I 1001- 1264 

1001 簡単に、しかも明確に実存的な問題を提起するのが、おとぎ話の特徴である。 [ブルーノ・ベッテルハイム「なぜ子どもにおとぎ話が必要なのか」 図書 1976.4 p38-9 ] 

1002 「それからずっと、しあわせに暮らしました」という、よく使われる結びのことばは、子どもたちに不死が可能なことを教えているのではない。そうではなくて、大人の真実の愛が達成されれば、ひとは永遠の生命を希わなくなることを暗示しているのだ。 [ブルーノ・ベッテルハイム「なぜ子どもにおとぎ話が必要なのか」 図書 1976.4 p39 ] 

1003 子どもたちが、自身を理解し、自己の直面している問題に立ち向かってゆくのを助けるのに、おとぎ話ほど有益なものはないというのは、暗喩的にいってそうなのだ。だから、子どもに向かっておとぎ話の意味をけっして言葉で説明してはならないのである。 [ブルーノ・ベッテルハイム「なぜ子どもにおとぎ話が必要なのか」 図書 1976.4 p39 ] 

1004 かれら(子どもたち)にとってはファンタジーの生活を、かれらがもっとも必要とし、愛している人と共にわかちあえるということが、もっとも大切なことなのだ。だからこそ、おとぎ話は読むよりも、話してきかせる方が望ましいのである。 [ブルーノ・ベッテルハイム「なぜ子どもにおとぎ話が必要なのか」 図書 1976.4 p39 ] 

1005 過去の歴史家は、科学における実験的事実の役割を強調した。かれらの描くガリレオは、本質的に事実の探求者だった。... もちろんこの人物像はある程度正しい。 ... しかし、彼がこんにちわれわれが精通しているような、手のこんだ実験をするということはまずなかった。 ... 彼が達成したことは本質的には、自然についての知的解剖であったといえよう。 [M. ホスキン「5人の大科学者、その想像的対話」I ガリレオ: 数学の自然

1006 新しい理論にいたる道で,その科学者は,自己のあるもの,その世界観にかんするある種の内的確信--- つねに事実を越えて進まねばならない確信--- と関わるのです. [M. ホスキン「5人の大科学者、その想像的対話」I ガリレオ: 数学の自然  p15-6] 

1007 われわれは,し銭対して問いかけを行っているがゆえにこそ,それに先だって,われわれは自然が語る言語を決定しておかなければならない.---中略---自然は数学の言語で話す. [M. ホスキン「5人の大科学者、その想像的対話」I ガリレオ: 数学の自然  p22] 

1008 実験を要求するのはアリストテレス学派で、サルビアチではない。 [M. ホスキン「5人の大科学者、その想像的対話」I ガリレオ: 数学の自然 p29] 

1009 まずわれわれは,2世紀のプトレマイオスの壮大精密な数理天文学の著作Almagestに出遭うであろう.この書は天文学の理論と観察において古代が提供した最高水準のものであり,実にギリシアの天動説体系の理論的完成であった.またアラビア語訳からのラテン語訳でのみ残った彼のOpticaもユークリッドの光学を発展させてAlmagest同様,数学と実験との優れた結合を示したヘレニズム科学最良の所産であった.さらにそのGeographiaも地図作成法の数学的原理を示し.多くの場所の経緯度決定を試みた数理天文学の傑作で,Almagestが天文学においてもったような位置を後世の地理学に対してもった. [伊東俊太郎「近代科学の源流 2, ギリシア科学の遺産」 自然1996(6) p56]

1010 Let us not forget that the manipulation of quantitative relations is only a tool and that real decisions may require evaluations quite different from what can be measured on a quantitative scale. [J. M. Burgers, ``After dinner speech, Oct. 7, 1965 during the course of the symposium on the dynamics of fluids and plasmas'', {¥em Dynamics of Fluids and Plasmas ed., S. I. Pai, p xxiv] 

1011 Finally, may I add that the main purpose of my teaching has not been to prepare you for some examination --- it was not even to prepare you to serve industry or military. I wanted most to you some appreciation of the wonderful world and the physicist's wayof looking at it, which, I believe, is a major part of the true culture of modern times.(There are probably professors of other subjects who would object, but I believe that they are completely wrong.) [R. P. Feynman, Lectures on Physics III21-19 ``Feynman's Epilogue''] 

1012 The most incomprehensible fact of Nature is the fact that Nature is comprehensible. [A. Einstein, at Caputh ca. 10930, from Physics Today.]

1013 All science is philosophical, and the only philosophies capable of validation are those of scientists. [G. G. Simpson, ``The History of Life'', p174 of Evolution after Darwin ed. S. Tax] 

1014  心を十分に動かして、身を七分に動かせ。 [世阿弥「花鏡」動十分心動七分身

1015 見所より見るところの風姿は、わが離見なり。しかればわが眼の見るところは我見なり、離見の見に非ず。離見の見にて見る所は、すなはち見所同心の見なり。その時はわが姿を見得するなり。 [世阿弥「花鏡」舞声為根

1016 上手は,はや年来,心も身も十分に習ひ至り過ぎて,さて動七分身に身を惜しみて,やすくするところを,初心の人,習ひもせで似すれば,心も身も七分になるなり.さるほどに詰まるなり. 

 しかれば習ふ時には,師は,わが当時するやうには教へずして,初心なりし時のやうに,弟子を,身も心も十分に教ふるなり. [世阿弥「花鏡」知習道事]

1017 あまりに珍しき能ばかりを好みて、古き能を為捨て為捨て、能の主にならぬも、また能の転読なり。得手に入りたる能を定能に為定めて、そのうちに新しき能を交ぜてすべし。珍しきばかりに移りて、もとの能を忘るれば、これまた能の位、大きなる転読なり。 [世阿弥「花鏡」知習道事

1018 少な少なとあしきことの去るを、よき劫とす。よき劫の別につもるにあらず。 [世阿弥「花鏡」劫之入用之事

1019 人の目に見えて、きらふこと、われは昔よりこのよきところを持ちてこそ名をも得たれと思つめて、そのまま、人のきらふことを知らで、老の入舞を為損ずる事、しかしながらこの劫なり。よくよく用心すべし。 [世阿弥「花鏡」劫之入用之事

1020 秘義にいはく、「能は若年より老後まで、習ひ通るべし。」 [世阿弥「花鏡」奥段

1021 老後まで習ふとは、初心より盛りに至りて、そのころの時分時分を習ひて、また四十以来よりは、能を少な少なと、次第次第に惜しむ風体をなす。之、四十以来の風体を習ふなるべし。 [世阿弥「花鏡」奥段]

1022 しかれば、当流に、万能一徳の一句あり 初心不可忘。 [世阿弥「花鏡」奥段

1023 是非の初心を忘るべからずとは、若年の初心を忘れずして、身に持ちてあれば、老後にさまざまの徳あり。「前々の非を知るを、後々の是とす」といへり。「先車の覆すところ、後者の戒め」と云々。初心を忘るるは、後心をも忘るるにてあらずや。 [世阿弥「花鏡」奥段

1024 初心を忘れずは、後心は正しかるべし。後心正しくは、上がるところの能は下がることあるべからず。これすなはち、是非を分かつ道理なり。 [世阿弥「花鏡」奥段

1025 また若き人は、当時の芸曲の位をよくよく覚えて、これは初心の分なり、なほなほ上がる重曲を知らんがために、今の初心を忘れじと念籠すべし。今の初心を忘るれば、上がる際をも知らぬによって、能は上がらぬなり。さるほどに若き人は、今の初心を忘るべからず。 [世阿弥「花鏡」奥段

1026 その時々の風儀を為捨て為捨て忘るれば、今の当体の風儀をならでは身に持たず、過ぎし方の一体一体を、今、当芸に、皆一能曲に持てば、十体にわたりて能数尽きず。 [世阿弥「花鏡」奥段

1027 さるほどに一期初心を忘れずして過ぐれば、上がる位を入舞にしてつひに能下がらず。しからば能の奥を見せずして、生涯を暮すを、当流の奥義、子孫庭訓の秘伝とす。 [世阿弥「花鏡」奥段

1028 日本の予知研究は、観測事実をできるだけ多く集めそこから経験式を求め、確率論的予知に進もうとしているようにみえる。これに対してこの論文では、まず定性的なモデルを直感によって組立、モデルに基づく予測を含めて自然を見直していくというアプローチがとられている。同様な彼我の態度の相違はプレートテクトニクスに観測事実をまとめあげる際にも見られたことである。日本に観測面などで立ち遅れがあるとしても、それは数年で克服されるだろう。しかし、底に残る発想のちがいはもっと根深いと思われる。 [中村一明「Scholz, Sykes, Aggarwal, "地震予知の物理的基礎" 訳者付記」 科学 43, 549 (1973).] 

1029 「おゝ、仲間の衆よ、嘆くのはよそうじゃないか。どうも哀しみは喜びの姉妹のようじゃわい。われわれはあんなにまえもって喜んでおったんじゃから、どうしても何か面白うない目に遭わずにゃすまなかったろうよ。」 [イソップ偶話集 23 《石を漁った》漁師たち

1030 さても、この「源氏」作り出でたることこそ、思へど思へど、この世一つならずめづらかに思ほゆれ。まことに、仏に申し請ひたりける験にや、とこそおぼゆれ。それよりのちの物語は、思へばいとやすかりぬべきものなり。かれを才覚に作らむに、「源氏」にまさりたらむことを作りいだす人ありなむ。わづかに「宇津保」「竹取」「住吉」などばかりを、物語とて見けむ心地に、さばかり作り出でけむも、凡夫のしわざともおぼえぬことなり。 [「無名草子」

1031 歌を詠み詩をも作りて、名をも書き置きたるこそ、百年千年を経て見れども、只今その主にさし向かひたる心地して、いみじくあはれなるものはあれ。されば、ただ一言葉にても、末の世にとどまるばかりのふしを書きとどむべき、とはおぼゆる。 [「無名草子」

1032 知能がますます増大することは、それだけ大衆を支配することが賢明になることを意味しているが、一般大衆は、彼らが理解できる範囲の人間によって下手に支配されることを好むものである。 [C. A. Gibbs 「リーダーシップ」より 情報科学講座 C.12.4 グループダイナミックス p159 ] 

1033 「我に聴かずにロゴスに聴きて、ロゴスに従いつつ、すべては一なりと述べるこそ賢けれ。」 [ヘラクレイトス 断片 B50] 

1034 黄金を探し求むる者は多量の土を堀りて少量を得るなり。 [ヘラクレイトス 断片 B22] 

1035 多くを学ぶとも理解は得られず。もし得られるとせば、ヘシオドス、ピタゴラス、さらにはクセノパネースもヘカタイオスも得たりしものを。 [ヘラクレイトス 断片 B40] 

1036 「思慮の健全なる」こそ最大の徳にして、物事の自然を理解して真実を語り、自然に従いて行動するこそ知なれ。 [ヘラクレイトス 断片 B112] 

1037 我は我自らを求めたり。 [ヘラクレイトス 断片 B101] 

1038 人間は小宇宙である。 [デモクリトス B34] 

1039 ハイゼンベルクにとっては,アインシュタインのような大物理学者や伝統的哲学者たちが量子力学を拒否したことの理由よりも,量子力学を是認するこのような理由のほうが,むしろ救い難いものに思われたのである.というのは,量子力学に反対したこれらの人々は.少なくとも,一つの理論が基本理論であるための必要条件は何であるか,を理解する類の人々であったからである. [C. F. von Weizs¥"{a}cker, ``ハイゼンベルクの物理学'' 自然 32}(2) 38 (1977)] 

1040 The best way to learn is to do; the worst way to teach is to talk. [P. R. Halmos, ``The teaching of problem solving'' Am. Math. Month., 82, 466 (1975).] 

1041 Can one learn mathematics by reading it? I am inclined to say no. Reading has an edge over listening because reading is more active - but not much. Reading with pencil and paper on the side is very much better - it is a big step in the right direction. The very best way to read a book, however, with, to be sure, pencil and paper on the side, is to keep the pencil busy on the paper and throw the book away.  [P. R. Halmos, ``The teaching of problem solving'' Am. Math. Month., 82,466 (1975).] 

1042 What is mathematics is really all about is solving concrete problems. [P. R. Halmos, ``The teaching of problem solving'' Am. Math. Month., 82, p467 (1975)] 

1043 Hilbert once said (but I can't remember where) that the best way to understand a theory is to find, and then to study, a prototypical concrete example of that theory, a root example of that illustrates everything that can happen. [P. R. Halmos, ``The teaching of problem solving'' Am. Math. Month., 82, p467 (1975)] 

1044 A famous dictum of Polya about problem solving is that if you can't solve

a problem, then there is an easier problem that you can't solve --- find it! [P. R. Halmos, ``The teaching of problem solving'' Am. Math. Month., 82, p467 (1975)] 

1045 The hardest part of answering questions is to ask them; our job as teachers and teachers of teachers is to teach how to ask questions. [P. R. Halmos, ``The teaching of problem solving'' Am. Math. Month., 82, p467 (1975)] 

1046 To teach research attitude, every teacher should do research and should have had training in doing research. [P. R. Halmos, ``The teaching of problem solving'' Am. Math. Month., 82, p467 (1975)] 

1047 こうして子供ながらも,バッハはますますはっきりと悟ったのであった.生きようと望むなら生計を確保しなければならず,それを確保するためには,生きようと望まなければならないということを.天才が自分のうちで目ざめるのを,彼ははっきりと感じた.しかし,この天才が開花するためには,このような緊密な相関関係が必要条件となったのである.だからこそ,彼は自己放棄に傾くことがなかったし,彼にとって,神にいたる道はまず人間を通過するのであった.そして貫き通るべき藪は厚かったので,そこでは戦いが必要であった.  [アンドレ・マルセル「バッハ」 p32-3]

1048 バッハの本性はギャラントなものではなかったので,彼は流行を不満とし,自分に困難な問題を課さないものには満足しなかった(こうして抽象化への傾向がしだいに強まっていくのである). [アンドレ・マルセル「バッハ」 p14]

1049 バッハがかかる成熟に達したのは、社会的な順応性にすぐれていたからであり、そして、とりわけ、二度の結婚がりっぱなものだったからなのだ。ふたりの妻はバッハを幸福にした。---中略---そして、結婚生活がうまく行くためには相互性が必要不可欠なのであるから、バッハもきっとふたりの妻をしあわせにしたことであろう。---中略---ふしぎなことに、伝記はマーリア・バルバラとアンナ・マグダレーナの役割を過小に評価してきた。実はこのふたりこそ、バッハの天才を調整し同時に深めたのだ。われわれがバッハの内に感嘆するあの円熟とまじめさも、その一部は彼女たちのおかげである。---中略--- 

 バッハは結婚という苦行の中で卓越したものとなった.このことは同時に,彼の卓越に力をかした者たちに,そして,自分たち自身も発展しつつ,彼があますところなく腕をふるうのを許した者たちにも,名誉を与えることになるのである. [アンドレ・マルセル「バッハ」 p51-2] 

1050 彼(Schr¥"{o}dinger)は非常に個性の強い学者であり、もっぱら一人で仕事をし、いかなる意味でも派閥をつくることはなかった。彼は単なる職業的な物理学者ではなく、むしろ本来の意味でのヒューマニストであり、その関心は生命や意識・思想・文化の面にわたっていた。 [高林武彦「シュレーディンガーと統計力学」 シュレーディンガー選集2  p228-9] 

1051 I recall a breif paradoxical remark that Einstein made, half in joke, while we were strolling Under der Linden: Of course every theory is true provided that you suitably associate its symbols with observed quantities.  [E. Schr¥"{o}dinger, ``Might perhaps energy be a merely statistical concept?'' Nuovo Cim., 9162 (1958)]

1052 

40 朝風にけふ驚きてかぞふれば 一夜のほどに秋は来にけり 

69 ぬる人をおこすともなき埋み火を 見つつはかなく明かす夜な夜な 

79 かぞふれば年ののこりもなかりけり 老いぬるばかりかなしきはなし 

 八月ばかりに、いとおもしろき雨の降る日 

118 うしとおもふ我がてふれねど しをれつつ雨には花のおとろふるかな 

 とほくおこなひするおとを聞きて 

120 かなしきは同じ身ながら はるかにも佛によるのこゑを聞くかな 

 きり 

136 秋ぎりにゆくへもみえず わがのれる駒さへ道の空にたちつつ 

 かり

138 物おもへば 雲みにみゆる雁がねの 耳にちかくも聞こゆなるかな 

 あやしきこと 

347 よのなかにあやしき物は いとふ身のあらじと思ふにをしきなりけり 

 人に「世のはかなきこと」などいひて 

438 いかにせんいかにかすべき 世の中をそむけばかなしすめばすみうし 

447 かなしきはこの世ひとつがうきよりも 君さへ物をおもふなりけり 

452 かくしつつかくてややまん たらちねのをしみもしけんあたら命を 

 内待のうせたるころ,雪の降りてきえぬれば 

482 などて君むなしき空にきえにけん あは雪だにもふればふる世に  [和泉式部集]

1053 赤ん坊が生まれ、成長し、次代へと生命をつないで老いて死んでゆくこの現象をすばらしいと安心できる価値観が生まれることを、私は宗教にではなく生物学に期待するものである。 [岡田善雄「研究雑感「個体としての生物」」 自然1977-4 p39] 

1054 陳はそこで自分が状元であることをひけらかし、女たちの心を動かそうとした。老婆はしばらくうつむいていたが 

「状元とはどんなものですか?」 

「学問をして進士に及第し、朝廷の合格者名簿の首席に名をつらね、翰林院に入り、詔勅の起草をつかさどり、文学で国家に名声を挙げる天下の第一人者、これが状元と呼ばれるのですよ」 

「その第一人者は何年に一度あらわれるのですか?」 

「3年です」 

娘がそばから薄笑を浮かべて 

「あたしは状元といえば千年に一人かと思っていたのに、たった3年に一度なんて、そのくらいの格だったのですか。それで人にべらべらおしゃべりを続けるのは、ずいぶん妙なことだわ」 [沈起凰 「諧鐸」 14] 

1055 春の桜は、げに、長からぬにしも、おぼえまさる物となむ。 [紫式部「源氏物語」 匂宮

1056 彼がこれらの地図と報告とをたよりにして、地球周航という大規模な計画をたてたとき、彼自身はただ他人の錯覚によって欺かれていたに過ぎない。一つの錯誤、正直に信じ、正直に受取られた誤謬、これが結局マゼランの秘密であった 

 しかし、われわれは誤謬を軽蔑してはならない。いったん精霊の手に触れられ、偶然に導かれるならば、たとえどんなに愚な誤謬からも、最高の真理が生まれうるものなのである。 [ツヴァイク「マゼラン」第三章

1057 ただ彼は秘密を知っていると信じたからこそ、当代の最大の地球上の秘密を解くことができたのである。全霊をもってはかない妄想に身を捧げたからこそ、彼は不滅の真理を発見したのであった。 [ツヴァイク「マゼラン」第三章

1058 しかし、歴史上、実用性が或る業績の倫理的価値を決定することは決してない。人類の自分自身に関する知識をふやし、その創造的意識を高揚する者のみが、人類を永続的に富ませる。この意味でマゼランの業績は当時のあらゆる業績をしのいでいる。そして栄誉に輝くマゼランをして特に栄誉あらしめるのは、彼が大部分の指導者のように、自分の理念のために、数千数万の人命を犠牲にすることをせず、自分の生命のみを捧げたという事実である。 [ツヴァイク「マゼラン」第十三章

1059 神は創造者である。神は人間を自身の似姿にあわせて創り給うたのであるから、神は人間が創造的であることをお望みである。 [ツヴァイク「アメリゴ」第一章

1060 どんな芸術家もその生活の一日の24時間じゅう絶えまなく芸術家であるのではない。彼の芸術創造において成就する本質的なもの、永続的なものは、霊感によるわずかな、稀な時間のなかでのみ実現する。 [ツヴァイク「人類の星の時間」序

1061 一つの奇蹟または奇蹟的にすばらしいものが完全に実現するための第一条件はつねに、この奇蹟への或る一人の個人の信念である。 [ツヴァイク「人類の星の時間」大洋をわたった最初のことば

1062 たくさん質問するものだけが、多くのことを理解することができるのだよ。そして多くのことを理解しているものだけが、公正な人間になれるのだ。 [ツヴァイク「人類の星の時間」埋められた燭台

1063

 春歌下 

のこりなく散るぞめでたき桜花 ありて世の中はての憂ければ 

春ごとに花のさかりはありなめど あひ見ることは命なりけり 

花ごとの世の常ならばすぐしてし 昔はまたもかへり来なまし 

駒なめていざ見にゆかむ 故郷は雪とのみこそ花は散るらめ 

散る花を何か恨みむ 世の中にわが身もともにあらむものかは 

 山寺にまうでたりけるによめる 

やどりして春の山辺にねたる夜は 夢のうちにも花ぞちりける(貫之

 秋歌上 

 秋立つ日 うへのをのこども賀茂の川原に川逍遙しける ともにまかりてよめる 

川風の涼しくもあるか うちよする波とともにや秋は立つらむ(貫之

昨こそ早苗とりしか いつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く  [古今和歌集]

1064

 離別歌 

 源のさねがつくしへ湯あみむとてまかりける時に 山崎にてわかれ惜しみけるところにてよめる 

いのちだに心にかなふものならば 何かわかれの悲しからまし(しろめ)  [古今和歌集]

1065

 恋歌三 

 人に逢ひてあしたによみて遣しける 

ねぬる夜の夢をはかなみまどろめば いやはかなにもなりまさるかな(業平朝臣

きみやこしわれやゆきけん おもほえず ゆめかうつつかねてかさめてか 

恋歌四 

かれはてむ後をば知らで 夏草のふかくも人をおもほゆるかな(躬恒

恋歌五 

月やあらぬ 春やむかしの春ならぬ わが身ひとつはもとのみにして(業平

今はとて我が身時雨にふりぬれば 言の葉さへに移ろひにける(小町

人知れず絶えなましかば わびつつもなき名ぞとだにいはましものを(伊勢)  [古今和歌集]

1066

逢ふことのもはらたえぬる時にこそ 人の恋しきこともしりけり(詠人しらず

秋風にあふたのみこそ恋しけれ 我が身むなしくなりぬと思へば(小町

 哀傷歌 

 紀友則が身まかりける時よめる 

明日知らぬ我が身と思へど 暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ(貫之

時しもあれ秋やは人の別るべき あるを見るだに悲しきものを(忠岑

 やまひして弱くなりにける時よめる 

 つひにゆく道とはかねてききしかど きのうけふとは思はざりしを(業平

 雑歌上 

 五節の舞姫を見てよめる 

天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめん(良岑宗貞

 女どもの見て笑ひければよめる 

かたちこそみやまがくれの朽木なれ 心は花になせばなりなむ(けんけい法師

おほかたは月をもめでじ これぞこのつもればひとの老いとなるもの(業平

 業平朝臣の母のみこ長岡に住み侍りけるとき業平みやづかへすとて時々もえまかりとぶらはず侍りければしはすばかりに母のみこのもとよりとみの事とて文をもてまうで来たり.あけて見ればことばはなくて有りける歌 

老いぬればさらぬ別れのありといへば いよよ見まくほしき君かな 

 雑歌下 

 文屋の康秀が三河のぞうに成りてあがた見にはえ出でたたじやと云ひやりける返事によめる 

侘びぬれば身をうき草の根を絶えて 誘ふ水あらばいなむとそ思ふ(小町

 女ともだちと物語して別れて後つかはしける 

あかざりし袖の中にや入りにけむ 我がたましひのなき心地する(みちのく)  [古今和歌集]

1067

 春歌中 

 年老いて後梅の花植ゑてあくる年の春おもふところありて 

植ゑしとき花見むとしも思はぬに 咲きちるみれば齢老いにける 藤原扶幹 

 春歌下 

 題しらず 

をしめども春のかぎりのけふの又夕暮れにさへなりにけるかな 

 三月のつごもりの日久しうまうでこぬよしいひてはべる文の奥にかきつけ侍りける 

またもこむ時と思へど 頼まれぬ我が身にしあれば惜しき花かな 貫之 

  (貫之かくて同じ年になむ身まかりにける)  [後撰和歌集]

1068 Camus said that the only serious philosophical question is suicide. That is wrong even in the strict sense intended. The biologist, who is concerned with questions of physiology ad evolutionary history, realizes that self-knowledge is constrained and shaped by the emotional control centers in the hypothalamus and limbic system of the brain. These centers flood our consciousness with all the emotions --- hate, love, guilt, fear, and others --- that are consulted by ethical philosophers who wish to intuit the standard of good and evil. What, we are then compelled to ask, made the hypothalamus and limbic system? They evolved by natural selection.  [E. O. Wilson Sociobiology Part I Chapter 1 The Morality of the Genes]

1069

 夏歌 

ふた声ときくとはなしに郭公夜ふかくめをもさましつるかな 伊勢  [後撰和歌集]

1070

 秋歌中 

秋の海にうつれる月を たちかへり波はあらへど 色もかはらず 深養父  [後撰和歌集]

1071 エレア学派なしに、特にゼノンなしには、ギリシア人の間における論理学の成立はありえなかったであろう。 [A. サボー「数学のあけぼの」はしがき]

1072 明らかに最も才能のある人は、その不完全さを最もよく感じ、最も倦む

ことなくその除去につとめるゆえにこそ、最高に到達するのである。 [H. von ヘルムホルツ「ヘルツ「力学原理」への序言」]

1073

雨やまぬ軒のたまみづ数しらず 恋しきことのまさるころかな 兼盛 

 朝顔の花まへにありけるざふしより男のあけて出で侍りつるに 

もろともにをるともなしにうちとけて見えにけるかな朝顔のはな 

 やむことなき事によりて遠き所にまかりて月ばかりになむまかり帰るべきといひてまかりくだりて道よりつかはしける 

月かへて君をば見むいひしかど日だけ隔てず恋しきものを 貫之  [後撰和歌集]

1074 しかし、実際上は事実資料の収集ということは、収集理由の確立や事実の意味をはかる正しい考え方の確立がなくては無益な仕事であり、これまでも科学的進歩をもたらす重要な方法ではなかった。事実というものは逃げやすいものであり、事実を見出す前に、事実によって何を求めようとするかを知る必要がある。 [G. G. シンプソン「進化の意味」 第16章] (2-137) 

``In reality, gathering facts, without a formulated reason for doing so and a pretty good idea as to what the facts may mean, is a sterile occupation and has not been the method of any important scientific advance. Indeed facts are elusive and you usually have to know what you are looking for before you can find one.'' (G. G. Simpson The meaning of evolution--- a study of history of life and of its significance for man---(Yale UP, 1967) p272.) 

1075 暗闇があるのなら、暗闇は良いものにちがいない。 [C. M. ターンブル「森の民」 第15章 ピグミーの森の讃美より]

1076 Many phenomena of common experience, in themselves trivial (often to the point that they escape attention altogether!) --- for example, the cracks in an old wall, the shape of a cloud, the path of a falling leaf, or the froth on a pint of beer --- are very difficult to formalize, but is it not possible that a mathematical theory launched for such homely phenomena might, in the end, be more profitable for science? [R. Thom, Structural Stability and Morphogenesis p9]

1077 私の考えでは、影響というものは、人がそれを蒙ると同時に破棄するものなのです。もし何かしらの創造的本能にめぐまれているならば、誰もがこのような反応を示すはずなのです。 [ブーレーズ「意志と偶然] 1 勉学時代]

1078 次世代の生物学者の考え方に影響を与えたいと思うならば、実験データの単なる生産者であるという水準を抜きんでて、新しい概念を明確に提示する者とならねばならない。 [S. オオノ「遺伝子重複による進化」 日本語版への序]

1079 事実ではないがそれ(= ファンタジー)は真実である.  [A.¥ K.¥ ル・グウィン「龍へのこの恐怖---ファンタジーを擁護して---」 図書 1977-10 p22]

1080 「むかしむかし一匹の龍がおりました」とか「地面の穴の中にひとりのホビットが住んでいました」というような叙述によって、そしてこのような美しい反事実によって、われわれ空想力に満ちた人類は、その特有のしかたで真実に到達するであろう。 [A. K. ル・グウィン「龍へのこの恐怖---ファンタジーを擁護して---」 図書 1977-10 p22]

1081 説明するとは、目にみえる複雑なものを目にみえない単純なもので置き換えることである。 [J. ペラン、R. トム「自然科学における質的なものと量的なもの」科学 48 296 (1978) 中への引用]

1082 科学に用いられる概念について、普遍的に意味をもち、世界中のあらゆる言語に訳されうる、厳密な定義を与えようとするならば、当然ながら、この定義は数学的な性格の定義に帰着すべきでしょう。この意味からいって私は、すべての科学的進歩が概念的思惟の排除と、その数学的形式主義による置き換えを前提とすること、そしてこれはあらゆる学問分野に当てはまることを確信します。 [R. トム「自然科学における質的なものと量的なもの」科学 48 296 (1978)]

1083 私は数学的なもの以外には、理論化は存在しないと思っています。 [R. トム「自然科学における質的なものと量的なもの」科学48 296 (1978)]

1084 私は,将来あらゆる実験的理論で概念が徐々に排除され,適当な数学的本質にとってかわられる,と考えております. [R. トム「自然科学における質的なものと量的なもの」科学48 296 (1978)]

1085 野外で見たものの名前が全然わからなくても, いっこうにかまわないではないか,大事なのはそれらをどう感じるかということだし,名前を知るのも,それによって喜びをさらに高めるためなのだから. [R. アダムズ「四季の自然」まえがき]

1086 たとえばナミザクラにしても二種類の花があって、糸目模様のナミザクラはまん中に黄色い雄蘂が小さくかたまっているが,針目模様のそれは雌蘂がまるで緑の小さなテーブルのようだ。そんな細かい点に注意して何の価値があるかという人もいるだろう。もちろん価値がある。もしそれをしることが喜びならば。 [R. アダムズ「四季の自然」まえがき]

1087人類が自分自身を全滅させてしまえば別だが、そうでないならば、未来を握る社会は、人間という存在の爬虫類的な、また哺乳類的な部分も無視しはしないが、人間の本性のうちで人間に特有の部分をもりたてるような社会であることだろう。合致よりも多様性を育てる社会であることだろう。さまざまの社会的、政治的、経済的、文化的な実験に資源資材を投入し、長期の便益のために短期の利益を犠牲にする社会であることだろう。新しい思想を、未来へ通ずる微妙で、脆くて、限りなく貴重な通路として取り扱うような社会であることだろう。 [C. セーガン「エデンの恐竜」 第八章 脳の未来と進化 p224]

1088 ..... というのは,個人的結びつきこそが自己中心的姿勢の根源である,という誤った信念で,ある社会は良心との結びつきなしに子供を集団的に養育しよう,とするらである.わけへだてせず集団に結びつく人間を育てようと望むのであろうが,しかし,その場合,つぎのことを見落としている.すなわち,子供はひとりの関係の深い人間に結びつこうとする,ということである.なぜならばそのことは,系統発生的にそのようにまえもって組み込まれているからである. [I. アイブル・アイベスフェルト「プログラムされた人間」 第1部 p88]

1089 インプリンティングがいかに変えがたいかを知っているならば、さらに人間はつぎのように自らに問うだろう。すなわち、自由に意志決定できるという彼らの能力ができるまえに、人類によって一般的に承認されている価値とは別な価値に若者をはめ込んでしまうことははたして公正であろうか、という問いであ る。 [I. アイブル・アイベスフェルト「プログラムされた人間」 第1部 p89]

1090 Conventionality is not morality. Self-righteousness is not religion. To attack the first is not to assail the last. To pluck the mask from the Pharisee, is not lift an impious hand to the Crown of Thorns. These things and deeds are diametrically opposed: they are distinct as is vice from virtue. Men too often confound them: they should not be confounded; appearance should not be mistaken for truth; narrow human doctrines, that only tend to elate and magnify a few, should not be substituted for the world-redeeming creed of Christ. There is --- I repeat it --- a difference; and it is good, and not a bad action to mark broadly and cleanly the line of separation between them. [C. Bront"{e}, Jane Eyre Preface]

1091 テバイ人は敵の手紙が手に入れば必ず開封した。ところがアテナイ人は或る時、フィリッポスの使いが妻のオリンピアスに宛てた手紙をもっているのを捕らえた。しかし、それは私信であるといって開封しなかった。 

 こういう人間の気持ちのうちに流れる肌理のこまかさと荒さとが文化の段階がつく標識である。---中略---市民一般にこういう人間としての肌理のこまかさをもっていた、そこにアテナイ文化の無視できない強さがあり、流通力をもたせたのである。 [原随園「アレクサンドロス大王の父」 第7章 p230]

1092 わたしが本書を書いたのは、マケドニア王フィリッポスの世界情勢への着眼の広さ、困難な状況での巧妙な外交を知ってほしいと思ったからです。同時にアレクサンドロス大王の偉業の基礎には、父の築いた歴史があり、父の熱心な教育があったということを考えてほしいと思います。 [原随園「アレクサンドロス大王の父」 あとがき p266]

1093 Women are supposed to be very calm generally: but women feel just as men feel; they need exercise for their faculties, and a field for efforts as much as their brothers do; $¥cdots$. [C. Bront¥"{e}, Jane Eyre Chapter 12]

1094 I don't think, sir, you have the right to command me, merely because you are older than I, or because you have seen more of the world than I have; your claims to superiority depends on the use you have made of your time and experience. [C. Bront¥"{e}, Jane Eyre Chapter 14]

1095 どんなにたくさんの実験を行っても、このように複雑な非線形度の高い連立方程式(i.e., Einsteinの重力方程式)はけっして出てこないであろう。$¥cdots$このことは、実験はおそらく氷山の頂上だけをわれわれに見せているということを示している。 [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p31]

1096 経験的根拠にたよって明らかなる非合理を容認するならば,ちょうどニュートンの`絶対時間'`絶対空間'および重力質量と慣性質量の等価性の場合に支払わなければならなかったのと同様に,遅かれ早かれその非常に高価な代償を支払わなければならなくなると私には思われる. [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p55]

1097 普遍的なものは---中略---でなければならないものである。個別的なものは、....であるが、同時に何か他のものでありうるものである。 [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p59]

1098 もし彼が実証主義に傾いていたとしたら,きっと一般相対性理論は発見されないままにおわったであろう. [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p67]

1099 自然の合法則性が何か偶然的なものであると,アインシュタインはいっときでも考えたことはなかった. [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p66]

1100 実験は自然の本質的な何かをわれわれに伝えるときだけ興味深いのであって、実験のためだけに理論をつくり上げるのはほとんど価値のないことである [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p66]

1101 科学、芸術、哲学、宗教---これらは、同じものの単に異なる断面にすぎない。ものごとを全体の状況の中でみる人にとっては、人為的境界は意味のないことであり、又、もろく崩れるものでしかなかった。 [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p74-5]

1102 実証主義は永久に打破された.純粋の経験主義は限界を明示された. [ランチョッシュ「アインシュタイン創造の10年」 p153]

1103 自然数から有理数への拡張は、減法および除法における制限を取り去るという理論的な必要性、および測定の結果を表現するという数の現実的な必要性を、ともに満たすのである。有理数の真の意義は、それがこの二重の必要を満たすという事実によって与えられるのである。 [クーラント+ロビンス「数学とは何か」 p62]

1104 問題の核心はただ一つ、キリスト教をいかにしてローマの秩序に服させるべきか---つまり、熱狂的な絶対探求者たちに対して、いかにして地上の相対的な調和感覚の意味を納得させるか、ということです。おそらく人間の歴史はこの二つの生き方、考え方のあいだで揺れうごくでしょう。一方は厳しく、他方は柔弱です。一方は渇いたような眼をし、他方は距離をおいた眼をしています。しかし、人間が人間でありつづけるためには、人間を殺すような絶対を拒むほかありません。これはローマの限界ですが、同時に人間の限界でもあるのです。しかし、人間の品位はただこの限界を知って、そこで踏みとどまり、その宿命を背負うところにしか生じません。 [辻邦生「背教者ユリアヌス」 第12章 テミスティウスのことば]

1105 アテナイのひとソロンは言った:---中略---

 20. 眼にみえぬものを、眼に見えるものによって推量せよ。 

レズボスの人ピッタコスは言った:---中略--- 12. 汝のものを獲得せよ。 

プリエネの人ビアスは言った:... 3. ゆっくりと取りかかれ、しかし始めたら、飽くまで持ちこたえよ。 

... 15. 何でも君が善いことをしたら、それは神のせいにして、自分のせいにするな。 

コリントスの人ペリアンドロスは言った:---中略---

 8. 幸運な時には、節度を保ち、不運な時には、思慮を持て。 [七賢人

1106 博学は知性を持つことを教えはしない。 [ディオゲネス  ix 1] 

1107 その国(ランプサコス)の役人たちが、彼(アナクサゴラス)に、自分のために何をして貰いたいかと訊ねた時、彼が死んだ月に、毎年子どもたちを遊ばしてやって貰いたいと答えた。そしてその慣習は今日まで行われている [ディオゲネス  II 14] 

1108 賎しいことは、君がただ一人でいる時でも言ったり為したりしてはならない。他の人々よりも、むしろはるかに君自身に恥じることを学べ。 [Stob. Flor IV5, 46 デモクリトス

1109 罪の原因は、より善いものについての無知である。 [DK. 68 B83] 

1110 But science is as much for intellectual enjoyment as for practical utility, so instead of just spending a few minutes on the amazing jewel, . [R. P. Feynman, Lectures Sect.22 p22-1] 

1111 Although we humans cut nature up in different ways, and we have different courses in different departments, such compartmentalization is really artificial, and we should take our intellectual pleasures where we find them. [R. P. Feynman, Lectures Sect.22 p22-1] 

1112 ... but it is broadly true to say that mathematicians before Cauchy asked not `How shall we define $1-1+1-?’ but `What is $1-1+1-?’, and that this habit of mind led them into unnecessary perplexities and controversies which were often really verbal. [G. H. Hardy, ``Divergent Series'', Introduction p5-6] 

1113 

50 留春春不住 春帰人寂寞 厭風風不定 風起花蕭索 (白楽天) 

52 惆悵春帰留不得 紫藤花下漸黄昏 (白楽天) 

58 またも来むときぞと思へど頼まれぬわが身にしあれば惜しき春かな (貫之) 

133 悵望慈恩三月尽 紫藤花落鳥閑々 (白楽天) 

166 したくぐる水に秋こそかよふなれむすぶ泉の手さへ涼しき (中務) 

175 風荷老葉蕭条緑 水蓼残花寂漠紅 (白楽天) 

191 つつめども隠れぬものは夏虫の身より余れるおもひなりけり 

204 蕭颯涼風与悴鬢 誰教計会一時秋 (白楽天) 

206 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる (敏行) 

209 槐花雨潤新秋池 桐葉風涼欲夜天 (白楽天) 

232 小倉山ふもとの野辺の花すすきほのかに見ゆる秋の夕暮れ 

242 三五夜中新月色 二千里外故人心 (白楽天) 

277 山さびし秋も過ぎぬと告ぐるかも槙の葉ごとに置ける朝霜 (八束) 

297 閑思看汝花紅日 正是当吾鬢白時 (保胤) 

345 八月九月正長夜 千声万声無了時 (白楽天) 

351 唐ころもうつこゑ聞けば月清みまだねぬ人をそらに知るかな (貫之)   [和漢朗詠集 上] (2-183) 

1114 

415 かすみはれみどりの空ものどけくてあるかなきかにあそぶいとゆふ 

496 三声猿後垂郷涙 一葉舟中載病身 (白楽天) 

555 蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中 (白楽天) 

585 山寺の入相の鐘のこゑごとに今日もくれぬと聞くそかなしき [和漢朗詠集 下] (2-184) 

1115 Copernicus and Kepler were deeply religious and yet both denied one of the prevailing doctrines of Christianity. This doctrine affirmed that man was at the center of the universe; he was the chief concern of God. [M. Kline, Mathematics, II Flowering of Mathematical Truths, p41 ]

1116 The thought that all the phenomena of motion should follow from one set of principles might seem grandiose and inordinate, but it occurred very naturally to the religious mathematicians of the 17th century. [M. Kline, Mathematics, III The Mathematics of Science, p52 ]

1117 The story is well known that in his (= Laplace's) writings he often omitted difficult mathematical steps and said, ``It is easy to see $¥cdots$.'' The real point of this story is that he was impatient with mathematical details and wanted to get on with the application. [M. Kline, Mathematics, III The Mathematics of Science, p62 ]

1118 Newton's work unintentionally initiated a divorce or emancipation of natural philosophy from theology. [M. Kline, Mathematics, III The Mathematics of Science, p72 ]

1119 Nature replaced God. As Gauss put it, ``Thou, nature, are my goddess, to thy laws my services are bound.'' [M. Kline, Mathematics, IV The First Debacle, p62 ]

1120 The intuition of great men are sounder than the deductive demonstrations of mediocrites. [M. Kline, Mathematics, VII The Illogical Development: The Predicament ca 1800, p168 ]

1121 Dedekind, much like Weierstrass, realized the need for a clear theory of irrationals while teaching the calculus. [M. Kline, Mathematics, VII The Illogical Development: The Predicament ca 1800, p179]

1122 Moreover, logic must operate on something and that something consists of certain extra-logical concrete concepts, such as number, which are present in intuition before any logical development can be undertaken. [M. Kline, Mathematics, XI The Formalist and Set-Theoretic Foundations, p249]

1123 This result (= G¥"{o}del's incompleteness theorem) prompted Hermann Weyl to say that God exists because mathematics is undoubtedly consistent and the devil exists because we cannot prove the consistency. [M. Kline, Mathematics, XII Disasters p261]

1124 The proliferation of terminology, largely artificial and with no relation to physical ideas but purporting to suggest new ideas, is certainly not a contribution but rather a hindrance to the use of mathematics. It is new language but not new mathematics. [M. Kline, Mathematics, XIII The Isolation of Mathematics p283]

1125 However, nature never blazons her secrets with a loud voice but always whispers them. And the mathematicians must listen attentively and then attempt to amplify and proclaim them. [M. Kline, Mathematics, XIII The Isolation of Mathematics p296]

1126 If a flight into abstraction is necessary, it must be something more than an escape. Reentry to the ground is indispensable, even if the same pilot cannot handle all phases of the trajectory. [M. Kline, Mathematics, XIII The Isolation of Mathematics p298]

1127 Talleyrand once remarked that an idealist cannot last long unless he is a realist and a realist cannot last long unless he is an idealist. When applied to mathematics, this observation speaks for the need to idealize real problems and to study them abstractly but it also says that the work of the idealist who ignores reality will not survive.  [M. Kline, Mathematics, XIII The Isolation of Mathematics p305]

1128 There is no rigorous definition of rigor. [M. Kline, Mathematics, XIV Whither Mathematics? p315](旧2519) 

1129 The virtue of a logical proof is not that it compels belief but that it suggests doubts. The proof tells us where to concentrate our doubts. [M. Kline, Mathematics, XIV Whither Mathematics? p315]

1130 More vigor and less rigor. [M. Kline, Mathematics, XIV Whither Mathematics? p315]

1131 It is still true that mathematics is man's most extensive and most profound effort to achieve precise and effective thinking and what it accomplishes measures the capacity of the human mind. It represents the upper limit of what we can hope to attain in all rational domains. [M. Kline, Mathematics, XIV Whither Mathematics? p326]

1132 Philosophy and the subjects known as `humanities' are still taught almost as if Darwin had never lived. [R. Dawkins The Selfish Gene 1. Why are people? p1 ]

1133 The welfare state is perhaps the greatest altruistic system the animal kingdom has ever known. But any altruistic system is inherently unstable, because it is open to abuse by selfish individuals, ready to exploit it. [R. Dawkins The Selfish Gene 7. Family planning p126 ]

1134 I am an enthusiastic Darwinian, but I think Darwinism is too big a theory to be confined to the narrow context of the gene.  [R. Dawkins, The Selfish Gene]

1135 Sappho created a vision of love that, even on the basis of the fragmentary evidence, must be ranked with those of Solomon, Socrates-Plato, Tolstoy, Martin Buber, and other persons of great stature. [P. Friedrich, The Meaning of Aphrodite, Chapter 5. Homer, Sappho and Aphrodite p104]

1136 This compulsion to burn Sappho indicates that her vision threatened the Christian foundations of patriarchy, hypocrisy and puritanism.  [P. Friedrich, The Meaning of Aphrodite, Chapter 5. Homer, Sappho and Aphrodite p126]

1137 To Wallace, the orchid acquired ``a weird and mysterious charm'' and he suddenly yearned to visit the tropics, a longing that was as ridiculous for him to contemplate as man journeying to the moon.  [A C Brackman, A Delicate Arrangement, II Chapter 13, p112]

1138 In his letter Sims had apparently sought to put down Wallace, as many scientists did later and still do, by branding him a dilettante and ``an enthusiast.'' 

 But Wallace relished the label. ``So far from being angry at being called an enthusiast (as you seem to suppose) it is my pride and glory to be worthy to be so called,'' Wallace replied jubilantly. ``Who ever did anything good or great who was not an enthusiast?'' [A C Brackman, A Delicate Arrangement, II Chapter 27, p222]

1139 When a visitor once remarked to Violet (Wallace's daughter), ``What a wonderful old man your father is,'' she was taken aback, ``This was quite a shock,'' she recalled ``for to us he was not old.'' One of his wards, an eight-year old boy, later recalled that Wallace's favorite drink was Carary Sack and that ``he always treated me with great kindness, patience and indulgence, which is somewhat remarkable considering my age $¥cdots$.'' [A C Brackman, A Delicate Arrangement, III Chapter 37, p306-7]

1140 We have reached the double conclusions: 

 that invention is choice 

 that this choice is imperatively governed by the sense of scientific beauty.  [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field.  III The Unconscious Discovery p31]

1141 Unconscious may be something not exclusively originating in ourselves and even participating in Divinity seems already to have been admitted by Aristotle. [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field. III The Unconscious Discovery p40]

1142 This is what Souriau expresses by the quite striking phrase: ``In order to invent, one must think aside''; --- we can remember Claude Brnard's statement, ``Those who have an excessive faith in their ideas are not well fitted to make discoveries.'' [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field. IV The Preparation Stage. Logic ad Chance p48]

1143 As for me (and mine is the case of many mathematicians), I make many more of them (=errors) than my students do; only I always correct them so that no trace of them remain in the final result. [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field.  IV Preparation Stage, logic and chance p49]

1144 after working on a subject and seeing no further advance seems possible, to drop it and try something else, but to do so provisionally, intending to resume it after an interval of some months. [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field. IV Preparation Stage, logic and chance p55]

1145 I insist that words are totally absent from my mind when I really think .....  [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field. VI Discovery as a Synthesis. The Help of Signs p96]

1146 ... the more complicated and difficult a question is, the more we distrust words, …  [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field. VI Discovery as a Synthesis. The Help of Signs p96]

1147 Students have often consulted me for subjects of research; when asked for such guidance, I have given it willingly, but I must confess that --- provisionally, of course --- I have been inclined to classify the man as second rate. [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field.  IX The General Direction of Research p126]

1148 A man without some love of science could not be successful, because he would be unable to choose. [J Hadamard, The Psychology of Invention in the Mathematical Field. IX The General Direction of Research p133]

1149 

Still the fair vision lives! Say nevermore 

That dreams are fragile things. What else endures 

Of all this broken world save only dreams! (Anonymous) 

The happiness of life is made up of minute fractions --- the little soon forgotten charities of a kiss or smile, a kind look, a heartful compliment, and the countless infinitesimals of pleasurable and genial feelings. (S T Coleridge --- The Improvisatore

Ideals are like stars; you will not succeed in touching them with your hands. But like the seafaring man on the desert of waters, you change them as your guides, and following them you will reach your destiny. (C Schultz --- Addresses, April 18, 1859) 

There is no duty we so much underrate as the duty of being happy. (R W Emerson ---Circles---) 

If a man does not keep pace with his companions, perhaps it is because he hears a different drummer. Let him step to the music which he hears, however measured or far away. (H D Thoreau ---Walden---)  [from Tasha Tudor, ``The Springs of Joy'']

1150 物性物理学を開花させ、その中ではぐくまれてきた統計物理学は、ミクロの世界とマクロの世界を橋渡しする物理からさらに発展して、時間的and/or空間的スケールの異なる2つの異質な世界をつなぐ物理として成長しようとしているのではなかろうか? [森肇「非線型非平衡系の逐次転移と乱流」 物性研究 35}(4) D11 (1981)]

1151 Real mathematics in the nineteenth century is Riemann surface, Cantor sets, and Lie groups. Real mathematics in the twentieth century is cohomology, sheaves and categories. F J Dyson]

1152 The little book by Gibbs is a beautiful book. It is truly remarkable because he knew that what he was doing was contradictory to experimental evidence. He said so in the beginning --- I think it is in the introduction to the book. And yet he developed it, and I would say it is both a profound physical insight and a beautiful mathematical development. [C N Yang]

1153 中世の教育や学問は,七つの部分からなる.そのうちの四つ,つまり算術,幾何,天文,音楽は数学の部にふくまれていた.この考え方は非常に大切な真理をふくんでいる.すでにギリシア人は音響学の研究を通じて,音楽における音組織の問題を,数学の対象としていた.音律の理論の最初の確立者にピタゴラスの名がみえる偶然ではない.その後 --- 話は飛躍しすぎるかもしれないが --- 新しい音楽は,うまれるたびに,頭脳的数学的操作であって自然の霊感 --- もっと,ひらべったくいえば,旋律が欠乏しているといって,非難されつづけてきた. [吉田秀和「LP100選」 オルガヌムとモテット p30]

1154 In reading Schwever's detailed account of the moments preceding Darwin's formulation of natural selection, I was particularly struck by the absence of deciding influence from his now field of biology. The immediate precipitators were a social scientist, an economist, and a statistician. If genius has any common denominator, I would propose breadth of interest and the ability to construct fruitful analogies between fields.  [S. J. Gould, The Panda's Thumb p66]

1155 ボーアはまた老年の問題を考察した.役に立つ仕事をすることをやめてしまった年寄りの価値は何であるか?なぜ彼らは生きつづけねばならないのか.彼は非常にいい答えを与えた.彼らに自分たちよりいくらか若い人々に,その人たちが比較的に若いと感じさせるために,生きつづけるべきである. [P A M Dirac]

1156 ボーアは最高の智慧は必ず、その意味が曖昧さなしには定義できないような言葉を含んでいると考えた。かくて最高の智慧についての命題の真理性は絶対ではなく、その中にある曖昧な言葉に対し、適当な意味を与える限りにおいての相対的なものに過ぎない。その結果として反対の命題もまた妥当性をもち、そしてまた智慧を含んでいる。ボーアはこれを次の命題によって説明した。「神が存在する」という命題は偉大な智慧と真理を含んでいる。そしてその反対の「神は存在しない」という命題も偉大な智慧と真理を含んでいる。 [P A M Dirac]

1157 

いつまでか明けぬ暮れぬといとなまむ 身は限りありことは尽きせず いとけなし 老いてよわりぬ 盛りにはまぎらわしくてつひに暮らしつ [「明恵上人歌集」 13, 14]

1158 人は阿留辺幾夜宇和と云ふ七文字を持つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。 

 我は後世たすからんと云ふ者に非ず 。ただ現世に、先づあるべきやうにてあらんと云ふ者成り。 [栂尾明恵上人遺訓]

1159 仏法修行は、けきたなき心在るまじきなり。武士なんどは、けきたなき振る舞ひしては、生きても何かせん。仏法もかくなめくりて、人に随ひて、尋常の義共にて足りなんと思ふべからず。叶はぬまでも、仏智の如く底を究めて、知らんと努むべし。多く知らずは非学生とこそ云はれんずれども、其は苦しからず。 [栂尾明恵上人遺訓]

1160 人の信施は,内に叶ふ徳ありて受くるは福なり. [栂尾明恵上人遺訓]

1161 物を能く知れば、驕慢こそ起こらね。驕慢の起るは、能く知らぬにこそ。  [栂尾明恵上人遺訓]

1162 我は師をば儲けたし、弟子はほしからず。尋常(よのつね)は、聊かの事あれば師には成りたがれども、人に随ひて一生弟子とは成りたがらぬにや。弟子持ちて仕立てたがらんよりは、仏果に至るまでは、我が心をぞ仕立つべき。 [栂尾明恵上人遺訓]

1163 仏法は能く達したりと覚しき人は,弥 仏法うとくのみ成るなり. [栂尾明恵上人遺訓]

1164 中々志わりなきは,神通もなき人々の,命を捨て,生を軽くして,天竺にわたり,さまざま仏法を修行したる,殊に哀に羨しく覚ゆる. [栂尾明恵上人遺訓]

1165 相構へて、々々、師をば能々計らひて設くべきなり。 [栂尾明恵上人遺訓]

1166 人の過を云ふ程の者は,我が身に徳のなきをりの事也. [栂尾明恵上人遺訓]

1167 昔より人を見るに,心のすきもせず,恥なげにふた心なる程の者の,仏法者に成りたるこそ,つやつやなけれ. [栂尾明恵上人遺訓]

1168人は我が祈りの為とて、経、陀羅尼の一巻をも読まず、焼香礼拝の一度をもせずとも、心身正しくして、有るべき様にだに振舞はば、一切の諸天善神も是を護り給へり.......六借しくこせめかんよりも、何もせずして、只正しくしてぞ在るべき。 [栂尾明恵上人遺訓]

1169

5 山ふかみ春とも知らぬ松の戸に たえだえかかる雪の玉水(式子) 

23 空はなほかすみもやらず 風冴えて 雪げにくもる春の夜の月(良経) 

38 春の夜の夢の浮橋 とだえして 峯にわかるるよこぐもの空(定家) 

40 大空は梅のにほひにかすみつつ くもりもはてぬ春の夜の月(定家) 

56 浅みどり花もひとつにかすみつつ おぼろに見ゆる春の夜の月(孝標女)   [新古今和歌集 第一 春歌上]

1170

112 風かよふ寝ざめの袖の花の香に かをるまくらの春の夜の夢(俊成女) 

149 花は散りその色となくながむれば むなしき空にはるさめぞ降る(式子)  [新古今和歌集 第二 春歌下]

1171 

191 ほととぎすこゑまつほどは 片岡の森のしづくに立ちやぬれまし(紫) 

201 むかし思ふ草のいほりのよるの雨に 涙なそへそ山ほととぎす(俊成) 

202 雨そそぐ花たちばなに風すぎて やまほととぎす雲に鳴くなり(俊成) 

238 たれかまたはなたちばなにおもひ出でむ われもむかしの人となりなば(俊成) 

245 たちばなのにほふあたりのうたたねは 夢もむかしのそでの香ぞする(俊成女) 

267 庭の面はまだかはかぬに 夕立の空さりげなくすめる月かな(頼政)  [新古今和歌集 第三 夏歌]

1172 

285 神なびのみむろのやまのくずかづら うら吹きかえす秋は来にけり(家持) 

420 さむしろや待つ夜の秋の風ふけて 月をかたしく宇治の橋姫(定家)  [新古今和歌集 第四 秋歌 上]

1173

445 鳴く鹿の声に目さめてしのぶかな 見はてぬ夢の秋の思を(慈円) 

491 村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ(寂蓮) 

520 秋ふかき淡路の島の ありあけにかたぶく月をおくる浦かぜ(慈円) 

523 いつの間に紅葉しぬらむ 山ざくら昨日か花の散るをおしみし(具平親王)  [新古今和歌集 第五 秋歌 下]

1174

608 さえわびてさむる枕に影見れば 霜ふかき夜のありあけの月(俊成女) 

664 今日はもし君もや訪ふとながむれど まだ跡もなき庭の雪かな(俊成) 

693 へだてゆく世々の面影 かきくらし雪とふりぬる年の暮れかな (俊成女) 

696 思ひやれ 八十ぢの年の暮なれば いかばかりかはものは悲しき(小侍従) 

706 今日ごとに今日や限りと惜しめども 又も今年に逢ひにけるかな(俊成)  [新古今和歌集 第六 冬歌]

1175

783 ねざめする身を吹きとほす風の音を 昔は袖のよそに聞きけむ(和泉式部) 

799 命あればことしの秋も月は見つ わかれし人に逢ふよなきかな(能因)  [新古今和歌集 第八 哀傷歌]

1176

987 年たけてまた越ゆべしと思ひきや いのちなりけり さ夜の中山(西行) [新古今和歌集 第十 覊旅歌]

1177

1012 今日も又かくやいぶきのさしも草 さらばわれのみ燃えやわたらむ(和泉式部) 

1034 玉の緒よ 絶えねばたえね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする(式子) 

1035 忘れてはうちなげかっるゆふべかな われのみ知りてすぐるつきひを(式子) 

1124 夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖のけしきは(式子) 

1136 面影のかすめる月ぞやどりける 春やむかしの袖のなみだに(俊成女) 

1149 忘れじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな(儀同三司母) 

1262 入る方はさやかなりける月影を うはの空にも待ちし宵かな(紫) 

1320 消えわびぬ うつろふ人の秋の色に 身をこがらしの森の下露(定家) 

1404 わがみこそあらぬかとのみたどらるれ 問ふべき人に忘られしより(小町) 

1411 なげくらむ心の空に見てしかな 立つ朝霧に身をやなさまし(徽子)  [新古今和歌集 恋歌 一 - ]

1178

1497 めぐりあひて みしやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かげ(紫) 

1535 ながめしてすぎにしかたを思ふまに 峯より峯に月はうつりぬ(覚性) 

1563 葛の葉のうらみにかへる夢の世を 忘れがたみの野べの秋風(俊成女) 

1584 老いぬとも又も逢はむと 行く年に涙の玉を手向けつるかな(俊成) 

1753 いたづらにすぎにし事やなげかれむ うけがたき身の夕暮れの空(慈円) 

1807 暮れぬめり 幾日をかくてすぎぬらむ 入相の鐘のつくづくとして(和泉)  [新古今和歌集 雑歌 上、下]

1179

1970 しづかなる暁ごとに見わたせば まだ深き夜の夢ぞ悲しき(式子)  [新古今和歌集 釈教歌]

1180

41 春の夜のやみはあやなし 梅の花色こそみえね香やはかくるる(みつね) 

42 人はいさ心も知らず ふるさとは花ぞ昔の香ににおひける(つらゆき)  [古今和歌集 第一 春歌 上]

1181 

84 久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花のちるらむ(とものり) 

89 桜花ちりぬる風のなごりには 水なき空になみぞたちける(つらゆき) 

97 春ごとに花のさかりはありなめど あひみん事は命なりけり 

113 花の色はうつりにけりな いたづらにわがみ世にふる ながめせしまに(こまち) 

115 あずさゆみ春の山辺をこえくれば 道もさりあへず花ぞちりける(つらゆき) 

117 やどりして春の山辺にねたる夜は 夢の内にも花ぞちりける(つらゆき)  [古今和歌集 第二 春歌 下]

1182 

169 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる(としゆき) 

170 河風のすずしくもあるか うちよする浪とともにや秋のたつらん(つらゆき) 

172 きのうこそさなへとりしか いつのまにいなばそよぎて秋風のふく 

191 白雲にはねうちかはし飛ぶかりの かずさえ見ゆる秋の夜の月 

193 月みればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど(ちさと)  [古今和歌集 第三  秋歌 上]

1183

406 あまの原ふりさけみれば 春日なるみかさの山にいでし月かも(なかまろ) 

409 ほのぼのとあかしの浦の朝霧に 島がくれゆく舟をしぞおもふ 

411 名にしおはばいざこととはむ 都鳥 わがおもふ人はありやなしやと(なりひら)  [古今和歌集 第九  覊旅歌]

1184

552 おもひつつぬればや人のみえつらむ 夢としりせばさめざらましを(こまち)  [古今和歌集 第十二  恋歌 二]

1185

645 きみやこしわれやゆきけん おもほえず ゆめかうつつかねてかさめてか 

648 さよふけて天の門わたる月かげに あかずも君をあひ見つるかな 

673 あふことは玉のをばかり 名の立つは吉野の川のたぎつせのごと  [古今和歌集 第十三  恋歌 三]

1186

747 月やあらぬ 春やむかしの春ならぬ わが身ひとつはもとのみにして(なりひら) 

772 こめやとはおもふものから ひぐらしのなく夕ぐれはたちまたれつつ  [古今和歌集 第十五  恋歌 五]

1187

838 あす知らぬ我がみと思へど くれぬまのけふは人こそかなしかりけれ(つらゆき) 

839 ときしもあれ秋やは人の別るべき あるをみるだにこひしきものを(ただみね) 

845 水の面にしづく花の色 さやかにも君がみかげの思ほゆるかな(たかむろの朝臣) 

861 つひにゆく道とはかねてききしかど きのうけふとは思はざりしを(なりひら)  [古今和歌集 第十六 哀傷歌]

1188

872 天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめん(よしみねのむねさだ) 

879 おほかたは月をもめでじ これぞこのつもればひとの老いとなるもの(なりひら) 

888 いにしへのしづのおだまき いやしきもよきもさかりはありしものなり 

900 老いぬればさらぬ別れのありといへば いよよ見まくほしき君かな(なりひらの母,伊登内親王)  [古今和歌集 第十七 雑歌 上]

1189

裸木に花はひそかに咲きてあり 地の上の影のゆれうごくかな 

丘の上のまばら榛の木 秋ざれてさわぐ夕べを行く人もなし  [土屋文明「ふゆくさ」]

1190

静かなる夜のやどりに 気をはりて話す幼子の声はこだます 

小工場に酸素熔接のひらめき立ち 砂町四十町夜ならむとす 

柵あり 牧舎あり 鳥なきて声はこだまに帰ることなし  [土屋文明「山谷集」]

1191 

東みなみの空に浮く雲かがやきて 東南の風は吹くかも 

午後六時煙たえたる工業地に 今日の光のてれる静まり 

くれなゐの蓮の花のふくだみてしどろになりつ 清きかがやき 

窓の上の今朝の光よ 紅にうつらむ色のはやくすぎぬる 

中空にさやかに照れる月ひとつ 光をうけし万の小竹の葉  [土屋文明「少安集」]

1192 

塔白く寺廃れ蓮華たなびけり 虚空にまがふ荷葉のかがやき 

塵洗はれ人等親しき今朝のちまた 縦横に槐の花咲きあふる 

西吹きし一日の後 つばめ飛ばず 綏遠鼓楼しづまりてたつ  [土屋文明「韮青集」]

1193

わが為に照れる月夜と見るまでに 庭芝草の露にぬれつつ 

いさよひの月のさし来るその山を 恋ふとし言ふもほのかなるもの 

この山を月夜すがらに思ひ寝ねき あかとき影にまざまざと見ゆ 

わが今朝の朝風はやし 君が窓の初秋風を思ひこそやれ  [土屋文明「自流泉」]

1194

三十年心にありし冬ざれの墓山今日は春の村の上 

そこと思ふ海も海の上の島山も 月の光はただほのかにて 

川に向きま昼とざせる二階あり ああ吾住みき三十五年前 

年々に若葉にあそぶ日のありて その年々の藤なみの花 

道あり流れを渡る石の坂うへ森は夕日にかがやきたりき  [土屋文明「青南集」]

1195

朝ぎりにうかぶ塔一つまた一つ 戒も破戒もかかはりのなく 

老あはれ若きもあはれ あはれあはれ 言葉のみこそのこりたりけれ  [土屋文明「続青南集」]

1196

目の前の谷の紅葉のおそ早もさびしかりけり 命それぞれ 

同じ茂りふたたびは見ぬ木蔭ゆく 命のみこそただに長しも  [土屋文明「続々青南集」]

1197

旅行かずなり牀上に武川思ふ 最も遠き吾が足のあと 

終りましし聞きて走りし夜の道 一つ思ひ出づる草の葉もなく 

黒髪の少しまじりて 白髪のなびくが上に永久のしづまり 

終りなき時に入らむに 束の間の後前ありや 有りてかなしむ 

もみぢ葉の桜より柿に移りゆく 年々のことも思ふなかりき 

花さく草実の成る樹々に 年々の移を見しやまた見ざりしや 

亡き人の姿幼等に語らむに 聞き分くるまで吾あるらむか [土屋文明「青南後集」]

1198 

 夏 

23 庭のままゆるゆる生ふる夏草を 分けてばかりに来む人もがな 

40 朝風にけふ驚きてかぞふれば 一夜のほどに秋は来にけり 

69 ぬる人をおこすともなき埋み火を 見つつはかなく明かす夜な夜な 

 八月ばかりに、いとおもしろき雨の降る日 

118 うしとおもふ我がてふれねど しをれつつ雨には花のおとろふるかな 

162 立ちのぼる煙につけて思ふかな いつまたわれを人のかく見ん  [和泉式部集 上]

1199

416 つれづれと今日かぞふれば 年月に昨日ぞ物は思はざりける 

753 あらざらむこの世の外の思いでに 今ひとたびのあふこともがな 

794 涙さへ出にし方を眺めつつ 心にもあらぬ月を見るかな 

873 物思へば雲居に見る雁がねも 耳に近くもきこえなるかな 

874 朝霧にゆくへも見えず わがのれる駒さへ道の空に立ちつつ  [和泉式部集 下]

1200

908 まどろめば吹きおどろかす風の音に いとど夜さむになるをこそおもへ 

916 中空にひとり有明の月を見て のこるくまなく身をぞしりける 

938 世の中は暮れゆく春の末なれや 昨日は花の盛りとか見し 

984 明け立てばむなしく空をながむれどそれぞとしるき雲だにもなし 

1005 なけやなけわがもろ声に呼子鳥 呼ばば答へて帰り来ばかり 

1009 なぐさめん方のなければ思はずに生きたりけりと知られぬるかな 

1038 人しれず耳にあはれと聞こゆるは 物思ふよひの鐘の音かな 

1040 なぐさめて光の間にもあるべきを見えては見えぬ宵のいなづま 

1047 寝ざめする身を吹きとおす風の音を 昔は耳のよそにききけん 

1269 枝ごとに花散りまがへ 今はとて春のすぎゆく道みえぬまで 

1324 かひなくはおなじ身ながら はるかにも仏によるの声をきくかな  [和泉式部続集]

1201 念仏の行者は知恵をも愚痴をも捨、善悪の境界をもすて、貴賎高下の道理をもすて、地獄をおそるる心もすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟をもすて、一切の事をすて々申す念仏こそ、弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ。かやうに打あげ打あげとなふれば、仏もなく我もなく、まして此内に兎角の道理なし。善悪の境界、皆浄土なり。外に求むべからず、厭うべからず。よろづに生きとし生けるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。人ばかり超世の願に預るに非ず、またかくのごとく愚老の申事も意得にくく候はば、意得にくきにまかせて愚老が申事をも打捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願にまかせて念仏したまふべし。念仏は安心して申も、安心せずして申すも、他力超世の本願にたがふ事なし。弥陀の本願に欠けたる事もなく、あまれることもなし。此外にさのみ何事をか用心して申べき。ただ愚かなる者の心にかへりて念仏したまふべし。南無阿弥陀仏。[一遍「興願僧都あて御返事」]

1202 生死本無ければ,学すともかなふべからず.菩提本無ければ行すとも得べからず.[一遍「真縁上人あて御返事」]

1203 如来の禁戒をやぶれる尼法師の行水をし、身を苦しむるは、またくこれ懺悔にあらず、ただ自業自得の因果のことわりをしるばかりなり。 [一遍 語録 下巻、門人伝説 38]

1204 彊は已に若かざるもに勝つも,已に若く者に至りては剛なり(必ず折らるるなり).柔は已に出ずる者に勝ちて,その力量るべからず. [列子 黄帝第二]

1205 人その見ざるところを見んと欲すれば、人の窺わざるところを視よ。その得ざる所を得んと欲すれば、人の為さざる所を修めよ。 [列子 仲尼第四]

1206 指すことなければ則ち皆至る。 [列子 仲尼第四]

1207 楊朱曰く、古語に之あり、生きて相憐み、死して相捐つと、此の語至れり。 [列子 楊朱第七]

1208 大功を成さんとする者は小成を成さず。 [列子 楊朱第七]

1209 賢者は人に任す。故に年老ゆれども衰えず、智つくれども乱れず。 [列子 説符第八]

1210 それ憂うるは昌ゆるを為す所以なり、喜ぶは亡ぶを為す所以なり。勝つはその難きものにあらず、之を持するはその難きなり。 [列子 説符第八]

1211 天地の万物、我と並しく生類なり。類に貴賎なし。徒小大智力を以て相制し、送(たが)いに相食む。相為にせんとして、之を生ずるにはあらざるを、人は食うべきを取って之を食うのみ。あに天は本人のために之を生ぜんや。 [列子 説符第八]

1212 秘儀的で背理的な命題によって確かになるのは、その内容の真理性ではなく、そういう背理を共有しない他集団に対する、自己の側の固有性、そしてそれを正しいと信じ、その信条を共有するものの、集団としてのアイデンティティなのである。 [谷泰「「聖書」世界の構成論理」 第一部第一章 無根拠性とアイデンティティ p5]

1213 もし君が無限者を思惟するならば、そのとき君は思惟能力の無限性を思惟し且つ確信しているのである。 [フォイエルバッハ「キリスト教の本質」 第一章人間の本質]

1214 己が分を知りて、及ばざる時は速やかに止むを智といふべし。許さざらんは人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは己が誤りなり。 [徒然草 第131](旧2591) 

1215 しかし,自他の二道が各々の道を至り尽した時,相触れる者がないであろうか.異なるのは道筋であって,登り終らば同じ頂きに達するであろう.高い峯は二つの道を一つに近づけるではないか?  [柳宗悦「南無阿弥陀仏」 趣旨 p35]

1216 私がわすれられがちな一遍を特に祖述したい所以は、彼に浄土門の帰着を見るからである。否、浄土門そのものの要諦が彼を招かねばならなかったのである。彼にきて自力他力の二門が邂逅するのである。彼は始めから概念的に二者同一を説いたのではない。どこまでも他力門に徹することによって、自他一如の境に来たのである。このことは何を教えるか。信ずる一道を進めよと命じる。だが、中途にて止まるなと告げる。誰であろうと与えられた分に応じ、いずれかの道を選んでよい。だが、分かたれた道に囚えられるなら、道を徹した者とはいえぬ。それが徹する時、分かれざる世界を始めて見るであろう。 [柳宗悦「南無阿弥陀仏」 趣旨 p37]

1217 下品の者の称名こそは,仏の大願力が働くその場所なのである.口称をあなどるのは,仏の力を疑うに等しい.仏の底なしの力を想えば,どうしてわずか一声乃至十声の称名たりとも,これをさげすむことができよう.聖覚法印の「唯信鈔」にいう, 

 「仏いあかばかりの力ましますと知りてか,罪悪の身なれば,救はれがたしと思ふべき」. [柳宗悦「南無阿弥陀仏」 6 念仏 p106]

1218 阿弥陀仏が「わが名を称えよ」と、世にも簡易な称名の道を用意したことは、真に稀有な発見だといってよい。それも人間が唱える功徳によって、浄土に導こうというのではない。 [柳宗悦「南無阿弥陀仏」 7 他力 p116]

1219 往生が不定だというなら、それは凡夫とは思わぬ我執のためだといってよい。凡夫たる限り往生は必定である。 [柳宗悦「南無阿弥陀仏」 7 他力 p117]

1220 信じ得る者は幸いである。だが信じ得ない者はどうしたらよいのか。そもそも仏の慈悲は衆生にある資格を要求しているのであろうか。資格に堪え得ぬ下々品の者に、その愛を注ごうとするのではなかったか。不信の者をこそ最も深く相手としているのではないであろうか。 [柳宗悦「南無阿弥陀仏」 15 行と信 p207-8]

1221 開カレツルニ叩クトハ。 [柳宗悦「南無阿弥陀仏」 心俗]

1222 作家の誠実さとは、生き方なんかではない。生き方や態度や社会的発言の〈誠実さ〉は、とりあえず、疑ってみる必要がある。 語りたいこと とか ある思い (フット・フェティシズムでもなんでもいい)を一つの幾何学的な物語に組み立てること、読者に与える効果を考えながらエピソードの順序を入れ替えること、語り手をどうするか(一人称か三人称か)を考えること、伏線をフェアに張ること、眠る時間を削って細部を考え、ノートを書きかえること--- 作家の誠実さ とは それしかない 。 [小林俊彦「小説世界のロビンソン」 43 第42章 作家の誠実さとはどういうものか 波 19879月号p32]

1223 We often hear that mathematics consists mainly in ``proving theorems.'' Is a writer's job mainly that of ``writing sentences?'' [G.-C.¥ Rota, ``Introduction'' to The Mathematical Experience]

1224 As time passes, all politicians (and generals) come to seem less important; what lasts is art. ``Literature'' said Ezra Pound, ``is nes that stays news.'' ---中略--- What does any one know about the petty princelings who ruled Germany in the time of Bach except that they were not very kind to Bach? [Essay by Otto Friedrich, TIME 130(15) p94 1987/10/12]

1225 He (= Paul Ehrenfest) began at G¥"{o}ttingen to record his ideas systematically in the first of what was to be a long series of small pocket notebooks. These notebooks are distinctly different from those kept by most scientists: of the thousands of entries made over the thirty years of his active life, by far the largest part consists of questions. He carried such a notebook around, and entered questions as they occurred to him, questions suggested by his reading, often on points of detail in papers he was studying. Sometimes they are recognizable as the germs of ideas later developed in extended articles. [M. J. Klein, Paul Ehrenfest vol. 1 p43]

1226 Only Kant was imp[ortant].  

K. G¥"{o}del": Answer to Grandjean's questionnaire 6 ``How much importance, if any, do you attribute to each of the scholar in the above list, in the development of your interests?'' 

The list contained: Boltzmann, Brouwer, Finsler, Kant, Mauthner, J. Richard, Wittgenstein  [Hao Wang, Reflections on Kurt G¥"{o}del p17]

1227 I don't consider my work a ``facet of the intellectual atmosphere of the early 20th century,'' but rather the opposite. [K. G¥"{o}del: Letter to Grandjen (Aug 19, 1975) from H Wang p20]

1228 I was a conceptual and mathematical realist since about 1925. I never hold the view that mathematics is syntax of language. Rather this view, undestood in any reasonable sense, can be disproved by my results. [K.¥ G¥"{o}del: Letter to Grandjean (Aug 19, 1975) from H.¥ Wang p20]

1229 G saw a stronly analogy between theoretical physics and set theory. Physics is confirmed by sense perceptions; set theory by its consequences in elementary arithmetic. The fundamental insights in arithmetic, which cannot be reduced to anything simpler, are analogous to sense perceptions.  [Hao Wang, {¥em Reflections on Kurt G¥"{o}del p52]

1230 Neither G nor Wittgenstein says much about moral, social and political problems n their philosophy, but for different reasons. While Wittgenstein believes that nothing general can be said about such problems, G seems to believe that once the right basic theory is found, the rest will follow as applications, comparable to those physics to engineering. [Hao Wang, {¥em Reflections on Kurt G¥"{o}del p64]

1231 

古郷へ廻る六部は気の弱り 

横丁に一つ宛ある芝の海 

生り初めの柿は木にあるうち配り 

母の手を握って炬燵しまわれる 

辻切りを見ておわします地蔵尊 

粉のふいた子を抱いて出る夕涼 

引越のあとから娘猫を抱き 

女房と相談をして義理を欠き  [誹風柳多留 初扁]

1232 

母の名は親仁の腕にしなびて居 

婿のくせ妹が先へ見つけ出し 

本復の元のごとくに吝くなり 

能い娘母も惚れ手の数に入り 

里のない女房は井戸でこわがらせ 

飛石にすると和尚の夢に見え 

ごまめ売り猫に一疋軽薄し  [誹風柳多留 二扁]

1233

盆踊り子をしょったのが頭分 

物差で晝寝の蝿を追ってやり 

世の欲の樒をだにも選りかえし 

里帰り夫びいきにもう話し 

願わくば娵の死に水取る気なり  [誹風柳多留 三扁]

1234

武者一人しかられている土用干し 

娵の有卦姑の頓死一つ知れ 

口説かれて娘は猫にものをいひ [誹風柳多留 四扁]

1235

船頭もあとの婆は義理で抱き 

店賃でいひこめられる論語読み 

上がるなといはぬばかりの年始帳 

内説と見えて火鉢に顔をくべ 

知る人にばかり子供がすへる膳  [誹風柳多留 五扁]

1236

うなされる廬生杓子でつっつかれ 

あくる日は夜討と知らず煤を取り 

二度借りた小袖を貰ふ形身わけ 

姉さんといいやと芸者子を育て 

悪がたい下女君命をはづかしめ 

心中の邪魔して今に礼をうけ  [誹風柳多留 六扁]

1237

勝った日は意見いはぬが女なり  [誹風柳多留 七扁]

1238

三番叟数へるほどの人で見る 

くたびれたやつが見つける一里塚 

川止めに手にはをなおす旅日記 

書置きはめっかりやすい所におき 

愛想のよいを惚れられたと思ひ  [誹風柳多留 八扁]

1239

江戸者の生まれそこない金をため 

いけ盛りの酢の無いを食う内気者 

やせこけた死骸があるとわらびとり 

材木屋ついてあるいて空を見せ  [誹風柳多留 十一扁]

1240

針箱をさがすと女房とんで出る 

安産着さぎとすっぽんまひあそび [誹風柳多留 十二扁]

1241

なつかしくゆかしくそして金とかき 

はらんだで相談ずっかずかでき 

書置きを見れば不孝も知っている  [誹風柳多留 十三扁]

1242 

蚊帳つった夜はめづらしく子が遊び 

理にかって女房あへなくくらはされ 

帰たを見れば箒もおそろしい 

握られた片手たたみをむしってる [誹風柳多留 十四扁]

1243

一の富どこかの者が取りは取り 

土俵入りまける気色は見えぬ也 

一割は雲に隠れし物語  [誹風柳多留 十五扁]

1244

牡丹餅を上戸こはごは一つ食い 

そこら迄行って我金女房かし  [誹風柳多留 十六扁]

1245

あれと出るなと両方の親がいひ 

仙人さまあと濡れ手で抱きおこし 

鉋屑何になさると橋大工 [誹風柳多留 十九扁]

1246

うさんといふにほひ女房かぎいだて [誹風柳多留 二十二扁]

1247

吉原のつぶれた夢を母は見る  [誹風柳多留 二十三扁]

1248

うぬ惚れをやめれば外惚れ手なし 

気にかけられなとかける事を言ひ 

猫に追われたで荘子うなされる  [誹風柳多留 二十四扁]

1249

竹の子はぬすまれてから番がつき 

引窓に夕暮ひとつひきもどし 

書き出してぶちのめされたようになり 

仲人の雨までほめて帰るなり 

名物を食ふが無筆の道中記 

忍ぶ夜の蚊はたたかれてそっと死に 

針箱のうちは一生かたづかず 

胸の火が燃えて頭を手燭にし 

七人は藪蚊を追うにかかってゐ 

烏なけ鐘もなれなれふられた夜 

子を持って近所の犬の名をおぼえ 

よくねればねるとてのぞく枕蚊帳 

腹を切ることもおしへてかわいがり 

よくしめて寝ろといひいひぬすみに出  [誹風柳多留 拾遺]

1250

歌よみは下手こそよけれ あめつちの動き出してたまるものかは(宿屋飯盛) 

世の中は色と酒とが敵なり どうぞ敵にめぐりあひたい(四方赤良) 

いつ見てもさてお若いと口々にほめそやさるる年ぞくやしき(朱楽漢江) [狂歌集

1251 

304 けさの春海はほどあり麦の原  雨桐 

310 星はらはらかすまぬ先の四方の色  呑霞 

340 夏川の音は宿かる木曽路かな  重五  [「春の日」

1252 

363 暮淋し花の後ろの鬼瓦  友五 

444 はつ雪に戸明けぬ留主の庵かな  是幸  [「あら野」 一

1253

531 つきたかと児のぬき見るさし木哉  舟泉 

565 なの花の座敷にうつる日影哉  傘下 

567 うごくとも見えで畑うつ麓かな  去来 

595 行蝶のとまり残さぬあざみ哉  燭遊 

598 ほろほろと山吹ちるか滝の音  芭蕉 

599 松明に山吹うすし夜のいろ  野水  [「あら野」 二

1254 

681 夕顔は蚊の鳴くほどのくらさ哉  偕雪 

684 楠も動くやうなり蝉の声  昌碧  [「あら野」 三

1255

832 としごとに鳥居の藤のつぼみ哉  荷兮 

843 氷みし添水またなる春の風  野水 

847 行春もこころへかほの野寺かな  野水  [「あら野」 六

1256

938 おくられつおくりつはては木曾の秋  芭蕉 

941 とまりとまり稲すり歌もかはりけり  ちね  [「あら野」 七

1257

1063 しんしんと梅散りかかる庭火かな  荷兮  [「あら野」 

1258

1619 幾人かしぐれかけぬく勢田の橋  丈艸 

1630 ひといろも動く物なき霜の夜  野水 

1671 この木戸や鎖のさされて冬の月  杉風 

1687 下京や雪つむ上の夜の雨  凡兆 「猿蓑」 一

1259 

1775 すず風や我より先に百合の花  乙州 

1782 頓て死ぬ気しきはみえず蝉の声芭蕉  「猿蓑」 二

1260 

1810 あさ露やう金畑の秋の風  凡兆 

1869 高土手にひはのなく日や雲ちぎれ 珍碩  「猿蓑」 三

1261 

1934 かげろうや柴胡の意図の薄曇り  芭蕉 

1990 くたびれて宿かるころや藤の花  芭蕉  「猿蓑」 四

1262 

2158 しづかさは栗の葉沈む清水かな  柳蔭 「猿蓑」 六

1263

2409 大はらや蝶の出てまふ朧月  丈艸 

2444 やまざくらちるや小川の水車  智月 

2514 月影にうごく夏木や葉の光  可南 

2540 行雲をねていて見るや夏座敷  野坡  [ 「炭俵」 上

1264

2973 くもる日や野中の花の北面  猿  

2998 病僧の庭はく梅のさかり哉  曽良 

3001 しら梅やたしかな家もなきあたり  千川 

3065 やぶあぜや穂麦にとどく藤の花  荊口 

3133 藻の花をちぢみよせたる入江かな  残香 

3137 朝露によごれて涼し瓜の土  芭蕉 

3144 一田づつ行きめぐりてや水の音  北枝 

3165 李盛る見せのほこりの暑哉  万乎 

3176 若竹や煙の出る庫裏の窓  曲翠 

3195 魚あふる幸もあれ渋うちは  馬筧 

3233 月かげや海の音きく長廊下  牧童 

3256 つたの葉や残らず動く秋の風  荷兮 

3278 何なりとからめかしゆく秋の風  文考 

3438 菊刈るや冬たくまきのおきどころ  杉風  [「続猿蓑」 

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