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徒然草 菜根譚 イプセン「民衆の敵」etc フロイト「精神分析学入門」 毛主席語録 世阿弥「風姿花伝」 ニーチェ「ツァラトゥストラ」 新約聖書

1 ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる。 [ 徒然草  第13]

2 人遠く,水草きよき所に,さまよひありきたるばかり,心慰むことはあらじ. [徒然草 第21]

3 私のこの最後の道徳的決意も、人に知られたいというのぞみを隠していた。 [大岡昇平「俘虜記」]

4 人の文章を多く読み,人の話を多く聞き,自分も多く語る.この平凡な一事が,生活からコントを拾ってじょうずに話すための基礎訓練だ.その根本にさかのぼれば,話の材料を拾うべき「観察」に興味を持ち続けることである. [渋沢秀雄「私たちの言語生活」]

5 今日のスポーツは、精神にとって危険な存在と化しました。私はスポーツを否定はしませんが、そのために新聞や雑誌の特別版が必要だと言うことになると、これは知性のために危険だと言いたいのです。一種の阿片的役割を果たしかねない。 [亀井勝一郎「現代随想全集」]

6 僕、去年秋始遊廬山、到東西二林間、香爐峰下、見雲水泉石勝絶第一、愛不能捨。因置草堂。前有喬松十数株、脩竹千余竿。青蘿為牆垣、白石為橋道。流水周舎下、飛泉於簷間。紅榴白連羅生池砌。 [白居易「與微之書」]

7

敕勒川 陰山下 

天似穹廬 籠蓋四野 

天蒼蒼 野茫茫 

風吹草低見牛羊 [無名氏「敕勒歌」] 

8 手のわろき人の、憚らず文書きちらすはよし、みぐるしとて人に書かするはうるさし。 [徒然草 第35]

9 何事も,古き世のみぞしたはしき. [徒然草 第22]

10 誉れを愛するは、人の聞きを喜ぶなり。 [徒然草 第38]

11 道之不行、已知之矣。 [論語、微子篇「荷篠丈人」中の子路のことば]

12 無所可用.故能若是之壽. [荘子 人間世扁「散木」]

13 老来りて始めて道を行ぜんと待つことなかれ。---中略--- あやまりといふは、他のことにあらず。速にすべき事をゆるくしゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことのくやしきなり。その時悔ゆともかひあらむや。 [徒然草 第49]

14 人はただ無常の身に迫りぬることを,心にひしとかけて,つかのまも忘るまじきなり. [徒然草 第49]

15 おほかた児の申楽に,さのみにこまかなるものまねなどは,せさすべからず.当座も似合はず,能も上がらぬ相なり.ただし,堪能になりぬれば,何としたるもよかるべし.児といひ,声といひ,しかも上手ならば,何かはわるかるべき. [世阿弥「風姿花伝」年来稽古条々]

16 このごろの稽古には,ただ指をさして人に笑はるるともそれをば顧みず,$¥cdots$ [世阿弥「風姿花伝」年来稽古条々]

17 伝承的な慣習(traditional custom)と言うものは、それを正当づける理由が少なければ少ないほど、それを廃することが困難なのである。 [マーク トウェイン「トムソーヤーの冒険」第五章]

18 ありのままの真実は聞き辛いものである。 [マーク トウェイン「トムソーヤーの冒険」第一六章]

19 をかしきことをいひてもいたく興ぜぬと、興なきことをいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。 [徒然草 第56]  

20 すべていとも知らぬ道の物語りしたる、かたはらいたく、聞きにくし。 [徒然草 第57]

21 大事を思ひ立たむ人は,避りがたく,心にかからむことの本意を遂げずしてさながら捨つべきなり.---中略--- 無常の来ることは,水火の攻むるよりも速かに,のがれがたきものを,その時,老いたる親,いときなき子,君の恩,人の情,捨てがたしとてすてざらむや. [徒然草 第59]

22 いわゆる歎きというものも,それはまだ何か望みのあるうちのことで,万策尽きてどん底まで行けば,それでおしまいになるものだ.済んでしまった不幸をくよくよ嘆いていると、却って新しい不幸を招くようなことにもなる。 [シェークスピア「オセロ」第一幕第三場 太公のことば]

23 地獄道の秘伝に曰く、極悪無残の大罪悪を人間にいざやらせようという時には、悪魔は先ず天使の姿をかりていざなうとある。 [シェークスピア「オセロ」第二第三場 イアーゴーのことば]

24 この上無しの金持ちでも,いつ貧乏になるかとびくびくしとる奴は蕭条として冬枯れの如しですな. [シェークスピア「オセロ」第三第三場 イアーゴーのことば]

25 空気みたいに軽い事柄でも,嫉妬にとりつかれてる奴には,聖書の文句程にも効き目のある証拠になるもんだ [シェークスピア「オセロ」第三第三場 イアーゴーのことば]

26 賎しげなるもの---中略---家の内に子孫の多き、人にあひて詞の多き、 願文に作善多く書き載せたる 。 [徒然草 第72]

27 つれづれわぶる人は,いかなる心ならむまぎるるかたなく,ただひとりあるのみこそよけれ. [徒然草 第75]

28 生けらむほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く禽獣に近きふるまひ(中略)好みて益なきことなり。 [徒然草 第80]

29 女のなき世なりせば,衣紋も冠も,いかにもあれ,ひきつくろふ人も侍らじ. [徒然草 第107]

30 もし人来たりて,わが命,あすは必ず失はるべしと告げしらせたらむに,けふの暮るるあひだ,何事をか頼み,何事をかいとなまむ.我等が生けるけふの日,なんぞその時節にことならむ. [徒然草 第108]

31 勝たむと打つべからず。負けじと打つべきなり 。 [徒然草 第110]

32 何事も、めづらしきことをもとめ異説をこのむは、浅才の人の必ずあることなりとぞ。 [徒然草 第116]

33 走る獣は檻にこめ,くさりをさされ,飛ぶ鳥は翅をきり,籠に入れられて,雲をこひ,野山を思ふ愁止む時なし.その思,我が身にあたりて忍びがたくは,心あらむ人,是を楽しまむや.生を苦しめて目を喜ばしむるは桀紂が心なり,王子猷が鳥を愛し,林に楽ぶをみて逍遙の友としき.捕へ苦めたるにあらず. [徒然草 第121]

34 (シテ)忘れんと思ふ心こそ、(地謡)忘れぬよりは思ふなれ。 [謡曲「綾鼓」]

35 勢利紛華,不近者為潔.近之而不染者為尤潔. [ 洪自誠「菜根譚」 4]

36 間時要有喫緊的心思,忙時要有悠間的趣味. [洪自誠「菜根譚」8]

37 退歩即進歩的張本。 [洪自誠「菜根譚」17]

38 無過便是功。 [洪自誠「菜根譚」28]

39 功成行満之士、要観其末路。 [洪自誠「菜根譚」30]

40 降魔者、先降自心。 [洪自誠「菜根譚」38]

41 花はひとへなるよし。 [徒然草 第139]

42 心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。 [徒然草 第142]

43 子故にこそ、万のあはれは思ひ知らるれ。 [徒然草 第142]

44 盗人をいましめ、ひがごとをのみ罪せむよりは、世の人の飢えず寒からぬやうに、世をばおこなはまほしきなり。人恒の産なきときは恒の心なし。人きはまりて盗みす。世をさまらずして凍餒のくるしみあらば、とがの者絶ゆべからず。人をくるしめ、法ををかさしめて、それをつみなはむこと、不便のわざなり。 [徒然草 第1 42]

45 おのれたがふ所なくは,人の見聞くにはよるべからず. [徒然草 第143]

46 南ヴェトナムのカトリックの人たちが,仏教徒や政敵を弾圧し,実際に殺してしまう暴挙には,ぼくは激しくいきどおっています.---中略--- このような人道に反する行為が,カトリック信者の手で行われているのに,世界中のカトリックの人々は,どうして黙っているのでしょうか. [岡村昭彦「南ヴェトナム戦争従軍記」 p78]

47 こうして国外から日本の電波を聞いていると,日本という国はたえず野球と相撲ばかりやっている,奇妙な国のように思えてならない. [岡村昭彦「南ヴェトナム戦争従軍記」 p150]

48 チャーチル辞世の言葉は「もうすっかりいやになったよ」. われわれは毎日それをいい,偉大な戦士は最後にそれを言う. [2/3, 1965 朝日新聞夕刊「素粒子」]

49  心遠地自偏。 [陶潜「飲酒」]

50 茂った草は疎らな草より刈りやすい。 [西ゴート王アラーリックの詞(ローマ攻略に際して)世界の歴史3p80]

51 今の事業多き時代に生まれながら問題の大小をも弁えず。其力を用ゐる所当を失へりと言ふ人あらば如何。明神の山の木菟の如くあまりに其耳を尖らしあまりに其眼を丸くし過ぎたりと責むる人あらば如何。はて是非もなし。此責任のみは自分が負はねばならぬなり。 

   おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも [柳田国男「遠野物語」初版序文]

52 人は往々にして大体といい、わずかな例外といおうとするが、いかに小さな例外でも原因はあるべきで.... [柳田国男「野草雑記」虎杖および土筆、方言区域の論]

53 いわゆる教育が伝統の敵であることは、最も顕著にこういう善でも悪でもないものの上に現れるのであります。 [柳田国男「野草雑記」菫の方言など(二)]

54 伝へて聞き,学びて知るは,誠の智にあらず.  [徒然草 第38]

55 真俗につけて、必ずはたし遂げむと思はむことは、機嫌をいふべからず。 [徒然草 第155]

56 死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず。かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。 [徒然草 第155]

57 万の事、外に向きて求むべからず、ただここもとを正しくすべし。清獻公がことばに「好事を行じて前程を問ふことなかれ」といへり。 [徒然草 第171]

58  子供はな、いつかはだれだってカメを飼うのさ。けども、いつまでも飼える子供はいねえな。飼って飼って、しまいにはある日にがしちまう。そして子供もいっちまうのさ---どっかへね。 [ スタインベック「怒りのぶどう」 4]

59 「できる」かどうかなんていってたんじゃ、なんにもできやしない。カリフォルニアだってどこへだっていけやしない。けど、「つもり」かどうかって言われれば、そりゃ、そのつもりにはなれるもんさね。 [スタインベック「怒りのぶどう」第10]

60 ここのこの老いたる人は今まさに一つの生命を生き、今まさに生命を終えて死んだのであります。この人がよき人であったのか悪しき人であったのか、それはわかりません。けれどもそれは大きな問題ではありません。この人は生きたのでした。それが大切なことなのです。そしてこの人は死んでおります。そしてそのことはたいせつなことではありません。 [スタインベック「怒りのぶどう」第13]

61 大地主たちが生きているのに,ストライキが停止している,そういう時を恐れるがいいのだ.---なぜなら,どんなに打ちのめされている小さなストライキでも,それは一歩が踏み出されていることの証拠だからだ. [スタインベック「怒りのぶどう」第14]

62 なぜなら物を所有するという所有の特性のために、諸君は永久に「わたし」というものの中に凍結されてしまい、永久に「われわれ」とは切り離されてしまうからだ。 [スタインベック「怒りのぶどう」第14]

63 商売とは高尚なものだということ、けっして奇妙に儀式化された盗賊行為ではないということ、実はうそだと知っているのだ。 [スタインベック「怒りのぶどう」第15]

64 コーヒーは船の燃料にしてもやしちまえ.暖をとるためにトウモロコシをもやしちまえ.そいつはあったかな火をつくるぜ.ジャガイモは川の中へどさっとおとしちまえ.腹ペコの人間たちにすくい出させねえように川土手に沿って監視人をおきな.---中略--- 摘発されない犯罪がここにあるのだ.泣き声ではとても現し得ない悲哀がここにあるのだ.すべてのわれわれの成功をくずしてしまう失敗がここにあるのだ. [スタインベック「怒りのぶどう」第26]

65 人にあなづらるるもの(中略)あまり心よしとしられぬる人。 [枕草子 第27]

66

 何人とも一島嶼にてはあらず 

 何人とも自らにして全きはなし 

 ひとはみな大陸(くが)の一塊、本土のひとひら 

 そのひとひらの土塊を波のきたりて洗いゆけば 

 洗われしだけ欧州の土の失せるは 

 さながらに岬の失せるなり 

 汝が友どちや汝自らの荘園の失せるなり 

 何人とのみまかりゆくもこれに似て 

 自らを殺ぐにひとし 

 そはわれもまた人類の一部なれば 

 されば問うなかれ 

 誰がために鐘は鳴るやと 

 そは汝がために鳴るなれば [ ジョン ダン]

67 義不殺少而殺衆,不可謂知類. [墨子「公輸」]

68 一人を殺さば、これを不義と謂い、必ず一死罪有り。もしこの説をもって往が(中略)百人を殺さば不義を百重す。かくのごときは天下の君子、みな知りてこれを非とし、これを不義と謂う。今大いに不義をなし、国を攻むるに至っては、すなはち非とするを知らず、従ってこれを誉め、これを義と謂う。まことにその不義を知らざるなり。 [墨子「非攻」]

69 いま小しく非をなさば,知ってこれを非とし,大いに非をなして国を攻むれば,非とするを知らず.従ってこれを誉めてこれを義と謂う.これ義と不義との弁を知ると謂うべきか. [墨子「非攻」]

70 人を非とする者は必ずもってこれに易うるものあり。 もし人を非としてもってそれに易うるものなければ、これを譬うるになお水をもって水を救い、火をもって火を救うがごとし。その説将に必ず可なるなからんとす。 [墨子「兼愛」]

71 戦前,戦中にかけて,政府はむやみにむずかしい漢字を使い真意がどこにあるのかわからないままに,国民全体を戦争にまきこんでしまった.あるいは,政治家はことさらあいまいなことばを使って,国民の認識を誤らせた.---中略---戦いに敗れて, なお「敗戦」といわず「終戦」という.こういう性根のゆがみこそ,国を滅ぼすものである.  [中島健蔵「猟人の笛(15)『負けおしみ』」中,柳田国男先生のことば(7/6, 1965 西日本新聞 夕刊)]

72 自分では人間を食おうとし、しかし他人からは食われまいとするから、疑心暗鬼で、お互いにジロジロ相手を盗み見あっているこんな考えをすてて、安心して仕事をし、往来を歩き、飯を食い、眠ったら、どんなに気持ちがいいだろう。それはほんの一またぎ、一つの関を越えるだけだ。だが、やつらは親子、兄弟、夫婦、友人、師弟、仇敵、それに見も知らぬ他人同士まで必死になってお互いにはげましあい、お互いに牽制しあって、死んでもこの一歩を踏み越そうとしないのだ。 [魯迅「狂人日記」九]

73 思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 [魯迅「故郷」]

74 思想なるものは、もともと曲解されることを常に避けられない。いささかの曲解を含みつつも、全体としては大きな力となって現実を動かすものが偉大な思想というものである。 [世界の歴史10 p57]

75 

  一つには功の多少を計り彼の来処を量る。 

 二つには己が徳行の全殃を計って供に応ず。 

 三つには心を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るるを宗(く)とす。 

 四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。 

 五つには道業を成せんが為めに将に此食を受くべし。 [食事五観 五葉山大生寺「御箸」の裏]

76 「未開」社会の研究が十分精緻にすすめられて行くに従って,「未開」社会一般というものはありえず,これまでのいわゆる「未開」社会も文明と同じ歴史の深度をもち,各地域の歴史の過程で,文明社会とは異る特殊性の道をたどってきたことが,次第に明らかにされてゆくであろう. [川田順造「ローランド・オリヴァー編著「アフリカ史の曙」あとがき」p187]

77 人間は集団として行動するとき,大局的にみると意外に単純な法則に従っていることが多いことは事実である. でもやっぱり,それぞれの人間は考える力と意見をもっている.少なくとも,そうでありたい. [豊田利幸「核戦略批判」 II抑止戦略の正体 p49]

78 真理がくりかえし述べられ,否定できないことがはっきりすればするほど,かえって,それに対して不感症になったり,忘れてしまったり,甚だしきに至っては,無理に反発しようとしたりするやっかいな性質を,人間はもっている.そればかりではない.生活水準の高い国々においては,より多くの人々が現状に満足しているが故に,それを根底からゆるがす何物かの存在を忘れたがったり,軽くみたがってりする傾向が強い. [湯川秀樹「核戦略批判」「本書によせて」pii-iii]

79 戦争が勃発すると人々はいう---「こいつは長くは続かないだろう、あまりに馬鹿げたことだから。」そしていかにも。戦争というものは確かにあまりにも馬鹿げたことであろうが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行は常に頑強なものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかりを考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。 [カミュ「ペスト」]

80  しかし,自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです。 [カミュ「ペスト」ランベールのことば]

81 皆さん、私たちは踏みとどまるものとならねばなりません。  [カミュ「ペスト」パヌルー神父のことば]

82 知は其の知らざる所に止まるは、至れり  [荘周]

83 ああ、私の頭の中にはプロレタリアもブルジョアもない。たった一握りの白い握り飯が食べたいのだ。 [林芙美子「放浪記」十月X日]

84 又当社(伊勢神宮)に物を忌給ふ事、余社に少し替侍り。産屋をば生気と申す。五十日の忌也。又死せるを死気とて、同く五十日忌給ふ也。其故は死は生より来る。生は是れ死の始まりなり。されば生死を共に忌むべしとこそ申伝へ侍れと云き。 [無住「沙石集」巻之一、(一)大神宮、御事]

85  われわれの間にあって真理と自由の最も危険な敵、それは堅実な多数であります。さよう、この呪うべき、堅実な、気随気侭な多数であります。 [イプセン「民衆の敵」第四幕、ストックマンのことば]

86 一体、一つの国において住民の多数を成すものは、いかなるものでありましょうか。それは利口でありましょうか、それとも馬鹿でありましょうか?この広い世界にわたって馬鹿者こそ、至る所において圧倒的多数を占めるものであります。 [イプセン「民衆の敵」第四幕、ストックマンのことば]

87 ビリング:  分らない? ほほう,それはどういうことですか? 社会は船のようなものです.すべての人間が力を合わせて舵をとらなければならんのです.  

ホルステル:  陸ならそれでうまくいくかもしれませんが,船ならとても駄目ですね. [イプセン「民衆の敵」第1幕]

88 この男は,知らないのに何か知っているように思っているが,わたしは,知らないから,そのとおりにまた,知らないと思っている.だから,つまりこのちょっとしたことで,わたしのほうが知恵があるらしい. [プラトーン「ソクラテスの弁明」6d] 

89 神でも人でも、 自分よりもすぐれている者があるのに、これに服従しないということが悪であり醜である ということは知っているのです。 [プラトーン「ソクラテスの弁明」17b]

90 人生に使命を持っている者は、独立していなくてはならん。 [イプセン「野鴨」第四幕、ヤルマールのことば]

91 獣は恩を思ひ知る者なり、人は恩を知らざるなり。 [今昔物語 巻第五「亀人の恩に報ゆる語」第十九]

92 専門家は、体制の奉仕者であることをやめ、自分のあずかりしらぬ目的の手段であることを拒否する事によって、はじめて一個の知識人となるのである。 [サルトル「知識人の位置」、慶應大講演、朝日新聞1966.9.21夕刊文化欄]

93 急進主義と知識人の企ては、本来一体なものなのである。異議申立てを行うふりをしても、穏健派は、結局は権力に奉仕しているのだ。 [サルトル「知識人の役割」朝日新聞1966.9.23朝刊]

94 数の多少が問題なのではない。知識人の任務は、多数者である万人のために自己の矛盾を生き、万人のために、急進主義にもとづいてその矛盾をのりこえることなのである。 [サルトル「知識人の役割」朝日新聞1966.9.23朝刊]

95 創造することは自由な立場で意識的に現実を取上げる事であり、それはまず現実を徹底的に拒否することから始まる。そのためには、女性はあまりにも慎み深すぎる。---中略--- 女性に哲学者がいないのは徹底的な問題の提出の仕方が欠けているからである。 [ボーヴォワール「女性と創造」朝日新聞1966.9.23朝刊]

96 安全問題については、基本的な点が忘れられがちである。基本的な点はむしろ最も簡単なことであって、科学技術の専門知識を必要としないことであり、誰にもわかることである。 [ 武谷三男「安全性の哲学」 科学1966.10, p517, 14]

97 危険なものは,災害の可能性のある場所におかないこと.場所そのものが,いちばん基本的な安全装置である. [武谷三男「安全性の哲学」科学1966.10, p517, 14]

98 真の科学技術の発展は,安全問題をふまえたうえでの科学技術の適用からえられるものである. [武谷三男「安全性の哲学」科学1966.10, p517, 18]

99  危険だという人が扱えば安全であり、安全だという人が扱えば危険である。 [武谷三男「安全性の哲学」科学1966.10, p519, 21]

100 技術者は,十分なテストを行なったからと,安心したり油断してはいけない.ちょっと条件が変わると,そのテストは全く意味がなくなることがあるからである.むしろ徹底したテストをしたという先入観が事故原因の追究のじゃまになることがある点を考えるべきである. [武谷三男「安全性の哲学」科学1966.10, p51926]

101 

ノラ: 私達,結婚してからもう八年になりますね.それでいてあなたはお気づきになりませんの,あなたとわたしと,夫と妻とが,向きあって真面目なお話をいたすのは今日がはじめてでございますよ. 

ヘルマア: ほう,真面目な話と?たとえば--- 

ノラ: まる八年---いえ,わたしたちがはじめて知り合ったころからではもっとになります.そのあいだというもの,真面目な事柄を真面目な言葉で話しあったということは,ついぞ一度もなかったのですよ. [イプセン「人形の家」第三幕]

102 あなた(夫)と父とは、わたしに対して大きな罪を犯していらっしゃるのですよ。わたしがこんな能なしになったのは、あなた方のせいなのです。 [イプセン「人形の家」第三幕、ノラのことば]

103 

ヘルマア:ノラ、お前のためならわたしは夜も昼も喜んで働くよ---またどんな苦労や不自由も忍だろうよ。だが、どんな愛する者のためにだって、名誉を犠牲にする男はないぞ。 

ノラ:それを何百万という女はしてきたのですよ。 [イプセン「人形の家」第三幕 ]

104 内容緻密な本の目次を繰りかえし繰りかえし読むということはひじょうに重要な事でして、一般にもっと目次が読まれたら良いなあ、と思うことさえあります。 [大塚久雄「社会科学の方法---ヴェーバーとマルクス、p22]

105

ソルネス:世の中には少数の特に選ばれた人間がいて、そういう人間は、とても執拗に頑強に何かを願い、望み、意志するだけの力と能力を授かっていて、けっきょく最後には其の願いを達するのだと。そうじゃないですか。 

ヒルデ:もしそうだとすれば、いつかはわかるでしょうね---自分がそういう選ばれた人間かどうか。 

ソルネス:そういう大きいことは、一人の力では無理ですよ。彼がひとかどの者になるには、そう、援助者や召使いがついていなくてはね。しかも、彼らもひとりでには現れてきません。熱烈に呼び求めなくてはならないのです、心の中でね.  [イプセン「建築師ソルネス」第2幕]

106 私どもは,学問的仕事に実際上の顧慮が介入してくることに対しては,いますぐ拒否する権利を要求するものです.その顧慮を命ずる気持ちがもっともなものであるか否かを調べるまでもなく. [フロイト「精神分析学入門」第1 ]

107 私はみなさんに私どもの学問をあるがままの姿で,平坦でないところも,生硬なところも.まだ未熟なところも,懸念のあるところもそのままおみせしようと思ったのです.これはどの学問においても同じであり,ことに発達の初期の段階にある学問の場合には,これ以外の道がないことも私は知っているつもりです.  [フロイト「精神分析学入門」第6

108 精神分析がここでいっていることは、プラトンが言ったことば、すなわち善人とは悪人が現実にしていることを夢にみて満足している人間である、ということ以外のなにものでもありません。 [フロイト「精神分析学入門」第9講]

109 さて,目を個人から転じて,今日なおヨーロッパに荒れ狂っている大戦(第一次)に向け,数かぎりない野蛮,残忍,虚偽がいまや文化的世界のなかにはびこっていることを考えてください.みなさんは,ほんの一にぎりの良心をもたない野心家と誘惑者が,うまくこれらの悪霊をはびこらせることができたのであって,命令にしたがっている幾百万人の人々に罪はない,とほんとうに信じておられるのですか.このような事態のもとでも,なお,みなさんは悪を人間の心的素質からなくすために勝負をいどむだけの勇気がおありですか.  [フロイト「精神分析学入門」第9講]

110 なにか人間が自分のおかれている利害状況に根底的に反抗して動き得るものなどと考えるのは、私は人間の思い上がりではないかと思います。聖書にも「義人なし,一人だになし」と,人々がみな自分の利害を近視眼的に追求しているということがしばしば書かれていますが,ともかく人間諸個人が昔も今も自分自身の置かれている利害状況にもとづいて行動するということは疑いえない事実でしょう.  [大塚久雄「社会科学の方法---ヴェーバーとマルクス、p83]

111 胆は大ならんことを欲し,心は小ならんことを欲す. 智は円ならんことを欲し,行は方ならんことを欲す.

 [蒲松齢「聊斎志異」 第一巻 ``陸判'']

112 時の長さを測る尺度が、それを感じる者の実際の感じ以外にないことを知らぬ者は愚かぢゃ。人間の世界には、時の長さを計る器械が出来たさうぢゃが、のちのち大きな誤解の種を蒔くことぢゃらう。大椿の寿も、朝菌の夭も、長さに変わりはないのぢゃ。 [中島敦「悟浄出世」三

113 嘖嚏(くしゃみ)一つ、汝の貧しい理性と意志とを以てしては、左右出来ぬではないか。 [中島敦「悟浄出世」三]

114 之は大変小さなみすぼらしい魔物だったが、常に、自分は或る小さな鋭く光るものを探しに生まれて来たのだと云ってゐた。その光るものとはどんなものか、誰にもわからなかったが、とにかく、小妖精は熱心にそれを求め、そのために生き、そのために死んでいったのだった。そしてとうとう、其の小さな鋭く光ったものは見つからなかったけれども、其の小妖精の一生は極めて幸福なものだったとおもわれると女禹氏は語った。 [中島敦「悟浄出世」四

115 愛するとは,より高貴な理解の仕方,行ふとは,より明確な思索の仕方であると知れ.何事も意識の毒汁の中に浸さずにはゐられぬ哀れな悟浄よ。われわれの運命を決定する大きな変化は、みんなわれわれの意識を伴はずに行はれるのだぞ。考えても見よ。お前が生まれた時、お前はそれを意識してをったか? [中島敦「悟浄出世」四 ]

116 技術に関連した価値のスペクトルを取りあげてみよう。きわめて文明の低い地域では、技術の生み出した最終の製品--商品--が最高の価値を持つだろう。商品を作る機械があっても、かれらにはそれを使う能力がないから、これはそれほどの価値を持ち得ない。少し進んだ地域では、商品よりも機械の方により高い価値を与えるだろう。機械は商品を作れるからである。もう少し進むと、プラントやその運動のノーハウ、さらに進むと特許とノーハウが高い価値を持つようになる。最も進んだ地域では、新しい想像力を持つ人間の知恵に最高の価値を認める。その地域では、人命は最も重視されるものとなる。人命が尊重される地域ほど文明が進んでいるのである.[岸田純之助「技術開発と安全性---航空機と新幹線---」 科学 36}, 535 (1966)]

117 確信というものは,そうたやすく得られるものではありません.さほどの努力もせずに得られたような確信は,まもなく価値のない,異論に対して抵抗力のないものであることがわかってきます. [フロイト「精神分析学入門」第16]

118 幸福を待つということ、すでにそれが幸福なのではないだろうか。 [マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」美しい季節(1)四

119 ある種の政策を自覚的に実行しているのでなければ、盲目的に実行しているのである。 [ 毛沢東「毛主席語録」 共産党]

120 反動的なものはすべて、こちらから倒さない限り、自分で倒れることはない。 [毛沢東「毛主席語録」二階級と階級闘争]

121 もし敵がいきおいこんでわれわれに反対し、われわれの言うことを、すべてむちゃくちゃで、一つとして正しいところがない、というようならば、それはなおさらよいことである。 [毛沢東「毛主席語録」二 階級と階級闘争]

122 人民の欠点については批判する必要がある。(中略)しかしそれには、本当に人民の立場に立ち、人民を保護し、人民を教育するという満腔の情熱をもって発言しなくてはならない。 [毛沢東「毛主席語録」四 人民内部の矛盾の正しい処理]

123 軽々しく戦ってはならない。戦うからには勝たなければならない。 [毛沢東「毛主席語録」七 断じて戦えば断じて勝つ]

124 優勢で無準備なのは本当の優勢ではなく、主動性を持つものではない。 [毛沢東「毛主席語録」八 人民の戦争]

125 量がなければ質もない。 [毛沢東「毛主席語録」十 党委員会の指導]

126 大衆に結びつくには,大衆の必要と自由意志にしたがわなければならない.---中略---大衆は客観的にはある種の改革を必要としているけれども,しかし,かれらが主観的にはまだ自覚してなく,大衆には決心がついていなく,改革の実行をまだ願わないならば,われわれは忍耐強く待たなければならない.われわれの工作を通じて,大衆の多数が自覚をもち,決心をつけ,改革の実行を自分から願うようになってはじめて,改革を実行する.もしそうでなければ大衆から遊離してしまうであろう.---中略---ここに二つの原則がある.その一は,大衆の実際の必要ということであって,われわれの頭の中の幻想から生まれてきた必要ではない.その二は,大衆に自発的意志ということであり,大衆自身の決心によるのであって,われわれが大衆にかわって決心することではない. [毛沢東「毛主席語録」十一 党委員会の指導]

127 大衆がまだ自覚していない時に、われわれが進撃に出るならば、それは冒険主義である。 [毛沢東「毛主席語録」十一  大衆路線]

128 われわれの同志は自分が理解したことを広はんな大衆も同様に理解していると考えてはならない。...自分が理解していないことは、大衆もおしなべて理解していないと考えてはならない。 [毛沢東「毛主席語録」十一  大衆路線]

129 この比、一期の芸能の定まる初めなり。 [ 世阿弥「風姿花伝」 年来稽古條々 二十四、五

130 時分の花を誠の花と知る心が真実の花になほ遠ざかる心なり。 [世阿弥「風姿花伝」年来稽古條々 二十四、五

131 我が位のほどをよく心得ぬれば,それほどの花は一期失せず. [世阿弥「風姿花伝」年来稽古條々 二十四、五

132 もし、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどもなくば、いかなる上手なりとも、未だ、誠の花を極めぬ為手と知るべし。もし極めずば、四十より能は下がるべし。 [世阿弥「風姿花伝」年来稽古條々 三十四、五]

133 上るは三十四五までの比、下るは四十以来なり。(中略)この比、天下の許されを得ずば、能を極めたりとは思ふべからず。 [世阿弥「風姿花伝」年来稽古條々 三十四、五]

134 大方,似合ひたる風体を,安々と,骨を折らで,脇の為手に花を持たせて,あひしらひたるやうに,少な少なとすべし.---中略---この比まで失せさらん花こそ,誠の花にてあるべけれ. [世阿弥「風姿花伝」年来稽古條々 四十四、五]

135 事によりて、濃き、淡きを知るべし。  [世阿弥「風姿花伝」物学條々]

136 仏は常にいませども、現ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。 [梁塵秘抄 巻第二 仏哥二十四首 26]

137 二乗高原陸地には、仏性蓮華も咲かざりき、 泥水掘りえて後よりぞ、妙法蓮華は開けたる  [梁塵秘抄 巻第二 法師品七首 101]

138 決定的な要素は人であって物ではない。 [毛沢東「毛主席語録」十二  政治工作]

139 戦争の勝敗を決定するのは人民であって,一つや二つの新型兵器ではない. [毛沢東「毛主席語録」十二  政治工作]

140 思想改造の工作は長期にわたる、忍耐づよい、たんねんな工作であって、なん回かの講義、なん回かの会議でもって、人びとが数十年にわたる生活の中で形づくった思想意識を変革できるものではない、ということである。 [毛沢東「毛主席語録」十三  将兵関係]

141 人民に奉仕しなければならない. [毛沢東「毛主席語録」十七  人民に奉仕せよ]

142 われわれが,人民の利益を思い,大多数の人民の苦しみをおもうならば,人民のために死ぬのは死に場所を得たといえる.だが,われわれはできるかぎり,不必要な犠牲を減らすべきである. [毛沢東「毛主席語録」十七  人民に奉仕せよ]

143 われわれの方針はなにを根底とすべきか。自分の力を根底とすべきで、これが自力更正である。 [毛沢東「毛主席語録」二十一  自力更正 艱苦奮闘]

144 調査なくして,発言権なし. [毛沢東「毛主席語録」二十三  調査研究]

145 徹底した解決をせず、なごやかさをたもとうとする。その結果は団体にも害があり、個人にも害がある。 [毛沢東「毛主席語録」二十四  思想、意識の修養]

146 批判は時をのがさぬ批判でなくてはならず,きまってことのあとでまかりでるのをとくいとするような批判であってはならない. [毛沢東「毛主席語録」二十七 批判と自己批判]

147 大局をかえりみるよう提唱しなければならない。 [毛沢東「毛主席語録」二十八  共産党員]

148 世界はきみたちのものであり、またわたしたちのものでもあるが、やはり結局のところはきみたちのものである。 [毛沢東「毛主席語録」三十  青年]

149 五十以来までの花の失せざらんほどの為手には、いかなる若き花なりとも、勝つ事あるまじ。 [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

150 いかなる名木なりとも,花の咲かぬ時の木をや見ん,犬桜の一重なりとも,初花色々と咲けるをや見ん. [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

151 物数を少くとも,一方(ひとむき)の花を取り極めたらん為手は,一体の名望久しかるべし. [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

152 上手は、名を頼み、達者に隠されて、わろき所を知らず。下手は、もとより工夫なければ、わろき所をも知らねば、よき所のたまたまあるをも弁へず。されば上手も、下手も互に人に尋ぬべし。さりながら、能と工夫を極めたらんは、これを知るべし。 [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

153 我はあれ体にわろき所をばすまじきものをと慢心あらば,我がよき所をも真実知らぬ為手なるべし.よき所を知らねば,わろき所をもよしと思ふなり.---中略---上手にだにも上慢あらば,能は下るべし.---中略---上手は下手の手本,下手は上手の手工なりと工夫すべし.---中略---人のわろき所を見るだにも,我が手本なり.いはんや,よき所をや. [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

154 稽古なからんは、自と位ありとも、徒ら事なり。先づ、稽古の刧入りて、位のあらんは、常の事なり。 [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

155 稽古に位を心がけんは、返すかえす叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさえ、稽古しつる分も下がるべし。 [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

156 誠の花は、咲く道理も、散る道理も、心のままなるべし。されば、久かるべし。 [世阿弥「風姿花伝」問答條々]

157 上手は、目利かずの心に相叶う事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。... 得たる上手にて、工夫あらん為手ならば、また、目利かずの眼にも面白しと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とを極めたらん為手をば、花を極めたるとや申すべき。 [世阿弥「風姿花伝」奥義讃歎云]

158 得たる所あれども、工夫なくては叶はず。 [世阿弥「風姿花伝」奥義讃歎云]

159 風情を博士にて音曲をする為手は,初心の所なり.音曲より働きの生ずるは,劫入りたる故なり. [世阿弥「風姿花伝」花修云]

160 劫入りぬれば,謡ふも風情,舞ふも音曲になりて,万曲一心たる達者となるべし. [世阿弥「風姿花伝」花修云]

161 いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比あれば、珍しきなり。 [世阿弥「風姿花伝」奥義讃歎云]

162 作業と情熱が---そして特にこの両者が合体することによって--- 思ひ付きを誘ひ出すのである。 [ M. ヴェーバー「職業としての学問」 ]

163 学問の領域で「個性」をもつのは、その個性に非ずその仕事に仕へる人のみである。 [M. ヴェーバー「職業としての学問」]

164 どうだ俺の言ったやうなことはまだ誰も言はないだらうとか,さういうふことばかり考えてゐる人々は学問の上では間違なく何ら「個性」ある人々ではない.---中略---その結果はかれらが徒に自己の名を落とすのみであって,何ら大局には関係しないのである.むしろ反対に,自己を滅して己の課題にのみ専心する人々こそ,却って仕事の価値の増大と共に自然その名を高める結果となるであろう. [M. ヴェーバー「職業としての学問」]

165 学問は「それ自身のために」なされるのである. [M. ヴェーバー「職業としての学問」]

166 知るに値するといふのは何もこれらの法則によって何か技術上の目的を達することができるからといふのではなく,むしろ---これらの学問を以て己が「天職」とする以上は---「学問それみずからのために」知るに値するといふ意味なのである. [M. ヴェーバー「職業としての学問」]

167 「美的客体」は,結局「美的主観」即ち「美意識」の作用によってつくり出される. [大西克禮「美学」上 p15] 

168「本質」の「直観」そのものは、その芸術家のみが所有し、それは恰も彼の「魂」の内面に於ける一種の「霊光」のやうに、本来的に伝達可能の域を超越したものである。 [大西克禮「美学」上 p17]

169 わたしは愛する、偶然の賽子の目によって幸運を得たとき、羞恥の念にうたれる者を。そしてそのとき「自分は不正の賭博者か」とみずから問う者を。 [ ニーチェ「ツァラトゥストラ」 ツァラトゥストラの序説 4]

170「愛とは何か。創造とは何か。憧れとは何か。星とは何か」---そう末人は尋ねて、瞬きする。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの序説 5]

171 ああ,兄弟たちよ,わたしのつくったこの神は,人間の製作品,人間の妄念であったのだ.あらゆる神々がそうであるのと同じように. その神は人間であったのだ.しかも人間とその「我」のあわれなひとかけらにすぎなかったのだ.  [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説 背面世界論者]

172 私は読書する怠け者を憎む。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  読むことと書くこと]

173 読者とはどんなものかを知っている者は,読者のためにはもはや,何事もしないだろう. [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  読むことと書くこと]

174 万人が読むことを覚えるということは、長期にわたっては書くことばかりでなく、考えることを堕落させる。   [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  読むことと書くこと]

175 認識の聖者になることはできないにしても,せめて君たちは認識の戦士であれ.  [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  戦争と戦士]

176 兵卒は多い。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  戦争と戦士]

177 国家とは、すべての冷ややかな怪物のうち、もっとも冷ややかなものである。それはまた冷ややかに虚言を吐く。その口から這い出る虚言はこうである。「このわたし、国家は、すなわち民族である」と。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  新しい偶像]

178 世間では、最善のものも、それをまず演出する者がいなければ、何のたしにもならない。この演出者を民衆は偉大な人物と呼ぶ。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  市場の蝿]

179 新しい価値の創造者を中心として、世界は---目に見えず---めぐる。だが、俳優たちを中心としてめぐるのは、民衆と名声である。それが世の姿である。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  市場の蝿]

180 市場と名声とを離れたところで、すべての偉大なものは生い立つ。市場と名声を離れたところに、昔から、新しい価値の創造者たちは住んでいた。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  市場の蝿]) 

181 蝿たたきになることは君の運命ではない。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  市場の蝿]

182 ああ,世には,ふいご以上のはたらきはしていない大思想が,なんと多いことだろう.それらは,物を吹きふくらませ,その内部をいよいよからっぽにする. [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  創造者の道]

183 女は男にくらべて,よりよく子どもを理解する.ところで男は女よりも子どもめいたものである. [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  老いた女と若い女]

184 自分ひとりよい子になって相手の不正の圧迫に堪えている者は、見るからに不快なものである。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  まむしのかみ傷]

185 つねにおのれの立場の正しいことを主張するよりは、不正な者とみられることを意に介しない者のほうが、高貴である。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  まむしのかみ傷]

186 君は若い。そして結婚して子をもつことを望んでいる。しかしわたしは君にたずねる、君は子を望むことを許されるような人間であるか? [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  子どもと結婚]

187 からの胡桃でも割ってもらいたがる。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  自由な死]

188 いつまでもただ弟子でいるのは、師に報いる道ではない。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  自由な死]

189 血は真理にたいする最悪の証人である。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  僧侶たち]

190 人々は、物事の根底に、報酬と罰という嘘をはめ込んだのだ。 [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  有徳者たち]

191 またある者たちは,かれらの一握りの正義を誇って,その正義のためにあらゆる事物にたいして不正をはたらく. [ニーチェ「ツァラトゥストラ」ツァラトゥストラの言説  有徳者たち]

192 兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある  [マタイ伝  5-47]

193 汝ら見られんがために己が義を人の前にて行はぬやうに心せよ。 [マタイ伝  6-1]

194 何ゆえ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木を認めぬか。---中略--- 偽善者よ、まづ己が目より梁木をとり除け。 [マタイ伝 7-3,7-5]

195 弟子の1人いふ、「主よ、先づ往きて我が父を葬ることをゆるしたまへ」 イエス言ひたまふ、「我に従え。死にたる者にその死にたる者を葬らせよ」 [マタイ伝  8-21,8-22]

196 まことに汝らに告ぐ,取税人と遊女とは汝らに先立ちて神の国に入るなり. [マタイ伝  21-31]

197 汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、「我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに与せざりしものを。」と。 [マタイ伝  23-29,23-30]

198 ピラト言ふ「さらばキリストと称ふるイエスを我いかにすべきか」皆いふ「十字架につくべし」ピラト言ふ「かれ何の悪事をなしたるか」彼ら烈しく叫 びていふ「十字架につくべし」。 [マタイ伝  27-22]

199 安息日は人のために設けられて、人は安息日のためにもうけられず...。 [マルコ伝  2-27]

200  凡て祈りて願ふ事は,すでに得たりと信ぜよ,さらば得べし. [マルコ伝  11-24]