II  501-600 

佐伯啓思「幻想のグローバル資本主義」   橋本治「源氏供養」   張岱「陶庵夢憶」   青山秀夫「マックス・ウェーバー」   M Drucker, “Frida Kahlo”   藤原清輔「袋草子」   三谷邦明「入門源氏物語」

501 市場を全体として眺めれば、市場が、市場そのものの状態についての観念(市場心理)を生みだし、それがまた市場を動かす。─中略─こうした市場を「自己回帰的市場(self-reflexive market)と呼んでおこう。

 市場の「自己回帰性」こそが、この種の市場の特徴である。モノという実体的な価値をもった市場ではこのようなことは起きにくい。しかし、貨幣や金融という実体をもたない財を交換する市場はつねに「自己回帰的」となりやすい。しかし、それでも、金融がモノの実体経済の反映であるという了解があれば、「自己回帰性」は必ずしも発揮されない。金融の市場はいわゆる経済のファンダメンタルズによって規制されるだろう。しかし、今日の為替市場や株式市場は自由化されればされるほど、ファンダメンタルズの規制からは離れてゆく。

─中略─ひとたびわずかながら不安定化し始めた市場は、「自己回帰性」のもとではいっそう不安定化する可能性が高い。しかも、この不安定性は、グローバル市場に置いては連鎖反応を引き起こすのである。[佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p137-8]

502 いったん自己拡張のプロセスに入った経済は急速にバブル化するであろう。一方、自己収縮のプロセスに入った経済は長期停滞からなかなか脱出できない。そして、そこに「世論」が介在している。「世論」が、自己回帰の循環の環を閉じ、プロセスを自己生成的にしてしまうのだ。 [佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p148]

503 1999年の春先にはアメリカの株式市場は市場最高値を塗り替えており、ドル価値も安定している。だが、この自由放任経済が、バブルを生み、所得分配の不平等をもたらし、といった意味で不安定な構造をもたらしていることは忘れるべきではない。不確かな基礎の上にある経済はいつ反転するかもしれないのである。 [佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p149]

504 資本は世界中どこへでも有利なところにすぐさま移動しうる─中略─

 ところが一方、労働力は容易には国境を越えて移動しない。─中略─そしてこのギャップのために、資本の高度な流動性は、国内の経済と雇用に対して攪乱的とならざるをえない。そこで、グローバリズムを前提とすれば、各国の政策当局は、資本を導入すべく市場の開放政策をとらざるをえなくなるだろう。─中略─市場が要請する方向に即して政策を立案せざるをえなくなる。その典型が規制緩和であった。ここでは政策を判定するのは市場なのである。そこでまた、あの「市場の声」なるものが登場するだろう。「市場の声」が政策を判定する。「市場の声」によって「市場友好的」な政策が評価される。─中略─こうして、政府と市場の関係は、かつてとは逆転する、かつてケインズ主義のもとでは、政府は市場よりも賢明とみなされていた。市場の欠陥を政府は知っている。そこで、あたかも後見者のように政府が市場を補正し、忠告し、ときには規制したのである。─中略─だが、グローバリズムのもとでは、事情をよくわかっているのは市場だという了解が出来てしまった。政府の仕事を市場が判定するのである。 [佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p163-4]

505 「資本、市場、高付加価値の商品の生産」という実体面での経済の再生と、それを解釈するイデオロギー、さらにそのイデオロギーを拡散する情報というソフト・パワーの間の循環が、グローバリズムの時代をアメリカの再覇権化の時代にしたということである。

─中略─

グローバリズムの進展の中で、アメリカ経済が再覇権をにぎっていくプロセスは、日本経済が凋落してゆくプロセスと重なって、それ自体興味深い。 [佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p167-8]

506 「個人の自由」あるいは「· · · からの自由」という概念は、その自由の内容について特定しないゆえに普遍的な力をもっている。この抽象性、普遍性に抗することは近代人にとっては容易なことではない。そして、一度その罠にはまると、人は、たちどころに倫理や規律を見失ってゆく。まさにそうしたことが、今日のグローバル市場経済の世界で生じつつあるように見えるのだ。 [佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p184]

507 今日市場経済の確かな基礎を与えるものはどこにあるのか。「徳」という観念はもはや無意味なのか。スミスやケインズの与えた回答がそのままでは通用しないことは明白だとしても、それに代わるものはいったい何なのか。これが今日の、グローバル資本主義についての、恐らくは最も重要な問いではなかろうか。 [佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p187-8]

508 ここに現代の資本主義のパラドックスとでもいうべきものがある。スミスやケインズは、社会に、人々の「富と徳」あるいは「知識と徳」を評価する価値規範が存在するとした。そしてそれがかろうじて、資本主義のパラドックスがもたらす新たな隷従を回避すると見たわけである。そして、グローバル資本主義は、それぞれの社会がもつ価値規範をほとんど風化させることによってこのパラドックスを剥き出しの形でわれわれに突き付けかねない。

 人がすべて「純粋の経済人」になったとき、もはや社会の価値規範や規律はは不必要になる。それは、人間の、経済への一面化であり、経済への隷属化にほかならない。人間の持つ多面性は、市場の場でのゲームにおいて一面化されてしまう。そして、それを今われわれは「自立した個人」と呼んでいるのである。─中略─

 「純粋の経済人」もはや「社会」にはさして関心を持たない。彼はゲームの世界に自閉して、「社会」との接点を失ってゆく。ましてここでは、「公共的関心」という政治的なものが成立する基本条件さえ失われてゆきかねない。そしてまさにそのことが、ひとたび生じたグローバル資本主義の危機的な状況をいっそう悪化しかねないのである。

 繰り返すが、グローバルな資本主義がそれなりにうまく機能するためには、それぞれの社会の安定性が必要であり、社会の安定性は、その社会の価値基準や規律と無関係ではない。[佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p190-1]

509 「自己責任」のもとで市場に結び付くことによってしか、人々が彼らの生を安定させることも、また充実させることもできなくなってくるとなると、人々は絶えず、市場の動向に気をつかい、利益の機会をめざとく探し、モノを買う場合にはもっぱら価格比較を行う。つまり、われわれの生の営みそのものが市場志向型となり、経済中心的となる。

─中略─

 そして、個人が「自己責任」のもとで、もっぱら「貨幣」の運用にしか生を委ねることができなくなってくると、人々は、ますます、貨幣を資産として運用することに関心をもつ。こうして金融市場に集まってきた貨幣は、いずれにせよ金融市場を活発化し、多かれ少なかれ、グローバルな規模で投機的に運用されることとなる。だがその結果、金融市場はますます不安定化する傾きをもつだろうし、そのことの経済全体に与える影響はますます大きなものとなろう。[佐伯啓思「ケインズの予言幻想のグローバル資本主義(下)」p194-5]

510 「そこに私がいる。そこに私はいたい。そこに私がいるとしたらそうあってもいい。何故ならば、私もここに生きている」こういう前提がなかったら、人間というものは、絶対に物語だの小説だのを書きはしないのだと思いますね。 [橋本治「源氏供養」上 その六 p112]

511 源氏物語は、おそらく世界で最も古い小説だと思います。ここには永遠に古くならないような人間の心理の葛藤というものが見事に描き出されていて、「人類はこの作品によって、初めて文章で描き出された人間の心理を手にした」と言っても過言でないと思います。 [橋本治「源氏供養」上 その七 p115]

512 近代文学の大きな部分は「自我の確立」で、「私」ということが大きな比重を占めます。「私小説」という一ジャンルさえあって、この「私は」という主語は、どうも七五調を基本とする、情緒的な美文とは相性が悪いんですね。日本の美文というのは、主語という自己主張を省いて、人間と背景を一体化させている。。源氏物語の中で名前を呼ばれているのは、惟光、良清に代表される身近な「使用人」です。女性の名前は、都に出て来た玉鬘の名前が仏に捧げられる願文の中で「藤原の瑠璃君」と書かれるだけで、まったく出て来ません。名前を呼ばれるというのは一種の例外だし、男が名前を呼ばれるのも、親が子供を呼ぶ、あるいは目上の人間が目下の男を呼び捨てにするという実務世界のもので、婉曲な物語のロマンチシズムとは相容れないものなんですね。 [橋本治「源氏供養」上 その七 p127]

513 命婦、かしこにまかで着きて、門ひき入るゝより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てゝ、目やすき程にて過くし給ひつるを、闇にくれて、臥し給へる程に、草もたかくなり、野分に、いとヾ荒れたる心地して、月かげばかりぞ、八重葎にもさはらず、さし入りたる。 [源氏物語 桐壺]

514 月は入りがたの、空清う澄みわたれるに、風いと涼しく吹きて、草むらの蟲の聲々、もよほし顔なるも、いと、たち離れにくき草のもとなり。

 鈴蟲のこゑのかぎりを盡してもながき夜あかずふるなみだかなえも乗りやらず。[源氏物語 桐壺]

514 おぼしまぎるとはなけれども、おのづから御心うつろひて、こよなく思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。 [源氏物語 桐壺]

515 亦園、竜門橋に在り。主人金乳生、草花数百本を植え、殊方の異種多く、老圃と雖も弁識する能わず。四時爛漫たること繍の如し。居る所は僅かに斗室のみ。 [祁彪佳「越中園亭記」二]

516 金乳生は草花を栽培するのが好きである。─中略─こうした仕事をみな必ず自分でやり、氷のために手がひび割れても、太陽のために額が焦げても顧みないのである。青帝(春の神)はそのまめまめしい勤めぶりを嘉して、最近その瑞祥として霊芝三本を生ぜしめ給うた。 [張岱「陶庵夢憶」松枝茂夫訳 巻一4]

517 朱楚生は女役者に過ぎぬ。─中略─

 楚生は、容色こそそれほど美しくないが、絶世の美人といえども彼女のもつ風韻はあるまい。楚々として秀で、その思いつめた心は眉にある。その情の深さは睫にある。その人意を解する様子は、眼を半眼に閉じてそろそろ歩くところにある。芝居に生命を打ちこみ、全力をくだしてこれを為すのである。曲(うた)や白(せりふ)に誤りがあって、ちょっとでも彼女を訂正してやると、数ヶ月後になっても、その誤りの箇所は必ず言われた通りに改削する。

 楚生は放心状態になることが多かった。そのいちずに思いつめた情は、われ知らず風に乗ってふらふらと飛び去るのだった。

 ある日、わたしと一緒に定香橋に滞在していたとき、折から日暮れ方であったが、靄が立ちこめて林の木々が薄暗くなると、楚生はうつむいていたきり物も言わず、ぽろぽろと涙を流した。わたしがどうしたのかと訊ねると、彼女はさあらぬていに言葉を濁したが、うつうつとして心を痛め、ついに情に殉じて死んだのであった。 [張岱「陶庵夢憶」松枝茂夫訳 巻五76]

518 「正妻(葵の上)」という制度からの不満が、「藤壺への思慕」という恋愛欲求になり、「それをしたい」と思った瞬間、それを可能にする為の下準備が作動する。それが、「空蝉→小君→軒端の荻→夕顔」という流れなんだと思います。夕顔は、光源氏が初めて「現実に愛した女性」ですね。それ以前、源氏物語には「光源氏と関係をもった女性」は登場しても、「光源氏に愛された女性」は登場しません。これだけの段取りがあって、初めて父帝の妃である藤壺の女御への恋愛と、終生の女性である紫の上の登場が可能になるそのことを、なんにも言わずにキチンと出している紫式部という人は、とんでもない女性作家だと思いますが、男というものはやはり、紫式部の書いたようなものなのでしょう。 [橋本治「源氏供養」上 その十 p177]

519 科学においてはただ限られた領域で特に専門家として達人となり得るにすぎないし、亦どこかで人はそうなるべきなのである。しかし、もし人が普遍的概観の能力、否その尊重の念を失わないとすれば、人はなお出来得る限り多くの他の場処で好事家(ディレッタント)となり、少なくとも自分の勘定で自分の知識を増し見識を富ませるためにもそうならねばならぬ。さもないと人は専門を越えるすべてにおいて無知の人となり、場合によって全体として粗野な人間のままで終わることになるのである。

 しかし好事家は、本来事物を愛するが故に、恐らくはその生涯の間になおさまざまな場処で真に深く沈潜することも可能となるであろう。 [ブルクハルト「世界史的諸考察」 藤田健治訳 一序論]

520 すべての上に立とうとする哲学は元来何でもかじってみようとするのである。 [ブルクハルト「世界史的諸考察」 藤田健治訳 一序論]

521 人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚のすがた、唐國の激しき獣のかたち、見に見えぬ鬼の顔などの、おどろおどろしく作りたる物は、心に任せて、ひときは目驚かして、実には似ざらめど、さて、ありぬべし、世の常の、山のたゝづまひ、水の流れ、目に近き、人の家居有様、「げに」と見え、なつかしく、やはらびたる形などを、しづかにかきまぜて、すくよかならぬ山の気色、木深く、世離れてたゝみなし、けぢかき籬の中をば、その心しらひ・おきてなどをなん、上手は、いと、いきほひ殊に、わるものは、及ばぬ所多かめる。 [源氏物語 帚木]

522 平安末~鎌倉~戦国~江戸初期の元禄までが、「男であること」の意味を模索する男色の時代でしょうね。

 「一体あの女流文学の時代の流れはどこへ行ってしまったんだろう?」というように、文学の世界は男一色になってしまう。時は戦いの時代で、戦う為には自分であることが明確に確立されなければならない。「男であること=人間であること」の模索が始まって、「隠者文学」というものも起こるし、男だけの世界の激突を描く軍記物が生まれて、稚児信仰を中心に据える能という演劇が完成される。男達は大いに賑わって文化の大衆化は起こり、カタギの女達は家の中で貧血症状を起こし、元気なのは野蛮な「遊女」というアウトローだけになって、平和な封建制度の江戸時代に至るというのが、大雑把な日本の流れかと思います。

 古典の好きな女性の行き先が平安時代というのは、ここにしか女性がいないからですね。しかしかといって、この時代の女性が幸福かどうかは分からない。少なくともここには、女性が自分の不幸を嘆くだけの自由と権利はあった、というようなものでしょうから。 [橋本治「源氏供養」上 その三十五 p202-3]

523 モムゼンは次の言葉で討論をうちきった。《ウェーバーの主張が正しいことを私が十分納得したわけではない。しかし私は彼の前進を妨げようとは思わない。また、私の反駁に固執しようともおもわない。老人がすぐ結び付いてゆけないような新しい考えを若い世代はしばしばもつものだ。恐らく今の場合もその一例であろう。しかし私がやがて墓場にいそがねばならぬとき、「鎗はすでにわが腕に重すぎる、われにかわりて、わが子、汝この鎗をもて」とよびかける相手は、わが敬愛するマックス・ウェーバー以外にはない。》 [青山秀夫「マックス・ウェーバー」p47-48] (1889年、モムゼン72歳、ウェーバー25歳)

524 ケネディ大統領のニューフロンティア主義も、ジョンソン時代の「偉大な社会」抗争も、レーガノミックスも、拡大こそ万病に効くという考え方において、何ら変わるところがない。そして、この成長至上主義にとらわれて以来アメリカ経済はインフレという慢性疾患がつきまとうことになる。

─中略─

 両政権(ケネディとレーガン)の(インフレと対外収支大幅赤字への)対応策を対比すると、一つの原則が浮上してくる、それは、アメリカの経済運営において、成長政策こそはすべてに優先すると言うことである。そしてケネディ時代においては、このことこそ世界経済全体にとってもつねに正しい解答になると考えられていた。

─中略─

 いずれにせよ、ケネディ政権のとった景気拡大策によって、国内の資金はヨーロッパに向かって大量に移動していった。その結果アメリカは、ついに直接的な資本流出規制に訴えるほかないところに追い込まれた。このとき講じられた措置が、金利平衡税の導入である。 [高橋乗宣「通貨の興亡ドル時代の終焉」P98-100]

525 ケネディ政権がショッキングなかたちで終わりを遂げてジョンソン政権の時代が到来すると、拡張主義への執着はさらに強まっていった。─中略─60年代に入ると、対外的な為替の安定と国内経済の成長とは、政策目標として必ずしも整合しないことが理解されるようになってくる。その上で、ジョンソン政権は国内経済の拡大に優先順位を与える方向に傾斜していくのである。

 64年に実施された消費減税と、ベトナム戦争への本格的介入による軍事支出の増加に伴い、国内の需要圧力は急上昇した。─中略─67年度予算を編成する段階では、需要抑制のために増税を提案する声が政権内部でも強まっていた。しかしジョンソン大統領は、議会の賛同が得られないなどを口実に、これを受け入れなかった。結局、67年度の連邦財政は、87億ドルという、当時としては戦後二番目に相当する大幅な赤字を計上することになったのである。

 その一方でジョンソン大統領は、赤字幅を圧縮する試みとして、ケネディ政権下で導入された7パーセント投資税額控除を停止する措置を打ち出した。これは確かに、当面の財政赤字の抑制にある程度の効果を示したが、投資主導型成長の道を遮断するという重大な副作用もあった。

 その結果、消費に偏重した成長パターンが定着し、貯蓄・投資バランスが崩れ、それと同時に、国内のインフレ圧力が上昇した。 [高橋乗宣「通貨の興亡ドル時代の終焉」P101-2]

526 《これまで私は「職業」という観念に敬意をもたなかった。かなりさまざまの地位にある程度はまりこむことが私には出来ると信じたからである。》─中略─人間の社会をいろどるあの千紫万紅の諸世界に、彼は、それぞれの専門家と同様の親しさをもって、たやすく出入りすることが出来た。彼には、一つか二つの或る専門の世界にとじこもってしまう必要はなかった。

─中略─

《彼の性向は、観相的生活よりも行動的生活を、一層はっきり目ざしている。─中略─後になっても彼は、時々刻々人命をあずかっている船長をうらやんだ。》もちろんかように意志し行動する人間は、専門学者のように、伝統に乗って考え方と視野とを限定してしまうことはできない。専門の殻をぬぎ「人間」にかえって生そのものからわきおこってくるなまのままの問題と格闘しなければならぬ。学問の伝統がつくりあげた或る世界が「出来合いの品」として与えられるのではなく、問題に応じて世界を作り上げねばならぬ。幾つもの世界に沈潜し、問題に対するその軽重をさだめ。その軽重に応じて臨機応変にそれぞれの世界をとりあげねばならぬ。

 かようにして、ウェーバーの非凡な多彩と行動的な態度のために、彼が取扱った問題はアカデミックな学問の殻をやぶるものとなった。なるほど、先にも述べたように、彼はこれまでの学問の蓄積を正面から受取って立つ。しかし彼は、専門科学の伝統をはなれ、一人の人間、一人のドイツ国民、いないわばアマチュアとして問題を設定し、この問題の解決にこの蓄積を利用したのである。 [青山秀夫「マックス・ウェーバー」p67-68]

527『和漢朗詠集』は、漢詩と和歌の有名なものを集めて、それを声に出して朗詠するための、当時のソングブックのようなものです。この中に収録されている漢詩は、声に出して朗詠するための二行だけというのが、編集の方針なんです。つまり、これを読んでいさえすれば、教養のあらましだけはマスターできるという、至って便利なものだったんですね。

 教養などというものは、「便利なダイジェスト」という普及版でもなければなかなか一般的にはならないものですから、この存在は大きかったでしょう。 [橋本治「源氏供養」下 その二十二 p22]

528 女は能力を持っている。しかし、その能力ゆえに、男達はそんな女を敬遠する。

 その女の能力によって、自分達=男の限界が顕わにされるのがいやだから。

 則天武后が「悪女」と言われ、弘徽殿の女御(大后)が恋物語の主役になれない理由は、どうやらこれなんだとは思うんですが、それを紫式部がどう考えていたのかは、分かりません。 [橋本治「源氏供養」下 その二十三 p38]

529 要するに、『存在と時間』が1920年代末のドイツの思想界に、ついで第二次大戦終結後のフランスの実存主義者に与えたとされる衝撃は、まったくの誤解にもとづくものか、さもなければ、こういったかなり漠然とした気分を通じてのものだった、ということである。 [木田元「ハイデガーの思想」p59]

530 アリストテレスが「哲学者の学」とか「第一哲学(プローテー・フィロソフィア)」と呼ぶ学問、つまり狭い意味での哲学は、存在者を、それがさまざまな領域に切り分けられるに先立って、それが存在者であるかぎりで、全体として研究しようというものである。したがって、この学問は、結局の所、全ての存在者をそのように存在者たらしめている〈存在〉とは何かを問うことになるのである

 ついでに言っておけば、プラトンもアリストテレスもこうした哲学的な問いへの動機を「驚き(タウマツエイン)」だと考えている。

─中略─

 ウィトゲンシュタインが「何かが存在するという驚き」と言い、ハイデガーが「〈存在者が存在する〉という驚き」といっているものが、プラトンやアリストテレスのあの「驚き(タウマツエイン)」に呼応するものであることは言うまでもない。

 してみれば、ハイデガーが、〈存在とは何か〉という問いこそ西洋哲学を貫く根本の問いだというのも、けっして誇張ではないことになろう。 [木田元「ハイデガーの思想」p75-6, 80]

531 何故紫式部が、源氏物語を「当たり前の恋物語」にすることに冷淡かと言えば、それは、「紫式部が女も人だということをいいたかったから」でしょうね。

 だから、源氏物語の主人公は、女を「女」としてではなく、「人」として扱うんですね。女を「人」として扱い、源氏は、女を「人」として扱おうとする。光源氏は、「女をとして扱う男」なんですね。[橋本治「源氏供養」下 その二十九 p176-7]

532 Her posture and face command full attention, however, and divert the viewer from her legs. She didn’t want anyone to see her deformity or to know her pain. As her friend Adelina said, “If she cried, no one knew it.”  [M Drucker, “Frida Kahlo torment and triumph in her life and art,” (Bantam Books, New York 1991) p31]

533 Frida didn’t care about fame, but at thirty she had learned that being Diego Rivera’s wife wasn’t enough, and her art helped to make her move more independently. Diego had always championed Frida’s work and wanted her to have the attention she deserved, He believed in her art, and he wanted to launch her on a life of her own. As her show drew near, he wrote Sam Lewisohn, a collector and friend in New York: “I recommend her to you, not as a husband but as an enthusiastic admirer of her work, acid and tender, hard as steel and delicate and fine as butterfly’s wing, lovable as a beautiful smile, and profound and cruel as the bitterness of life.”  [M Drucker, “Frida Kahlo torment and triumph in her life and art,” (Bantam Books, New York 1991) p90-1]

534 Frida smiled at her students and said in a conspiratorial tone, “Okay, youngsters, let’s work. I will be kind of your teacher; I am not really that. I only want to be your friend. I have never been an art teacher, and I don’t believe I ever will be, because I am always learning.”  [M Drucker, “Frida Kahlo torment and triumph in her life and art,” (Bantam Books, New York 1991) p116]

535 “La Maestra” went on with her introduction to the class, saying, “Certainly, painting is the greatest there is, but to do it well is very difficult. It is necessary to learn very well the craft, to have strong discipline, and above all, to have love, to feel a great love for painting. Once and for all, I am going to tell you that, if the little experience that I have as a painter helps you some, you will tell me and with me you will paint all that you love and feel. I will teach you the best I can. ...”  [M Drucker, “Frida Kahlo torment and triumph in her life and art,” (Bantam Books, New York 1991) p116]

536 “... dear children, there doesn’t exist a single teacher in the land who knows how to teach art. This is truly impossible. We will talk much, certainly, of the different techniques that one employs in the plastic arts, of the form and content in art and of all those things that are intimately related with our work. I hope that you won’t be bored with me and, when I displease you, I request, please, that you not be silent, okay?”  [M Drucker, “Frida Kahlo torment and triumph in her life and art,” (Bantam Books, New York 1991) p117]

537 Frida told us that the direct contact with life would open our horizon and enrich our aesthetic and humane sensibilities.  [M Drucker, “Frida Kahlo torment and triumph in her life and art,” (Bantam Books, New York 1991) p117]

538 ハイデガーはサルトルに対して、形而上学を克服しようとするなら、〈本質存在〉と〈事実存在〉の優劣関係を逆転させても無駄であり、むしろその区別に先立つ単純さを存在に回復せしめるべきだと言っているのであるが、この批判は、シェリングや、さらにはアリストテレスにも当てはまるものであろう。

─中略─

 このように、彼ら(=プラトン、アリストテレス)のもとで〈存在〉が〈現前性(ウーシア)〉として捉えられ、しかもその現前性としての存在が〈· · · デアル〉と〈· · · ガアル〉、〈本質存在〉と〈事実存在〉に分岐することによって、始源の単純な存在つまり自然(ピュシス)としての存在が押しやられ、忘却されてしまう。この〈存在忘却〉とともに〈形而上学〉が始まるのである。[木田元「ハイデガーの思想」p171, 173]

539 古への歌仙は皆すけるなり。然れば能因は人に、「すき給へ、すきぬれば秀歌はよむ」とぞ申しける。 [藤原清輔「袋草子」上 一、雑談]

540 ある人語りて云はく、「先年人々和歌を詠ず。而して基俊の公、片方に寄りて深く思ひを染め、感気して高声に詠じて云はく、「めざましきまでちるもみぢかな」と云々。顕仲入道聞きて、傍に在る馬助某和歌成り難しの由を嘆くに教へて云はく、「早くこの句を取りて元句を構ふべし」と。馬助教訓の如く元を構へてこれを献る。披講の処、馬助下ろう(草冠に臈)たるによりで先づこの歌を講ず。時に金吾、大いに興違ふの気有り。入道微咲す。その後金吾の歌を講ず。これを聞きて入道云はく、「馬助こそ参り寄られにけれ」と云々。金吾いよいよ不請の気有り。と云々。用意すべき事か。 [藤原清輔「袋草子」上 一、雑談]

541 人のいと知らざる古歌などは読むべき事か。見知ることなくて撰集に入りなば、吾が物に成り了る。 [藤原清輔「袋草子」上 一、雑談]

542 愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心である。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。

 無関心とどう闘えばいいのか?わたしたちは教育によって無関心と闘い、思いやる心によって、その力をそぐ。もっとも効果的な治療薬?それは記憶、いついかなる時でも記憶、である。 [エリ・ヴィーゼル「ふたつの世界大戦を超えて」(北代美和子訳)文芸春秋2000.1 p217]

543 ショーンちゃんと一緒にテレビを見ていたときのことは、特に印象に残っています。CM になると、ジョンはぱっとリモコンをつかみ、すばやく音声を消したんです。「どうして」と聞く私に、彼はこう答えた。

 「CM の音ほど感性を破壊するものはないからね。たとえば、ポテトチップスのパリッ、パリッという音だって、乾いたチップスじゃなきゃ、あんな音は出ない。それは体験しないとわからないだろう。食べた経験があるから、次に音を聞いたとき『あっ、おいしそう』と感じる。感性とはそういう生理的なものなのさ。ウィンナーを焼くジュウジュウという音もそう。家族でキャンプに行って、お腹がぺこぺこになったとき、お母さんがウィンナーを焼いてくれた。それがすごくおいしかった。次にジュウジュウという音を聞いただけで、唾が出るんだよ」

 ほんとうにそうだと、目からウロコが落ちました。自分の五感で体験する前に、テレビから情報を得るから感性が鈍る、他人の痛みに反応しなくなるだから、物心ついていない幼いショーンちゃんには、CM の音を聞かせたくなかったんです。 [湯川れい子「ジョン・レノン」文芸春秋2000.1 p273]

544 1970 年代以降、中国では古代文献の出土が相次いでいる。─中略─ 1993 年に湖北省荊門市郭店の墓から、730枚ほどの竹簡が出土した。─中略─戦国期の墓から思想関係の文献が発見されたのは今回が初めてであり、先秦か秦漢かとの論争に決着をつける、いくつかの決定的決め手が得られた。─中略─しかも実は郭店楚簡を上回る衝撃が、我々を待っている。上海博物館は香港の骨董市場から、戦国時代の竹簡約1200本を購入して整理・解読を進めており、その成果は今年刊行される予定である。─中略─考古学的発見は、我々を限りなく学問的に批判され葬り去られたはずの古代伝承の側に引き寄せる。

 先秦の書を疑って漢代の成立だと主張してきた疑古派の学説は、今や壮大な屁理屈の山と化しつつある。あの一見緻密に見えた論証の、どこに欠陥があったのであろうか。彼らは『史記』に記されるような古代の伝承を、信憑性に乏しいとして疑ったのだが、疑う側の論拠の方が、主観的こじつけに傾いていて、実は疑わしかったのである。 [浅野裕一「亡霊は甦る新出土資料と古代中国研究」 図書2000 2 月 p17-20]

545 恵心僧都は、和歌は狂言綺語なりとて読み給はざりけるを恵心院にて曙に水うみを眺望し給ふに、沖より船の行くを見て、ある人の、「こぎゆく船のあとの白浪」と云ふ歌を詠じけるを聞きて、めで給ひて、和歌は観念の助縁と成りぬべかりけりとて、それより読み給ふと云々。 [藤原清輔「袋草子」上 一、雑談]

546 小状況の歴史への関心は、学者より民衆の方に強く、歴史学に満たされぬものを求めて、歴史に取材した文芸にむかった。郷土史や民俗学も同様な関心に支えられた。そして郷土史から地方史への発展は、実は、大状況へのつながりを軸において、民衆の小状況史関心を切捨てる傾向を示しもした。民俗学もまた、学として整ったかたちをとるなかで、同様な失敗を犯さないとは限らないのではないか。 [塚本学「大状況と少状況」日本の名随筆99「歴史」p225]

547 武士が集住した城下町でも、武士の武力が治安維持機能を果たしたとは必ずしもいえない。十八世紀末、寛政初年に江戸の町に集団強盗が横行したとき、被害は実は武家邸に意外に大きく、町人では、町民が共同で声をかけあうことでこれを撃退した例が少なくなかった。そうした例は、武力というものについて考えさせるだけでなく、江戸時代の体制自体にも、そしていうならば近世という時代に限定されない問題についても、再考を求めるものになる。 [塚本学「大状況と少状況」日本の名随筆99「歴史」p230-1]

548 犯罪は犯罪の事実によって罰せられる。それ以外ではない。犯罪人がお人好しだとかいったことは処罰に基本的に関係ない。天皇がこれこれのお人柄のお方だとか、東条が肉親から見てどれだけ家庭的にあたたかな人間だったかということは、彼らの戦争責任、戦争犯罪に関係ない。彼らがよき夫であり、よき父であったといったことを、誰が何でその肉親に言わせたくなくなってくるのか。それを禁止、拘束せずにはいられなくなるのか。

 それは警察機構の内心の不安、自信のなさを告白しているだろう。法というものにたいする内心の不信、反抗を告白しているのだろう。同時にそれは拷問、誘導による自白の強要と全く同じことを、言わせないという形で強要している事実を告白しているだろう。 [中野重治「憲法、憲法というけれど.....」日本の名随筆 別巻98「昭和IIp131]

549 当時、系が一次元で相互作用が有限の範囲までしか及ばないならば、結論は本質的にはこの仕事のものと同じであることは私にも分かっていたのですが、まあ、面倒臭いからやりませんでした。僕はいつもそうなんですけれど、後から考えると、もう少し欲ばって書いておけばよかったといつも思います。これは変数が別に連続変数でなく離散変数でもよく、その際にはマトリックスが現れますが、このことは久保亮五さんが、別に僕が教えた訳ではなく独立にやられたので、まあ、久保さんに譲っておけと思ってそのままにしていたわけです。 [高橋秀俊「対談我が国における物性論の草創時代(I)] (聞き手 小林謙二)物理学会誌40 p185 (1985)]

550 独創的な仕事をするのは研究者の一種の美意識によるものではないかと思います。数学者のように厳密に推理する能力というのは30歳くらいがピークで、あとは落ちる一方だというのは事実のように思えます。しかし、評価する力などは年とってからでも発揮できると思います。よく世間では「創造力開発」とかいう話がいろいろありますが、僕自身は自分でとてもああいうことをいう自信はありません。自分で今迄いろいろなことをやっていると、自分の能力のなさに悲観することは一再ならずありましたからね。ときにうまくあたったときはいいけれども何も出来ないで歯がゆくなると言うことは僕の一生の中で随分ありましたね。 [高橋秀俊「対談我が国における物性論の草創時代(I) 物理学会誌40 p194 (1985)]

551 経済とは本来、人間社会における価値の創造と配分をめぐる熱いテーマである。そのことがすっかり見失われている。「経世済民」という語源を想起するまでもなく、経済を論ずることは「あるべき社会」を論ずることであった。十九世紀末にマルクス主義の怨霊にとり憑かれ、「すべての社会悪は階級矛盾の深化に由来する」として、階級矛盾を克服するという社会主義の実験に疲れ果てた二十世紀の100年。いま我々は世紀末に立って、「脱イデオロギー」の名のもとに「あるべき社会」を論することを避け、もっぱら市場の効率を探求している。勢いづく市場主義の前に、なすすべもなく立ち尽くしている。本当にこれでいいのだろうか。 [寺島実郎「『正義の経済学』の復権高度情報資本主義時代への視座」中央公論2000-3 p52]

552 改めて語るのも面映ゆいが、経済を語ることとは、本質的にあるべき社会を求めて社会哲学を語ることなのだ。そして、二十世紀に関わってきた先人の知的苦闘をベースに、世界の良識ある人たちがおぼろげながら辿り着いた結論は、唯一の価値を他者に強要する「積極的正義」には共鳴できないが、多様性を大切にしながら、「不条理」を組織的に軽減していこう、というものといえよう。こう考えてくると、今我々が立っているところは、二十世紀の知的蓄積とはあまりにもかけ離れた「市場主義という名の米国型価値」への画一化の危機にあることに気づくのである。 [寺島実郎「『正義の経済学』の復権高度情報資本主義時代への視座」中央公論2000-3 p56]

553 新資本主義についての議論を注視するならば、その光の部分を強調し、これによって見事に効率化された経済システムが実現できるという願望を強調する議論か、もしくはこれを不可逆のメガトレンドとして受容し、理屈を超えてこの流れにしたがっていかねばならないとする大勢順応の議論が大部分である。そこには「あるべき新資本主義」の議論がない。 [寺島実郎「『正義の経済学』の復権高度情報資本主義時代への視座」中央公論2000-3 p57]

554 あらゆる社会科学は、時代の不条理を解決する力となりうるか否かによって評価されねばならない。 [寺島実郎「『正義の経済学』の復権高度情報資本主義時代への視座」中央公論2000-3 p63]

555 日本において、昨年噴出した「不祥事」なるものを、警察官や教員のスキャンダルから商工ローン問題、法の華問題、そして東海村JCO の被曝事故まで、見事なまでに貫いている問題は基軸になる価値の融解である。そして、なぜ価値が融解してしまったのかを省察すれば、「この世には、カネやモノを超えた価値が存在する」ことを軽視し、「儲けた者が勝ち」という時代を作ってきたことに気づくはずである。 [寺島実郎「『正義の経済学』の復権高度情報資本主義時代への視座」中央公論2000-3 p63]

556 現在の米国が世界に対して掲げる価値は、「政治的には民主主義」であり「経済的には市場主義」である。これこそ文明と理性に基づく普遍的価値とする独善のボルテージは、冷戦後といわれる90年以降、いちだんと高まっている。 [寺島実郎「『正義の経済学』の復権高度情報資本主義時代への視座」中央公論2000-3 p64]

557「血縁でもない、肉体関係があるわけでもない、しかし二人の男女の間に親密という関係が続いた」ということが、この「関係の錯綜」に満ち満ちた「玉鬘の物語」を書こうとした作者の、意図したことなのではないでしょうか。 [橋本治「源氏供養」下 その三十五 p338]

558 読むとは、自分の中にわきあがった疑問にたえず答えて行く行為です。 [三谷邦明「入門源氏物語」 はじめに  p012]

559 E. M. フォスターは、ストーリーとプロットの相違をand(それから)とwhy(なぜ)との差違として述べます。A それからB というのが、ストーリーで、B になったのはA があったからだと叙述し、因果を明らかにするのがプロットだと述べているのです。竹取・伊勢物語などの初期物語はのちにも言及するように、話の筋書を、「それからそれから」とつむぎだしてゆくところに特色があります。つまり、ストーリーの文学なのです。しかし、源氏物語は、今まで分析したように、なぜというという論理に支えられたプロットの文学であり初期物語と大きくへだたっています。 [三谷邦明「入門源氏物語」 〈方法〉から冒頭場面を読む  p021-2]

560 なぜという論理は、できごとそのものではなく、できごとの意味を問いかけます。文学において、できごとの意味というのは主題です。つまり、主題を追求するがゆえに、源氏物語は、なぜという叙述方式を用いたのです。 [三谷邦明「入門源氏物語」 〈方法〉から冒頭場面を読む  p022]

561 リアリズムというのは、現実を反映している文学だと考えられていますが、じつは、この例からもわかるように、読者の知的常識に依拠しているという点に特色があって、and を使って読者の知的常識を攪乱するが、シュールレアリズムなどの方法なのです。 [三谷邦明「入門源氏物語」 〈方法〉から冒頭場面を読む  p022]

562 源氏物語は主題性を追求するために、初期物語的な、それからそれへの論理を放棄し、ヨーロッパにおいて十七、八世紀に成立する小説の論理を、十一世紀の最初期に確立してしまうのです。この奇蹟といってもいい、なぜの論理は、現在、源氏物語を読むための基礎的な方法でもあります。 [三谷邦明「入門源氏物語」 〈方法〉から冒頭場面を読む  p025]

563 原発の労働現場は放射線環境下にある。したがって、労働は基本的に被曝労働であり、作業者は労働力とともに被曝量を売っている。 [小林圭二、「安全はなぜ確保されないか」 科学50, p441 (2000).]

564 JCO に限らず一般に原子力施設の現場作業者に対する教育に決定的にかけているのは、事故が起こったときの恐ろしさ、あるいは被曝した場合の恐ろしさを具体的に示すことである。臨界事故を実際に体験するわけにはいかないし、放射線は人間の五感に感じられないため、いかにすれば恐ろしさの実感を持ってもらえるかがポイントである。 [小林圭二、「安全はなぜ確保されないか」 科学50, p443 (2000).]

565 誤操作も、施工ミスも、思い違いも、予期せぬ故障も、気づかぬ設計ミスも、誤った材料の選択も、杜撰な工事も、すべて当たり前に存在することであって、信じられないとか考えられない話ではないのである。現実の事故もすべて、このうちいずれかが契機となっている。当然、安全対策はそれらを前提としたところから始まると思っていた。 [小林圭二、「安全はなぜ確保されないか」 科学50, p446 (2000).]

566 物理における非線形や複雑は、普遍的に現象を語るという物理イデオロギーに支配され、その結果、記述形式を論じる傾向が強すぎ、対象とするモノを持たない点で本来の物理から遠い。それならば、妙なイデオロギーを脱色し、諸問題を語るための数学的道具だてと構造を追求する非線形数理や複雑系数理というとらえ方のほうがすっきりしている。非線形や複雑をはじめとする物理の中から生まれた数学的記述手法の自然な発展は文字通り数学の中に融解していく方向であり、むりやり物理に残そう、あるいは、物理の中の分野にとめおこうとすれば単なる利権団体と化してしまうに違いない。 [林祥介「書評「佐藤文隆著「物理学の世紀 アインシュタインの夢は報われるか」」 科学50, p457 (2000).]

567 しかし、問答法は、彼らはこれを人を誤らせる余計なものとして退けている。というのは自然学者たちは(探求にあたっては)、事物そのものが語るところに従って進むので十分であると彼らは考えているからである。 [ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」第10巻第一章エピクロス(31).]

568 理性(ロゴス)も感覚を反駁することはできない。なぜなら、理性はすべて感覚に依存しているからである。 [ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」第10巻第一章エピクロス(32).]

569 下手くそな英語会話の学習をするよりも、漢文による古典学習をした人材を世に出すほうが、日本の文系大学としての誇りとなるであろう。のみならず、日本の文系大学の特色となるであろう。 [加地伸行「漢文は死んだか」 中央公論20005  p66]

570 堤防を築く作業は、水位の低い時期をとらえておこなうべし。 [マルモンテル「インカ帝国の滅亡」序(湟野ゆり子訳、岩波文庫)p42]

571 経済的な欲望や政治的な目算をほとんどともなわず、先進文明を取り入れるために、およそ五割近くが海底の藻屑と化するのを覚悟のうえで送り出された日本の遣唐使は、おそらく古今東西を問わず、世界史上に類例を見ないであろう。 [王勇「唐から見た遣唐使」(講談社1998p245]

572 たとえば、知るという営みについて、従来ならば、「努力を積み重ねて必要な知識を選りすぐる」過程が重視されていたが、今では、「自分の要求に一番ぴったり合ったデータ群を見つけだす」ことがより重要になっているかもしれない。「努力する」とは、「なるべく簡便に自分の望みが実現できる経路・装置を手に入れる」ことかもしれず、「わかる」とは恐らく、「共有できる(通用範囲の広い)マニュアルを発見する」ことだ。 [中西新太郎「辺縁化される若者たち社会システムの崩壊と知性の変容」 世界20005 p90]

573 大企業が輸出で儲けたお金がアメリカに行き、ヘッジファンドなどとして運用されている。そのようにするために日本の金利がゼロに抑えられているともいえる。日本人は働けば働くほど、アメリカ国民を養っていることになる。700兆円といわれる個人資産がいま狙われている。これがあるから、これだけの財政赤字でももっているけれど、この個人資産が失われたとき、日本の本当の「敗戦」がやってくる。 [大学教授P,Q,R「三教授「学力」問答社会の風船がはじけてしまったあとで」 世界20005 p94]

574 色彩や形態に関するあらゆる抽象的な概念や言葉を標準にして比較すれば造花と生花の外形上の区別は非常に困難な不得要領なものになってしまう。「一方は死んでいるが他方は生きている」という人があるかもしれない。しかしそれはただ一つの疑問を他の言葉で置き換えたに過ぎない。実際の明白な区別は、やはり両者を顕微鏡で検査して始めてわかるのではあるまいか。一方はただ不規則な乾燥したそして簡単な遷移の集合か、あるいは不規則な凹凸のある無晶体の塊であるのに、他方は複雑に、しかも規則正しい細胞の有機的な団体である。美しいものと、これに似た美しくないものとの差別には、いつでもこのような、人間普通の感覚の範囲外にある微妙な点があるのではあるまいか。 [寺田寅彦「病室の花」日本の名随筆 1 花 p166 (宇野千代編 作品社 1983]

575 めったに発生しないが、発生すると被害が非常に大きいリスクについては、正確に計算できないがゆえに、経済学は極めて脆いという弱点を抱えているのである。 [金子勝「リスク無防備社会の経済学」 世界20001 p49]

576 先ず第一に、市場主義がもたらす「リスク管理の効率化」という発想が、かえってリスクを増幅させ、ハイリスク社会を生み出す原因となっている。─中略─金融自由化を進めれば進めるほど、リスク規制を強めなければならないジレンマに陥っているのである。市場主義による「リスク管理」は、明らかに成功していない。

 第二に、市場競争に基づく「事故責任」論は、社会の安全性を決定的に破壊する危険性を秘めている。市場原理主義者は、市場競争による淘汰によって企業経営者に「自己責任」を取らせることが出来ると主張する。─中略─企業はつぶれて「自己責任」をとれても、少なくとも人命に与えた被害は返らないからだ。しばしば市場原理主義者は、そもそも経済活動は誰のためにあるのかという常識を忘れさせてくれる。─中略─まともな市場主義者なら、社会規制は必要だが、できるかぎり経済的規制を外して市場競争を活性化させると言うだろう。その主張は、一見もっともらしい。しかしハイリスクの計算可能性に限界がある以上、経済的規制と社会的規制を区別することは、頭の中ではできても実際には不可能に近いのだ。

 第三に、経済成長優先主義は社会の末端までリスク感覚を麻痺させる。バブルはそれを一層加速させた。[金子勝「リスク無防備社会の経済学」 世界20001 p53-4]

577 天皇と皇后は、おそらく自分の気持ちとしては平和主義であり、民主主義も大事だと思っているのでしょう。映像で見る限りは、人柄も誠実でまじめで温和そうに見えます。だけど、そういう現代の社会に適応した温和で平和な天皇制が、そのシステムの全体の中に暴力性を組み込んでいるということは重要なことです。─中略─暴力事件そのものは少数者がやっているだけに見えるけれども、それを支える基盤が浮上してきたときに、そういう露骨な暴力事件がおこるのでしょう。 [対談「天皇制は国民動員の源泉たりうるか」安丸良夫の発言 世界20001 p92]

578 私の見るところでは、数学は、物理学が物理的現象を記述しているのと同様な意味で、実在する数学的現象を記述しているのであって、数学を理解することはその数学的現象の感覚的イメージを明確に把握することが大切である。 [小平邦彦「解析入門I」 はじめに p1(岩波書店1976]

579 「金瓶梅」はわれわれの常識を越えた小説である。つまり、読者の完全な理解を要求しない小説なのである。少なくとも、この回の意味が読者の誰にも分からぬことは事実である。作者はなんという小説を残していったのだろう。もっとも、四百年後にも、これだけの読者を得るとは思っていなかったのかもしれない。そういう意味ではこの作品を、「読者に不親切な、一人よがりの作品」と思うこと自体大きな間違いなのである。作者というものが、常にできるだけ多くの読者を得たいと思っていると考えるのは、今日の商業道徳に毒された考えにすぎない。この作者がベストセラーを書いて、印税を得ようなどと考えたはずがないではないか。彼は何よりも自分自身のために書いたのである。 [日下翠「金瓶梅天下第一の奇書」p70-1  (中央公論社1996]

580 その数日後、横浜の神奈川学園に講演にゆき、新聞記者から戊辰戦争についての感想を求められた時には、簡潔に答えた。「琴となり下駄となるのも時の運」 [中村彰彦「脱藩大名林忠崇」中央公論2000-6 p299]

581 『源氏物語』は、もっとも大事なこと、もっとも秘密なことは語らない。─中略─おそるべき真相をあらわに表現せず、読者の想像に任せ、読者の主体的な「読み」によって補完させ、膨らませ、裏付けさせることで、『源氏物語』は、それ以前の物語と比べると飛躍的に豊かな物語世界を開拓する。─中略─『源氏物語』は実際に「語られた」世界よりも、はるかに豊饒で、奥行きのある世界が、語られざる背後に広がっていることを体感させる物語となっているのである。 [三田村雅子「源氏物語物語空間を読む」筑摩書房1997, p0065-066]

582 開祖と教義と伝道の三要素に力をそそぐ宗教は、これからの人類社会に混乱をもたらしこそすれ、救済の手をさしのべる宗教にはなりえないのではないかという予感を持つ。 [山折哲雄「森義朗首相に与う「鎮守の森は泣いている」」中央公論2000-7, p63]

583 いまあらためて、私は思いおこす。この日本列島に、歴史を超えて信仰されてきた産土の神の重要性に注目した柳田国男の仕事を。そして亦、国家神道の圧力のもと、この列島に分布する神社を合併統合しようとした国家の政策に正面から立ちむかい、これに反対しつづけた南方熊楠の情熱を。その先人たちの仕事は、これから後も、われわれ自身が守りぬかなければならない文化の伝統であるだろう。 [山折哲雄「森義朗首相に与う「鎮守の森は泣いている」中央公論2000-7, p64]

584 「面白くて楽しくて役に立つ」授業が求められるのは、性急に意味を求める問いが社会に充満していることの裏返しである。 [苅谷剛彦「「中流崩壊」に手を貸す教育改革」中央公論2000-7, p156]

585 1992年の学習指導要領の改訂以後、「自ら学ぶ」意欲や興味・関心の育成を目指してきた教育改革の成果は、この調査結果を見るかぎり、惨憺たるものである。いや、個性の尊重が叫ばれる影で進行していたのは、全体の意欲の低下と階層間格差の拡大だったのである。 [苅谷剛彦「「中流崩壊」に手を貸す教育改革」中央公論2000-7, p159]

586 個人の自立と自己責任が求められる中で、現実に進行しているのは、結果の不平等と、機会の平等の大前提となる意欲や努力の不平等なのである。

 しかも、意欲や興味・関心の階層差の拡大は、教育の世界で個性尊重がより強調される中で生じている。 [苅谷剛彦「「中流崩壊」に手を貸す教育改革」中央公論2000-7, p162]

587 多くの場所で進行しつつある「復元」熱が、実際には蓋然性と推論にもとづいた作業でしかないことを知っているひとは、どれほどいるのだろうか。このようなかたちで歴史の虚像が現実の工作物となって目に触れてゆくのは、歴史に対する感覚のマヒではないだろうか。多くの復元事業が行われるたびに、われわれは「ここによみがえる古代のすがた」といった感傷にふけって感激したりする。けれどもそれは、歴史的想像力の衰退でしかないのではないか。[鈴木博之「十円玉のデザインを変えよ」(建築百年の形7) 中央公論2000-7 p293]

588 「君が代」を国歌として制定したことによって、日本人は国民としての基本的なアイデンティティを皇室に委ねたことになると思います。─中略─この二十一世紀の日本人が、軍国主義たけなわの時代に歌われたものとまったく同じ文言で、皇室に焦点を絞った国歌を歌うことによって天皇家を自己定義の中心に据えていることを考えると、妙な気持ちになってしまう。 [J W ダワー「『敗戦』で日本が得たもの失ったもの」 文芸春秋6 月臨時増刊号「どうする?どうなる?私たちの21 世紀」p117-8]

589 昭和天皇に戦争責任がないとしたら、いったい誰に責任があったというのでしょうか。戦争責任を裁くために開かれた東京裁判は、天皇が責任を免除されたことによってとんだ茶番劇になってしまいました。天皇には責任がありました少なくとも、道義的責任が。それに国家元首としての責任もあった。これは当時、単に左翼陣営の間ばかりではなく、保守陣営でも聞かれた主張でした。合計二百万人に上る日本人兵士と民衆が、天皇の名の下に死んだのです。天皇は責任を負うべきでしたが、そうしませんでした。歴史家としてこの事実を改めて考えるにつけても、これは二十一世紀になっても相変わらず日本が引きずって行かなければならない、痛恨の失策だったと私は思います。 [J W ダワー「『敗戦』で日本が得たもの失ったもの」 文芸春秋6 月臨時増刊号「どうする?どうなる?私たちの21 世紀」p118]

590 桂離宮の最大の特徴は、「美」ではなくて、「センスのよさ」なのだ。それがあるから、どんな技巧を駆使しても、うるさくならない。「贅沢」だと言えば、こんなにも金と頭を使って作られた贅沢はないはずだが、桂離宮は、「ものを作る上で最も重要なものは作ったという人為を消すための引き算である」ということをわきまえている。だからこそ、一目見ただけでは贅沢がばれない「センスがいい」とは、そのことである。 [橋本治「桂離宮の歩き方」 芸術新潮2000-7, p47]

591 頭が良くてきまじめなものは参謀向きの人材、頭が良くて横着なものは指揮官向きの人材、ということだ。頭が悪くて横着なものは何かに使えるが、頭が悪くてきまじめなものは戦闘に害を与える。 [松村劭「新・戦争学」(2000, 文芸春秋)p30]

592 単機能兵器を多様な使用目的に使うのは、運用者の戦術能力の世界である。 しかし、戦術能力の未熟な軍人は、いろいろな使用目的に使える多機能の兵器が開発されることを希望する。戦史は「運用の課題を技術の課題にすり替えるほど、戦略・戦術が硬直し脆弱になる」ことを教えている。 [松村劭「新・戦争学」(2000, 文芸春秋)p46]

593 個人にとっても,国家、会社にとっても「威信を守る」ことほど戦略の選択の幅を縮めるものはない。「冷静な戦略は威信から解放されたときに生まれる」 [松村劭「新・戦争学」(2000, 文芸春秋)p87]

594 げにのちに思へばをかしくもあはれにもあべかりける事の、そのをりにつきなく目とまらぬなどを、おしはからず詠み出でたる、なかなか心おくれてみゆ。 [紫式部「源氏物語」帚木]

595 世界の完全性は、道徳的観点から見れば、完全性(perfectio)ではなく、完成可能性(perfectibilitas)を意味する。 [R. Finster and G van den Heuvel, 「ライプニッツ、その思想と生涯」p111 (沢田允茂監訳、向久他訳、シュプリンガー1996, 原著1990]

596 モナド論の成立にとって、顕微鏡の発明によってなされた新しい認識が大きな意味をもっていたことは確実である。 [R. Finster and G van den Heuvel, 「ライプニッツ、その思想と生涯」p116 (沢田允茂監訳、向久他訳、シュプリンガー1996, 原著1990]

597 ライプニッツは、純粋に学問的関心から、因果連鎖の無限の追跡、つまり、「起源を知ることで得られる喜び」としての歴史研究を、果てしない熱意をもって行ったが、そうした熱意は、政治の基礎であり同時に法律学の補助学として、現在と実践に方向付けられた歴史の考察と並び立つものであった。─中略─彼にとって特に関心があったのは、宗教の分裂を克服するための和解運動の知識だった。 [R. Finster and G vanden Heuvel, 「ライプニッツ、その思想と生涯」p182 (沢田允茂監訳、向久他訳、シュプリンガー1996, 原著1990]

598 天上界では、幸福も不幸も神々の膝の中にあり、無数のものがすべて一つにまざり合っているからのう。このような物事を神々のどなたも目にするわけではなく、これらは、神秘の闇につつまれてみえない状態で生じているのじゃ。

 これらの物事に手をかけるのはひとり運命女神モイラだけで、この女神はやみくもにそれらをオリュンポスから地上へ投じるのじゃ。それらは様々な場所へ運ばれる、まるで風に吹かれるようにな。だからしばしば立派な男に大きな災厄が襲いかかり、そして、不当にも、邪悪な人間が富をつかむのじゃ。  [クイントゥス「トロイア戦記」第7巻アキレウスの嫡子ネオプトレモス(松田治訳、講談社学術文庫2000)ネストールのことばp228]

599 和算家は趣味の問題として和算を開拓したもので、実用を離れて芸術的に解したものが多いように前に述べたのであるが、日本では和歌が一般に普及していることと対比して、はなはだ面白いことであると考える。─中略─この趣味の国において始めて和歌があんなに発達し得た。そうしてそこに和算が発達した。和算は全く和歌も同様の精神でできている。 [三上義夫「文化史上より見たる日本の数学」(佐々木力編 岩波文庫1999p56-7]

600 できるなら算木を使用せずに算盤に依頼したい。しかし算盤では高次方程式を解くことはできない。何とかして工夫してみたいというのが和算家の間に広く行き渡った考えであった。かくして難しい問題をも加減乗除の演算だけ繰り返し繰り返し使用して解き得るような方法が考え出された。あるいは級数の使用となったり、また逐次近似法とでもいうべき種々のものの成り立ったのは、その結果である。 [三上義夫「文化史上より見たる日本の数学」(佐々木力編 岩波文庫1999p63]