証 II 301-400
オリエント世界 小野義康「景気と経済政策」 Armstrong “A History of God” 岩井克人「貨幣論」 塩沢由典「市場の秩序学」 地中海世界と古典文明 三谷邦明「入門源氏物語」 一言芳談抄 馬場あき子「式子内親王」 論語
301 永遠とみなされた古王国の社会秩序の混乱は、識字階級である官僚・神官に大きな衝撃を与え、自明の前提としてきた価値観の再検討を迫った。無謬と考えられてきた創造神に対する非難や、厭世観とその裏返しともいえる現世における刹那の快楽を追求する享楽主義などが口にされ、宇宙秩序(マアト)のうち社会正義の側面が強調され、臣民に対しても王に対しても正義の遂行が義務であり責任であると強調された。人生の真の価値は物質的な富にあるのではなく、倫理的な行動にあり、死者は永生を得るために神の前で裁判を受け、生前の行為が正しいと認められなければならないとされた。このように第一中間期は古代エジプトにおける「思想革命」の時代といえる。しかし、これらの思想は、秩序の回復とともに、傍流の位置に落とされ、伝統的な思想が復活する。とはいえ正統思想を補い、豊かなふくらみを与えるものとして生き続けることとなる。死者の裁判だけは、永生獲得の関門としての地位を確立するが、そこではもっぱら呪文の力による裁判の克服が目指されることになる。 [屋形禎亮「古代エジプト」 岩波講座世界歴史2オリエント世界 p48-9]
302 ここで問題にしたいのは紀元前1世紀から後一世紀にかけて形成されたローマ側の世界観である。ギリシア・ローマの相違を無視した「西の一体性」、そのアンチテーゼとして「自由の無さ」で括られる「東の一体性」および両者の峻別、このような世界観がこの時代のローマに存在したことは、タキトゥスなどを読めば、理解できる。急激に領土を拡張し多様な集団を内部に抱えることになった紀元前一世紀以降のローマにとって、「東方」に強力な「敵」が存在することが、自国内をまとめるイデオロギー形成に有利に作用したのかもしれない。─中略─
一方、「東」側の世界観は、資料の不足でよくわからない。しかし、サーサーン朝初期の帝王浮彫・碑文や1980年代に発見されたアブヌーン碑文などを見ると、対ローマ戦勝を大々的に宣伝していたのは確実である。─中略─その一方で、サーサーン朝の碑文は、より東のクシャン朝をどのようにして制圧したのかまったく語らない。彼らにとっても「西」の敵は特別の意味合いをもっていたようである。 [春田晴郎「イラン系王朝」 岩波講座世界歴史2オリエント世界 p66-7]
303 本書でいう不況とは、経済成長率が下がった状態ではなく、需要が潜在的生産力を下回った状態を意味する。そのため、ひどい不況の後に経済成長率が上昇したからといって、完全に不況を脱したとはいえない。 [小野義康「景気と経済政策」 第一章 景気に対する二つの考え方 p4]
304 今、需要不足の状況であるにもかかわらず、供給能力が足りないから景気が悪いのだと考え、効率の悪い部分を切り捨てて生産効率を上げ、ますます潜在供給能力を上げたとしよう。そうすれば、需要量自体は変わらなくても、拡大した供給能力に対する需要不足の程度は、ますます深刻化する。そのため、失業が増えてしまうのである。 [小野義康「景気と経済政策」 第一章 景気に対する二つの考え方 p6]
305 実際、椅子取りゲームにおいても、音楽の止まる瞬間に対する反応が遅いから敗者になる。そのために、そのような人が負けるのは、いわば能力がないからだという論理には、一応の真理はある。しかし、それだからその企業は淘汰されてしかるべきであるかというと、話が違ってくる。すなわち、必ず敗者が出るという条件(需要不足)のもとで生み出される敗者と、すべての人数分の椅子が用意されている(好況)のに、それでも一時的に座り損ねた人では、雲泥の差がある。
購買意欲が盛んでものを作れば売れる状況では、企業家は、敗者になってもすぐに他の企業に雇用されたり、新たな事業機会があったりして、すぐに新たなチャンスを得て、社会的に有効に使われる。ところが購買意欲が萎えている状況では、敗者は敗者のまま将来の不安を抱えて、社会に滞留するのである。
─中略─
このように、効率が悪い部分を切除し、余剰人員をリストラしたとき、社会の他のより効率のよい部分で吸収され、有効に使われるというのが〈 供給側〉 の考え方であり、社会に滞留してしまうから、もっと効率の悪い結果となると考えるのが、〈 需要側〉 の考え方である。 [小野義康「景気と経済政策」 第一章 景気に対する二つの考え方 p9-10]
306 Human beings are spiritual animals. Indeed, there is a case for arguing that Homo sapiens is also Homo religiosus. Men and women started to worship gods as soon as they became recognizably human; they created religions at the same time as they created works of art.
· · · Like any other human activity, religion can be abused, but it seems to have been something that we have always done.
· · · Western liberal humanism is not something that comes naturally to us; like an appreciation of art or poetry, it has to be cultivated. Humanism is itself a religion without God—not all religions, of course, are theistic. [Karen Armstrong, A History of God, Introduction , p.xix]
307 Strange as it may seem, the idea of ”God,” like the other great religious insights of the period, developed in a market economy in a spirit of aggressive capitalism. [A History of God, In the beginning... p27]
308 The new religions of Hinduism and Buddhism did not deny the existence of the gods, nor did they forbid the people to worship them. In their view, such repression and denial would be damaging. Instead, Hindus and Buddhists sought new ways to transcend the gods, to go beyond them. [A History of God, In the beginning... p29]
309 Even though monotheists would insist that their God transcended gender, he would remain essentially male, though we shall see that some would try to remedy this imbalance. In part, this was due to his origins as a tribal god of war. Yet his battle with the goddesses reflects a less positive characteristic of the Axial Age, which generally saw a decline in the status of women and the female. [A History of God One God p49]
310 A personal God like Yahweh can be manipulated to shore up the beleaguered self in this way, as an impersonal deity like Brahman can not. [A History of God, One God p55]
311 the Rabbis themselves did not preach a lugubrious, ascetic, life-denying spirituality. On the contrary, they insisted that Jews had a duty to keep well and happy. They frequently depict the Holy Spirit ”leaving” or ”abandoning” such biblical characters as Jacob, David or Esther when they were sick or unhappy. [A History of God, One God p77]
312 ファンダメンタルズの部分は実体経済を反映しているため、その実質額は収益が伸びなければ伸びようがない。一方、金持ち願望を反映するバブルの部分は、実体を離れても伸びることができる。これがバブルの膨張である。各個人にとってみれば、ファンダメンタルズもバブルも区別がなく、合計としての資産価値だけが問題であるため、資産価値が膨張すれば金持ち願望がますます満たされる。人々が金持ちになったと思えば、消費を増やし、物が売れて雇用が増え、実体経済までよくなってくる。その結果、資産価格のファンダメンタルズの部分までもが上昇し、景気の拡大が続いていく。したがって、景気の高揚にバブルは不可欠であり、必ずしも悪いものではない。 [小野義康「景気と経済政策」 第一章 景気に対する二つの考え方 p18]
313 もともと金持ち願望で成り立っている資産価格の部分は、ただの紙と同じであるから、それが何をきっかけに崩壊するかは先験的にはいえない。ひょっとすると現在の資産価格は高過ぎるのではないかと思い始めれば、後はどのタイミングで売り抜けるかを考えるから─中略─どんなことでもいいのである。
これらがきっかけになってバブルが崩壊し、資産価格が大幅に下落すれば、人々は貧しくなったと思う。このとき、金持ち願望は高いのに、持っている資産の価値はあまりない状態になってしまう。そのため人々は消費を減らして所得を貯蓄に回し、失った資産と回復しようとする。その結果、需要が減少して実体経済まで悪くなり、資産価格のファンダメンタルズの部分までもが収縮する。こうして、資産価格の収縮と需要の低迷が相乗的に起こり、経済は不況になってしまう、 [小野義康「景気と経済政策」 第一章 景気に対する二つの考え方 p18]
314 この状況の打開には、資産の信用回復しかない。しかし、信用を失うのは簡単であり、回復するのは至難の業である。
─中略─
景気の本格的回復は、人々が資産価格崩壊という悪夢を過去のこととして忘れ去るか、株価や地価暴落の経験のない次の世代が、大多数を占めるまで望めないのである。このことから、制作当局が80年代終わりにバブルを膨張するだけさせ、その後急激かつ徹底的に叩きつぶしたことが、後々いかに大きな影響をもたらしたかがわかるであろう。[小野義康「景気と経済政策」 第一章 景気に対する二つの考え方 p24]
315 出エジプトの歴史的体験と社会的弱者に対する理解と配慮の要求は、ヤハウェ宗教およびイスラエル法を支える重要な礎である。─中略─イスラエル法あるいはモーゼ律法の基本精神は、社会的に弱い立場にある者たち、なかでも未亡人、寄留の外国人、孤児の保護を強く命じた。
イスラエルはなぜこれらの人々の権利を守らなければならないのか。それは、イスラエル人もかつて奴隷の来る下を体験したことがあるはずだからだというのがイスラエル法が語る理由である。 [池田裕「旧約聖書と古代イスラエル人の自己理解」 世界歴史2 オリエント世界 P179]
316 まさにこの一般均衡論が、ローザンヌにおけるワルラスの後継者であったパレートをつうじて、近隣のジュネーヴ大学で一般言語学を講義していたフェルディナン・ソシュールに強い影響を与えた─中略─言葉とは価値であり、価値とは関係の中においてのみあらわれてくる。これによって、ソシュールは、ひとつの言葉は先験的にあたえられたひとつの概念を意味しているという、通俗的な言語観を否定しようとしたのである。 [岩井克人「貨幣論」 第1章 価値形態論 p32-3]
317 この人が王であるのは、ただ、他の人々が彼に対して臣下として振る舞うからでしかない。ところが、かれらは、反対に、かれが王だからじぶんたちは臣下なのだと思うのである。〔マルクス72 注)
─中略─
この「とりちがえ」をうみだす等価形態の不可解さこそ、単純な価値形態のなかにひめられていた「「貨幣形態の秘密」なのだとマルクスはいう。 [岩井克人「貨幣論」 第1章 価値形態論 p45]
318 それ自体はなんの商品的な価値を持っていないこれらのモノが、世にあるすべての商品と直接に交換可能であることによって価値を持つことになる。ものの数にも入らないモノが、貨幣として流通する事によって、モノを越える価値を持ってしまうのである。無から有が生まれるのである。
ここに「神秘」がある。 [岩井克人「貨幣論」 第1章 価値形態論 p73]
319 景気の後退が供給側の理由ではなく、需要不足によって起こっているならば、リストラはかえって失業を増加させ、景気を悪化させてしまうであろう。 [小野義康「景気と経済政策」 第一章 景気に対する二つの考え方 p31]
320 公共投資の意味は、第一義的には遊休資源や失業者の有効利用であって、景気刺激効果ではないと考えるべきである。景気刺激効果がまったくなくても、せっかく貴重な労働資源や設備が、不況で使われずに余っているのだから、それらを積極的に使って有用なものを作れば、それだけで意味がある。その上で景気が上向けば、幸運だと思えばいい。 [小野義康「景気と経済政策」 第2章 財政支出の是非 p50]
321 減税は究極のバラマキである。公共事業は金をばらまいて何かをやらせるが、減税は何もさせないで、ただばらまくのである。したがって、財政資金を減税に使うくらいならば、政府が公共事業を行って、余剰労働力や遊休資源を有効に使った方がいいのである。─中略─公共事業と減税との差は(1) 金を受け取る人になにかをやらせるか、なにもやらせないかと、(2) 金を受けとる人が異なる、という二点だけである。 [小野義康「景気と経済政策」 第2章 財政支出の是非 p59-60]
322 その(史記の)内容は、あくまでも天事に対応した人事を述べることにあって、人事行政一般の記録ではなかった。後世の人々は『太史公書』を一王朝史の『漢書』と並べて諸王朝の通史として評価し、『史記』と呼ぶようになったが、本来はあくまでも太史令の職務として記録した書物であったことを忘れてはならない。 [鶴間和幸「中華の形成と東方世界」 世界歴史 3 中華の形成と東方世界 p5]
323 ナイル、ティグリス・ユーフラテス、インダスそして黄河の四大河流域に誕生したというアジアの四大文明とは、実は近代のヨーロッパ人のオリエンタリズムの世界であり、古代ギリシア、ローマ人のアジア観の延長にあった。 [鶴間和幸「中華の形成と東方世界」 世界歴史 3 中華の形成と東方世界 p20]
324 モノの寄せ集めがいったいどのようにして商品世界に転化していくのかという物語を語るべき交換過程論とは、結局、商品世界を商品世界として成立させている貨幣なるものがいったいどのようにして現実に存在するようになるのかという「貨幣の創世記(Genesis)」を語ることに等しいことになる。 [岩井克人「貨幣論」 第2章 交換過程論 p83]
325 貨幣が貨幣として流通しているのは、それが貨幣として流通しているからでしかない。
このような無限の循環論法によって支えられている貨幣とは、それゆえ、その存在のためには何らの実体的な根拠も必要としていない。それは、モノとモノとの直接的な交換の可能性を支配するひとびとの主観的な欲望の構造やや、ひとつのモノを貨幣として指名する共同体や君主や市民や国家の権威には還元しえない「何か」なのである。 [岩井克人「貨幣論」 第2章 交換過程論 p104]
326 意識もいつかは存在に同化する。もはや誰も一ポンドの兌換紙幣を一ポンドの金貨の「代わり」として意識しなくなったとき、兌換紙幣は中央銀行における金貨の準備を必要とせずに商品世界を流通しはじめる。 [岩井克人「貨幣論」 第3章 貨幣系譜論 p138]
327 恐慌(Krise) とは、ある日とつぜん商品世界全体が需要不足におちいり、すべての売り手が同時に売ることの困難に直面してしまう事態にほかならない。─中略─それは同時に、貨幣の媒介によってその統一性が維持されてきた商品世界そのものの解体(Spaltung) の可能性を意味することになる。 [岩井克人「貨幣論」 第4章 恐慌論 p156-7]
328 貨幣とは、一般的な交換の媒介であることにくわえて、最大の流動性を持つ価値の保蔵手段でもあることである。─中略─不確実性の存在が、ひとびとに流動性なるものを欲望させるようになるのである。─中略─貨幣がもつ流動性にたいするこのような欲望にたいして、ケインズは「流動性選好(liquidity preference)」という名をあたえている。─中略─ここに逆説が生まれたのである。貨幣がまさに一般的な交換の媒介でしかないということが(そして一般的な交換の媒介である限りにおいて)、貨幣にその実体性とはまったく独立な流動性という名の有用性のごときものをあたえてしまうことになるのである。本来は商品を手に入れるための単なる媒介でしかないはずの貨幣が、その商品とならんで、それ自体あたかもひとつの商品であるかのように、流動性選好という名の欲望の直接的な対象となってしまうのである。 [岩井克人「貨幣論」 第4章 恐慌論 p167-9]
329 ひとびとの流動性にたいする欲望が、売りと買いのとのあいだに時間という楔をうちこみ、総需要と総供給とがおたがいに独立した動きをすることを可能にするのである。 [岩井克人「貨幣論」 第4章 恐慌論 p172]
330 貨幣には市場がないということは、なんらかの意味で貨幣の需給の変化がおこったときそれに応じて調整を直接におこなう場がないことを意味するのである。貨幣のある世界では、したがって、世にある商品の市場をすべて動員した間接的なかたちでしか(いや、裏返しにしたかたちでしか)、人々の流動性選好の変化にたいして反応することができないことになる。じつは、それが恐慌でありインフレ的熱狂にほかならないのである [岩井克人「貨幣論」 第4章 恐慌論 p173]
331 ここで重要なのは、貨幣の存在によってセーの法則が破綻してしまった世界では、セーの法則のもとであれほど強力に作用していた「見えざる手」が働かなくなってしまっているということである。 [岩井克人「貨幣論」 第4章 恐慌論 p179]
332 「貨幣を富の保蔵手段として保有したいというわれわれの欲望は、じぶんの計算や習慣にたいするじぶん自身の不信の程度をあらわす寒暖計である」と、あるところでケインズは述べている。─中略─だが、まさに自分の不安を鎮めるために、商品ではない貨幣を流動性という性質を持つあたかもひとつの商品であるかのように保有するというこの行為が、セーの法則を破綻させ、貨幣が「ある」世界に固有の不安定性をうみだしてしまっている。 [岩井克人「貨幣論」 第4章 恐慌論 p185]
333 たんなる一枚の紙切れが、貨幣として使われるということによって、紙切れとしての価値をはるかに超えてもつことになる一万円という価値は、無限のかなたの未来に住む人間から今ここに住む人間へと送られてきて、気前のよい贈り物にほかならない。─中略─貨幣を貨幣として存立させる未来の無限性そのものが、貨幣の貨幣としての価値を支えていくひとびとの期待を必然的に主観的なものにしてしまうのである。─中略─貨幣が今まで貨幣として使われてきたという事実そのものが、貨幣が無限の未来まで貨幣として使われつづけるというひとびとの期待のとりあえずの根拠となっている。 [岩井克人「貨幣論」 第4章 恐慌論 p197,9,200]
334 そもそも、淘汰されて効率のよい企業だけが残るから、日本経済の効率が増すという考えは、不況期には成り立たない。その産業に限ってみれば、平均生産効率はよくなるだろうが、社会全体では、倒産やリストラによって、失業という損害が生み出されるのである。─中略─ このように、不況期には、非効率部門の切り捨てという内向きの体質改善やリストラが行われ、これらは個々の企業や銀行にとってよいことでも、社会全体に対しては、金融収縮と失業の増大という損害をもたらす。本当は、このような時期には人材も設備も余っているため、投資の機会費用は低い。そのため、社会的はこの時期にこそ倹約ではなく、長期的な視野から技術開発や設備投資を行った方がよいのである。また、魅力的な製品開発を行えば、冷え切った消費意欲を刺激し、景気を回復させることができる。─中略─個々の銀行や企業にとってよいことと、社会にとってよいことが、景気の各局面で正反対になっている。 [小野義康「景気と経済政策」 第2章 財政支出の是非 p72-3]
335 社会にとって望ましいことと、個々の企業や銀行の行動とのギャップを埋めることのできる唯一の主体は政府である。─中略─不況期に政府までもが活動規模を縮小すれば、経済全体にとってもっとも効率の悪い使い方である失業が待っているのだ。 [小野義康「景気と経済政策」 第2章 財政支出の是非 p72-3]
336 好況期には流動性が拡大し、お金が自由になるから、民間も政府も支出を増やす。しかし、このときこそ労働資源は不足しているのである。逆に不況期には流動性が収縮し、お金は不足するため、民間も政府もみずからの活動規模を減少させ、支出を削減しようとする。このときは、社会的には安くて自由に使うことので着る労働資源は、余っているのである。
したがって、政府が遊休資源を有効に使ってくれるのであれば、不況期には公共投資を増やすべきであり、逆に好況期にこそ、公共投資は倹約すべきである。 [小野義康「景気と経済政策」 第2章 財政支出の是非 p76-7]
336 日本では、公式にはバブル期に外国人労働者を入れなかったが、ドイツでは多数のトルコ人労働者を導入し、このことが現実に社会問題化していることは、広く知られている。 [小野義康「景気と経済政策」 第2章 財政支出の是非 p78]
337 物とは違い、お金はいくら使っても、それ自体決して消滅せず、人から人へと回るだけである。また、お金を回すことが新たな生産活動を促す。─中略─ゴミ処理場も整備されずに世の中はダイオキシンで汚染され、高速道路は古く、高齢化社会への社会的資本も充実していないが、国債はのこっていないから、将来世代はなにも負担しなくてよく、よかったといっているようなものである。
個人ではお金こそ重要だが、社会的に見ればお金はただの紙であり、資源こそ重要だということを、政府は認識すべきである。 [小野義康「景気と経済政策」 第3章 財政負担 p100]
338 経済学から商人論・商業論がなぜ消えてしまったか、理解するのは難しくない。均衡の世界においては、売り手は売りたいだけ売り、買い手は買いたいだけ買うことができる。ここでは売る努力も買う努力も要らない。このような世界においては、商人はその固有の機能を失ってしまう。─中略─ [塩沢由典「市場の秩序学」第二章 市場の見える手 p60-1]
339 オーストリア学派の経済学たちは市場がつねに「発見の過程」であることを強調してきた。この注意はまったく正しい。市場はきわめて複雑な混沌の秩序であって、いかなる人間にもそれをくみ尽くすことはできない。市場における知識は常に部分的であり、局在化された知識である。 [塩沢由典「市場の秩序学」第二章 市場の見える手 p82]
340 ルーティンに従う商人たちが市場の組織者であるとすれば、機会を発見しルーティンを破壊するのはかれらの企業心(enterpreneurship)である。商人たちはこの双面のヤヌスとして市場の担い手である。市場の理論はこのヤヌスを直視するところから始まる [塩沢由典「市場の秩序学」第二章 市場の見える手 p84]
341 世のなかには、経験の豊かな人と乏しい人がいる。知識のある人とない人がいる。だが正確には、それはそう見えるだけなのだ。経験の豊かな人は他の人にとって意義のある経験が多いのである。知識のある人は流通可能な知識の量が多いのである。普遍的知識の創造と伝達に携わる学者は、かれの生活時間の多くを抽象的思考にとられているため、意外と貧しい局所的知識のなかに暮らしている。─中略─知識におけるこの機械的平等主義が、経済学にとってたいへんな難問をつきつけるものである [塩沢由典「市場の秩序学」第3章 局所的知識 p98]
342 われわれはごく限られた視野のなかで、ごくわずかの知識を持って行動している。それでも現在のような巨大な経済がなんとか動いているのは、驚くべきことである。新古典派の経済学はこの秘密を解明しようとして、個人の能力にあまりにも多くのことを要求してしまった。 [塩沢由典「市場の秩序学」第7章 経済学における人間 p201]
343 われわれがなんらかの意味で目的追求行動していることは疑いえない。買い物を例にとってみれば、われわれはかなりの程度において、限られた予算で最も大きな満足をえようとしている。しかし、われわれは全知全能ではなく、最適化行動者でもない。厳密な意味でも近似的な意味でも、最適化はほとんどわれわれの能力を超えている。すでに見てきたように、多数の商品種存在という事態においては、効用最大の商品バスケットなど計算できない。もちろんそれでも、われわれは日々買い物をしているし、でたらめに買っている訳でもない。それはわれわれが最大化、最適化とはまったく異なる別の原理にもとづいて行動しているからである。
H. A. サイモンは、この別の原理を「満足原理」と名づけている。この原理を最も簡単に説明すれば、ある行動は(他の可能な選択肢と関係なく)あらかじめ決められたある希求水準(aspiration level)を越えていれば選択される、ということになろう。 [塩沢由典「市場の秩序学」第8章 「計算量」の理論と「合理性」の限界 p226-7]
344 人びとが満足原理にしたがって行動する現実の社会においては価格を変数とする一義的な需要関数など存在しない(たんに知りえないのではなく、存在しない)。 [塩沢由典「市場の秩序学」第8章 「計算量」の理論と「合理性」の限界 p239]
345 大規模な経済のもとでは、人間は視野と合理性と働きかけの三つの限界のもとで行動している。このとき判定されるのは個々の行動での成果の最大化ではなく(それは不可能である)ある行動の指針のもとにおける行動の平均的成果が他の知られて指針のものより低くないかどうかである。もちろん、すべての指針と成果は実行できないし、状況の変化によって結果も異なる。したがって、もし現在の指針と成果とに満足しているなら、大きな状況の変化ないし主体の変革がない限り、行動は定型化されたものになる。 [塩沢由典「市場の秩序学」第9章 反均衡から複雑系へ p261]
346 定型行動は広い意味での定常性を前提とするが、その定型がある程度の合理的計算を含むものであるためには、定常性は十分ではない。合理的計算のためには、他から比較的孤立した部分系が視野の限界内に切り取られ、簡単な計算で、この部分系に働きかけるべき行動が選び取れなければならない。すなわち、経済という大規模系は相互に緩く結びついた小さな部分系に分割されていなければならない。
貨幣が売りと買いを切り離し、在庫がたとえば生産と販売を切り離すように、このことは種々の経済制度や緩衝装置によってなされる。 [塩沢由典「市場の秩序学」第9章 反均衡から複雑系へ p262]
347 貨幣の保持は決定の留保であるから、それは反面では消費や投入への緊急性の欠如を示している。このとは、貨幣の利用権を一時的に手離す事を可能にする。このとき他方に緊急性に直面している個人あるいは法人がいるとすれば、貨幣に貸借が起こりうる。これが信用である。甲が乙に百万円を一ヶ月貸しあたえるとき、甲は乙に信用を供与するという。これは一ヶ月後に元本と利子とを返す誠意と能力とが乙にあると認める(信用する)ことにより初めて貸借が可能になるからである。─中略─信用の獲得能力のあるなしで資本主義は経済への参加者を選別しているのである。 [塩沢由典「市場の秩序学」第10章 在庫・貨幣・信用—複雑系の調整機構 p288-9]
348 不確実性はいまや流行の話題であって、不確実性を考慮に入れたと称する理論の提案は少なくない。しかし、その多くは不確実の事態をたんに決定論的予測の不在と考え、いくつかの代替的事象に主観確率を与えれば、後は最大化行動の定式に戻れるものと考えている。かれらは理論の部分的修正の可能性を信じているのであろう。しかし、合理性の限界を考えれば、主観的期待効用を最大化することもやはりできないのである。 [塩沢由典「市場の秩序学」第11章 複雑系における人間行動 p320-1]
349 各部分が一時的に他から切り離されて独立に動きうるために、経済には様々の切り離し装置(decoupling devices)が内蔵されている。たとえば貨幣は交換を需要の二重の一致から解放し、取引を売りと買いに分離することに成功した。 [塩沢由典「市場の秩序学」第11章 複雑系における人間行動 p366]
349 われわれ〔ローマ人〕は雲が衝突したので稲妻が発生すると考えるが、彼ら〔エトルスキ人〕は稲妻が発生するようにと雲が衝突すると信じている。というのは彼らは、森羅万象を神に帰しているので、稲妻は発生したゆえに徴を与えるのではなく、むしろ徴を与えねばならぬゆえに発生する、と思い込んでいる。 [セネカ「自然問題」2.32.2]
350 キリスト教会も多くの奴隷を受け入れた。そこでは、自由人と奴隷との差別は原則的には存在せず(パウロ「ガラテアの信徒への手紙」3.28)。現に奴隷であっても教会での重要な地位を委ねられたものもいた。しかし教会は、奴隷制自体を撤廃しようとはしなかった。パウロは、キリスト教徒は神の奴隷であるとし(「ローマの信徒への手紙」6.16 ほか)、奴隷に対して、主人をキリストと思って使えるよう勧めている(「エフェソの信徒への手紙」6.5)。もちろんこれらは、奴隷制を積極的に肯定したものではなく、永遠の生命の前には地上での差別は本質的ではない、ということを前提にしている。そこにはストア派と共通した論理が感じられるが、キリスト教会は、ストア派と違って、こういった教えを直接奴隷たちに対して説いた。その意味で、教会の教えは、客観的に見れば、むしろ社会的としての奴隷制を固定化する役割を果たしたといえるであろう。 [坂口明「支配の果実と代償—ローマ奴隷制社会論」 世界歴史4 地中海世界と古典文明 p316]
351 〈供給側の経済学〉と〈需要側の経済学〉では、貨幣に対する考え方が非常に異なる。〈供給側〉の考え方では、貨幣は単にものの取引の裏にあって、それを円滑にするために潤滑剤、あるいは価値を計る単位としての意味しかない。これに対して、〈需要側〉の考え方では、貨幣は総資産の一部を構成しており、その中でもっとも流動性の高いものである。そこでは、貨幣そのものよりも流動性全体が重要であり、その全体量が需要規模を決め、それを通して経済活動にも影響を及ぼすと考える。 [小野義康「景気と経済政策」 第4章 金融論 p124]
352 お金は社会的には無価値であり、人々が無価値なものをほしがるから、社会的な無駄が発生する。本来価値のあるものは物であって、物を自由に買えるからこそお金がほしがられる。ところが各個人にとって見れば、お金さえあればいつでも安心して生活が保障されるから、お金は非常に魅力的である。そのため、本来社会的には何の価値もないお金そのものが目的となるという、本末転倒が起こってしまう。このような人々の目を本来価値のある物に向けさせるためには、お金よりも物をより魅力的にすることが必要なのである。 [小野義康「景気と経済政策」 第5章 構造改革 p184]
353 不況は誰か悪者がいるために起こるのではなく、われわれ自身が持つ金持ち願望が起こしていることを認識すべきである。このとき、自分だけが損をしているわけでも、その損の分だけ誰かが得をしているわけでもない。景気の状態に関わらず、悪者を追求することは必要だがそれによって景気が回復するわけではないのである。それどころか、かえって政策当局を萎縮させ、適切な措置を遅らせることにすらなり得る。 [小野義康「景気と経済政策」 第5章 構造改革 p197-8]
354 すべてを市場化すれば、非効率はなくなるというわけでもないのである。それが実に見えるかたちでもっとも深刻に問題化するのが、不況であろう。そのとき我々は、経済のどの部門では自己の利益追求という民間活力と市場メカニズムを活用し、どの部門では全体を考えて公共部門を活用するか、じっくりとみなおす必要がある。 [小野義康「景気と経済政策」 第5章 構造改革 p198]
355 〈供給側〉の考え方では、結局は経済の部分部分を効率化すればよく、あとは市場がうまく調整してくれるということになるため、理論的な知識がなくても感覚的に一般に受け入れられやすい。そのため、その裏にある前提や限界がかかっていれば当然注意されるべき点が見過ごされ、過度に〈供給側〉に偏った政策決定がなされ、不況の深刻化を招いてしまった。 [小野義康「景気と経済政策」 あとがき p200]
356 社稷(土地神)と宗廟(同族集団の祖先神)に守られ、周囲は山川の自然に囲まれた都市は、人々の適正な活動範囲にあるという意味でも、地域として一つの国家を形成していたといえる。すなわちこれこそ中国固有の国家であった。 [鶴間和幸「中華の形成と東方世界」世界歴史 3 中華の形成と東方世界 p45]
357 中華の外に夷狄を絶えず配置しながらも、それを次々と呑み込みながら巨大な中華世界を作り上げ、その四方に新たな夷狄を再生産していくという柔構造は、中国という世界を理解するには重要なキーポイントである。 [鶴間和幸「中華の形成と東方世界」世界歴史 3 中華の形成と東方世界 p71
358 現在私たちは、キャンバスの絵に正面から向き合って鑑賞するのですが、古代の人びとは、絵のなかの人物に同化・一体化して、その絵のなかの世界を鑑賞していたのです、伊勢物語の「男」「女」という表現は、この技法と類似な関係にあります。─中略─伊勢物語が業平という名前を記さないで、「男」「女」と表現するのは、同化の文学であるからにほかなりません。現在の私たちはそんあ鑑賞の仕方を試みないのであうが、平安朝において、伊勢物語を読むということは、読者があたかも主人公になったかのように、男女に同化・一体化して読むことであったわけです。この同化という受容は、後にのべるように、源氏物語の多視点・多距離の方法を成立させるためには不可欠なものでした。源氏物語が国際的な視野で見ても、特異な文学的達成をとけた理由の一端が、この伊勢物語の方法に依拠していることを忘れてはなりません。。 [三谷邦明「入門源氏物語」 〈方法〉から冒頭場面を読む p42,p47]
359 (法然)上人つぶやきて云く、「妄念おこさずして往生せんとおもはん人は、むまれつきの目鼻を取りすてて、念仏申さんと思ふがごとし。」 [一言芳談抄巻之上]
360 有(あるひと)云く、「慈悲をおこさざらめ、人をなにくみそ。」 [一言芳談抄巻之上]
361 黒谷善阿弥陀仏、物語に云く、「解脱上人の御もとへ聖まゐりて、同宿したてまつりて、学問すべきよしを申す。かの御返事に云く。『御房は発心の人と、見たてまつる。学問してまたく無用なり、とくとくかへりたまへ。これに候ふものどもは、後世のこころも候はぬが、いたづらにあらむよりはとてこそ、学問をばし候へ』とて、追返されし。」云々。 [一言芳談抄巻之上]
362 (明禅法印)又云く、「しやせまし、せでやあらましとおぼゆるほどの事は、大抵(おほむね)せぬがよきなり。」 [一言芳談抄巻之上]
363 (明禅法印)又云く、「聖法師は功徳に損ずるなり。功徳をつくらむよりは、悪をとどむべきなり。」 [一言芳談抄巻之上]
364 又学問すべしといへばとて、一部始終を心得わたし、文々句々分明の存知せむなといふ心ざしは、ゆめゆめあるべからず。ただ文字よみなどしたるに、やすらかに心得らるる体なり。大要貴き所くりみるほどの事なり。此故実を得つれば、相違なし。教の本意、後世すすむ大なる要となる也。 [一言芳談抄巻之上、 敬仏房のことば]
365 又(明遍僧都)云く、或人たづね申して云く、「一向に後世のためと思ひてし候はん学問、いかが候べき。」仰せて云く、「始は後世のためと思へども、後には皆名利になるなり。」 [一言芳談抄巻之上]
366 明禅法印の云く、「往生は、大事なることのやすき也。」 [一言芳談抄巻之下]
367 禅勝房云く、「所詮、浄土門の大意は、往生極楽はやすき事と心得るまでが大事なる也。やすしと心得つれば、かならずややすかるべき也。」 [一言芳談抄巻之下]
368 法然上人云く、「一丈の堀をこえむと思はん人は、一丈五尺をこえんと、はげむべきなり。・・・」 [一言芳談抄巻之下]
369 凡夫は、とにかくに、すすまじとするを、すすめんために、助業(じょごう)は大切なり。 [一言芳談抄巻之下、 乗願上人のことば]
370 まず、この場面まで藤壺の容姿が一度も描写されていなかったことを確認してください。しかし、彼女とこの少女が似ているというのですから童であることを示す「眉のわたりうちけぶり」はともかく、「額つき、髪ざし」が藤壺もまた可愛かったことがここから読みとれます。のちに〈時間の循環〉という問題をあつかうさいにさらに展開するはずですが、源氏物語では後で描かれる描写が前で描かれたことを規定するという循環構造が何度も出現します。藤壺の具体的な美しさがあとから登場するこの少女によって規定されてくるのです。[三谷邦明「入門源氏物語」 重奏する藤壺事件 p76]
371 こうして、「瘧病」は、字義どおりの病気とともに、一回目の読みである夕顔の死を契機とする病であり、伊勢物語の引用することでの滑稽さであり、二回目の読みによって生じる藤壺ゆえの病気であって、意味は多義的に響き一義的には決定できないのです。さまざまな意味がせめぎ合い物語に深さを与えるのです。源氏物語を読むという行為はこの多義的な意味不決定性をどのくらい現象させることができるかという賭けだといってよいでしょう。
源氏物語を読むことのむずかしさと楽しさはここにあります。 [三谷邦明「入門源氏物語」 重奏する藤壺事件 p89-90]
372 源氏物語を読むことの愉楽は、このように背反するものが出会い、きしみ、混在し、意味の不決定が現象したときなのであって、多義的・多層的・多視点・多距離的なものを凝視したとき、源氏物語は真の姿をあらわすのです。 [三谷邦明「入門源氏物語」 重奏する藤壺事件 p128]
373 源氏物語批評史の流れのなかで、画期的だったのは、本居宣長の『玉小櫛』だとだれもが認めるでしょう。この画期的な作業は、しかし、同時に源氏物語研究に弊害をもたらしました。というのは、源氏物語研究では宣長以前の注釈を中心とした批評や研究を「古注」とよぶのですが、本居宣長は古注の最良のものを犠牲にして、自己の学説を樹立したからです。本居宣長は「もののあはれを知る」ことによって、源氏物語のひいては日本古典文学のすべてを理解することが可能だと主張しました。これは近世の発言であるにもかかわらず、〈近代的〉主体・自我を宣言したものだといってよいでしょう。つまり、源氏物語という作品の意味は「もののあはれ」という一義的な意味に決定され、多義的な読みを禁じてしまったからです。─中略─中世の古注は秘伝主義や諸説混淆主義的な傾向に満ち、それなりに批判されなければならないのですが、宣長は「もののあはれ」という、近代的主体の論理によって古注の多視点的な最良のものを見失ってしまったのです。 [三谷邦明「入門源氏物語」 須磨流離と六条院 p131-2]
374 たぶん、源氏物語の真の姿は、テクストの〈表層〉を読むと同時に、その表層が覆い隠している〈深層〉つまり、〈退去〉と〈流謫〉のあいだで、源氏物語は多義的に戯れているのであって、多義的な言語世界を一義的なものに閉じこめてはならないのです。それゆえ、光源氏の須磨流離は藤壺事件と朧月夜事件のどちらが原因かという従来の論争も、源氏物語を多義的な言語宇宙としてとらえる視点からみると滑稽なのです。─中略─準拠・典拠・引歌・引詩の〈引用〉は、〈読み〉の問題であり、古注がさまざまな説を並記するのも当然であり、それを多義的に響きあわせることで、源氏物語の言語宇宙は、筋書き的な表層には発見できない〈深さ〉を獲得することができるのです。 [三谷邦明「入門源氏物語」 須磨流離と六条院 p137-9]
375 この年は、三月に長寛と改元され、式子も斎院三年めの春を迎えた。この頃の式子の生活を知るべき資料はない。ただ、式子が後年、斎院時代を回顧してうたった歌に
時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ
の一首があるゆえに、その時代の生活の中に、においやかなニュアンスをもつ思いでがあったにちがいないと考えたくなるのも自然である。 [馬場あき子「式子内親王」第1部式子内親王とその周辺 み垣の花 p43-4]
376 いまだ若年にして非力な前斎院の正義感は、それらの悲運にある血縁の人々の中で、さらにいっそういじましく挫ける以外に育ちようはなかったといえる。式子にできるただひとつのことは、これらの悲運な後見人たちのただ中に、ひたすら、うるわしく存在すること、ただそれだけである。 [馬場あき子「式子内親王」第2部式子内親王の歌について 宇治の大君に通う式子の心情 p129]
377 式子の歌には「源氏物語」が宇治大君について描写する時に、しばしば特色的な形容として使った「ほのか」という語がひじょうに多く出てくる。そして、「ほのか」であることは、式子の美意識を支配した主要素の一つであった。 [馬場あき子「式子内親王」第2部式子内親王の歌について 宇治の大君に通う式子の心情 p130]
378 老いゆく内親王、老いゆく前斎院にとって、それでもなお世に存在せねばならぬとすれば、せめて美しく、存在する以外に何があったろう。生きながら形骸化してゆく、その希薄な存在感の中で、式子が大君の生き方を切に具現しようとした努力は、むしろ悲壮で美しかったというべきかもしれぬ。 [馬場あき子「式子内親王」第2部式子内親王の歌について 宇治の大君に通う式子の心情 p131]
379 これらの優れた人物とは何よりも「権威auctoritas」をもつのである。この「権威」という観念はローマ人にきわめて固有のものであった。─中略─その「権威」に服従することは、「自由」を失うことではまったくなかった。このようにして、ローマ人の意識に深く根付いた「権威」の観念であったが、ギリシア人にはほとんど馴染みのない観念であったという。そのため、ギリシア人はこれを適切に訳することができなかった。 [本村凌二・鶴間和幸「帝国と支配—古代の遺産」 世界歴史5 p19]
380
花は散りてその色となく詠むればむなしき空に春雨ぞふる
この一首には、式子がみきわめたものの終局の思いが流れており。式子は春の終わりをみつめると共に、一つの時代の終焉をもしみじみと感じていたような歌である。そして、それは、式子自身の、五十年にわたる人生への結論でもあるといえる。 [馬場あき子「式子内親王」第2部式子内親王の歌について 花を見送る非力者の哀しみ p154-5]
381 よく稽古を地道にとか、基本を大切にとかいいますが、すごくうさんくさい。地道な稽古という言葉でマンネリを美化しているように思います。そこから新しい発見がでてくるのか。疑問を持ちますね。 [甲野善紀(武術家)インタヴュー記事「いま古武術が新鮮」朝日新聞 1999/2 月13日]
382 先づ雑誌「新世」32巻9号(1978年)所載の拙文「日本語の活力は日本人の活力 2」より引用する· · ·
鴎外は、明治42年頃から、むやみにフランス語系外来語を使ひだしたが、彼の衒学趣味の表れといってよく、殆ど当然のことながら誤用が見られる。例へば、「青年」(二四)の〈Archa¨ısm〉(アルシャイスム)の振仮名はアルカイスムと改めるべきである。(彼はフランス語のch は必ずシュに当たると思ひこんでゐたらしい)。また同書(一一)の〈altrustique〉(アルトリユスチツク)は〈altruistique〉(アルトリユイスチツク)の誤りである。当時の一般読者には通じないフランス語系外来語(寧ろ、カタコトのフランス語)を小説などに使ったのは、動機が不純であると言はねばならない。みえで難しい言葉を使ふと、誤用しやすい事は、鴎外の場合でも真実なのである。名訳と言はれる彼のファウスト訳を見ても、その語学力等がさほどでもない事が分かるが、人から批判らしい批判を受けなくても、自己を厳しく律してゐたら、みえが原因で誤用する、といふ様な事はなかったであろう。
鴎外の学殖讃美の声を聞くと、私はフランスの諺を思ひ出す事がある。Au royaume de aveugles les borgnes sont rois.(盲人の国では片目が王様だ。· · ·) [大野透「森鴎外の語学力と作家活動」 中村学園研究紀要21 1 (1989年2 月)]
383 子曰く、学んで時に之をならう、亦説ばしからずや。朋有り。遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして慍らず、亦君子ならずや。 [論語、第一 学而篇 一]
384 子曰く、巧言令色、鮮きかな仁。 [論語、第一 学而篇 三]
385 曾子曰く、吾、日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。 [論語、第一 学而篇 四]
386 子曰く、君子は食飽かんことを求むるなく、居安からんことを求むるなく、事に敏にして言に慎み,有道に就いて正すは、学を好むと謂うべし。 [論語、第一 学而篇 一四]
387 子貢曰く、貧しくして諂うなく、富んで驕るなきは何如。子曰く、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富んで礼を好むものに若かず。 [論語、第一 学而篇 一五]
388 子曰く、人の己知らざるを患えず、人を知らざるを患えよ。 [論語、第一 学而篇 一六]
389 子曰く、之を導くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥じなし。之を導くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格(ただ)し。 [論語、第二 為政篇 三]
390 子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従がいて矩を踰えず。 [論語、第二 為政篇 四]
391 子曰く、其の以てする所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞかくさんや、人焉んぞかくさんや。 [論語、第二 為政篇 十] かくす=まだれ+叟
392 子曰く、温故知新、以て師と為すべし。 [論語、第二 為政篇 十一]
393 子曰く、君子は器ならず。 [論語、第二 為政篇 十二]
394 子曰く、君子は周(した)しみて比(おもね)らず、小人は比りて周しまず。 [論語、第二 為政篇 十四]
395 子曰く、学びて思わざれば則ちくらく、思いて学ばざれば則ち殆うし。 [論語、第二 為政篇 十五]
396 子曰く、由よ、汝に之知るを誨えんか、之を知るを之を知るとなし知らずを知らずとなせ、是知る也。 [論語、第二 為政篇 十七]
397 或る人、孔子に謂いて曰く、子、奚んぞ政を為さざる。子曰く、書に云う、孝なるかな孝、兄弟に友有り、有政に施すと。是も亦た政を為す也。奚んぞそれ政を為すを為さんや。 [論語、第二 為政篇 二十一]
398 子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは諂う也。義を見て為ざるは勇なき也。 [論語、第二 為政篇 二十四]
399 子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずるものは、未だ与に議るに足らざる也。 [論語 第四 里仁篇 九]
400 子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みよ。 [論語 第四 里仁篇 十七]