証 II 101- 200
フッサール「現象学の理念」 内山 節「貨幣の思想史」 佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 森嶋道夫「思想としての近代経済学」
101 所与のものをさらにくわしく見ていくと、事態は楽観をゆるすものではないことがあきらかになる。第一に、思考は端的にあたえられたもので、なんら神秘的なものではないと思われているが、じつは思考の内には、あらゆる種類の超越がひそんでいる。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp16]
102 絶対的な所与はふたつあって、ひとつはあらわれという所与で、もうひとつは対象という所与である。そして、対象はこの内在の内部に実在的な意味で内在するわけではない、つまり、それは現象の一部をなすのではない。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp18]
103 認識はどのようにして認識される客観との一致を確信するのか。認識はどのようにして自己を超えでて、その対象を的確にとらえるのか。ここに、認識対象が認識のうちにあたえられるという自然的思考にとっては自明のことがらが謎となる。—中略—客観として認識に対立して定立されるべきなにかがそもそも存在する、ということを、認識者たるわたしはどこから知り、どこから確信できるのか。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 講義一p32]
104 認識の可能性はいたるところで謎となる。· · · が、反省をはじめるや、われわれは誤謬や混乱におちいる。われわれはあきらかに不毛な議論に、ときには矛盾にさえまきこまれる。懐疑主義に陥る危険、もっと正確に言えば、不合理を共通の特徴とする懐疑主義のさまざまな形態のうちのひとつにおちいる危険に、われわれはたえずさらされているのだ。
このような不明晰で矛盾にみちた理論や、それらに関係するはてしない争論の闘技場をなすものこそ、認識論、および、それと歴史的事象的に密接に関係した形而上学である。理論理性の批判たる認識論の課題は、さしあたり批判的なものである。それは、認識と認識意味と認識対象との関係にかんして自然的な反省がほとんど不可避的におちいるあやまりを指摘し、認識の本質にかんする有形無形の懐疑論を、その不合理性を証明することで、反駁しなければならない、[E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 講義一p34-5]
105 認識批判全体および「批判的」科学一般の内部に位置する純粋な哲学は、自然的学問や学問的に組織されない自然的な知恵や知識のなかにはたらく思考作業をすべて度外視し、それらを一切利用してはならないのだ。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 講義一p38-9]
106 一切が疑わしいということはありえないということが、ただちにあきらかになる。というのも、一切が疑わしいとわたしが判断するとき、わたしがそう判断していることは疑う余地のないことだからで、かくて、一切に疑いをいだこうとすることは不合理なことになる。—中略—知覚や判断にかんして、わたしがかくかくの知覚やかくかくの判断をしていることは絶対的に明晰で確実なのである。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 講義二p47]
107 この認識の内在性こそ、それを認識論の第一の出発点として役だたせるものであり、認識はこの内在性のおかげであらゆる懐疑主義的難点の源泉たる不明瞭さから解放される。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 講義二p53]
108 すくなくとも、純粋直観の立場に身をおいて肉体にかんする一切の自然的な予断を排しうるひとにとっては、個別性だけでなく、一般性、つまり、一般的な対象や一般的なことがらも絶対的にほんものとしてあたえられるという認識のほうがとらえやすい。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 講義三p81]
109 赤を直観し、類的にとらえつつ、赤ということばで、とらえられ直観されたそのままのものを思念するとき、赤の本質はなにか、赤の意味はなにか、をなおも疑うことが無意味であるように、現象学的還元の領域の内部で純粋に本質直観しながら、認識の典型的な現象を目のまえにし、その類があたえられているとき、認識の本質や認識の根本形態についてなおも疑いをいだくことは意味のないことである。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 講義四p89]
110 この本のなかで、私は経済思想史のなかに、貨幣をめぐる人間のジレンマを解決する何かがあることを期待しているのではなく、逆に近代思想の発想自体のなかに、この問題を解決できない根拠があることを読みとりながら、その克服の道筋を発見することに期待を寄せているのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々」p11]
111 A French gentleman’s ideal is to have three concurrent loves: the first one, whom he cares about at present; the second, a potential one, whom he has his eye on with the hope that she will eventually be his principal love; the third, the past one, with whom he hasn’t completely cut off relations. Then he observed: “It’s a good idea for a mathematician to have three mathematical loves in the same sense.” [G. Shimura, “Andre Weil as I know him” Notices AMS 46, 428 (1999).]
112 しかし本来注目すべきは、日蝕や地震といった「天変地異」も含めてあらゆる現象について、彼らがつねに説明可能な自然現象として対処していることである。それが古代ギリシアにのみ哲学と科学の成立をうながす原動力となったのである。
そうした方向に道を開いたのは、前6世紀前半に活動したタレスであり、彼が「哲学の創始者」と呼ばれるのも、まさにそのためである。知的認識というまったく新たな視線で世界を眺めることから、それは始まった。「ピロソピアー(愛知=哲学)」という言葉は、この新たに「発見」された精神活動の領域に対して、ギリシア人たちが新たに造ったものである。さらにその実質に即した言い方をすれば、当初、彼らの「哲学」とは「知的好奇心」のことに他ならなかった。語義的にもそう直訳できる。 [内山勝利「想像力の宇宙誌—「ソクラテス以前哲学者」の世界から」 図書1999-3, p35]
113 貨幣とは何かを問うとき、最初に考えなければならないことは、なぜ貨幣は富の絶対的基準になりえたのか、であるように思える。—中略—貨幣は近代的な商品経済が台頭してくるまでは、普遍的な流通財ではありえず、すべてのものを購入できる普遍的商品としての機能を確立していなかった。とすれば、貨幣が富の絶対的な価値基準になりえたはずがない。
そのような部分的な交換財としての貨幣が、絶対的な価値基準に変わっていく過程はなぜ可能だったのか。一般的にはそれは商人資本の時代を経てマニュファクチュアから産業資本が生まれていく過程をみることによって、すなわち市場経済の成立過程をとおして説明される。もちろん、その歴史が大きな役割を果たしたことを私も否定しない。とりわけこの歴史のなかで労働力が商品化され、貨幣の普遍性が確立されたこと、第二に産業資本の成立とともに貨幣が資本として機能するようになったことは、貨幣に絶対的な力を与えるようになった。
だがそれだけが理由のすべてだったろうか?私にはそうは思えない。もうひとつ、近代的貨幣の成立と定着の過程が、国家間対立の時代であったこと、それゆえに経済が国家経済として形成されたという原因があったのではなかろうか。後に生まれてくる国民国家と産業資本主義との協調と協同の時代へと引き継がれていく基礎が、この歴史の中でつくられている。
そしてこのことは、経済をとらえる精神にも大きな影響を与えた。経済思想はそのはじまりから、国家の経済思想としてつくられていくことになった。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p11-2]
114 十七世紀のイギリスの政治経済学の緊急の課題は、戦争を遂行するための国家財政の確立であった。国家の富、すなわち国富とは何か、それはいかにして増加させることができるのか、それが政治経済学の最大の目標になる。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p14]
115 たとえば私たちは山野を歩いて「自然」から採取し、食卓を豊かにすることができるが、そんなものは国家の富の増加には役立たない。つまり生活次元で自己展開し終了してしまうような経済活動は、国富の増加に結びつかないのである。とすれば、当然、農村共同体などで人々が営みとしておこなっている、いわば生活次元の経済活動と、国富の増加にむすびつくような経済活動とは、どこかで区別されなければならない。
今日では私たちは国富として「国民総生産」を基準にすることが多い。この国民総生産でも、市場経済を通過しない生活次元の経済は除外されている。除外されているというよりも、計算方法がないのである。そしてペティが着目したのも、この計算という方法だった。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p15]
116 ペティは政治経済学への数学的手法の導入を試みた。国富を高めようとするなら、まず第一に国富の総量を認識する方法がつくられなければならない。—中略—
この目標を実現しようとするとき、経済の価値尺度としての貨幣が登場してくる。なぜなら、国家の経済力を数量によって表現しようとすれば、あらゆる経済活動を共通の量的な因子によってあらわさなければならず、その因子は貨幣以外には見あたらないからである。—中略—
ペティにとって国家の富とは、貨幣了で測定することのできる経済力であった。—中略—
ペティの革命性は、非市場経済的な人間たちの営みを、政治経済学の対象から切り離したことにあったといってもよい。彼はなぜそうしなければならなかったのか。それは、いうまでもなく、彼の課題が国家を強化するための政治経済学の確立、戦争を遂行するための国家の経済基盤の確立にあったからである。この視点からとらえたとき、国の経済力とは、第一に貨幣的価値の生産力であり、第二に貨幣的価値の蓄積量にならざるをえなかった。
こうしてペティは国家の富の計算法をみつけだした。そのことによって彼の政治経済学の展望は開かれた。なぜなら国富が貨幣量で表現されるものなら、国富の増加とは、貨幣であらわすことができる蓄積量と生産量を増加させればよいことになるからである。—中略—だからペティは、国富を増加させない農村の人々の営みに対しては、ひどく批判的であった。—中略—国富の増加に結びつくこともなく、貨幣を用いようともしない「貧民」の労働と生活は、ぺてぃにとっては変革されるべきものであった。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p17-19]
117 十七世紀の重商主義の時代に生まれたウィリアム・ペティの政治経済学は、その背後に対立するヨーロッパ諸国と戦争の時代を背負っていた。それは当時の政治経済学にいくつかの方向性を与えたように思われる。
第一は、政治経済学の目的が国家の富の増加におかれ、その結果、普遍的な富としての貨幣の増加に目標がおかれたことである。—中略—貨幣の増加に結びつかない民衆の生活次元の営みは、政治経済学の対象から消されたばかりでなく、そのような営みをも貨幣経済のもとに改変する必要性が提唱されていくようになる。
第二に、労働を国家の富を生みだす基礎ととらえるとき、労働を共通の視点からとらえる必要性が生まれた。—中略—ここから、すべての労働は貨幣を生みだす労働であるという認識がつくられた。労働の価値は、その労働によってつくりだされた貨幣量に等しい、こう考えることによってすべての労働はその差異を失い、国富の基礎として一般化されることになった。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p21]
118 しかし、労働生産物を貨幣のもとに一般化し、労働をも貨幣の生産として一般化するとき、労働生産物と貨幣の間にも、労働と貨幣の間にも、疎外された関係が生じる。貨幣は労働生産物や労働の対象化されたものであるにもかかわらず、貨幣からは労働生産物や労働がもっていた現実性、具体性が失われてしまっているという関係は、後に多くの人を悩ましていく、 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p22]
119 貨幣の社会は、貨幣の獲得を目的としたエゴイズムや頽廃と表裏一体の関係をもちながら、展開していかざるをえない。誰でも知っているように、少なくとも短期的には、貨幣をもっとも効率的に獲得する方法は、投機的な活動であり、詐欺的な行為である。
この問題に直面したとき、政治経済学の担い手たちは、その予防に道徳や倫理を導入せざるをえなかった。ここに、勤勉を美徳とし、浪費を不道徳とする倫理が提唱される。それは後にマックス・ウェーーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で述べた産業資本家の精神である。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p23]
120 国家にとって必要なものは使用価値ではないのである。普遍的な富だけが重要であった。金、銀、宝石、貨幣、ペティはそこに国家の富を求めた。そして、それらを増加させるために、貨幣経済の全社会化を要求した。貨幣経済の拡大は、経済自体の要請であったとともに国家の要請でもあったのである。—中略—
近代社会では、国民国家と資本性経済は協調的融和をはたしている。なぜそれが可能だったのだろうか。私にはその理由が利害のプラグマティズムだけにあったのだとは思えない。それよりは、経済をとらえる価値基準が同一であったことのほうが、はるかに重要なのではなかろうか。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第一章 国家の富の創出—ウィリアム・ペティと「政治算術」」p28-29]
121 貨幣経済の拡大は、貨幣の循環とは異なる使用価値の循環のなかで、働き暮らしていた人々の生活を破壊していった。貨幣とは部分的な関係しかもたずに暮らしてきた農村の伝統的な生活は、貨幣経済の循環のなかにまきこまれていくにしたがって、危機の様相を深めていった。この農村の荒廃を前にして、本章の主役、ケネーが登場してくる。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第二章 「自然の秩序」と貨幣—フランソワ・ケネーと「経済表」」p30-31]
122 ケネーは経済学者として「重農主義」の理論を提唱したのではなかった。一方には商品経済の無秩序な展開があり、他方にはその影響のもとで荒廃していく農村があった。そのフランスの現実を前にして、ケネーは自然の秩序にしたがった政治経済社会をつくりだそうと試みていたのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第二章 「自然の秩序」と貨幣—フランソワ・ケネーと「経済表」」p37]
123
名言1. 数学の研究と魚釣りの原理
数学の研究は魚を釣るのに似ています。
魚釣りをする場合、釣り竿、釣り糸、釣り針、餌などについての知識や魚の習性や居場所などの知識が必要です。しかし、これらについて知識をえるために、図書館に日参して勉強することも必要かもしれませんが、適当に勉強を切り上げて海や川へ出かけて行って実際に釣りをしなければ、いつまで経っても魚は釣れません。多くの人は、図書館に魚はいないのに、図書館で魚を釣ろうとしています。
実際、その土地の子供たちは貧弱な釣り竿で立派に魚を釣っています。
名言2. 志村先生の「誰にでも数学の論文が書ける法」
いつか志村先生は次のような話をされました。
「数学の論文を書くのは弓矢で的をいるようなものだ。初心者のうちはなかなか的の真中はおろか的にも当たらないだろう。そこで、まず壁に向かって矢を射り、当たった場所を中心にして的を描けばよい」 [岡本清郷「数学の勉強から研究へ」 数学の楽しみNo11 (1999-2) p7]
124 決定的なことは、ケネーがみていた富は、貨幣ではなかったことである。—中略—
ケネーの描いた循環する経済の社会とは、農民と自然とによってつくられた富が循環していく社会であり、労働生産物が形態転換を遂げながら循環していく社会でもあった。—中略—
ところが「経済表」を読むとすぐに気づくのは、そのケネーもまた国家の富、国富を計算するときは、富=労働生産物説を放棄していることである。ケネーにおいても、国富は貨幣の量によって表現されている。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第二章 「自然の秩序」と貨幣—フランソワ・ケネーと「経済表」」p42-44]
125 農業を基礎にして、労働生産物=使用価値をさえ違算し、それが循環していくなかに、自然的秩序にかなった経済社会を描くケネーにとっては、貨幣は、この経済社会を手助けする交換財以上の役割をもってはならなかった。もしも貨幣がそれ以上の役割を果たすようになったら、使用価値にもとづく自然的秩序の社会は、崩壊にむかうしかなかったのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第二章「自然の秩序」と貨幣—フランソワ・ケネーと「経済表」」p48]
126 ペティには、貨幣の増加が経済思想の目的であったがために、使用価値とともにある人々の確かな営みがみえなかった。逆にケネーは、自然と労働の協同から出発し、使用価値と労働生産物をつくりつづける人間たちの営みをとらえていたゆえに、貨幣に対しては冷たい視線を注ぐ必要があったのである。 このことは、経済活動のなかでは、二つの循環が実現していることを示している。使用価値=労働生産物の循環と貨幣に象徴される「価値」の循環。前者は人々の生活次元で有用な「富」が生産され、循環していく過程であり、後者は経済活動をとおして貨幣が自己増殖をとげていく過程である。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第二章 「自然の秩序」と貨幣—フランソワ・ケネーと「経済表」」p49]
127 ロックのかんがえでは、幸福な使用価値の社会は失われなければならなかったのである。何がその原因だったのだろうか。彼の答は明快だった。貨幣(金、銀、などの貨幣に代わるものをふくむ)の登場である。貨幣が出現したことが、人間たちに「自分の使用のために必要とし、彼に生活の利便を与うべきであったものよりも以上のもの」を、所有する道を開いたのである。—中略—こうして人々は「人間が必要とするより以上を持ちたいという欲望をもつように」なっていった。 [内山 節「貨幣の思想史—お金について考えた人々 第三章 使用価値をめぐって—ジョン・ロックと「市民政府論」」p58-59]
128 おそらく、ロックが考えていたほど単純に、原初的な貨幣の登場が、所有や経済の意味を変えてしまったということもないだろう。
だがここで重要なのは、使用価値を軸にして展開する経済と、貨幣を軸にして展開する経済が、質の異なる経済であることを、ロックは明らかにしていたことである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第三章 使用価値をめぐって—ジョン・ロックと「市民政府論」」p60]
129 国家と経済の関係を明らかにすること、そして理想的な経済秩序とは何かを示すこと、近代の経済思想史とは、この二つの課題に対する模索の歴史であったといってもよい。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p63]
130 辰野事件や仁保事件の判決要旨を読んで、私は割り切れぬものを感じた。くわしいことは後で書くが、辰野事件は明らかに警察当局のフレーム・アップである。しかしその事実は、判決要旨ではぼかされている。また仁保事件では拷問があったと私は信じているが、判決では拷問はなかったことになっている。この事件の被告だった岡部保算は「拷問がみとめられなかったのはたいへん残念です」と賀状のなかで述べている。その無念な思いは、拷問を自分の体で体験したものにはよくわかる。
裁判官は、なぜフレーム・アップや拷問の事実を、判決で明らかにしなかったのか。もし判決に明示されていれば、それらの当事者を訴追して黒白を明らかにし、その違法を追及する道が開かれたはずである。これは復讐のためではない。そうした公正、厳格な裁判によってのみ、法律が厳重に禁止している違法の根を断ち切ることができるからだ。裁判が警察をかばい、うやむやにしておくから、拷問やフレーム・アップの根絶がいつまでたってもできないのである。 [青地晨「体験的裁判論」日本の名随筆91 p22]
131 横浜事件は「司法の諸悪を凝集した事件」だといわれているが、私にとっては拷問でウソの自白をあえてしたというはずべき記憶とむすびついている。—中略—しかしあえて弁明すれば、人間という生きものは、拷問に絶えぬけるほど肉体的にも精神的にも強靭な存在ではないのではないのか。非凡な人物か、思想によって武装された鉄の意志の人間でないかぎり、長期にわたる拷問を絶えぬくことはできないと私は信じている。そして正直にいうと、ふたたび同じような拷問をうけたとき、こんどは絶えぬけるという確信を私はもっていない。 [青地晨「体験的裁判論」日本の名随筆91 p24]
132 裁判官が頑固に拷問の事実を認めないのは、それを実証する技術的困難さのゆえか、良心と勇気の欠如の故か、それとも警察官はウソの証言はしないという官僚的独断のせいか、警察の士気に悪影響を及ぼすという考慮が人権の尊重に優先するゆえなのか—私は切にそれを知りたいと思っている。 [青地晨「体験的裁判論」日本の名随91p32]
133 市場経済と暮らしの豊かさが完全に一致しないまでも、一定の有機的関係を保っていることに期待した人々は、使用価値の大きさが、貨幣量、すなわち商品の価格にある程度比例していることを願っていた。もしも価格の高さと使用価値の大きさに一定の関係があるなら、市場経済の論理と暮らしの経済の論理との間にも、一定の和解が可能になる。
しかし、それはありえない願望だった。なぜなら使用価値は、ひとつひとつのものごとに個別的であるのに対して、貨幣上の価値は、その個別性をとり払ったところに成立するからである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p66]
134 スミス流の用語を用いれば、使用価値の異なるものが、なぜ交換価値では等価であるということになるのであろうか。市場経済になれすぎている現代の私たちには、こんな問いを発することもなくなった。しかしこの問題は、当時の思想家たちを悩ます重大問題だったのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p67]
135 ヨーロッパの思想に伝統的に根付いていた発想に、ものごとの真理はひとつの秩序のなかに形成されていると考える立場がある。自然界の本質は自然の秩序とともにあり、すべての真理は秩序だった論理によって説明できるというような発想が、ここから生まれてくる。当然、その秩序は合理的につくられていると考えられていた。
かつては、この秩序の創始者として神がおかれていた。—中略—
もっともアダム・スミスが活躍した時代には、すでに神の権威は、以前とくらべれば相当弱まっている。しかしそれでもなお、すべてのものには本来あるべき秩序が存在しているはずだという観念は、ゆるぎないものであった。この精神をヨーロッパ的イデオロギーを表現しても誇張ではない。だから近代に入る過程でヨーロッパ人たちは、神に頼らない自然の秩序をとらえる学問として自然科学をつくりだし、同じように人間の社会の秩序をとらえる学問としての社会科学を生みだしもしたのである。
実際ヨーロッパ的精神における進歩の概念とは、単なる発展ではなく、理想の秩序を確立することであり、人々は理想の秩序があることと、その秩序はつくりだしえることに、ゆるぎない信念を持っていた。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p68-9]
136 理想の秩序を探す人々にとっては、市場経済下の社会は、得体の知れないものであったにちがいない。なぜなら、現実の経済を動かしているものは、人間たちの無秩序なエゴイズムと、社会にもたらされた偶然的な出来事だとしか思えなかったからである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p69]
137 はたして共同体的秩序を失った時代の経済活動は、本質的に無秩序なのであろうか。
この現実を前にして、政治経済学の学徒たちは、ふたつの課題を自らに課したように思える。ひとつは、一見すると無秩序にみえる経済活動のなかにも、深く洞察すればある秩序が存在しているのを発見することであった。そしてもうひとつは、将来つくりだすべき理想的な経済秩序を、すなわち倫理的であり、道徳的であることと矛盾しない経済秩序をみつけだすことである。
—中略—この無秩序にみえる経済の奥にも、経済の秩序が成立しているはずだという信念を捨てなかった。そしてこの信念があったからこそ、経済学は成立したのである。
この作業をすすめるうえで、政治経済学の徒たちは、次第にひとつの方法を確立していったように思える。それは古代ギリシアの哲学者たちが、自然をとらえようとしてそうしたように、様々な経済現象の奥に存在する共通の経済的「元基」をみつけだし、その共通の「元基」が生みだす諸現象のなかに、経済を把握しようとする方法である。こうして経済学は、つねにその奥に価値論を保有するようになった。とともに経済秩序をとらえる経済学は、貨幣の展開のなかに、経済的本質の何かが表現されていることを期待するようにもなっていた。なぜなら貨幣ほど、商品の個別性をうしなった純粋な商品はなかったからである。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p70-1]
138 豊かさとは、どれだけ多くの他人の労働を手にすることができるかだとスミスは考える。
---中略---
実際スミスは次のように記している「—中略—労働は商品の交換価値の実質的尺度である」 ところが、そう述べた瞬間にスミスはこの定理に註釈をつけなければならなかった。—中略—必要労働量を反映した「実質価格」と現実の市場における価格の間には、ある関係、ある傾向が存在するとしても、正確に一致していない。
—中略—労働の量である「実質価格」は、どうやって測定すればよいのであろうか。結論だけ述べれば「実質価格」は不明なのである。というより、それは抽象的な価格であって、具体的な価格ではないといったほうがよい。理論的には、そのようにとらえることができる、つまり理論的抽象のなかでとらえられる価格であるといってもよい。とすると現実の場面では、「実質価格」は抽象的であり、「名目価格」だけが具体的だということになる。
もっともスミス自身は、この二つの価格にそれほど遠い違いはないだろうと予測していた。市場を自由放任にしておけば、市場の動きが、次第に「名目価格」を「実質価格」に近づけていくに違いないという楽観的な予想を、彼はたてていたのである。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p75-6]
139 彼は、現実の経済がある秩序を底において形成されていることを提起しながら、その根幹にある秩序を、現実的なものとしてではなく、理論的にとらえることができる抽象のなかでしか説明していないのである。
あらかじめ述べておけば、私はスミスを批判するために、このように記したのではない。そうではなく、私は、経済学にはそうならざるをえない根拠があると考えているのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p77-8]
140 スミスは使用価値に魅力を感じながらも、量的にとらえることのできない、つまり有用性という質的にしかとらえることのできない価値に深入りしたとき、経済をひとつの秩序のなかにとらえるという政治経済学の目的が破綻することを知っていて、それを恐れたのではないかと思われる。有用性は、その内容を普遍化することができないのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p79]
141 豊かな暮らしが豊かな使用価値に包まれた暮らしのことだとするなら、このように考えていくと、交換価値の経済は万能ではないということになる。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p90]
142 スミスは単なる「貨幣の経済学」者ではなかった。スミスにとっては貨幣は結果ではあっても目的ではなく、貨幣の増加を目的に据えた経済理論は批判の対象でもあった。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p94]
143 スミスにとっては、貨幣そのものにでなく、貨幣がはたす役割が重要なのである。すなわちスミスがめざしたものは、「確実な商業用具」に貨幣をすることであった。貨幣の地位を、目的から道具、手段に引き下げることである。だからスミスは貨幣には、ただひとつの用途しかないと書いた。「貨幣の唯一の用途は、消費財を流通させることにある」
スミスは労働が増加していかないような貨幣の消費=浪費にも反対していた。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p95]
144 貨幣に道具以上の地位を与えないという彼の意志は、はたして実現可能なものなのだろうか。交換価値を軸に経済の秩序を構想する以上、交換価値が万能の「神」として登場するのを、この理論は防ぎきれないのではなかろうか。そして、その交換価値は、近代貨幣の成立によって生まれた価値なのである。貨幣と交換価値はこうして一体化をとげる。貨幣は「神」になる。このジレンマ· · · · · ·。
とすれば私たちは最後に問わなければならない、スミスの政治経済学は、なぜこのジレンマを克服できないのだろうかを。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p96]
145 スミスをふくめて多くの古典経済思想家たちは、「使用価値の経済学」に魅力を感じていながら、それを展開しえなかったのは、結局ふたつの理由にもとづいている。ひとつは使用価値という量的規定のできない価値、しかも後に述べるように関係とともに変容する価値を出発点においたのでは、経済をひとつの秩序のうちにとらえることは不可能であった。経済の無秩序性や混沌を、経済学は承認することができなかったのである。そしてもうひとつは、経済学の目的が国家と国民の経済学であったとき、使用価値は国家の経済学にとって有意義なものではなかった。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第四章 経済学と理想の秩序—アダム・スミスと「諸国民の富」」p98]
146 経済の発達は、すべての人々の幸福を約束していない。経済の論理と労働の論理、あるいは資本家の論理と労働者の論理は、ときに対立する。
この一見すると当たり前のことを承認することは、経済学にとっては、その底で根本的な転換のはじまっていることを示していた。—中略—すべてに万能で、理想的な経済秩序など経済には存在しない。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第5章 経済学が生まれる時—リカードゥと「経済学および課税の原理」」p103-4]
147 使用価値=富と価値は別の世界に生まれたものであり、経済は使用価値を問題にしていないこと、すなわち経済とは価値の部面での活動であって、使用価値を切り捨てたところで展開している、リカードゥはまずこのことを明確にしている。使用価値と交換価値のとの、たとえ間接的であっても、幸福な協調を夢見たスミスの願いは、リカードゥにとっては意味のないことだった。なぜなら経済とは単なる価値の運動に他ならず、使用価値はこの運動とは別の次元にある「富」なのだから。—中略—リカードゥは、価値とはそれを生みだすのに必要だった労働時間量によって決定されていると結論づけた。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第5章 経済学が生まれる時—リカードゥと「経済学および課税の原理」」p105]
148 もちろんリカードゥも人々の豊かさには関心を寄せている。しかし、経済学とは、その関心を解くものではなかったのである。価値の生産とその運動だけが経済学の対象になった。その意味において、経済学は新しい時代に入った。旧来の政治経済学や経済哲学的な関心は、経済学の目的ではなくなったのである。
このように整理することによって、リカードゥは経済学にどのような役割を担わせたのであろうか。それは価値形成論と、分配論であったといってもよい。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第5章 経済学が生まれる時—リカードゥと「経済学および課税の原理」」p108]
149 すべてにとって理想の秩序などありようもないのである。そう思わざるをえないのが、リカードゥの暮らした産業資本主義であった。だからわずか数十年しかへてないのに、産業革命を前にして、よき労働、よき市場経済、よき暮らしを夢みることができたスミスの楽観主義に対して、リカードゥの思想は本質的に暗いし、ペシミスティックである。リカードゥの登場をもって、経済学から希望が消えた。
そして、ここまで歩むことによって、経済学は貨幣をめぐる悩みから解放されたのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第5章 経済学が生まれる時—リカードゥと「経済学および課税の原理」」p115-6]
150 こうして経済学理論のなかから、貨幣に対する悩みが消し去られたのである。あるいは貨幣をめぐる悩みは経済学の課題ではなくなったといったほうが正確かもしれない。だがそれで貨幣の問題は解決したのであろうか。結論を述べれば何も解決しなかったのである。経済学が、貨幣をめぐる悩みを共有しない学問になっただけである。それだけではなかった。このときから経済学は、日々働き、生活をしている具体的な人間たちを、その理論構成のなかから追放してしまったのである。
こうしてすべての人間が、抽象的な人間になった。—中略—経済学理論は生身の人間からも資本からも離れた。とすれば、現実のなかで問題になる貨幣の悩みなどは、その課題になるはずもない。
ただし一応断っておけば、私はリカードゥを批判しているわけではないのである。むしろ、それが資本主義の本質であることを、リカードゥはその理論の確立をとおして明らかにしたといったほうがよいのである。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第5章 経済学が生まれる時—リカードゥと「経済学および課税の原理」」p117-8]
151 論点をできるだけはっきりさせて言えば、英会話の世界は人種差別である。私は多くのまじめで賢明な英語の教師や学生、その人個人を中傷するつもりはない。私は英会話の構造とイデオロギーについて話しているのである。雇用方式においてそれは人種差別であり、支払方法において人種差別であり、その広告が人種差別であり、テキスト・ブックやクラスに蔓延するイデオロギーにおいて人種差別なのである。 [ダグラス・ラミス「イデオロギーとしての英会話」日本の名随筆93 言語 p218]
152 世界史的立場に立つことは、同時に何を研究の題目に選ぶべきかという、対象の選択にも貢献する点が多いであろう。—中略—概して言えば、世界史に関連のあるものほど、研究に値すると言ってよいかと思う。[宮崎市定「中国史上」総論 1歴史とは何か p17]
153 特に戦争などというものは、一方だけが絶対に悪いということは殆んどあり得ない。寧ろ問題はどちらが、より悪かったかという点に落付くものと私は思う。概して言えばより強い方が、より悪かった場合が多いようである。 [宮崎市定「中国史上」総論 1歴史とは何か p20]
154 凡そ一つの職業を選ぶには、最小限の覚悟がいる。昔から歴史家は筆を曲げてはならぬことが要求されてきた。これは凡ての判断は自分自身の決定に基づき、全責任を以て行い、他の誰からも影響されてはならぬということであろう。左を見、右を伺いしてから後に自分の態度を決める位なら場、初めから歴史学などやらぬ方がいいのである。 [宮崎市定「中国史上」総論 1歴史とは何か p26]
155 J. S. ミルの経済学は、商品経済のなかに貫き通っている経済秩序=価値秩序をとらえる学問ではなかった。人間のための経済の確立が出発点になっている。そのとき経済学は効用=使用価値の世界に回帰し、同時に「社会哲学の一部門」でなければならなかったのである。
そしてそのことが、西欧的な秩序理論に動揺を与えた。「秩序」は神が作り出した、あるいは理性によって発見された絶対的なものではなくなり、人間たちの関与によって変容しうる歴史的で相対的なものに変わったのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第6章 貨幣の経済をめぐる矛盾— J. S. ミル、マルサス、バウェルク」p123]
156 資本制商品経済は、いくつもの擬制の上に成り立っていることがわかる。第一に商品の購入と使用価値の入手が一致するものとみなす。第二に価値と価格は一致するものとみなす。そして第三に、交換価値が貨幣をもって表現されるとき、交換価値と貨幣量としての価格も一致するものとみなされるのである。その結果、生産に必要とした労働時間量である価値と、交換によって獲得する他人の労働時間の獲得量である交換価値も、その視点は異なっているにもかかわらず、現実には同じものとしてとらえられることになるのである。
---中略---
そして資本制商品経済のなかにこの擬制があるかぎり、経済学もまた擬制の経済学として成立せざるをえない一面をもつのである。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第6章 貨幣の経済をめぐる矛盾—J. S. ミル、マルサス、バウェルク」p132]
157 シュティルナーの提起の核心は、現実に存在している秩序は、観念の秩序と結びついて成立している、ということにあった。このふたつの秩序は、切り離すことのできないかたちで一体化している。
---中略---
貨幣が表現しようとしている価値を承認し、貨幣に対象化された価値の運動に人間の経済的生命活動をみる精神が、貨幣を貨幣たらしめるようになった。現実の経済を支配する力であるとともに、観念によって生命力を吹きこまれた力でもあることによって、貨幣はこの世界を支配するようになったのである。乃ち、現実の経済秩序が貨幣を貨幣たらしめ、同時に、貨幣についての観念の秩序が、貨幣を貨幣たらしめる。ここでも、このふたつの秩序は分かちがたく結ばれている。
だから、貨幣の批判者たちは、現実の経済活動における貨幣の役割を批判するだけでなく、貨幣が人間の精神をも支配する「神」になっていることをも批判しなければならなかった。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第9章 観念の支配としての貨幣—マックス・シュティルナーと「唯一者とその所有」」p179-80]
158 マルクスにとっては、商品も貨幣も第一義的な課題ではなかった。最大の問題は労働力商品の存在であり、労働商品を成立させる所有の問題であった。マルクスの目的は、労働力商品の廃絶にあったのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第10章 社会主義と労働時間—カール・マルクスと「ゴータ綱領批判」」p184]
159 「私としては、資本主義は· · · 本質的には、幾多の点できわめて好ましくないものであると考えている」ケインズは何をもって好ましくないと考えたのであろうか。それは資本制商品経済の秩序が貨幣を絶対的な軸にしていることと関係している。
---中略—
貨幣が経済活動の軸に据えられた資本制社会は、必然的に「貨幣愛」の社会に人々を導く。そのことが投機的な活動に人々を誘いながら、腐敗した金銭の社会をつくりだしていくだろう。真面目に考えれば、人間が道徳的な部面までを金銭によって支配されること自体が、すでに人間の腐敗である。ここでケインズは貨幣の社会に対して危惧をいだいていた。[内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第11章 貨幣の時代の憂鬱—ケインズと「一般理論」」p206]
160 ケインズは、貨幣の評価をめぐって揺れ動いた。ときに「貨幣愛」なき社会に思いを寄せ、ときに「貨幣愛」なき社会は、資本制商品経済よりも、もっと残忍で頽廃した社会を作り出すのではないかと考えた。「貨幣愛」という堕落の存在することが、そのレベルの頽廃に人々をとどめさせ、相対的には他よりましな社会を維持させるのではないかと考えたのである。
「一般理論」におけるケインズは後者の立場をとっていた。
---中略---
「普通の人、あるいは社会の重要な階層の人たちさえもが、事実上金儲けの欲望に強くふけっているかぎり、げーむを規則と制限のもとで演ずることを許すのがやはり賢明で思慮深い政治術というものであろう」 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第11章 貨幣の時代の憂鬱—ケインズと「一般理論」」p207]
161 人間の存在次元の経済への視点を捨てたとき、経済学は古典経済学がみつけだそうとしていた絶対的経済秩序を、発見する必要性もなくなった。歴史も社会も人間の存在も、つまり人間社会にかかわるすべてのことと矛盾しない経済秩序の探求は、経済学の課題ではなくなり、貨幣とともに展開していく経済モデルの提起だけがも目的となった。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第11章 貨幣の時代の憂鬱—ケインズと「一般理論」」p209]
162 かってマルク・ブロックは、ヨーロッパ中世の農村社会では、一時期貨幣がほとんど姿を消してしまうことに、関心をいだいたことがある。交換財としての貨幣は、貨幣を用いた交換の増減によって、増加も減少もするのである。 [内山 節「貨幣の思想史–お金について考えた人々 第12章 貨幣の精神史」p212]
163 はじめのうち、私の講義する概説は、当然のことながら、先輩諸賢の高説の請売であった。それにしても、従来の研究が堆積した山脈の最高の稜線を辿ろうとする努力だけはしてみようとした。しかしそれにも拘わらず、私にはどこか納得できない不満や疑問の点が続出して、それらの問題を解明するためには、結局自分自身が個別に研究を重ねて行くより外に途がない、という結論に到達した。これは概説が単なる纏め仕事ではなく、基本的な研究の一種であるという事実の発見を意味したのである。 [宮崎市定「中国史上」はしがき piii]
164 70年代以降になって、資本主義経済と社会主義経済の間に決定的な差がひらいた理由は、まさにこの消費者という概念にかかっているように思われる。—中略—テクノロジーの進歩と情報化によって、「消費者」という概念が、決定的な重要性をもって登場してきたのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第1章 社会主義はなぜ崩壊したのか p29-30]
165 「資本主義」は、つねに、新しいものをめぐって競争しつつ拡張し、発展してゆく経済だ。こうした競争や拡張のプロセスのなかで、経済は環境の変化や、「予見」の変化に適応してゆくのである。
だから、ペレストロイカが、世界の状況の変化に適応するようなかたちで経済の立て直しと拡張をはかるなら、それは「市場経済化」ではなく「資本主義化」でなければならなかったのである。[佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第1章 社会主義はなぜ崩壊したのか p38]
166 現代資本主義では商品の付加価値を生みだすものは、デザイナーやスタイリストになり、それを実現するのは、マーケッターやアド・マンたちの情報操作なのである。—中略—情報資本主義と呼ばれるものの一面は、確かに大規模なエレクトロニクス・メカニズムの導入による生産システムの変化である。だが、もう一面は、こうした、企業と消費者を媒介する情報の高度化と、それにともなう価値形成原理の変化なのである。しかし,その中でもとりわけ日本はこうした「高度な消費社会」にいち早く移行することによって80年代の経済的な強さの条件を作ったのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第2章 80年代と日本の成功 p50]
167 日本経済のひとつの特徴を「産業主義」にあるといったとき、欧米と日本のすれ違いの源泉はどこにあるのだろうか。
端的に言えば、それは「市場経済」と「産業主義」のあいだのくい違いである。
アメリカの経済学の教科書に書かれているような「市場経済」の考え方はいささか非現実的であり、また浅薄なものである。しかし、それにもかかわらず、市場経済の考えが広く支持されているのはなぜか。それは、市場経済が、欧米の個人主義、自由主義,それにデモクラシーの観念に合致すると考えられているからではなかろうか。[佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第2章 80年代と日本の成功 p57-8]
168 20世紀の資本主義のもうひとつの大きな特徴は、消費という概念あるいは消費者というものを無視することができなくなってしまった、という点にある。そしてこれは、マルクスの資本主義論の中ではほとんど無視されていたものだ。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第3章 資本主義という拡張運動 p65]
169 資本主義とは、人々の欲望を拡張し、それに対して物的な(あるいは商品という)かたちをたえずあたえてゆく運動だといってよかろう。—中略—それは企業と消費者の共犯になるトータルな運動なのである。その両者が結合して欲望のフロンティアを拡張してゆこうとする運動なのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第3章 資本主義という拡張運動 p74]
170 資本主義とは二重の意味での過剰の処理、あるいはもうすこし正確にいえばふたつのかたちの過剰の処理を組み合わせたプロセスだといえるのではないだろうか。ひとつは、現在行われる過剰の蕩尽であり、これはふつう「消費」と呼ばれるものなのである。そしてもうひとつは、将来行われるであろう蕩尽のために過剰を先送りする活動、つまり「投資」だ。この両者を組み合わせながら、過剰を処理してゆくプロセスが資本主義だということだ。
---中略---
資本主義とは、人間の欲望を開拓し、過剰なモノのかたちを与えてゆく運動である。[佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第3章 資本主義という拡張運動 p81-2]
171 欲望というものは、どうやらこういう構造をもっているのではないだろうか。それは一人の人の内面に自然に形成されるというよりも、人々のお互いのもたれあいの中から出てくるといった方がよいのではないだろうか。だから欲望というものは、たいていの場合、社会的性格をもっているのであり、他人との関係の中で出てくるものなのである。[佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第3章 資本主義という拡張運動 p88]
172 欲望の充足は社会的優越と不可分なのであり、実際上、欲望は、純粋に対象に向けられたものというより、こうした仲間の間での優位をめぐる競争と切り離せなくなる。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第3章 資本主義という拡張運動 p90]
173 モノはそのモノ自体をこえ、さらに個人を越えた何かを暗示したりシンボライズするからこそ、欲望の対象となるのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第3章 資本主義という拡張運動 p94]
174 ヨーロッパの「消費革命」が奢侈品、贅沢品を求めることから始まったことは重要である。「消費革命」は同時に「生活革命」であったが、これは一般的に生活水準の向上をはかるといったことではない。何よりまず、それは上流階級の見栄や趣味の競争から始まったのであり、次にそれがその下の階級に模倣され伝播してくるのだ。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第4 章 「外」へ向かう資本主義 p122]
175 ヨーロッパの資本主義は、ヨーロッパの外にある文明(アジア文明)に対する、ある種の「欲望」につき動かされたとともに、もうひとつのヨーロッパの外にある文明(新大陸の金)によって可能になったと考えておきたい。つまり、アジアの物産と新大陸の金に対する欲望が一つに結合したのだ。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第4 章 「外」へ向かう資本主義 p126]
176 ある意味でフォードからGM へと覇権が移ってゆく20年代アメリカの自動車産業に、今世紀の資本主義の特質がすべてあらわされているといってもよいだろう。「消費資本主義」という観点からすれば、それはマーケティングという新たな一種のテクノロジーの登場である。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第4章 「内」へ向かう資本主義 p148]
177 歴史家にとって、歴史概説こそが、同時に歴史哲学であってしかるべきだ。 [宮崎市定「中国史下」むすび p587]
178 私はなるべく私の記憶だけを頼って、この書中に書き込む題材を選んだ。もし私の記憶からまったく忘れ去ってしまったような事実ならば、それは忘れられるだけの価値しかない事実だ、と判断する自信が私にはある。 [宮崎市定「中国史下」むすび p587-8]
179 私は概説書とは、例えばこのように書けるものだ、という例を示したつもりである。私は物を書くのに精進潔斎して机に向い、苦吟渋思して筆を動かすという態度を取らない。私は楽しみながら筆を走らせるのが、最上の著述の態度だと考えている。著者が自身で感興を持つのでなければ、読者が面白いと思って読む筈がない。読者の百人のうち、たとえ一人でもいい、学問を面白いと思って読んでくれるなら、学者の冥利これに尽きる話ではあるまいか。 [宮崎市定「中国史下」むすび p589]
180 20世紀前半にもっとも影響力のあった経済学者のひとりであるフランク・ナイトは市場経済とは、天分と努力を運をためす人生の「ゲーム」の舞台だと述べた。この「ゲーム」は万人に開かれたものであり、だから自由で平等な世界だというのである。—中略—
こうして、アメリカの資本主義は自由やデモクラシーという理念と切っても切り離せないものとなった。このことは、今世紀の資本主義の大きな特徴である。— 中略—今世紀のアメリカ資本主義において、経済活動は自由とデモクラシーの実質になったのである。「消費」は「自由」や「デモクラシー」の目にみえる表現だったのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第4章 「内」へ向かう資本主義 p151-2]
181 ウェーバーが論じているものは、あくまで合理的な経営の精神、勤勉な職業意識、節約と実直を重んじる商人気質といったもので、そもそも貪欲な利益追求としての資本主義でもないし、リスクをおかして新しい機会を手に入れようとする企業家精神でもない。むしろそうした資本主義を、ウェーバーは、「ユダヤ的賎民資本主義」と呼んで、いわば資本主義の邪道だと考えていた。この貪欲な「賎民資本主義」が本来の、宗教的エートスをもった資本主義の精神を台なしにしつつあることに、かれは危機感を持っていたのである。
これに対して、ゾンバルトは、ウェーバーが「賎民資本主義」と呼んだようなものが、資本主義の邪道ではなく、場合によってはむしろ、それこそが資本主義の本質だと考えていたように思われる。[佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p185]
182 ゾンバルトは、合理的、勤勉で徳をもった「市民精神」が資本主義の精神のひとつだということを認めた後で、次のようにいう。しかし、この「市民精神」なるものには、貴族的生活や価値に対する劣等感にも近い対抗意識がある。つまり、深いところに「恨み」がある。この「恨み」こそが資本主義の精神だ、というのである。—中略— もともと資本主義の精神の中には、もともとゾンバルトが「恨み」と呼んだような、ある種の精神状態があり、だからこそ、それは無限で無目的的な発展と、競争を指向したのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p188-9]
183 要するに、「資本主義」の運動には、合理的に説明できる根拠もないし、また目的もないということだ。一種の盲目的な自己拡張があるだけだ。
経済が記者は市場経済を分析して、そこに調和した均衡にいたる合理的メカニズムをみいだした。しかし、これは「資本主義」には当てはまらない。「資本主義」と「市場経済」は違うのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p190]
184 80年代の後半から90年代にかけては、バブルの時代であった。—中略—一般の商品世界でもファッション性やデザインが大きな価値を生み出した時代でもあった。—中略—人々の「好奇心」をすこし刺激することに成功すれば、たちまち価値が膨らんだのである。
こうした現象は、総括して「バブル的現象」といってよかろう。情報の回路で価値を生みだしたものが、市場でその価値を確認され、それがさらに情報の回路で増幅され市場に送り込まれる。こうして本来それがもつであろうよりもはるかに増幅し、水増しされた価値を持つのである。
このように、価値が、情報や人々の心理によって実体とは離れて増幅するという現象は、なにも資産や一般商品だけではなく、知識や思想や科学の分野でさえおきた。「ポスト・モダーン」とか「ニュー・サイエンス」などと呼ばれた「新しい知識」は、まさにこうした知的世界のおけるパブるであった。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p194]
185 しかし、あらためて「実体」とかけ離れて価値が膨らんでしまうというのはどういうことかというと、それほど明らかではない。
---中略---
多くの経済学者が、いとも簡単にバブルはけしからん、といったことをいうが、もともと「市場経済」一元論からは、バブルは良いも悪いもない。「市場経済」を擁護するならバブル現象を批判するさしたる根拠はない。
—中略—たとえば土地の価値が「実体」から離れる、というときの「実体」と「水ぶくれ」の区別は市場経済の価格の概念の中にはないといいたいのだ。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p197-8]
186 バブル経済にはこれとまた違ったもうひとつの捉え方がある。それは、資金を借り入れて短期的に運用して利益を上げるという経済である。だから「投機」という概念に近い。—中略—(この意味で)バブル経済という言葉を使えば、それは「市場経済」の現象なのではなく、「資本主義」の現象なのである。それを一種の病理現象だとするならば、それは市場経済の病理というよりも資本主義の病理である。しかし、実はバブルは、病理という例外では決してなく、それどころか、資本主義の本質にかかわる現象だとみておかなければならない。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p199]
187 ここで重要なことは、まず第一に、銀行券そのものが一種のバブルのようなものだということである。銀行券は、—中略—お互いに銀行券を受け取ってくれるだろうという信頼に基づいて成り立っているだけなのである。
これは銀行券だけでなく、もっと端的に貨幣の本質である。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p201-2]
188 バブル的な投機を、モノの裏付けがある投資から区別する絶対的基準というモノはない。資本主義が、それ自体の拡大をめざす運動だとすれば、資本主義は、そのふたつを区別することはできないのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p204]
189 資本主義は負債から始まるのである。負債をいつも先送りにして、資金をいっそう膨らませてゆく。この負債を無限に先送りにしてゆくということ、ここに資本主義の発展運動の手口がある。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p205]
190 資本主義の成立あるいは展開で決定的な役割を果たすのは、マルクスがいったような、労働市場が成立することではなく、資金を調達できる貨幣市場が成立することなのである。 [佐伯啓思「「欲望」と資本主義」 第6章 消費資本主義の病理 p206]
191 現実の経済ではセイ法則が成立しない。需要が供給より少ない(多い)場合には、供給が減らされ(増され)、供給が需要に適応するのである。すなわちセイ法則の逆(私はそれを「反セイ法則」と呼ぶ)が成立する。それゆえ需要が少ない時には、生産は沈滞し、失業が生じる。経済学者が容易に成立すると考えた完全雇用は、需要が十分に大きい異常事態の他は成立せず、反セイ法則下の現実の経済では、失業が存在するのが常態である。
もしそうなら、一群の人がますます富み、他の人はますます貧乏になるというマルクスの両極分解は、資本家・就業労働者群と失業者群の間に確実に起こる。それゆえ資本主義社会では、福祉厚生活動を振興し、手厚い救貧対策を講じなければならない。これらの問題はマルクスの言葉で言えば「上部構造」の問題であるが、良質の福祉、厚生、文化、教育部門の構築に成功しない限り、資本主義は永続することができず、暴動がおこるであろう。今まで経済学者は、社会の物質的基礎構造の分析だけを彼らの課題と考えていたが、基礎構造の存命力)viability)を彼らが問題にするにいたれば、彼らは上部構造を無視しえなくなり、上部構造の研究もまた資本主義分析の主要問題になる。基礎構造と福祉、厚生等の諸部門は組になっているのであり、その組関係を無視して、これらの部門の整備をないがしろにすれば、マルクスのいうように革命が起こるのは当然であろう。だから資本主義組織の全体を上部構造と基礎構造の組として見なけらならないが、そうするためには経済学と他の社会科学は統合されねばならない。 [森嶋道夫「思想としての近代経済学」 序章 近代経済学私観 p8-9]
192 プラトンが理解したソクラテスの「知」のとらえ方のきびしさとは何よりも、「知」(知る)とはその人の行為の隅々まで支配する力をもつはずだ、そうでなけらばほんとうの「知」とはいえない、という「知」への要求のきびしさである。 [藤沢令夫「プラトンの哲学」III 魂をもつ生きた言葉 p44]
193 〈美〉を「ほんとうに知る」というときの、真の知の窮極の対象として考えられる〈美〉とは、そうした個々の事例に局限される「美しさ」のどれともけっして同じではなく、それから厳格に区別され、それらを超えていなければならない。
他方しかし、個々の美しいものとは別であるといっても、それは〈美〉の“普遍的” な概念や定義のことではない。そんなものを“知って” も、〈美〉をほんとうに実質的に知ったことにはならないだろう。[藤沢令夫「プラトンの哲学」IV 美しき邁進 p89-90]
194 少なくともエンペドクレスの時代までは、彼らにとって自然万有の理法への探求は、そのまま人間存在の意味とそのあるべき生き方への探求にほかならず、〈知〉の意義は、この両局面を一体的に統括することにあった。[藤沢令夫「プラトンの哲学」VI 美しく善き宇宙 p207]
195 現実の経済が、すっかりスミスのパラダイムの圏外に移動し去ったのは、産業革命およびそれ以後の技術発展によるのだが、このことを認識せず「見えざる手」を信じたサッチャーの経済政策が不成功に終わったのは理の当然である。 [森嶋道夫「思想としての近代経済学」 序章 近代経済学私観 p10-11]
196 自由放任経済では、能力一杯で生産が行われると、物は使いきれないほど生産される(すなわち過剰生産、過小消費が起こる)と主張する人は、機構は原則としてうまく回転せず、遊休資本や失業は必然だと見る。ケインズが経済学界で特別の地位を占めているのは、自由経済機構上の作動上の欠陥を指摘して、それまでの経済学者の機構への信頼を崩してしまったからである。 [森嶋道夫「思想としての近代経済学」 I-3ワルラス(2) — 大衆間の完全競争 p38-9]
197 自由主義経済ではセイ法則は成立せず、失業が生じるが、社会主義経済ではセイ法則が成立して、完全雇用が実現する代わりに、長期的な経済の効率は悪い。残された道としては、自由主義経済には次のような修正を加えることが考えられる。それは私企業が関心を持たない分野で、しかも社会的に重要な分野(教育、環境整備等)で、政府が積極的に業を起こして雇用を創造し、私企業の雇用の欠を補うというケインズが提唱した道である。しかし、この道ですら、雇用を充分拡大するには、政府事業の経済的効率はよくないという批判に甘んじなければならない。すべては過大な生産力がもたらしたジレンマである。 [森嶋道夫「思想としての近代経済学」 I-3 ワルラス(2) — 大衆間の完全競争 p48-9]
198 鳥が地上高く舞い上がって展望するように、遠い過去や未来を見渡す高邁な研究は、マルクス、エンゲルス以来多くの経済学者や社会学者にとって魅力のある仕事であった。それは厳密にいえば、一種の遊び—社会科学架空物語(social science fiction)—以上の何ものでもないが、そういうbird’s eye view を持つことによってこそ、その人の社会に対するビジョンは形成されるのである。大地を這いまわって社会を調査した人たちのworm’s eye view と共にbird’s eye view が社会科学には必要であろう。 [森嶋道夫「思想としての近代経済学」 I-6 高田保馬— 人口と勢力 p78]
199 高田理論は、戦後の日本の経済構造を説明するのに、非常に有効と思われる。—中略— 戦後日本の企業集団や、下請け制、二重構造等を説明するには、金だけが力だと考えずに、金以外にも経済に影響する力を持つ物があることを認めて、それが何であるかを明らかにし、その分析を行うべきである。ここに勢力経済学の新分野があるであろう。 [森嶋道夫「思想としての近代経済学」 I-6 高田保馬— 人口と勢力 p85]
200 本書でこれまでに概観した経済諸理論を総合すれば、次のような近代経済学の資本主義観が得られる。まず第一にシュンペーターが力説したように資本主義は安定的ではない。—中略—自由企業制は彼ら(=企業家)の創意と勇断に依存して、旧軌道から不安定的に離れ去り、飛躍的な大発展を遂げる。
第二にそれはまた、ヴィクセルが見たように貨幣面で極めて不安定である。大きい革新が枯渇すれば、収穫逓減の法則により、資本の生産力(したがって正常利子率)が低下するから、貨幣利子率は高位に取り残されて、下方への累積過程が生じる。これを是正すべく貨幣利子率を下げれば、下げ過ぎて上方向への転進が生じ、物価騰貴が生じる。貨幣面の不安定性を制御することが、資本主義運営上の最重要事となる。 [森嶋道夫「思想としての近代経済学」 I-7 ヴィクセル— 資本理論と人口 p95