるなどと,思いあがらぬがよい.世のなかをシニカルにながめる前に,まっすぐに見ることをおぼえよう.反俗のためのに反俗になったり,変形のために変形したりするのを避けよう.否定のつよさよりももっとつよい視力で,真正面から世の中を見つめているうちに,おもむろに生の奥義が透けてくるのを信じたい.

918 ミイトキーナの不足づくしのなかで,しかしもっとも大切な欠如は,ここを死守するという意義であった. [丸山豊「月白の道」(創言社, 1970) p56]

919 死者たちは,人間としての最高のエネルギーを表現して,獣のようにみじめに死んだ.習慣は,かれらを英霊とか神とか呼ぶが,その美しい名でかれらを,ひえびえとした祭壇にさらす前に,かれらはいつも人間であり,ついにりっぱな人間であったことをこころにきざみたいものである. [丸山豊「月白の道」(創言社, 1970) p77]

920 戦死近しと見て,南方総軍司令官からか,あるいはもう一段上部から,暗号電報がきた.

  貴官ヲ二階級特進セシム.

 水上大将という栄光のうしろにある.さむざむとしたものを閣下は見ぬいておられた.閣下の心の底で.ある決断のオノがふり下ろされた.「妙な香典がとどきましたね」と,にっこりされた.二日後に.また電報がとどいた.

  貴官ヲ以後軍神ト称セシム.

 軍神の成立の手のうちが見えるというものである.閣下はこんども微苦笑された,「へんな弔辞がとどきましたね」.名誉ですとか武人の本懐ですとかいう,しらじらしい言葉はなかった.私たちが信じてきたとおりの閣下であった.この閣下となら,おなじ場所,おなじ時刻に悔いなく死んでゆけると思った.なるべくかるい気持で死のうと思った. [丸山豊「月白の道」(創言社, 1970) p80]

921 医療の無駄は省くべきである.その一案として,老人は早く死んだほうがいいというのが持論だが,こんなとを言えるのはわたしが老人だからである. [養老孟司「医師不足と過剰医療の関係」AERA 2009.2.16, p13]

922 インガルテン宛の最後の短い手紙 (37 7 23 日付け) は「この数年小生は滅茶滅茶に (zu toll) 働きすぎた」という言葉で終わっている.哲学者の死亡通知に印刷された「彼の生と死は静かな英雄的生涯 (stiles Heldentum) であった」という言葉は,フッサールの生涯にまことにふさわしいものと言うべきであろう.[立松弘孝編「フッサール・セレクション」 (平凡社, 2009) p32] 

923 僕は格差は「イデオロギー耐性の強い」上位階層と「イデオロギー耐性の弱い」下位階層との間に発しているんじゃないかと思っています.

 中略— 

イデオロギー耐性の弱い人たちは「年収の多寡が人間を格付けする」というイデオロギーに呑み込まれてしまった. その結果,自分の社会的な不成功の理由をもっぱら「金がないこと」で説明する人たちばかりになった. 

 中略— 

 そして,このイデオロギーこそが,このイデオロギーの信奉者を構造的に階層下位に固定化している.今の日本社会で何よりも悲惨なのは,階層化によってもっとも苦しんでいる階層下位の人たちが.階層を強化させるイデオロギーのもっとも熱心な信奉者であるという逆説なのです. 多くの人は,上位階層と下位階層では,金の分配に不公平があると思っている.しかし実際には,階層上位の人の特徴は,「金がある」ことではなくて,「金があるがどうか」ということを一次的な問題にしない,ということなのです.[内田樹,苅谷剛彦対談「お金と学力,その残酷な関係の行方」中央公論, 2009.3, p208-9 内田の発言]  

924 英語が「普遍語」として流通するようになればなるほど,必然的に「国語」は危うくなる.今,英語以外のどの「国語」も分岐点に立たされています.しかも,非西洋語圏の「国語」の方がより危ない.非西洋語を母語とする人たちは,バイリンガルになるのが困難なので,いったん英語にいってしまうと帰ってこない.ことに「国語」がまともに機能していなければ,帰ってくる必然性がありません. 

 そんな時代に,日本語が真の「国語」として存在しつづけるためには,日本人は,まずは近代文学の古典ぐらいは読めるように育つべきだと思うんです.[水村美苗「世界中から「国語」がなくなる日」中央公論2009.3, p220] 

925 日本語は勝手に貧しくなっていった. 

 原因はいくつか考えられますが,いちばん大きいのは,戦後教育において,文章に対する正しい認識が失われてしまったことにあると思います.文章は読むべきものであり,自己表現のための道具ではないという認識が失われてしまった.その結果,密度の高い文章を読ませなくなってしまった. [水村美苗「世界中から「国語」がなくなる日」中央公論 2009.3, p223] 

926 (「学問のすゝめ」が) あそこまで売れたのは,当時の日本人が今よりもはるかに優れた読解能力を持っていたというよりも,「書は難しいものである」という共通認識があったからだと思います. [水村美苗「世界中から「国語」がなくなる日」中央公論 2009.3, p225] 

927 親の仕事の関係で外国へ行った私は,今思えば,日本の教育システムから抜け出すことができ,十二歳からは歯応えのある文章を読めた.それは幸運でした. [水村美苗「世界中から「国語」がなくなる日」中央公論 2009.3, p225] 

928 植物採集にはさしたる道具は必要としないが,根っこを掘り起こす場合にだけは道具が必要である.それには直径23 センチメートルの灌木の幹を,一方を斜めにとがらせただけの極めて単純な掘棒に過ぎないのだが,岩石の全くないカラハリの地面を掘るのに,これほど適当で,しかも容易につくることのできる道具はなかろうと思われる.堀棒は採集用具としてだけではなく,鉤竿で捉えたトビウサギを穴から掘りだしたり,罠の支柱を埋めたり,ときには小動物を叩き殺すための棍棒にしたりといったふうに,狩猟具ともなれば,また小屋の枠組みを地面に埋めるための建築用具ともなる,たいへん用途の広いものである.木の実や草本類の採集なら道具は不要であり,事実,すべての草食動物は道具などなしで生活している.霊長類のなかでは,なぜヒトだけが乾期のカラハリのような水のないところでさえ生存を可能にすることができたのであろうか.答えは堀棒という単純にしてしてしかも重要な道具を手にいれたからである,ヒトだけが堀棒を駆使して根茎類を利用し,水も食物も乏しいカラハリの乾期をしのいでゆくことができたからにほかならないのである.[田中二郎「ブッシュマン,永遠に」(昭和堂,2008) p45-6]

929 食べものを手にいれるために外出するのは平均すると一日45 時間にすぎなかった.

中略

 いってみれば,彼らの頻繁な移動生活は,お気に入りのごちそうをつまみ食いして歩く生活ののであり,移動のサイクルを一巡して戻ってくるころには,すでに自然の食卓はもと通りに復元しているのである.同様のことは,ブッシュマン達があまり頼みの綱とはしない動物の狩猟についてもいえる.彼らの用いる狩猟の技術がお粗末で,本の時たまにしか大好物の獲物を食卓に登場させることができない程度だからこそ,動物も絶滅を免れることができるのである.[ 田中二郎「ブッシュマン,永遠に」(昭和堂,2008) p53]

930 平等主義の原則を達成するために,狩猟採集民はじつになみなみならぬ努力を払っている.たとえばブッシュマンでは,獲物のの所有権は射とめた人ではなく,狩猟具の提供者に帰属するといったルールをつくっている.弓矢の狩りには上手下手の差が歴然とあらわれるが,矢をつくるだけなら誰にでもてきることである.特定の優秀なハンターに富が集中しないよう.そしてできるだけ多くの人に所有の機会が与えられるよう配慮がなされているのである.さらに,狩りに成功した人は,内心では得意になっているにちがいないのだが.表向きはけっしてそれを誇示したりすることはない.いばったり,良いものをみせびらかしたりして, 他人の妬みを買い,仲間はずれにされるのは,この顔見知りの人たちだけで構成される小規模な社会にあっては,とりわけ恐ろしいことである. 気前のよさと控えめであることが最高の美徳である. [ 田中二郎「ブッシュマン,永遠に」(昭和堂,2008) p62]

931 余分のものは獲りもしなければ蓄えもせず,必要なときにはいつでも手にはいるのだという,自然への信頼にたった楽観主義こそが狩猟採集民の精神の真髄だったのである.それは自然に完全に融和した生活のなかから滲みでた本物の自然保護思想なのだといってよいだろう.それゆえにこそ,この狩猟採集の生活様式は人類誕生以来何百万年ものあいだ,自然のなかに埋没してひっそりと,しかし牢乎として生きつづけることができたのである. [ 田中二郎「ブッシュマン,永遠に」(昭和堂,2008) p85]

932 機会均等の条件のもとに平等主義は成り立っていた.いますぐでなくてもいつかは与える側に,あるいは与えられる側にまわりうるという前提のもとに平等分配の原理は機能する. [ 田中二郎「ブッシュマン,永遠に」(昭和堂,2008) p88]

933 一神教とは,他の神々を認めないがゆえにそれを信ずる人まで認めない考え方であることに,多神教の世界であった古代に生きている人々は,理解も想像も及ばなかったのであろう.そのことに西欧の人々が気づくようになるのは,キリスト教が支配した中世が一千年もの間つづいた後の,ルネサンス時代になってからである. 

 ローマ人達の知識人たちのキリスト教に言及した著作を読んでいて痛感するのは,この人々は,一神教というものを理解していなかったということである.ただの一人も,多神教と一神教のちがいに言及した者はいない.やむを得ないのだ,多くの神々が共生していたのが,古代であったのだから. [塩野七生「ローマ人の物語」34 迷走する帝国 () p202-3 (新潮文庫 2009)] 

934未来についてはいかがですか?

 その種の質問はしないでください.今の世界は.もはや私の属する世界ではありません.私の知っている. 私の愛した世界は,人口25 億の世界です.現在では60 億を数えています.これはもう私の世界ではありません.そして,90 億の男女が住むたとえ,私たちを慰めるためにそれが人口増加のピークであると言われたにせよ明日の世界について,何か予言することなどとうてい不可能です....[C. レヴィ-ストロース「ブラジルから遠く離れてヴェロニク・モルテーニュとの対話」(「サンパウロへのサウダージ」p113(2005/2/22)(みずず書房, 2008]

935 日本に帰り,日本語で小説を書きたいと思うようになってから,あるイメージがぼんやりと形をとるようになった. それは,日本に帰れば,雄々しく天をつく木が何本もそびえ立つ深い林があり,じぶんはその雄々しく天をつく木のどこかの根っこで方で,ひっそり小さく書いているというイメージである.福沢諭吉,二葉亭四迷,夏目漱石,森鴎外,幸田露伴,谷崎潤一郎等々,偉そうな男の人たち図抜けた頭脳と勉強量,さらに人一倍のユーモアとをもちあわせた,偉そうな男の人たちが周りにたくさんおり,自分はかれらの影で,女子どもに相応しいつまらないことをちょこちょこと書いていればよいと思っていたのである.男女同権時代の落とし子としてはなんとも情けないイメージだが,自分には多くを望まず.男の人には多くを望んで当然だと思っていた.また,古い本ばかり読んでいたので,とっくに死んでしまった偉そうな男の人しか頭に思い浮かばなかった.日本に帰って,いざ書き始め,ふとあたりを見回せば,雄々しく天をつくような木がそびえ立つような深い林はなかった.木らしいものがいくつか見えなくもないが,ほとんどは平たい光景が一面に広がっているだけであった.「荒れ果てた」などという詩的な形容はまったくふさわしくない,遊園地のように,すべてが小さくて騒々しい,ひたすら幼稚な光景であった.

 もちろん,今,日本で広く読まれている文学を評価する人は,日本にも外国にもいるであろう.私が,日本文学の現状に,幼稚な光景を見いだしたりするのが,わからない人,そんなことを言いだすこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう.実際,そういう人の方が多いかもしれない.だが,この本は,そのような人に向かって,私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない.文学も芸術であり,芸術のよしあしほど,人を納得させるのに困難なことはない.この本は,この先の日本文学そして日本語の運命を,孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている.そして,究極的には,今,日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい,少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと,絶望と諦念が錯綜する中で,ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p58-9]

936 「職業に貴賎はない」などという表現は,「働くという行為そのものの尊さ」を指す表現としてならわかるが,真に受けるように教育されてしまえば,まさに「職業に貴賎」がある現実に眼を閉じさせる.平等主義は,さまざまなところで,わたしに現実を見る眼を閉じさせた. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p96-7]

937 くり返すが,このような歴史と独立して,日本文学が「主要な文学」だと認識されるようになったかどうかは疑わしい.ただ,たしかなのは,日本語を強制的に学ばされた人たちが訳してみたくなる近代文学が日本にはあったということであり,さらにたしかなのは,そう思って世界を見回せば,日本のようにはやばやとあれだけの規模の近代文学をもっていた国は,非西洋の中では.見あたらないということである.そして,さらに,たしかなのはたしかである以上に重要なのは,たとえ世界の人に知られていなかったとしても,世界の文学をたくさん読んできた私たち日本人が,日本近代文学には,世界の傑作に劣らぬ傑作がいくつもあることを知っているということである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p103]

938 だが,このようなものの見方は(= ながらく話していた日本語が,文字が外から入ってきて〈自分たちの言葉〉を書き表すようになった),実は,しばしば,一つの誤った認識を前提としている.

 ほかならぬ,〈書き言葉〉とは,〈話し言葉〉を書き表したものだという判断である.

 それは〈書き言葉〉の本質を見誤っているだけではない.それは,まずは,人類の歴史そのものを無視したものである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p104]

939 アンダーソンによれば,グーテンベルグ印刷機の発明がのちの〈国語〉の成立に意味をもったのは,その時ヨーロッパでは資本主義がすでに十分に発達しており,書物が商品として市場で流通する下地ができていたからだという.中略

 〈俗語革命〉のちに〈国語〉を可能にした〈俗語革命〉は,アンダーソンによれば.需要と供給という同じ市場原理によって,その次の段階に,おこるべくしておこった.

 「グーテンベルグ聖書」に続き,まずはさまざまな本がラテン語で出版されるようになる.ところが,ラテン語を読めるのは「広汎に存在してはいても薄い層に限られて」いる.したがって,ラテン語を読む読者達の市場はじきに飽和してしまう.新たな市場を開発するために,人々が巷で話す〈自分たちの言葉〉で書かれた本が,まさに市場原理によって,出まわるようになる必然性があったのである.「資本主義の論理からすれば,エリートのラテン語市場がひとたび飽和してしまえば,一言語だけを話す大衆の提示する巨大な潜在市場が手招きすることになる」.かくして〈俗語革命〉が起こる.ヨーロッパのさまざまな地域の〈話し言葉〉が,時間の差こそあれ,続々と〈書き言葉〉に生まれ変わって印刷され,出版されるようになったのである.アンダーソンの表現を使えば,さまざまな〈口語俗語」(vernacular) が,「出版語」(printed languages)となったのである.中略「出版語」は自然に数が限られてこざるをえない.本が「大量生産工業品」として利潤を生むためには,ある程度の規模をもって出版されなくてはならず.そのためには,「出版語」の数が制限されていかねばならないからである.中略そして,それらの「出版語〉を,ヨーロッパで地域別に何百万という人間が共有するうちに,アンダーソンが「想像の共同体」とよぶ,〈国民国家〉の基礎ができていったのである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p110-2]

940 私は,〈普遍語〉とは,〈書き言葉〉と〈話し言葉」のちがいをもっとも本質的に表すものだと思っている. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p122]

941 人類は文字文化に入って,それまでと異なった次元での,〈叡智のある人〉となった.中略読むという行為を通じて,人類の叡智が蓄積された〈図書館〉に出入りできるようになったからにほかならない. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p125]

942 ラテン語の〈書き言葉〉はギリシャ語の〈書き言葉〉を翻訳するという行為から生まれたのであり,ローマ人が自分たちの〈話し言葉〉を書き表そうとして生まれたものではない.

  近代以前の人々には,〈書き言葉〉が〈話し言葉〉をそのまま書き表したものだという考えはなかった. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p126]

943 国語〉とは,もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が,翻訳という行為を通じ,〈普遍語〉と同じレベルで機能するようになったものである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p133]

944 ヨーロッパで〈国民文学〉としての小説が,満天に輝く星のようにきらきらと輝いたのは,まさに〈国語の祝祭〉の時代だったのであった.それは,〈学問の言葉〉と〈文学の言葉〉とが,ともに,〈国語〉でなされていた時代である.そして,それは,〈叡智を求める人々〉が真剣に〈国語〉を読み書きしていた時代であり,さらには,〈文学の言葉〉が〈学問の言葉〉を超えるものだと思われていた時代であった.[水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p148]

945 実際,〈学問〉と〈文学〉が分かれたことによってよりはっきりと見えてきたのは,この世の〈真理〉には二つの種類があることにほかならない.読むという行為から考えると,それは,〈テキストブック〉を読めばすむ〈真理〉を代表するのが〈学問の真理〉なら,〈テキスト〉そのものを読まねばならない〈真理〉を代表するのが,〈文学の真理〉である.中略学問の真理〉の最たるものは数式で埋められた〈テキストブック」である. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房2008) p152]

946 テキスト〉に見いだされる〈真理〉とは,同じようなことを言い表すのに,無限の可能性があるなかから,この文章の形この言い回し,この言葉の順番,この名詞,形容詞,動詞でなくては,この〈真理〉は存在しないという類いの〈真理〉である.

 まさに,「真理は文体に宿る」のである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p153]

947  Proposal for a New Mathematical Society

 If I had the time (which I don’t), I would found a new organization with a title like “The Research Mathematical Society” to counter the lamentable state of the AMS, which has become like a professional society of grocers or insurance salesmen, profaning the sacred vocation of mathematics (witness “Mathfest”). 

 The purpose of the new organization would be to further research in mathematics as single-mindedly as humanly possible, leaving to other organizations (or individuals) peripheral things such as politics, funding, prizes, education, job placement, and so on. These may be worthy areas influencing research mathematics, but paying attention to them dilutes the pure pursuit of mathematics, whose aim is to discover, prove, and understand theorems. I long ago stopped attending AMS meetings (especially national ones) when it became obvious that it was no longer possible to discuss real mathematics at them. In the real old days, people would get together, at meetings over coee or beer and exchange theorems and ideas endlessly. No more! 

 First, a partial list of what the proposed society would avoid. 

1. Tie clips with integral signs 

2. Barbecues 

3. Employment registers 

4. Prizes (which corrupt and distort the subject) 

5. Questions of education, particularly calculus reform 

6. Riverboat rides 

7. Politics 

8. Funding questions (especially involving the NSF) 

9. Musical performances at meetings 

10. Lobbying 

11. Publishers’ receptions 

 Lest the tenor of this letter be too negative, let me stress the main positive functions of the proposed organization. 

A. To hold meetings where mathematical lectures are given and mathematical discussions of all kinds are encouraged. 

B. To publish a Notices where meetings are announced and described. Possibly to publish some books and research journals. Finally, as though this letter were not inflamatory enough, 

C. To set up some minimum standards for membershiptoo many people join the AMS solely because it looks good on their credentials. Such a standard might be having published at least one mathematical paper every two years for the last ten years, with some sort of exceptions for young mathematicians and Godel. 

 Since we can’t drive the money changers from the temple, let’s build a new temple! 

[Lee A. Rubel University of Illinois at Urbana-Champaign Notices AMS  42 , 220 (1995)]

948 人間誰でも金で買えるとは,自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである.非難とは (ママ),非難される側より非難する側を映し出すことが多い.[塩野七生「ローマ人の物語 10」ユリウス・カエサル ルビコン以前 []   (新潮文庫 1995) p196] 

949 国民文学〉は〈国語〉と同じようにその起源を忘却することによって成り立つ.日本近代文学もそうである.巷の人が手紙でやりとりする言葉が新聞や小説の言葉に近づき,新しい日本語があたりまえなものになるのと同時に,日本近代文学の起源それが,大学で西洋語を学んだ二重言語者によって,翻訳という行為を通じ,翻訳の可能性と不可能性のアポリアから創られていったものであることは,急速に忘れられていった. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p227] 

950 『金色夜叉』が,じつは英語の「ダイム・ノーベル」という読み捨ての娯楽小説を焼き直したものであったという事実が,2000 年に発見された.興味深いのは,『金色夜叉』に英語の種本があったという事実ではない,興味深いのは,その発見が,さまざまな新聞で衝撃的ニュースとして報道されたという事実である. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p228] 

951 見たままを書く,感じたままを書く,だからものを読んだことがない人間でも書けるというのが〈国語イデオロギー〉の根底にある言語観である.そのような言語観はつまらぬ文章を巷に洪水のように氾濫させる代わりに,美しい心をした子どもに宝石のような文章を書かせることがある.〈国語イデオロギー〉のもつ強みは,当時,韓国籍であった十歳の少女によって,日本語で花ひらいたのであった.小学生のころ『にあんちゃん』をくり返し読んだ私は,長じてから,果たして自分が書くものがあの感動を与えられるかどうか問い続けることとなった. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p230] 

952 日本に数え切れないほどの文学の新人賞があり,日本列島全土に細かい網をはって,わずかでも書く才があれば拾い上げてくれるようになって久しい.すべての国民が文学の読み手でもあれば書き手でもあるという理想郷は,その理想郷を可能にするインターネット時代が到来する前,日本にはいちはやく到来していたのであった. 

 だが,そのときすでに日本近代文学は「亡びる」道をひたすら辿りつつあった. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p232] 

953 『ハリー・ポッター』とは,ほかの子が読んでいるから自分の子にも読ませねばと世界中の親が思うに至った本である. 

 原理的には,そのような本はどのようなものでもありうる.優れた文学だという可能性さえある.大衆消費社会のなかで流行る文学は,そこに書かれている言葉が〈読まれるべき言葉〉であるか否かと関係なしに,たんにみなが読むから読まれるという本だからである.だが,それは確率的には,つまらないものが多い.それは,多くの場合,ふだん本を読まない人が読む本であるし,ポップ・ミュージックと同様,流行に敏感に反応するのを,まさに生物学的に宿命づけられている若者将来のつがいの相手もいればライバルもいる同世代が何をしているのか,四六時中全神経を研ぎ澄ましている若者の間で流行るものだからである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p237] 

954 今の日本では,ある種の日本文学が〈西洋で評価を受けている〉などと言うことの無意味さを指摘する人さえいない.言葉について真剣に考察しなくなるうちに,日本語が西洋語に翻訳されることの困難さえ忘れられてしまったのである.中略西洋語に翻訳された日本文学を読んでいて,その文学の真の善し悪しがわかることなど,ほとんどありえないのである.中略— 

 それは,漱石の文章がうまく西洋語に訳されない事実一つでもって,あまさず示されている.実際,西洋語に訳された漱石はたとえ優れた訳でも漱石ではない,日本語を読める外国人の間での漱石の評価は高い.よく日本語を読める人の間でほど高い.だが,日本語を読めない外国人の間で漱石はまったく評価されていない. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p264] 

955 日本文学の善し悪しが本当にわかるのは,日本語の〈読まれるべき言葉〉を読んできた人間だけに許された特権である. 

 強調するが,いくらグローバルな〈文化商品〉が存在しようと.真にグローバルな文学など存在しえない.グローバルな〈文化商品〉とは,本当の意味で言葉を必要としないもの本当の意味で翻訳を必要としないものでしかありえない. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p264] 

956 学校教育は中略ある言葉で書かれた〈読まれるべき言葉〉を読ませないことによって,その言葉で書かれた文学を亡ぼすことも出来る. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p266-7] 

957 しつこく強調するが,この先 50 年,百年,最も必要になるのは,〈普遍語〉を読む能力である. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p289] 

958 だからこそ,日本の学校教育のなかの必修科目としての英語は,〈ここまで〉という線をはっきり打ち立てる.それは,より根源的には,すべての日本人がバイリンガルになる必要などさらさらないという前提すなわち,先ほども言ったように,日本人は何よりもます日本語が出来るようになるべきであるという前提を,はっきりと打ち立てるということである.学校教育という場においてそうすることによってのみしか,英語の世紀に入った今,「もっと英語を,もっと英語を」という大合唱に抗うことはできない.しかも,そうすることによってのみしか,〈国語〉としての日本語を護ることを私たちの日本人の最も大いなる教育理念として掲げることはできない. 

 人間を人間たらしめるのは,国家でもなく,血でもなく,その人間が使う言葉である.日本人を日本人たらしめるのは,日本の国家でもなく,日本人の血でもなく,日本語なのである.それも,長い.〈書き言葉〉の伝統をもった日本語なのである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p290] 

959 それ (=〈書き言葉〉とは,〈話し言葉〉の音を書き表したものだという誤った言語観) は,言文一致体を生んだ言語観とはちがう.言文一致体とは,新しい文章語であり,少しむずかしい言い方になるが,従来の文章語に比べて,言語の修辞学的機能 (極端な例としては〈言葉遊び〉) よりも言語の指示機能 (意味を指し示す機能) を優先させた文章語なのである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p293] 

960 「表音主義」を中心に据えた戦後の国語教育は,多分に心ある人たちの善意から生まれたものである.日本に生まれれば,どんな人間でも日本語を話すことはできる.ということは,どんなに教育を受ける機会を奪われたとしても,〈書き言葉〉というものを,〈話し言葉〉をそのまま書き表したものだとさえ規定すれば,人は文章を書けるようになる.つまり,「あいうえお」の五十音と最低限の漢字さえ覚えれば,国民すべてが文章を書けるようになる.〈書きことば〉を,国民すべてのもの主婦はもちろんのこと,鋤をもった農民や,サイレンの音とともに工場入りする労働者のものにすることができる.それは,文化の否定どころか,文化を国民すべてのものにしようという文化の礼賛だとかれらは思っていたのであろう. 

 だが,文化とはそのようなものではない. 

 国語教育の理想をすべての国民が書けるところに設定したということ,国民全員を〈書く主体〉にしようとしたということそれは,逆に言えば,国語教育の理想を〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てるところに設定しなかったということである.ところが,文化とは,〈読まれるべき言葉」を継承することでしかない.〈読まれるべき言葉〉がどのような言葉であるかは時代によって異なるであろうが,それにもかかわらず,どの時代にも,引きつがれて〈読まれるべき言葉〉がある.そして,それを読みつぐのが文化なのである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p302] 

961 口語の変化がそのまま反映された文章を〈新しい〉などと言って喜ぶのは,〈書きことば〉のもつ規範性 がいかに文化を可能にするかを理解していないからである. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p318] 

962 この先,〈叡智を求める人〉で英語に吸収されてしまう人が増えていくのはどうにも止めることはできない.大きな歴史の流れを変えるのは,フランスの例を見てもわかるように,国を挙げてもできることではない.だが,日本語を読むたびに,そのような人の魂が引き裂かれ,日本語に戻って行きたいという思いに駆られる日本語であり続けること,かれらがついにこらえきれずに現に日本語へと戻っていく日本語であり続けること,さらには日本語を〈母語〉としない人でも読み書きしたくなる日本語であり続けること,つまり,英語の世紀の中で,日本語で読み書きすることの意味を根源から問い,その問を問いつつも,日本語で読み書きすることの意味のそのままの証しとなるような日本語であり続けることそのような日本語であり続ける運命を,今ならまだ選び直すことができる. [水村美苗「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」(筑摩書房 2008) p322-3] 

963 マンジュ族の清朝政府は漢族が遊牧地帯に無制限に侵入し,牧草地を耕地に変えて,遊牧民の生活を不可能にしてしまうこの重大な弊害を防ぐための方策をとっていた.しかし,17 世紀になると,農耕地帯における人口増加のために,耕地を求めてモンゴル人の伝統的な牧地に侵入する農耕人の波はおさえがたいものになっていた.しかも,ねらわれるのは,最も草の生育のいい遊牧民にとてもかけがえのない牧草地であった.中略

 私はボン大学に留学中,独立運動に失敗して,若いときに内モンゴルから脱出して諸国の大学で教えているというハルトードさんの家にしばらく寄宿させてもらったことがあるが,かれが,故郷から離れてずいぶん時間がたった今でも,どうしても見てしまうという悪夢をこんなふうに話してくれた.

 ある朝,目がさめてみると,地平線の彼方から漢族の女たちが,手に手に赤ん坊を抱えて押し寄せてくる,その列は地平線にびっしり並んでますます近づいてくる.恐怖心に押しひしがれて息が詰まりそうになって目がさめる.

 そして,ハルトードさんは私によく言った.田中さん,漢族は武器も何もなくてもモンゴル人を滅ぼすことが出来ます.牧草地を耕地に変えて,そこでどんどん子供を産む.私たちはどこで生きていけますか.解決方法は,モンゴル人民共和国のように,自分の独立国をもつしかないのですと.[田中克彦「ノモンハン戦争モンゴルと満州国」(岩波新書1191, 2009) p52-3]

964 穀物収穫のために牧地の一等地をねらって鋤き起こすから,数年の後には土地の表層は吹き飛ばされてやせ果て.農耕にも牧畜にも役に立たない不毛の地としてしまうのが,モンゴルの地に来る漢人移民の通有性なのである.[田中克彦「ノモンハン戦争モンゴルと満州国」(岩波新書 1191, 2009) p62 に引用されているラティモアの本からの一節

965 この最初の 14 人を皮切りとして,うち続く摘発は,ノモンハン戦争勃発の 1939 5 月までに,反ソ,反革命,日本の手先との罪状で,2 5842 人が有罪とされ,うち 2 474 人が銃殺,5103 人が 10 年の刑,240 人が 10 年未満の刑,7 人が釈放されたという (ウルズィバートル 294 ).当時のモンゴルの人口を訳 70 万と見積もれば,これはおそるべき数字である. [田中克彦「ノモンハン戦争モンゴルと満州国」(岩波新書 1191, 2009) p118] 

966 兵団は日本空軍の攻撃を受け,そうとうな被害を被った.その理由はこうだ残念なことに当時のモンゴル人は著しく宗教の偏見にとらわれていた.仏教の教えによって,大地は神聖なものと見なされていたから,それを掘ってはならなかった.そしてモンゴル兵達はこの教えを守ったのである.戦闘の間,兵士達は壕を掘ることを完全に拒んだ. [田中克彦「ノモンハン戦争モンゴルと満州国」(岩波新書 1191, 2009) p199-200 に引用されているフュデュニンスキー大佐の回想録の一節

967 ノモンハン戦争が失敗に終わったことは,辻自身が最もよく知っていた.だからこそ,敗北に導いた責任者として,前線の指導者達に罪をなすりつけ,自殺を強要したのである.中略— 

 それどころか,停戦後は,捕虜交換によってもどってきた将校達が自刃させられた.これらの結末には,すべて辻政信が関与したことが明らかにされている 

 辻にかかわる以上のようなことがらはすでに何人もの著者がふれていることであるが,ノモンハンの停戦後も,国境確定会議を成立させないために辻が暗躍したことはほとんど知られていない.[田中克彦「ノモンハン戦争モンゴルと満州国」(岩波新書 1191, 2009) p222] 

968 辻政信この人は並みでない功名心と自己陶酔的な冒険心を満足させるために,せいいっぱい軍隊を利用した.そうして戦争が終わって軍隊がなくなると,日本を利用し,日本を食いものにして生きてきたのである. 

 私たちが,占領軍としてではなく,日本人として裁かなければいけないのは,このような人物である.このような人物は,過去の歴史の中で消えてしまったわけでは決してない.今もなお日本文化の本質的要素として,政界,経済界のみならず,学会の中までで巣くっているのである. [田中克彦「ノモンハン戦争モンゴルと満州国」(岩波新書 1191, 2009) p231] 

969  A thought about macroeconomics 

Brad DeLong and I have been sort of tag-teaming the Great Ignorance which seems to have overtaken much of the economics profession the rediscovery of old fallacies about deficit spending and interest rates, presented as if they were deep insights, the bizarre arguments presented by economists with sterling reputations.

 Now, no doubt this is partly about politics, which, as Brad says, makes some people stop thinking like economists.

 But I think there’s something else. Doing what I think of as real macroeconomics the tradition that runs through Keynes and Hicks actually involves thinking about interdependent markets, in a way many economists never learn to do. At minimum you have to keep straight the relationships among the markets for goods, bonds, and money; if you try to think about either interest rates or the price level in terms of just a single market interest rates determined by supply and demand for lending, price level by quantity of money, full stop you get it all wrong, especially in times like the present. 

 And as I pointed out a long time ago, many economists just don’t know this stuff. Even in macroeconomics, you could build a career without ever understanding what Keynes and Hicks were driving at and if your’e under a certain age, perhaps without even ever having heard about it. Arguments like deficits drive up interest rates and thats contractionary basically have the feel of someone who doesn’t have any sense of how the pieces fit together probably because they don’t.

 It’s a sad story, and it may have real negative consequences for the world. [Paul Krugman, The Conscience of a Liberal June 26, 2009, 3:14 PM]

970  I believe that Newton was different from the conventional picture of him. But I do not believe he was less great. He was less ordinary, more extraordinary, than the nineteenth century cared to make him out. Geniuses are very peculiar. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/Extras/Keynes Newton.html

971  Newton was not the first of the age of reason. He was the last of the magicians, the last of the Babylonians and Sumerians, the last great mind which looked out on the visible and intellectual world with the same eyes as those who began to build our intellectual inheritance rather less than 10,000 years ago. Isaac Newton, a posthumous child bom with no father on Christmas Day, 1642, was the last wonder child to whom the Magi could do sincere and appropriate homage. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

972  There are his telescopes and his optical experiments, These were essential accomplishments, part of his unequalled all-round technique, but not, I am sure, his peculiar gift, especially amongst his contemporaries. His peculiar gift was the power of holding continuously in his mind a purely mental problem until he had seen straight through it. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

973  I believe that Newton could hold a problem in his mind for hours and days and weeks until it surrendered to him its secret. Then being a supreme mathematical technician he could dress it up, how you will, for purposes of exposition, but it was his intuition which was pre-eminently extraordinary - ’so happy in his conjectures’, said De Morgan, ’as to seem to know more than he could possibly have any means of proving’. The proofs, for what they are worth, were, as I have said, dressed up afterwards - they were not the instrument of discovery. There is the story of how he informed Halley of one of his most fundamental discoveries of planetary motion. ’Yes,’ replied Halley, ’but how do you know that? Have you proved it?’ Newton was taken aback - ’Why, I’ve known it for years’, he replied. ’If you’ll give me a few days, I’ll certainly find you a proof of it’ - as in due course he did. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

974  Certainly there can be no doubt that the peculiar geometrical form in which the exposition of the  Principia is dressed up bears no resemblance at all to the mental processes by which Newton actually arrived at his conclusions.

 His experiments were always, I suspect, a means, not of discovery, but always of verifying what he knew already. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

975  He regarded the universe as a cryptogram set by the Almightyjust as he himself wrapt the discovery of the calculus in a cryptogram when he communicated with Leibniz. By pure thought, by concentration of mind, the riddle, he believed, would be revealed to the initiate. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

976  All would be revealed to him if only he could persevere to the end, uninterrupted, by himself, no one coming into the room, reading, copying, testing-all by himself, no interruption for God’s sake, no disclosure, no discordant breakings in or criticism, with fear and shrinking as he assailed these half-ordained, half forbidden things, creeping back into the bosom of the Godhead as into his mother’s womb.

...

 And so he continued for some twenty-five years. In 1687, when he was forty-five years old, the  Principia was published.

....

 During these twenty-five years of intense study mathematics and astronomy were only a part, and perhaps not the most absorbing, of his occupations. Our record of these is almost wholly confined to the papers which he kept and put in his box when he left Trinity for London. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

977  All his unpublished works on esoteric and theological matters are marked by careful learning, accurate method and extreme sobriety of statement. They are just as sane as the Principia, if their whole matter and purpose were not magical. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

978  Very early in life Newton abandoned orthodox belief in the Trinity. He arrived at this conclusion, not on so-to-speak rational or sceptical grounds, but entirely on the interpretation of ancient authority. He was persuaded that the revealed documents give no support to the Trinitarian doctrines which were due to late falsifications. The revealed God was one God.

....

 But this was a dreadful secret which Newton was at desperate pains to conceal all his life. It was the reason why he refused Holy Orders, and therefore had to obtain a special dispensation to hold his Fellowship and Lucasian Chair and could not be Master of Trinity. Even the Toleration Act of 1689 excepted anti-Trinitarians. After his death Bishop Horsley was asked to inspect the box with a view to publication. He saw the contents with horror and slammed the lid. A hundred years later Sir David Brewster looked into the box. He covered up the traces with carefully selected extracts and some straight fibbing. His latest biographer, Mr More, has been more candid. Newton’s extensive anti-Trinitarian pamphlets are, in my judgement, the most interesting of his unpublished papers. [J. M. Keynes, “Newton, the Man” (1946)]

979 一昔前までは,うつ病になりやすい典型と考えられていたのは,生真面目で几帳面,他人への配慮が細かく責任感が強い,いわゆる「メランコリー親和型」だった.中略自責的なことが特徴的だった.

 しかし,新型うつ病の場合はまるで正反対である.中略

 何よりも特徴的なのは,「会社が自分の能力を認めてくれない」「上司の指示が細かすぎて,気に入らない」などと訴え,自分の病気を他人や会社のせいにしがち,つまり「他責的な事である.

 なぜこんなにも「新型うつ」が増えたのか?前の章でも指摘したように.成熟拒否社会が自己愛の際限のない肥大を容認しており,自己愛的イメージと現実の自分とのギャップを受け入れられない人間を数多く生み出しているからにほかならない.中略

 そのギャップを埋めていくためには二つの選択肢しかない思い描いていたイメージに少しでも近づけるように努力して現実の自分を高めていくか,それともそのイメージを「断念」して現実を受け入れていくか.大多数の「普通の」人々は,後者の選択肢,つまり「断念」によって「現実適応」していかざるを得ないのだが,それが出来ない人が非常に増えている.

 一つには,教育が「あなたには無限の可能性がある」という幻想を教え込んでいるからかもしれない.たしかに,だれにでも可能性があることを教えるのは,子どもの意欲を高めるために必要かもしれないが,同時に,現実社会に耐えられない人間を生んでしまう危険性もはらんでいることを忘れてはならない,ときには「あきらめる」ことも必要だと教えることが,教育上大切なのではないか「身の程を知る」ことは,世の中で生きていくうえで不可欠なのだから[片田珠美「無差別殺人の精神分析」(新潮選書, 2009) p197-8]

980

わが子を殺戮者にしないためにやってはいけない十ヶ条(条項のみ)

1. 過度の期待

2. 母子密着

3. 過保護・過干渉

4. 欲望をすべて叶える

5. いい子・手のかからない子を放置する

6. 子どもの多様な人間関係を妨げる

7. 「白か黒か」の二者択一的考え方を教えこむ

8. 危険信号を見逃す

9. 世間体・体裁を気にする

10. 他の兄弟・姉妹と比較する [片田珠美「無差別殺人の精神分析」(新潮選書, 2009) p211-4]

981 私は「読者」に用があるのであって,「購入者」には特段用事がない.著作権についての議論ではどうもそこのところが混乱しているような気がする.もの書く人間は「購入者」に用があるのか,「読者」に用があるのか.[内田樹「ネットでの無償閲覧を歓迎する理由」中央公論 2009.5, p33] 

982 ものを書く人間に栄光があるとすれば,それは読者によって「その著作を書架におくことが個人的趣味のよさや知的卓越性を表示する書き手」のリストに選択されることである.作品の価値はそこで考量されるし,そこでしか考量されるべきではない. 

 それゆえに,ネット上でのプレビュー利用がどうして「著作権者の不利」にみなされるのか,わたしにはその理路がついに見えないのである. 

 ネット上で作品の一部を閲覧しただけで,「作品の全体」を読んだ気になり,「これなら買う必要がない」と判断した読者がおり,そのせいで著作権者にはいるべき収益が減損したとして,それは読者やシステムの責任だろうか.私はことの筋目が違うと思う.自分の著作を読者達がそれぞれの書架に置き,日々その背表紙をながめて過ごしたいと思わせることが出来なかったという事実をこそもの書く人たちは重く受け止めるべきではあるまいか. [内田樹「ネットでの無償閲覧を歓迎する理由」中央公論 2009.5, p33] 

983 今の専門教育は,研究範囲をバラバラに切り離して,いかにして効率よく専門的知識を手にいれるかに汲々としていますが,それでは「全般的危機」には対処できません.

 そういう意味では,漱石もウェーバーーも非専門的専門家だったと思うんです.作家として学者として専門領域を深めていくと同時に,宗教や専門外の学問に興味を持って,知恵を尽くして考えるし,発言もする.そういう人の本を読む.そういう人をめざすと言うことが必要なんだと思います.[姜尚中「急がば回れ,古典のすすめ,漱石やウェーバーの「悩み」に学ぶ」中央公論 2005,5, p201]

984 読者の中には英語に堪能な方もたくさんおられるだろうが,「たしなみ」,「奥ゆかしさ」,「律儀」,「けなげ」,「けじめ」,「潔さ」,「のれんの誇り」といった言葉を翻訳する場合には,きっと苦労されることと思う.何とか訳せても,日本語の持つ微妙なニュアンスが十分伝わらない,と自信がもてないのではないか.私は年を取ったせいか,最近海外旅行をしていて,こういう英語になりにくい日本固有の言葉のことを考えることが多くなった.¥¥

 もともと私は戦前,戦中に受けた軍国主義,全体主義教育の反動で,子供はできるだけのびのび育てるべきだ,という意見なのだが,長いアメリカ生活を通して,「自由主義」と「しまりのなさ」とは背中合わせ,リベラリストこそ「節度「自制心」をもたねば,と思うようになった.自己抑制力に欠けた自由人が集まると,時としてだらしない,えげつない,はしたない(これもまた翻訳しにくい?)社会を作る危険がある,のである.[松山幸雄「ビフテキ文化と茶わん蒸し文化」 暮らしの手帖III-48, 1994, 2-3 p116]

985 アメリカの胎児の四つの悩み,というのがあるそうだ.(1) 私は果たして生んでもらえるのだろうか (2) この二人は結婚するのだろうか (3) だれが私を育ててくれるのだろうか (4) 両親が何人出来るだろうか---中略--- このごろは(5) 私はエイズにかかっていはしないだろうか,というのが加わったというから,アメリカの赤ちゃんもたいへんである. [松山幸雄「ビフテキ文化と茶わん蒸し文化」 暮らしの手帖III-48, 1994, 2-3 p116-7]

986 When Carl Ludwig Siegel, who had stayed in the United States, asked Harald Bohr what had happened in mathematics in Europe during the war, Bohr answered with one word: Selberg. [N. A. BAAS and C. F. SKAU, “ The lord of the numbers, Atle Selberg. On his life and mathematics,” BAMS  45 , 617 (2008).] 

987 In 2003 Selberg was asked whether he thought the Riemann Hypothesis was correct. His response was: “If anything at all in our universe is correct, it has to be the Riemann Hypothesis, if for no other reasons, so for purely esthetical reasons.” He always emphasized the importance of simplicity in mathematics and that “the simple ideas are the ones that will survive”. His style was to work alone at his own pace without interference from others. [N. A. BAAS and C. F. SKAU, “The lord of the numbers, Atle Selberg. On his life and mathematics,” BAMS  45 , 617 (2008) p618.] 

988 Question. We want to end our interview with you by asking the following question: What in your opinion is it that characterize mathematicians of high and exceptional quality? 

 Imagination, resourcefulness and a feeling for relations and patterns are important ingredients. It is also very important to have a whole lot of perseverance, combined with patience. Needless to say one needs a lot of energy as well. Finally, I think that quite simply some luck is part of it. Yes, some people are lucky many times, and others are lucky only one time, while some perhaps are not lucky any time. What I mean is that I have seen good ideas, even brilliant ideas, that some people have had, but which in the end did not lead anywhere. And I have also seen examples of people with ideas that did not seem good or exciting, but which strangely enough led to interesting results. I have known people that seemed to have lots of ideas and that knew a lot of mathematics, but that never obtained really exciting results. I have also met people, whom I did not consider to be particularly intelligent when I talked to them, but who came up with things, often in a clumsy and inelegant way, which turned out to lead to results of great importance. No, I dare not define what is the essence of a mathematical talent. It is too multifaceted and of such great variety. [N. A. BAAS and C. F. SKAU, “The lord of the numbers, Atle Selberg. On his life and mathematics,” BAMS  45 , 617 (2008) p649.] 

989  有名な「女人地獄使,能断仏種子,外面如菩薩,内心如夜叉」といった偈は,『涅槃経』や『華厳経』などにあると称して諸書に引かれるものの,本来の経典にはなく,おそらく,平安時代の日本で作られたものである[佐伯真一「建礼門院という悲劇(角川選書45, 2009) p158-9]

990  わが宿の藤の色こきたそがれに尋ねやは来ぬ春の名残を [紫式部「源氏物語」藤の裏葉]

991 

 山中 まだレースは、マラソンで言えば、折り返し手前の10キロ地点を過ぎたばかりで、先は長い。

 臨床や創薬への応用には、やらなければならないことが多い。安全性の向上、狙った細胞への分化(変化)誘導、動物を使った移植の実験だ。国内の協力体制を強化し、いかに効率よく早くやるかだが、欧米諸国の目標も同じ。見通しは非常に厳しいと思っている。

 それはなぜか。

 山中 日米の幹細胞研究は、マラソンでいえば、米国は研究者を支援する体制が整い、個人に合わせたウルトラスペシャルドリンクを1キロごとに置いてある。一方、日本は1人で、「水があればいい。根性でいけ」という。同じコースで走ったら勝てるわけがない。[ iPS細胞のこれから 山中伸弥教授に聞く http://www.yomiuri.co.jp/science/ips/news/ips20080210.htm ]

992  テンというものの基本的意味は,思想の最小単位を示すものだと私は定義したい.[本田勝一「日本語の作文技法」(朝日文庫1982) p88]

993  おくりがなというものは,極論すれば各自の趣味の問題だと思う. [本田勝一「日本語の作文技法」(朝日文庫1982) p132]

994  いやでも何でも,どうしても「主語」を出して強調せざるをえない.何かを強調してはならぬ関係のときでも,常に何かひとつを強引に引き立てざるをえない文法というの,もある意味では非論理的で不自由な話だ.気象や時間の文章でit などという形式上の主語を置くのも,全く主語の不必要な文章に対して強引に主語をひねり出さねばならぬ不合理な文法の言葉がもたらした苦肉の策にほかならない.「形式上のit」はイギリス語があげている悲鳴なのだ. [本田勝一「日本語の作文技法」(朝日文庫1982) p146]

995  Those banks constantly threatened to boycot the (ratings) agencies, if they failed to produce the wished-for ratings, jeopardizing the sizable fees that agencies earned from the banks for their services. From time to time, the ratings agencies took a stand, to show they couldn’t always be pushed around, but they were careful not to offend the banks too deeply. When a agency gave a rating to a CDO, it sometimes commanded a fee of $100,000 per shot, or even several times that level. Moreover, the business was growing fast—so fast, in fact, that by 2005 Moody’s was drowning almost half of its revenues from the structured finance sector; two decades before, that proportion had been modest. [G. Tett, Fool’s Gold how the bold dream of a small tribe at J. P. Morgan was corrupted by Wall Street Greed and unleashed a catastrophe (Free Press, New York, NY, 2009) p101]

996  “It’s not the government’s job to bail out speculators or those who made the decision to buy a home they knew they could never afford.... America’s overall economy will remain strong enough to weather any turbulence.” With that, Bush paused for breadth. Then, a report yelled out: “Sir, what about the hedge funds and banks that are overexposed on the subprime market? That’s a bigger problem! Have you got a plan?” 

 Bush blinked vaguely. “Thank you!” he said, and then he and Paulson turned to leave. [G. Tett, Fool’s Gold how the bold dream of a small tribe at J. P. Morgan was corrupted by Wall Street Greed and unleashed a catastrophe (Free Press, New York, NY, 2009) p194 Aug 31, 2008 in the Rose Garden]

997  Most of the former J. P. Morgan team considered pointing the finger at derivatives utterly unfair. “This crisis has nothing to do with innovation. It is about excesses in banking,” Winters observed. “Every four to fie years there is a new excess in banking—you had the Asian crisis, the the internet bubble. The problem this time is extraordinary excess in the housing market.” [G. Tett, Fool’s Gold how the bold dream of a small tribe at J. P. Morgan was corrupted by Wall Street Greed and unleashed a catastrophe (Free Press, New York, NY, 2009) p212]

998  These days, though, I realize that the finance world’s lack of interest in wider social matters cuts to the very heart of what has gone wrong. [G. Tett, Fool’s Gold how the bold dream of a small tribe at J. P. Morgan was corrupted by Wall Street Greed and unleashed a catastrophe (Free Press, New York, NY, 2009) p252]

999  Once I started writing this book, on 1 January 2009, I stopped reading the newspapers on a daily basis to avoid filling up my mind with ‘noise’. Any coherence my argument may have stems from this act of self-denial. [R. Skidelsky, Keynes, the return of the master (Public Affairs, New York, 2009) p xi]

3000  I think that people engaged in research in mathematics today are doing so the same way it was done 200 years ago. This is partly because we don’t choose mathematics as our profession, but rather it chooses us. And it chooses a certain type of person. of which there are no more than several thousand in each generation, worldwide. And they all carry the stamp of those sorts of people mathematics has chosen [Yuri Manin in M Gelfand, “We do not choose mathematics as our profession, it chooses us: interview with Yuri Manin,” NAMS  56 , 1268 (2009).]

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