証 IV 1-100
塩野七生「ローマ人の物語」, 「岩佐美代子の眼」, 川合康三「白楽天」 ,金谷治「淮南子の思想」, 斎藤美奈子「紅一点論」, 松元祟「高橋是清暗殺後の日本」
1 The examples in this section are just a few illustrations of how mathematics is enriched by nonrigorous arguments. Such arguments allow one to penetrate much further into the mathematical unknown, opening up whole area of research into phenomena that would otherwise have gone unnoticed. Given this, one might wonder whether rigor is important: if the results established by nonrigorous arguments are clearly true, then is that not good enough? As it happens, there are examples of statements that were “established” by non rigorous methods and later shown to be false, but the most important reason for caring about rigor is that the understanding one gains from a rigorous proof is frequently deeper than the understanding provided by a nonrigorous one. The best way to describe the situation is perhaps to say that the two styles of argument have profoundly benefited each other and will undoubtedly continue to do so. [The Princeton Companion to Mathematics, edited by T. Gowers et al., (Princeton UP 2009), p71]
2 芸術家というのはおしゃべりなのだ.だが,それは,自分の思うことを他者に伝えたいという欲求が強いからで,それがなかったら,深山幽谷で一人芸をみがいていればよいのである.黒澤先生も フェリーニも,異口同音に言ったものである.
黒澤「客が入らないようになったら,ボクは映画を作らない.」
フェリーニ「自分がやりたいことをやりたいように作るのは,少しもむずかしいことではない.むずかしいのはやりたいことをやりたいように作りながら,それをコマーシャル・ベースに乗せることだ.」
私も,この二人の言葉を座右の銘としている.スピルバーグ作品ほどの大ヒットである必要はないのだ.しかし,だれも見に来ない作品を作って,見に来ないのは観客の程度が悪いのだとうそぶくのは,ただ単に傲慢で馬鹿なだけだと思う. [塩野七生「人びとのかたち」(新潮文庫, 1995) p258-9]
3 “Faith is about doing. You are how you act, not just how you believe.” [M. Albom, Have little faith (Hyperion, 2009) p44 [Reverend Albert Lewis] ]
4 “Remember, the only difference between ‘marital’ and ‘martial’ is where to put the ‘i.”’ [M. Albom, Have little faith (Hyperion, 2009) p144 [Reverend Albert Lewis] ]
5 “Like Sarah says, twenty good minutes here, forty good minutes there, it adds up to something beautiful. The trick is when things aren’t so great, you don’t junk the whole thing. It’s okay to have an argument. It’s okay that the other one nudges you a little, bothers you a little. It’s part of being close to someone” [M. Albom, Have little faith (Hyperion, 2009) p144 [Reverend Albert Lewis] ]
6 “Look. I know what I believe. It’s in my soul. But I constantly tell our people: you should be convinced of the authenticity of what you have, but you must also be humble enough to say that we don’t know everything. And since we don’t know everything, we must accept that another person may believe something else.” [M. Albom, Have little faith (Hyperion, 2009) p161 [Reverend Albert Lewis] ]
7 権力とは(ママ) ,それを持つ者を堕落させるが,持たない者も堕落させるという性質を持つ[塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力() 35 p112]
8 殷で占いに使われた甲骨は,薄く削った後に,さらに裏側に「鑚鑿」と呼ばれる窪みが掘られている.—中略—
従来は,鑚と鑿の両方とも占いに必要であると考えられていた.しかし,筆者の実験の結果,ひび割れを発生させるだけであれば両方とも不要であることが明らかになった.
骨は厚すぎるとひび割れが発生しにくいので,厚さ4 ミリメートル程度にまで削る必要があるが,ちょうどその厚さにするのは難しい.そこで,それよりも厚くなった場合に,熱を加える部分にだけ窪みを掘り,厚みを調整したものが鑚(実際に,殷で占いに使われた甲骨には鑚がないものが多くある).
鑿については,結果を言えば,ひび割れの形をコントロールする加工であった.鑿を作らずに熱を加えると,不規則なひび割れが発生することが多い.この場合にはひび割れの形は予測不可能であるから,これが本来の占いの形態だったことになる.しかし,鑿を作ることで,鑿にそって縦方向のひび割れが発生し,同時に熱を加えた部分から鑿に向けて横方向のひび割れが発生するので,結果として「卜」字形のひび割れになる.殷で使われた甲骨の大部分に鑿が掘られており,ひび割れの形も多くが「卜」字形になっている.
このように,殷王朝でおこなわれた甲骨占卜は,あらかじめ甲骨に細工をすることで,ひび割れの形をコントロールし,結果を吉にすることができたのである.[落合淳思「古代中国の虚像と実像」(講談社現代新書2018, 200910 月) p31-3]
9 近づいて(コンスタンティヌスのを) よく見れば,次のことにも想いを馳せるようになるのではないだろうか.それは二世紀の五賢帝時代の浮き彫りと四世紀のものとの間を厳然と画す,造形する能力の明らかな差である.五賢帝時代のものがギリシア彫刻に似ているのに対し,四世紀の浮き彫りは,ローマ帝国滅亡後に訪れる中世のものにずっとよく似ている.後者を一言で評すれば,稚拙,であろう.時代は進んでいるのに,なぜ造形の能力は退化するのか.
この種の「力量(virtus)」もまた,国力に影響されないでは済まないからではないかと思う.[塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力(中) p116]
10 コンスタンティヌスの行ったことは,ローマ的なる「特質」を完全に葬り去ったことであった.この意味ならば,これ以上ローマ史を叙述するのは意味をもたなくなる.
しかし,ローマ社会がローマ的でなくなる一方になった時代でも,ローマ人は,つまりローマ的なる「特質」を良しとする人々は存在したのである.それに私の書いているのは,ローマの歴史ではなく,ローマ人の歴史である.ゆえに,この意味のローマ人がいるかぎり.私には書きつづける理由はある. [塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力(下) p12]
11 この「ミラノ勅令」は,一読するだけでも明らかなように,これを発布した二人の皇帝の一人であるコンスタンティヌスの,キリスト教への改宗の表明ではまったくない.また,この勅令によってキリスト教が,他の宗教に比べて優遇されるようになったわけでもなかった,ローマ帝国に住む人のすべてに完全な信教の自由を認め,そのことを公にした勅令であったのだ.
しかし,それでもなお「ミラノ勅令」が,歴史を画する重大な史実とされる理由は充分にある.それは,ローマ人が一千年にもわたって持ちつづけてきた宗教に対する伝統的な概念を,期限313 年のこの勅令は断ち切ったからである.
それまでのローマは,ローマという「共同体」(Res Publica) に属する住民に対し,個人個人の信ずる神が何であれ,「レス.プブリカ」全体の守護神とされてきたローマ伝統の神々に対しては,相応の敬意をもって対するように求めてきたのである.—中略—
それが,「ミラノ勅令」では,もはやその必要はない,ということになったのだ. [塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力(中) p132-3]
12 「ミラノ勅令」で公認された信教の自由が,なぜ一千四百年も過ぎた啓蒙主義の時代になって,再び声を大にして主張されねばならなかったのか.
答えは簡単だ.その間の長い歳月,守られてこなかったからである.
しかも,信教の自由が守られなくなってしまう社会に至る道は,他ならぬコンスタンティヌスが切り開いていくことになるのである.[塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力(中) p135]
13 四世紀のローマ帝国では,コンスタンティヌスによる金本位制への移行は経済的にも社会的にも深く大きな弊害をもたらすことになる.それは,強い通貨としての金貨の価値の確立には成功しても,金貨以外の銀貨や銅貨は,言ってみれば「変動制」で放置されたからである.—中略—貧しくなる一方であったのが,国家公務員ではなかった人々である.将兵でもなく,官僚でもなく,また軍需品以外のものを生産している業者や一般の民間人が,これら恵まれない層を形成するようになった.この人々はいかに働こうと,手にする銀貨や銅貨の価値は減少する一方であったからだ..[塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力(下) p50-1]
14 現実世界における,つまり俗界における,統治ないし支配の権利を君主に与えるのが「人間」ではなく「神」である,とする考え方の有効性に気づいたことは,コンスタンティヌスの驚嘆すべき政治センスの冴えであった.[塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力(下) p122]
15 ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスの二人の皇帝によって,ローマ帝国は再生したとする研究者は多い.だがこの二人は,ローマ帝国を全く別の帝国に変えることによって,ローマ帝国を起たせておくことには成功したのである.もしもこの二人がいなかったならば,帝国の終末は早くも三世紀末には訪れていたかもしれない.
しかし,帝国をひとまずにしても起たせておけた歳月は,百年足らずにすぎないのである.それもその百年が,五賢帝時代の百年のような百年であるならば,,多大な代償を払う価値はあったかもしれない.—中略—
だが,これ以後の百年は,そのようにはならなかった.「パックス・ロマーナ」は戻ってこなかったのである.ゆえに,「これほどまでして,ローマ帝国は生きのびねばならなかったのか」とは,ローマの誕生から死ぬまでの歴史を学び知る人の多くの胸中に,自然にわき上がってくる想いでもあるのである.しかも,その後に訪れる中世が,どのような時代になったかを知ればなおのこと. [塩野七生「ローマ人の物語」最後の努力(下) p136-7]
16 平家軍が水鳥に驚いて逃げたというのは確実な史料に見えるから(『山槐集』11月6日条),史実と考えてよい.が,どうやらそれは,忠度らの部隊が京都にもたらした情報で.自らの敗走を弁解するため,主力がふがいなく潰走したことを強調する必要があったからと考えられており,寄合所帯ゆえの誇張された内情暴露と考えるべきである.[高橋昌明『平家の群像」(岩浪新書12123, 2009) p114]
17 時忠は『千載集』では実名で載っている.彼のような平家政権の中枢に位置した人物が実名で入集しているのは,宮廷社会で武家平家と公家平家が画然と区別されていたのを,そのような形で証明しているといえよう. [高橋昌明『平家の群像」(岩浪新書12123, 2009) p149]
18
審議会などの存在も、役人の筋書きを権威付けるために利用されているだけだ、という指摘もあります。
高橋: その通りです。まず人選。学者については著書を読めばどういう立場かすぐ分かるので、例えば賛成派9 割、反対派1 割という具合にまとめます。反対派を増やさざるを得ない状況もありますが、やり方はあります。反対派の人の都合の悪い日に会合を設定する、などはよく使う手です。タイムスケジュールも結論も最初から決まっています。「5 月の連休明けに結論を出すから逆算して」と段取りをつけます。誰が何を言いそうかは、データベース化しています。私も少し関わっていましたが。色分けが済んでいて、誰を選べばいいか、誰を避けるべきか瞬時に分かります。審議会のメンバーになると、海外出張の予算が付きやすいなどの「特典」もあります。で、その際財務省の役人も「おもてなし」のため付いていきます。私もやったことがありますが、外務省に任せるなんてとんでもない、財務省が入管から完全に自前でアテンドをやります。入管は待たずにすっと通れます。担当の役人が直接話をつける訳ではないのですが、航空会社への出資・融資関係にちょちょいと声をかければ、簡単にファーストクラスなどのアップグレードチケットが入手できます。当日になって学者に「何故だか知りませんがファーストクラスに変わってました」などと言って勧めれば、大喜び、大感激で乗っていきます。まあ、感激しそうなタイプの学者を選んでる、というのもありますが。これを重ねると役所に好意的になっていきますね。[記者や学者の操縦は簡単 財務省に蓄積されたノウハウ(元財務官僚 高橋洋一さんにきく<中>)ICast news http://www.j-cast.com/2010/01/02056735.html Jan, 6, 2010]
19 勧学院を首席で了えた俊憲の望みは,能吏としてその名を輝かせることだった.父信西の望みも同じだった.自身の上に起こりえなかったそのことを,我が子の上に実現させる—それが信西の望みだった.それが可能となるように,人の世の仕組みを—これこそが信西の「野望」だった.
信西には,あらゆる者と同様に,欲もあった.私心もあった.ただそれが,人の目には「私心」と映らず,「欲」と解されなかっただけのことである.
信西はその「欲」を「理想」と解していた.[橋本治「双調平家物語」9 平治の巻I (承前) p152-3]
20 「共和」とは,召公・周公が共和政治をしたのではなく,『竹書紀年』が言うように,大貴族である共伯和(伯龢) によって,一時的に王位が乗っ取られた時代だったのである.[落合淳思「古代中国の虚像と実像」(講談社現代新書 2018, 2009 10月) p53]]
21 人類の政治的問題は次の三つの要素を結合することである—つまり経済的効率性と社会的公正と個人的自由,この三つである.第一の経済的効率性は批判的精神と警戒心と技術的知識を必要とする.第二の社会的公正には,普通の人間を愛するような,利己的でない情熱的な精神が必要である,第三の個人的自由は多様性と独立性という美点にたいして寛容で鷹揚な正しい理解を必要とし,何よりもまず例外的な人や,高い望みを抱いている人に,妨げられることのない機会を与える道を選ぶものである.[J M Keynes, The collected writing of John Maynard Keynes vol IX p311. (Feb, 1926)]
22
論理と屁理屈 自分の主張が「論理」。他人の主張が「屁理屈」。
理由と言いわけ 聞かれなければ言わないことが「理由」。聞かれていないのに言わないと気が済まないのが「言いわけ」。
努力と才能 才能のない人が信じるのが「努力」。努力できない人が信じるのが「才能」。
理由 「オレは努力でここまで来たのだ!」と言っているのは「運のいい人」。「オレは運が悪かっただけだ」と言っているのは「努力していない人」。
23 月も星もない闇夜の海.そこで自発的に緑色に光るクラゲ.その光のもとが一体なんであるのか.彼は単にそれを知りたかったのだ.クラゲを集め,分析に分析を繰り返した.そして光のもとを突き止めた.たまたま数十年後,この研究が予想もつかない形で有用性を発揮したわけだが,それはわらしべ長者のようなものである.[福岡伸一「スモール・サイエンスに託す日本の未来」中央公論2009/12, p31]
24 中国の伝統的数学は基本的には金や南宋,それから元の時代まで,特に代数学,つまり方程式をどうやって立て,数値的に解くかということに関しては当時世界では一番進んでいた(: 天元術) のですが,それが明の時代になると全部忘れ去られてしまう.[上野健而 + 黒川信重「数学者達の到達点, 和算から現代数学まで」現代思想 2009/12 p68 上野の発言]
25 幸せ度が低い人は,現状を変えていこうという思いからか,政治に「非常に興味がある」人が多かった.だが,実際に昨年8月の総選挙に行ったのは,幸せな人の方が多かった.[木村恵子「生き方の政権交代実現したのか」AERA 2010.1.18 p33]
26 一期一会という言葉は私にとって風景に対するとき,さまざまに痛感させられる.もう一度訪ねようと考えても,ぐっと歯をくいしばるようにして諦める場合が多い.いつまでも珍重凍結しておきたい風景はむしろ心の底にある.空,雲のいろ,陽と曇りの度合いなど.[向井潤吉「米寿記念向井潤吉展」朝日新聞社 1990, 77 八ヶ岳快晴]
27 「慣性の法則」という新「原理」の導入とその原理の前提を乱す原因の探求として力学は法則化される.ここでの大きな特徴は「眼前の現実」にない「原理」の導入という現実の構造化によってはじめて「原因」としての力が発生することである.—中略—「現実」をこの「原理」で構造化すると新たな「原因」探しがはじまり,そこに新たな価値観が発生するのである.現実のみを素直に受容していたのでは生じない知的ダイナミズムが生まれ,社会のイノベーションが進行するのである.構造化こそ知的イノベーションの動因である.[佐藤文隆「ガリレオとイノベーション」現代思想 2009/9 青土社 p58-8]
28 江戸時代のドラマで恋に積極的になるのは、もちろん「モテない男」である.モテないから、積極的にならざるをえない.こういう男のためのスマートな様式というのはないので,モテない男が恋に積極的になると,ただ「いやらしい!」と女に拒絶される.だから,好かれてもいないのに恋に積極的になる男達は,安っぽい敵役にしかなれない.そういうものなのだから仕方がない.[橋本治「草食系の虎(タイガー) について」中央公論 2010/2, p29]
29 グローバル社会においては,英語が話せなくてはならないと言われる.そして小学校から英語の授業が導入された.しかし,英語を話せるようになって,本当に英語で言うべきことはあるのかということについて教育関係者は本当に突き詰めて考えたのだろうか.言うべきこともないのに言葉だけ覚えても仕方がない.逆に言うべきことがある人は、自分で勝手に覚えて勝手に発言する.十数年も教室で机を並べて勉強する必要などない.[養老孟司「東大よ世間に背を向けよ」中央公論 2010/2, p37]
30 Steve frequently argues that it was OK to be wrong for the right reason or right for the wrong reason [W D Allmon, “The Structure of Gould,” in Stephen Jay Gould, reflections on his view of life (Oxford 2009) edited by W D Allmon, P H Kelley & R M Ross, p62]
31 In an important, little appreciated and utterly tragic principle regulating the structure of nearly all complex systems, building up must be accomplished step by tiny step, whereas destruction need occupy but an instant. In previous essays on the nature of change, I have called this phenomenon the Great Asymmetry (with uppercase letters to emphasize the sad generality). Ten thousand acts of kindness done by thousands of people, and slowly building trust and harmony over many years, can be undone by one destructive act of a skilled and committed psychopath. Thus, even if the effects of kindness and evil balance out in the course of history, the Great Asymmetry guarantees that the numbers of kind and evil people could hardly differ more, for thousands of good souls overwhelm each perpetrator of darkness.
I stress this greatly underappreciated point because our error in equating a balance of effects with equality in numbers could lead us to despair about human possibilities, especially at this moment of mourning and questioning; whereas, in reality, the decent multitudes, performing their 10,000 acts of kindness, vastly outnumber the very few depraved people in our midst. And thus, we have every reason to maintain our faith in human kindness and our hopes for the triumph of human potential, if only we can learn to harness this wellspring of unstinting goodness in nearly all of us. [S J Gould: An ode to human decency; Bless the good people of Halifax, writes pre-eminent; American scientist STEPHEN JAY GOULD, one of 9,000 travelers forced to land in Nova Scotia during the terrorist strikes. The Globe and Mail (Canada), September 20, 2001 Thursday]
32 「話せば分かる」というのは民主主義の理想ではあっても、それのみで成功したことはほとんどありません.」—中略—したがって改革をやろうとすれば、結局は力で突破するしかないということになる.そのことをだれよりも分かっていたのがスッラであり,カエサルであった.[塩野七生「ローマから日本が見える」(集英社文庫, 2008) p346]
33 新しい時代を作ることになるほどの大改革は,だれにでも理解されるものではない,その意味で改革者とは孤独であり、孤独であるがゆえに支持者を必要としているのです.アウグストゥスが演技をしてでも元老院を味方につけようとしたのも、まさにそのためでした. [塩野七生「ローマから日本が見える」(集英社文庫, 2008) p349]
34 本来のリーダーとは、われわれ普通の人々,つまり大衆とはまったく違った資質を持った存在であって,また,そうでなければ時代を変えたりすることはできない.私はそう思います. [塩野七生「ローマから日本が見える」(集英社文庫, 2008) 特別付録英雄たちの通信簿p363]
35 やっと話がわかる年になって,始めは『三字経』.三字ずつ対句になった,中国の子供のための教訓書,歴史書(宋,王伯厚著) です.漢文の初歩なんですね.「人之初,性本善.性相近,習相遠」.本当の素読です.だだもう読むだけ.字を引っ繰り返して読む所は,こうして,指しながら読むんですね.指で指しながら,それが昔からの素読のやり方です.大きな声で読む.
ちっちゃな時はね,上の人がそういうふうにやっているのを見てるとね,羨ましいわけです.「あたしも早く大きくなって,ああいうこと早くやりたいな」って.だから全然,疑いもなく教わって.それが済むと『論語』になって.[「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院,2010) p12-3.]
36 夕食後の何時間かくらいを,テレビは無し,ラジオだって,そんなしょっちゅう聴くわけでもないでしょ.だから教育というより,それはもう当たり前の事になってて,楽しみでもあるし,ああそうだ,それから馬琴が好きでしたから,『弓張月』とか,『八犬伝』とか,読んでくれる.それで難しい言葉でも何でも,いちいちそんなに説明しやしないんですよ.こちらも別に聞きもしないで,自然に難しい言葉を覚えました. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p14-5.]
37 変体仮名なんか読めなくっても,飛ばして先を読むと,続き具合で,これは「は」の字だとか.わかるでしょ.そういうことで,変体仮名を覚えました.
そのほかの事にしても,細かく教わらなくても,小さい時から知った振りして,読んだり聞いたりしてる.そのうち,わかってくる.そういう読み方しましたから,わかんないものでも平気.わかんなければ,わかんないでもいい.そのうち,わかってくる.その調子だから,何でも読めました.手当たり次第. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p38.]
38 (三島由紀夫事件) 私としてはとても嫌でしたね.三島は私より一つ上,悪くすれば健ちゃんみたいに少年兵に取られたかもしれないけれど,そうじゃなくて,エリートの青年将校として戦争で手柄を立てたかったのに,遅れて来てそうは行かなかったんでしょう.それが残念で.ひと様巻きこんで戦争ごっこするなんて.
学習院っていっても,あの時代,男子の学習院では皇族さんは大体中途から軍の学校に行っておしまいになるから,たぶん女子学習院の我々よりは,観念的にしか天皇なり皇室なりを知っておられなかったと思いますね.それで,天皇制賛美,憂国の志士みたいのを気取られては,むしろひいきの引倒しで,天皇様にも我々にも至極迷惑だと思いました. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p70-1.]
39 名前だけを曖昧な,綺麗なようなのにすることがいいことでは,ないんですね.はっきり意味のわかる言葉を使うべきですね.「認知症」とか言ったってわからないじゃないですか,「統合失調症」だってね.「分裂病」と言ったって「惚け老人」と言ったって,堂々とそういう事を,言える時代にならなくちゃいけないんです.「結核」だって,前は言えなかったでしょ.「肺浸潤」とか,「気管支カタル」とか,ごまかしていた.それが結核も治るという事になって,初めて結核と言えるようになったの.癌だってそうでしょ.だから,名前でごまかしていては,いけないんですね. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p79.]
40 『竹むきが記』なんて,そのころはもちろん,今でもあんまりだれも知らないでしょ.そういうものもご存じなら.一方で芭蕉の研究も,やっていらっしゃるのね.昔の方は,そういうもんなの.全部やりながら,すました顔して「自分はここの研究」という風にしてらっしゃるのね.今の人みたいに,専門の事はすごく詳しいけど,ちょっとそれを離れたら古今集も源氏もろくに読んでないっていうのとは違うのよ.[「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p91.]
41 他に出す雑誌ないんですもの,私は.出身校ないでしょ.勤め先ないでしょ.だから,『国語国文』『国語と国文学』『和歌文学研究』に投稿してはOKが来るのを,どきどきしながら待っているだけなんです.ずっとそうだったんです.それこそ,鶴見大学に来るまで.だから,何時か,何か女性研究者の仕事について.調査が来たことがあるんですね.その項目の中に,「今まで論文に,レフェリーのあるのが幾つあるか」って.「レフェリーって何? 笛吹くの?」と,それくらい何も知らなかったのね.そしたら,審査があるかないかっていうことだって.それなら,私は全部審査がある.「審査がないのなんて,あるの?」というふうでしたよ.だから,鶴見大学に採っていただいて,何が嬉しいかって,『国文鶴見』と『鶴見大学紀要』と,毎年二本は,審査も何もなしに必ず論文が活字になるということ.こんな嬉しいことはなかった. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p93.]
42 洋服で育ってきたのに着物に変えた理由はね,一つには,まだ勉強初めてそんなにならない頃,宮内庁の書陵部で資料の展示があったのね.行きたかったけど,足を捻挫して,靴が履けなかったのね.だけど行きたいからと思って,着物着て,草履はいて行ったんです.そしたら橋本不美男先生が,毛虫が蝶々になったみたいな顔なさったのね.とっても面白かったの.「男の人って,こういうもんだな」と思ったのね.そういう文庫に行く時,全然こっちは肩書きも何もないわけでしょ.書陵部へは,何回も行ったからわかって下さるけど,他の所へ行って「本見せて下さい」と言う時に,「何者だろう?」と変な顔されるわけですよ.でも,着物着て行くと,まあ少しは人品がよく見えるんでしょうか,態度が違うということに気づいたのね. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p135.]
43 今度この本を読んで気の付いたことは,私がひそかに自分が考えついて述べたつもりになっていたことが,早くこの本にちゃんと出ていることである.—中略—
思えば,私は大学のころ,また大学を出て大学院に籍をおいていたころ,父の家にいて,始終国語の話を聞いていた.そういう時に知らず知らず頭に入れた考えを,ずっと後に,あたかも私が考え出したことのように錯覚して書いたものらしい.どうもこれには参った.
四十年のそのかみのことを思い起こし,茫然とした気持ちで,この本を読みおえた.[金田一春彦「金田一京助「日本語の変遷」まえがき(講談社学術文庫 1976) p3-4]
44 中等学校の生徒にとっては,口語ならば,日常りっぱに使って何の不自由もしてないのであるから,そこへ百ページくらいの口語文法を授けられても実は実用上には別にたしにはならないのである.それを課するのは,もはや,『正しく読み,誤りなく綴る』より以上のものでなければならない.すなわち植物学や動物学を教えるのと同様に,身の廻りの対象へ反省を加えて,漠然たる知識に組織を与え,精確な科学的な目を開けさすことでなければならぬ.
動物学をやったとてどじょう一匹巧みに捕らえるようになるのではない.植物学をやってダイコン一本よく作るようになったとも聞かない.それでよいのである.同様に口語文法をやったとてあの活用を教わって作文が上手になったとか,助詞・助動詞の二,三の例を見たので口がよくきけるようになったとも聞かない.それでよいのである.[金田一京助「日本語の変遷」第二規範文法から歴史文法へ(講談社学術文庫 1976) p81-2]
45 万葉の方は万葉.古今の方は古今.その後を研究しないでしょ.後の時代のいわゆる古注釈で,「これをどう解釈しているか」ということは,なさいますけどね.後の歌を見ない.後の歌を見てゆくと,古今集のこの歌を取ってる作品があるわけでしょ.それを見ると,取った時に,この人がこの歌をどういう意味に解釈したかが,わかるわけです.それは,古注釈よりもっと役に立つ. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き (笠間書院, 2010) 第十章若い方に伝えたいことp188-9.]
46 沢山読むこと.古いものから,新しいものまで.ジャンルを問わずね.まず,文学を好きでなきゃ.好きであって,若いうちに沢山読んで,覚えていること,絶対必要なのに,今それができてないと思うんです.だから早くどんどん読むこと.それから,わからないことを恐れないこと.今,何でも○と×で答えるから,わからなかったらいけないわけですね.だけど,そんなに昔からのものが,わかるわけないじゃないですか.夏目漱石だって,時代が変わって行くからわからないことがたくさんあるでしょ.それをいちいち細かく説明していたら,切りがないし,つまんなくなっちゃう.とにかく,わかんなくても何でも,無理やり読む腕力,それが必要なんです. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) 第十章若い方に伝えたいことp190-1.]
47 学界はやっぱり男の研究者が主ですから,女の視点で見ることがなかなか難しいし,そういう先生に教えられると,女でも男性視点の従来説が正しいかと思うようになるんですね.だから新しいことは,なかなか言いにくい.アカハラとは言いませんけれども,その辺のことは感じています. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) 第十章 若い方に伝えたいことp199.]
48 どなただって生きている以上,みんな苦労していらっしゃるはずなのに,私一人えらそうにこんな昔話するなんて,あつかましい限りですけど,まあこんな人生もあったと,笑ってお読み流し下さいね. [「岩佐美代子の眼」岩田ななつ聞き書き(笠間書院, 2010) p262.]
49 「この魚だが,この魚が,なぜ,わしの眼の前を通り,しかして,わしの餌とならねばならぬ因縁をもっているか,をつくづくと考えてみることは,いかにも哲仙にふさわしき振舞いじゃが,鯉を捕らえる前に,そんなことをくどくどと考えておった日には,獲物は逃げて行くばっかりじゃ.まずすばやく鯉を捕らえ,これにむしゃぶりついてから,それを考えても遅うはない.鯉は何故に鯉なりや,鯉と鮒との相違についての形而上学的考察,等々の,ばかばかしく高尚な問題にひっかかって,いつも鯉を捕らえそこなう男じゃろう,お前は.お前の物憂げな眼の光が,それをはっきり告げとるぞ.どうじゃ.」確かにそれに違いないと,悟浄は頭を垂れた.[中島敦「悟浄出世」4]
50 受験界の寵児として名が知られたことは.受験用文体以外の作品も読まれる契機となった.自分の詩がいかにもてはやされたか,白楽天は人から聞いた話,自分自身の体験.つぎつぎと書き連ねている.たとえば軍人の高霞寓という者が妓女を呼ぼうとしたところ,「私は白学士の『長恨歌』を暗誦できますから.」と花代をつり上げた妓女がいた.妓女の間にも『長恨歌』は拡がっていたのである.また元稹が通州(四川省達県) に着いた時,宿舎の壁に白楽天の詩が書き記されていたという.思いがけないところで友人の詩を見つけた元稹は驚き且つ喜んで白楽天に知らせてきた.都から遥か隔たった地にまでその作品は拡がっていたのだ.さらにまた白楽天が荊州(湖北省江陵県) に立ち寄った時,その地の妓女たちは彼を見るなり,「あの方が「秦中吟」「長恨歌」の作者よ」とささやきあっていた.長安から江西に至るまでの三,四千里の間,学校,寺院,旅館,船の中,至る所に白楽天の詩が書き付けてあり.士大夫から庶民,僧侶,寡婦.娘たちまでが口々に彼の詩を.[川合康三「白楽天」(岩波新書1228, 2010)p73-4]
51 明の胡震亨が引いている『豊年録』という書物は唐代のもので全体はのこっていないが,そこには開成年間(836-40) のこととして,魚や肉が白楽天の詩と交換に売買されていたという記録がある(『唐音葵籤』).[川合康三「白楽天」(岩波新書1228, 2010) p77]
52 因りて七言十七韻を賦して以て贈り,且つ遇う所の地を相見るの時を記して,他年の会話の張本と為さんと欲するなり.
今日の出会いの場所,問を記録しておいて,いつか次に会った時の思い出話のタネにしよう—ここには再会の期の到来を信じる白楽天の前向きな態度がよくあらわれている.その別れに際してこれが最後かと嘆くのではなく,こんな機会がまたあるかも知れないと考えるのである.与えられた苦境に対して.悲観に沈む情感をうたうよりも,現実をしなやかに受け止めながら希望に向かうのが白楽天の心性であった. [川合康三「白楽天」(岩波新書1228, 2010) p161-2]
54 始皇帝の統治はわずかの間のことで,そのあとにはまた楚の項羽と漢の高祖劉邦とが争ういわゆる楚漢の戦乱がつづいて、政治的にも社会的にもふたたび戦国時代のすがたが復活した.諸子百家の思想がまた活潑に頭をもちあげただろうことは容易に想像できる.近年の文献学的な研究によって,いわゆる諸子の書物で、秦漢の際,あるいは漢代の作とされるものの多いことは、それを裏づけるものであろう.そして,そういう伝統が『淮南子』に集合されたのであるが,それにはまた政治的な理由もあった.
—中略—
中央からの圧迫は厳しく,ついに淮南の国は亡ぼされるのであるが,それこそ戦国的な自由思想の完全な滅亡を意味するものであった.『淮南子』の多様な内容は,戦国の諸子の伝統をうける当時のさまざまな思想のすがたを示すものとして貴重である.[金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p12-3]
55 『淮南子』がわれわれに訴える最高の哲学,それこそがこの道と事とを合一する統一のばである.形而上の道と形而下の事とは相即的な関係にある.事は多様で変化するが、そのさまざまな現象を貫く道は、その現象を成り立たせる根本の道理として唯一絶対である.現象のことだけをみるのでは,その対立や変化のすがたにひきずられて,おちついたゆとりのある人生,魂を遠くに遊ばせる自由の境地はない.しかしまた,形而上的な道のことばかりをみていても,この転変のはげしい禍福のままならない現実の人生を送ることはできない.道と事とが、ここに合わせて重視されねばならない,という. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p19]
56 研究者には、この小著を足がかりとして、さらに深い研究にすすんでいただくよう、一般の読者には,これによって『淮南子』という古典の価値を十分に知っていただくよう、それが筆者のねがいである. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p21]
57 道を言いて事を言わざれば世と与に浮沈するなく,事を言いて道を言わざれば化と与に游息するなし.故に二十篇を著わせり.言道而不言事,則無以與世浮;言事而不言道,則無以與化遊息。故著二十篇[淮南子,要略1]
58 中国哲学では,形而上の問題をそれ自体としてきり離して追求することにはあまり熱意を示さなかったが,しかし,形而下の現実との結びつきにおいては,たえず考察を続けてきたのである.
そのような在り方は,もとより純粋な形而上学とはいえないであろう.そしてまた,中国哲学のいわゆる哲学としてのまずしさを示すものでもあろう.けれども,絶対的な形而上的理法ないしは存在が,この現実世界を超えた,彼方の別の世界にあるのではなくて,この現実のなかに現実と相即してあるとみるのは,やはり深い一つの叡智である.「即身成仏」(湛然『法華文句記』) の語を生んだ仏教の中国的展開の事実をも想わねばならない.「道なるものは須臾も離るべからず.離るべきものは道にあらざるなり」とは『中庸』のことばである.
「道はいずくに往くとして存せざらん」,この現実のどこにでもあるというのは『荘子』のことばである.[金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p118-9]
59 「学を為むる所以は固よりこれを不言に致さんと欲するのみ」,不言の境地こそがめざす所である.
「今これを道と謂わんとすれば多く,物と謂わんとすれば少なく,術と謂わんとすれば博く,事と謂わんとすれば浅し.これを推して以て論ずれば言うべきものなし」,道とも事とも何ともいい表しようのないことばを超えた境地,そこへ導くことが学問の目的であり,またこの書のめざすところだ,という.だからこそ,「誠に二十篇の論を通じ」,この書をマスターしたならば,自然界人事界に通達してひろびろとした心境に遊ぶことができるともいう.
要略篇の作者が意図した統一のすがたは,ここにはっきりした.それは荘子的な逍遙遊の世界であり,斉物の世界である.要略篇のなかには「老荘」ということばがみえるが,漢の初めには「黄老」というよびかたが一般的なもので,老子と荘子とを並べたよびかたは恐らくこれが最初であろうと思う. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p120-1]
60 事と道という概念で,老荘的な統一のばをうち出そうとしたのも,おそらくは,儒教の側での統一理論,公羊学の大統一主義を生むような機運に動かされたものと考えてよかろう.建国以来七十年をへて漢帝国の基礎も固まり,ここに大統一の世界国家の理論が一般に強く要請されていたわけで,恐らくは,さまざまな立場からする統一理論の試みがあったであろう.そして,要略篇もまた,そうした試みの一つとして,道家的な立場から提出されたものであったろう.
多様なものを多様なままに,それぞれの個性を平等に尊重しながら,しかもその多様さをただ一つのもののあらわれとして絶対的な道によって統一づける.その道はいい表すことのできない形而上的な「不言」の域にあり,その道を身につけた人は,宇宙人生の真相を洞察して「逍遙の遊び」に入ることができる.淮南王の書はそれをめざしたものだ,というのが要略篇の論理である.そして,この論理は,『淮南子』の全篇を貫く基礎的な思想を巧みにとらえたものであった. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p130-1]
61 今日の『荘子』のテクストが淮南王の食客たちの手を経てできあがったことは,ほぼ確実であるが,もしそうなら,さらに,『荘子』のなかの老子的な文章はあるいはここで成立したものではないか,という想像も成り立つ.『老子』と『荘子』とを並べてあげて重視し,「老荘」ということばを使うのは,『淮南子』から初まることで,それ以前の文献として確実なものには両者を近親なものとして説いた例がなく,事実,漢初の思想界からみても,そのことがなっとくできるからである. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p142]
62 古代神話の資料はきわめて乏しいが,その乏しいなかの貴重な書物は,この『淮南子』のほかでは,『山海経』と『楚辞』の天問篇である.そして,成立事情のはっきりしない『山海経』はともかくとして『楚辞』と『淮南子」とがふるさとをひとしくするというのは,はなはだ興味深いことである. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p152]
63 荘子の思想を重視して,それを『老子』と結びつけて総合的にとらえるのは,恐らくこの『淮南子』からはじまる新しい立場であった. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p238]
64 この『淮南子』の思想の総合的性格を老荘的世界とよぶのもゆるされてよいであろう.魏晋のそれが,仏教思想とのかかわりを深めていくことを考慮に入れるなら,むしろこの『淮南子」こそ純粋な老荘的世界だといえるかもしれない. [金谷治「淮南子の思想」(講談社学芸文庫1014, 1991) p244]
66 So around 1960, Bourbaki had won, in main part due to the efforts of Cartan, helped by the political know-how of Schwartz. There followed the dubious episode of the so-called “modern math”, or the failed attempt to use Bourbaki as a textbook for kindergarten! The fiercest proponents were ultra-zealous disciples of Bourbaki, not of the same mathematical caliber, helped by an attraction toward abstractness, an integral part of the then prevalent fashions (in art and elsewhere). [P. Cartier in “Cartan as a Teacher” Notices Am Math Soc 57 961 (2010).]
67 これからこの本で述べたいことは,すぐれた文学作品としての,この作品に対する一つの読み方,一つの理解のしかたである.[日下翠「金瓶梅天下第一の奇書」(中公新書1312 (1996)) pv]
68 2000 年にムーディーズが上場した頃から、格付会社の収益追求に拍車がかかり、格付けの中立性や信頼性に対する配慮が疎かになった。社債の格付けが1 件当たり500 万円程度の固定料金制なのに対し、CDO のような証券化商品の格付けは、発行額に対して0.5 ベーシスポイント(0.005 パーセント)から10 ベーシスポイント(0.1 パーセント)の手数料を得ることができる。仮に発行額が5千億円で料率が3ベーシスポイントなら1 億5 千万円になる。ムーディーズが出している資料にも、「発行体の大部分は、ムーディーズに対して1500 ドルから250 万ドルの手数料を支払うことに同意している」と小さな文字で但し書きがしてある。しかも、企業の実需にもとづく社債発行は一社当たり精々年に1、2 回だが、証券化商品は投資家さえ見つければ何十件でも作り出すことができ、「やればやるほど儲かった」(当時の関係者)のである。
ムーディーズの格付け収入に占める証券化商品の比率は、1998 年には32 パーセント(1 億4300 万ドル)だったが、2007 年には48 パーセント(8 億8600 万ドル)に増加している。格付会社各社は、証券化商品格付け部門の人員を大幅に増やし、アレンジャー(投資銀行)や発行体からビジネスを獲得するため、競って高格付けを出すようになり、格付けの質に対する配慮が徐々に後退して行った。米国の大手メディアは、格付けの正確さより利益を優先する体質に疑問を呈した社員をムーディーズが退職に追い込んだり、証券化商品に高い格付けを与えた同社の幹部が特進したという話を報じている。[黒木亮「利益を優先する格付会社の体質」(「傾国の記号」格付社会の正体【4】)プレジデント2010 年8.16 号 http://president.jp.reuters.com/article/2010/09/26/F6423C50- C06B-11DF-B8F0-C0FE3E99CD51.php ]
69 取り調べのさいには,当事者の言い分をすべて聴取し,それを記録しておくこと.各自に供述させるにあたっては,嘘をついていることがわかっても,そのたびにいちいち詰問してはならない.供述がすべて終わって弁解がなければ,そこで初めて不審な点を詰問せよ.詰問されて返答につまり,何度も嘘をつき,言を左右にして罪を認めず,律の規定にてらして拷問に相当するならば,そこで初めて拷問せよ.ただし拷問した場合には,そのむね文書に明記しておかなければならない.[睡虎地秦簡「封診式」(訊獄・要旨) 籾山明「秦の始皇帝—多元世界の統一者」(白帝社, 1994) p185-6]
凡訊獄,必先盡聽其言而書之,各展其辭,雖知其訑,勿庸輒詰。其辭已盡書而毋解,乃以詰者詰之。詰之又盡聽書其解辭,又視它毋解者以復詰之。詰之極而數訑,更言不服,其律當笞掠者,乃笞掠。笞掠之必書曰:爰書:以某數更言,毋解辭,笞訊某。 [查看完整版本: 睡虎地秦墓竹簡·封診式 http://www.pkucn.com/chenyc/archiver/?tid-7545.html ]
70 いわゆる結果の平等と機会の平等で、よく機会の平等だけが必要で、結果の平等は必要ないという人がいますね。ぼくは大間違いだと思っています。重要なのは、結果の平等だと思う。もちろん、ある程度のね。 なぜかといえば、ぼくらは生まれてくる前、どういう人間に生まれてくるのか分からない。いうなれば、 ずっとサイコロを振っていくようなものです。 まず国はどこに生まれるか、日本か、アメリカか、とか。ぼくの場合だったら日本という目がでた。つぎに何県、東京、と。つぎに五体満足、つぎに頭のレベル、IQ は? あとは性格は? と振っていく。それでぽんと生まれてきた。 結果的に、わりと稼げるようになる人と、そうじゃない人って、はっきりいって偶然が大きく影響しているとぼくは思うんですね。そうすると、怖いから保険を掛けておくべきだとなりますよね。本来そういう不 安のあるイベントに参加するときには、ぼくらは保険を掛けるはずでしょう。けれども、生まれてもない状態で、保険の掛け金の払いようはないわけです。 こうした意味において、ぼくは再分配政策というのは、「出生や幼少期におけるいかんともしがたい偶然」というのに対する後払い保険なんだと考えています。[大切なのは「結果の平等」。だって人生は不平等だから。『経済は 損得で理解しろ!』の、飯田泰之・駒沢大学准教授に聞く(前) http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100924 ]
“With regards to so-called equal outcome and equal opportunity, there are people who say only equal opportunity is necessary and that equal outcome is not. I believe this is totally wrong. I believe what is important is equal outcome, within reason, of course.
Why? Because we do not know what kind of human beings we will be born as before our births. The process is akin to rolling the dice over and over again, as it were.
First, what will the country of birth be? Japan? America? Where? In my case, I rolled Japan. Next, what prefecture? It was Tokyo. Next, what disabilities would I have? And what level of intelligence and IQ? What about personality? So on and so forth, a dice roll for everything. And voila, I was born.
As a result, frankly, I believe that whether a person eventually becomes a big earner or not is greatly influenced by luck. That is a scary thought, so the sensible thing we ought to do would be to take out an insurance policy. When we participate in such risky ventures, we normally buy insurance. But when you have yet to even be born, there is no way to pay the premium.
In that sense, I think of the redistribution policy as a deferred insurance against the inevitable uncer- tainties surrounding our birth and infancy. What is important here is equality of outcome. Because life is not fair and equal.” (translated by Shoko Oono)
73 オリジナルな研究論文を書くのはまぁ博士課程の二年生ぐらいになってから,それまでは物理学をきちんと勉強すること,宇宙物理の広い分野をなんでも理解できないといけない.大学院在学中には異なる分野のテーマで 3 本ぐらいは論文を書くように」[林忠四郎の言, 中川義次「太陽系形成「京都モデル」の意議」日本物理学会誌 65, 790-1 (2010) に引用]
74 Apple は、Intel の 3 年前の CPU 技術である Core 2 Duo プロセッサーをのろまなスピードで動かしているにもかかわらず、MacBook Air のシステム性能を2倍にすることに成功した。 これは難解ではあるが驚きではない. Airは回転するディスクの代わりにフラッシュメモリを使っており、SSD 技術によって I/O に制約されるアプリケーションのデータ転送ボトルネックを劇的に短縮した。しかも、なんと,殆どの単純なコンピューター作業はメモリと I/O に制約されている。この事実によって、フラッシュベースの Air に、Apple の最上位製品である MacBook Pro シリーズと対等の動作を可能にしている。ただし、ビデオのレンダリングのように CPU 負荷の高い場面は別である。 つまり、まとめると、Apple は数年前の技術を使っていて、Air のシステム性能は飛躍的に向上した。これはまさしく、ある閾値を越えると、こんにちユーザーが気にかけることの 90%に関して、CPU の進歩から得られる恩恵はごくわずかしかないことの、驚くべき証拠にほかならない。[「iPad と MacBook を繋ぐ Apple のセクシーな戦略」 http://jp.techcrunch.com/archives/20101030the-sexy-details-of-how-the-ipad-and-macbook-air-will-hook-up/ ]
Apple was able to double the system performance of the MacBook Air, despite using the same 3 year-old CPU technology from IntelIntel Core 2 Duo processors running at pokey speeds. Though profound this isn’t surprising the Air uses flash instead of spinning disks, and SSD technology dramatically cuts data transfer bottlenecks for applications that are I/O (Input/Output) constrained. And guess what? Most simple computing tasks are memory and IO-constrained. This fact helps the flash-based Air operate on par with Apples high end MacBook Pro line, except under taxing CPU-intensive scenarios such as video rendering. So lets get this straight: Apple is using several year old technology, and the Airs system performance screams. This is nothing short of incredible proof that after a certain threshold, CPU advancements are only adding incremental benefit to 90% of what the user cares about today.
76 Long ago I asked Jane why she felt the way she did about animals, why she was adamant we should be kind to them. Her answer has always stayed with me: “We should be kind to animals, because it makes better humans of us all.” [M Smith, Foreword to “Jane Goodall 50 years at Gombe” (Stewart, Tabori & Chang, 2010)]
75 己の珠に非ざることを惧れるが故に. 敢て刻苦して磨こうともせず, 又, 己の珠なるべきを半ば信ずるが 故に, 碌々として瓦に伍するすることも出来なかった. [中島敦「山月記」]
77 To the memory of my amazing mother, Vanne, without whose wise guidance this research might never have happened; To Louis Leakey, for his belief in a young, untrained woman; to Rashidi Kikwale, who first introduced me to the forests of Gombe; to David Greybeard and Flo, who introduced me to the world of the wild chimpanzees; and to Rusty, who taught me that animals have personalities, minds, and feelings long before I met a chimpanzee. [Jane Goodall, “Jane Goodall 50 years at Gombe” (Stewart, Tabori & Chang, 2010)]
78 松林伯円は小猿七之助や鼠小僧などの講談を作った名人で,単なる芸人ではなく,立派な創作家だった.伯円が現代に生きていたら,大衆作家としても我れ我れなど足元にも及べなかったであろう.河竹黙阿弥が伯円の創作講談を脚色上演した芝居は残らず当たりを取って,現在でも歌舞伎はその恩恵をこうむっている.原作の尊重されなかった時代だから伯円の名はうずもれ,黙阿弥の名声のみ残ってしまったが.明石の島蔵と松島千太の島千鳥も,鼠小僧の春の新形も,みんな伯円の原作で,黙阿弥は脚色家に過ぎなかったのだ.[川口松太郎「紅梅振袖」]
79 男の子の国の番組名は,G 音・D 音・B 音を主軸にしていて強そうである.他方,女の子の国のそれは,M 音・R 音・S 音を中心に「かあいらしさ」を競っている.
というわけで,非常に幼いころから,日本の坊ちゃん嬢ちゃんは—中略—別々の道へと誘導されるわけである.[斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p19]
80 男の子の国はセクハラ天国である.男の子の国では,チームの女性隊員じたい,セクハラの対象にされるために雇われている,とさえ言えるほどである. [斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p24]
81 かかるヒロイン像を介してアニメの国が子どもたちに発してきたメッセージとは,どんなものだったろう.表層だけまとめると,こんなおもしろいことになるのだ.
テレビの前のお坊ちゃま方へ
きみが「男の国=戦場」で活躍するには,組織に属して私生活を義性にし,みんなで異質なものの排除に努めなければなりません.それが正義というものです.いざというときは武装=変身して,敵ととことん戦うのです.敵の中にはおそろしい大人の女もいます.彼女たちは妖術をつかうので,十分用心してください.でも大丈夫.科学技術はどんな問題も解決してくれますし,組織の中にはセクシーな女の子もいますから,息ぬきにセクハラもできますよ. [斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p61]
82 魔女じゃなく天使や聖女ならいいじゃないか,と思うのは愚かな考えである.「人間にあらざるもの」という点では魔女も聖女も同じなのだ.「すご腕の実務派ばばあ」(ナイチンゲール)「田舎出のガリ勉娘」(キュリー)「戦略的エンターテイナー」(ケラー) というのは仮に提出した代案としてのイメージ=ニックネームだが,そう言うことばで語ることもできる三者三様の人物が,一様に「魔法少女」や「紅の戦士」や「聖なる母」に平板化されてしまっていいはずはない.
そう,問題は「平板化」なのである.アニメの国と伝記の国,フィクションとノンフィクションの女性像が似てしまうのも,同じ方向を向いた平板化が原因である.ナイチンゲール伝が『ナウシカ』で,キュリー夫人伝が『セーラームーン』で,ヘレンケラー伝は『もののけ姫」に似ている理由の半分は,彼女たち自身の中にそういう資質があったからだ.だが,もう半分は,物語を受けとめる側にかかわっている. [斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p310]
82 伝記の国の女性の「偉人」は,出自や環境に恵まれていた人がほとんどである.家柄がよかったか,よい父親をもったか,どちらかのケースに当てはまるケースが多い.アジアの女性指導者たち,インディラ=ガンジーやアウン・サン・スー・チーなどの例を考えればわかるように,民主主義の発展段階において,女性が社会進出するには「父の娘」であることがもっとも手っ取り早い道なのだ.
彼女たちが,なべて「お姫様」で,社会に出てからは紅一点の「紅の戦士」であるのは,偶然ではない.社会制度の遅れた場所で出世した女性は,どうしてもそうなるのだ.アニメの国のヒロインは,したがって,わざわざ「遅れた制度」を追認した女性像なのだ,ということは覚えておいたほうがいい. [斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p311]
83 しかし,出自だけでは片づけられない問題もある.伝記のヒロインとアニメのヒロインが似てくるのは,「こうあってほしい女の理想像」「ありうべきヒロイン像」の鋳型が,社会の側にあらかじめ存在するからである.—中略—やり手のナイチンゲール像や社会性に乏しいキュリー夫人像や批判精神に満ちたヘレン・ケラー像が前面に出てきたら,彼女たちが伝記の国でいまのような地位を獲得できていたかどうかは疑わしい.[斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p311-3]
84 天使に聖女に母だというが,ナイチンゲール,マリー・キュリー,ヘレン・ケラーは,考えによっては,もっとも魔女に近い位置にいる人たちでもある.ヨーロッパの魔女裁判で処刑された「魔女」が薬草の知識と技術を持った女性科学者= 民間医療家たちであったことはよく知られている.その伝でゆけば,医療現場にいたナイチンゲールはまさしく「魔女」の正統な末裔である.マリー・キュリーのラジウム発見にいたるまでの行程を思い出そう.彼女は,まさに大鍋で,ピッチブレンドをどろどろに溶かしていたのだ.これは錬金術そのものであり,寒風の下で四年間も鍋に向かい続けたマリー・キュリーは「魔女」以外の何者でもない.ヘレン・ケラーのような盲目の女性は,もとより「魔女」の親戚である.彼女らが伝統的に担ってきた仕事が,巫女であり,瞽女であり,恐山のいたこであったのはなぜか考えてみればよい.看護婦,女性科学者,女性の障害者は,もともと「魔女」として排斥されてきた存在だったのである. [斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p313-4]
85 素材がいくらすばらしくても,伝える人の筆先ひとつで人の像などどうにでも変わる.ナイチンゲール伝,キュリー夫人伝,ヘレン・ケラー伝が示しているのは,まさにそのような事例なのである. [斎藤美奈子「紅一点論」(ちくま文庫2001) p315]
86 The highest fertility rate of any nation is a frightening 7.0 in desperately poor Afghanistan. But poverty is not the cause of Afghanistan’s high fertility. Under Islamic law women have no access to the pill. [R L Park, ``Superstition,’’ (Princeton UP, 2008) p212]
87 What science is learning about the laws that govern the universe gives us the power to
transform the world into the closest thing to paradise that any of us will ever see. This
knowledge did not come from sacred texts, or the revelation of prophets. Science is the only way of knowing—everything else is just superstition. [R L Park, ``Superstition,’’ (Princeton UP, 2008) p215]
88 それにしても日本は何故「悲劇」としか言いようのないあの戦争に突っ込んでしまったのであろうか.その要因には様々なものが考えられようが,大きな要因は日本の軍部が,その経済的意味を理解することもないままに国際社会の厳しい批判の的となるような行動をとったことであった.
—中略—
実は,2・26事件の起こった昭和11年は,高橋財政の下で活況を呈しており,その時点で戦争を望んでいた国民はほとんどいなかった.昭和11年7月には,日本の紀元2600年(昭和15年) に合わせてオリンピックを東京で開催することが決定された.昭和15年には万国博覧会開催が予定されており,全国で観光施設の整備が,東京ではデパートの新築・増設計画が本格化していた.NHK はオリンピックに合わせて,テレビの実用化に本格的に取り組みはじめていたのであった.
しかしながら,そのように好調だったわが国経済は,昭和十二年の廬溝橋事件勃発後,日中戦争が泥沼化するに従って行き詰まり,国民生活は困窮していった.生活の窮乏化は,英米のブロック経済が「持たざる国」であるわが国を追い込んだためだと受け止められ,今でもそう信じている向きが多いが,高橋是清らが暗殺されたとたんにわが国が「持たざる国」になってしまったわけではない.日中戦争が泥沼化する中で,経済合理性を理解しない軍部(関東軍) による河北分離工作などの無理な政策がわが国を国際的に孤立させ,経済全体をじり貧に追い込んでいったのである.そして,それを英米のブロック経済のせいと思い込まされた国民は.軍部の言うままに戦争への道を突き進んでいったのである.[松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p26-7]
89 井上準之助の暗殺に関して,ラモント総裁は,森賢吾元財務官に宛てた書簡において,「真の信頼しうる友人たちを失った」「日本にとっては賢明な助言者たちを失った」と述べた.テロによる要人の暗殺は,日本の国際的な信用をも大きく損なったのであった. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p30]
90 一般国民の意識を変え,明治憲法下の立憲政治にとどめを刺したのが,昭和12年7月に勃発した廬溝橋事件であった.同事件に際して起こった通州事件(7月29日) で中国保安隊の残虐行為が報じられると,世論やマスコミは「暴虐支那の膺懲」に大きく傾いていった,その状況の中で,それまで軍に批判的であった社会大衆党も軍部支持をうち出し,議会による軍部抑制の機能は急速に失われていった.
—中略—
それにしても廬溝橋事件が,その後の長年にわたる戦争につながっていくとは誰も予想していなかった.多くの国民は,すぐに片付くと思っていた.それが泥沼の日中戦争になっていく背景になったのが,第一次上海事変後に再び東洋の金融の中心になっていた上海を日本軍が再度攻撃した第二次上海事変であった. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p34-5]
91 蒋介石の長期持久戦の戦略に対して,日本軍は.広大な中国大陸や更にはビルマにまで戦線をのばして援蒋ルートの遮断を試みる無理な消耗戦に追い込まれた.援蒋ルートをたたく作戦は.昭和14年2月の海南島作戦,5月の南寧作戦,昭和15 年1 月の賓陽作戦と続けられたが,そのたびに援蒋ルートは変更されて効果をあげなかった.そのような消耗戦によって日本経済がジリ貧に追い込まれる中,南部仏印心中が招いた石油禁輸で追いつめられて,日本は米英との無謀な戦争に突入していった. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p49]
92 独ソ不可侵条約は,日独防共協定違反ともいえるもので,しかも日本軍がノモンハンでソ連軍と死闘を繰り広げていた最中(昭和14年5-9月) に締結されたものであった. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p51]
93 民間人の清沢冽に批判されるまでもなく,軍部の暴走に危機感を持っていた政府関係者は多くいた.昭和天皇も,昭和13 年の徐州作戦から漢口攻略に至る一連の作戦が一段落した昭和14 年1月には「どうも今の陸軍も困ったものだ.要するに各国から日本が強いられ,満州,朝鮮をもともとにしてしまわれるまでは,到底目が覚めまい」と述べて,陸軍の「深慮遠謀」のなさを嘆いていた. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p56]
94 清沢は,日本の生命線は貿易である,その意味で日本の重要権益は中国のいたるところにある,満蒙にだけ特殊権益があると思うのは錯覚である.愛国心を算盤珠にのるものにせよと論じていた.清沢は,満州権益の中核は満鉄であるが,財産総額は7億円,日本が満鉄から受け取る利益は5千万円,それは中国との貿易総額十億円の5%にすぎず,それを守るために一個師団をはるかに超える兵を常駐させているのは算盤に合わないと批判した. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p59]
95 日本は,日露戦争の戦費調達で高橋是清の尽力によって国際金融資本を味方につけ,第一次世界大戦後には戦勝国として「一等国」になった実力を背景に国際資本市場から東京市などの地方団体までもが多額の起債による資金調達を行えるようになっていた.英米との協調の道を閉ざしたことは,そのようにして発展してきた日本が自ら国際資本市場からの資金調達という経済の発展基盤を放棄したことにほかならなかった. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p62]
96 第一次近衛内閣が策定した「産業開発5カ年計画」の下昭和12年頃からの満州国の発展には目覚ましいものがあった.満州では,軍需産業を支える撫順炭鉱,鞍山や本渓湖の製鉄所などが大きく発展していった.昭和12年には満映(満州映画協会)が創業して,日本国内では活躍の場が少ない進歩的な映画人が積極的に登用され,李香蘭などが活躍した.満鉄には特急アジア号が走った.しかしながら,それらは国際的に孤立した日本が,なけなしの資本を満州につぎ込んだ結果として達成されたもので,満州に資本をつぎ込めばつぎ込むだけ日本国内の経済力を弱め,国民生活を窮乏化させるという犠牲の上に成り立っていたものであった.満州での発展を引き替えに,日本は「持たざる国」への道をまっしぐらに突き進んでいたのである. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p64]
97 当時,日本は,華北において日本円や連合銀行券,軍票などを増発する一方で,そういった通貨の増発がインフレーションを招かないように貨幣発行量に見合った物資を日本から輸出していた.その結果,日本国内から円ブロック圏への貿易収支は計算上,大幅な黒字を計上したが,いくら黒字になってもそれによって日本に貫流してくるのは増発された日本円や連合銀行券ばかりで「正貨」ではなかった. [松元祟「高橋是清暗殺後の日本」(大蔵財務協会, 2010) p65]
98 漱石はこれまで,かっこうの病跡学の対象であった.いったい何人の優れた精神科医が,これまで彼を対象にした研究成果を発表してきただろう.だが,その姿勢はあくまでも.精神科の分類を,漱石に当てはめようなとそれであった. [ なだいなだ「病跡学と漱石」図書 1993.10 漱石特集号 p37]
99 一般の患者を漱石型,画家ムンク型,劇作家ストリンドベリイ型の精神病,と分類する方が,芸術家を無理やり分裂病や躁鬱病の枠に入れようとするより合理的ではないか.今後,精神医学がそちらのほうに進むことを,私は祈る. [ なだいなだ「病跡学と漱石」図書 1993.10 漱石特集号 p39]
100 ディオクレティアヌス,そしてこの政策を継承したコンスタンティヌスの両帝によって,職業は世襲と決まり,親の職業を息子は拒否できなくなっている.これが,帝国後期独特の脱税の一手段を生み出した.つまり,本音は脱税にある,聖職者コースへの転出である.キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝とその息子のコンスタンティウス帝の二人によって,キリスト教会に属する聖職者は免税と決まった.地方自治体の有力者層が,雪崩を打ってキリスト教化した真因は,これにあったのだ. [ 塩野七生「ローマ人の物語」 38 キリスト教の勝利 [ 上 ] p198]