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雑誌抜き書き    大庭みな子 藤原保信「自由主義の再検討」 フッサール「現象学の理念」 

1 文明の変化についての最初の教訓は、戦場での経験を通じて最も効果的かつ明快に学ばれる。 [Bernard Lewis, ‘西洋と中東近代化と文明の受容’ (The west and the Middle East)  中央公論1997-6、p357]

最も反西洋的な立場を取る諸国でさえ、ヨーロッパ流の軍服を着用しているのだ。(原注、アラビア半島を例外とすれば、(男性の間で)西洋風の衣類が定着している、イランイスラム共和国の代表たちでさえも、ヨーロッパ人のようにスーツを着ている。唯一ネクタイを締めていないことだけが、西洋文明の拘束に対する彼らの拒絶である。)[p364]

2 中間レベルでの連帯(引用注:信条、目的、制作、利益計画によって結ばれた集団による自発的結社、氏族、家族、宗教などの非自発的結社と区別される)の出現は西洋世界に特徴的な現象で、その後しばらくは西洋世界にしか見られなかった。· · · 多種多様な自発的な結社がネットワークをつくり上げ、これがいつしか市民社会として知られるものへと発展していった。 [Bernard Lewis, ‘西洋と中東近代化と文明の受容’ (The west and the Middle East)  中央公論1997-6、p360] 

3 十字軍の時代、ヨーロッパにおけるキリスト教徒の商人は、十字軍を相手に使用されることになる武器をサラセン帝国側に売りつけることで利益を上げ、繁栄を極めた。 [Bernard Lewis, ‘西洋と中東近代化と文明の受容’ (The west and the Middle East)  中央公論1997-6、p363]

4 今日では近代化することなしに民主化を達成することは出来ないかもしれないが、民主化せずに近代化を達成することは十分可能なのだ。 [Bernard Lewis, ‘西洋と中東近代化と文明の受容’ (The west and the Middle East)  中央公論1997-6、p366]

5 中東の人々が自問すべきは、なぜ彼らが西洋と異なっているかではなく、彼らの社会での暮らしぶりが、どうして南アジア、東南アジア、極東の人々の生活とこうも異なってきたかである。 [Bernard Lewis, ‘西洋と中東近代化と文明の受容’ (The west and the Middle East)  中央公論1997-6、p368]

6 芸術や建築に関する西洋文明の影響力はかなり早い段階で、しかもかなりの速さで拡散したようだ。(中略)しかし音楽に関しては断絶が存在するようで、これが中東とその他の非西洋世界の最も顕著な違いの一つである。 [Bernard Lewis, ‘西洋と中東近代化と文明の受容’ (The west and the Middle East)  中央公論1997-6、p369]

7 開成五年十二月二十九日夜、夢を見た。金剛界曼陀羅を描き日本に持っていったところ大師はその曼陀羅の図を開いて見て非常に喜んだ。大師を礼拝しようとしたところ大師は「自分はどうしてもお前の礼拝を受けるわけには行かない。反対に自分にこそお前を礼拝させてほしい、云々」と言った。曼陀羅を描いて日本に持って行ったことを心から喜んだのであった。 [圓仁「入唐求法巡礼行記」 深谷憲一訳 巻第三 中公文庫p468]

8 老害っていうのは、仕事をいくらでもできると思い込むことなんです。生涯この仕事をやって机にうつぶして死ぬんだって言うようになったら、かなりまずい。[宮崎駿、AERA97’ 7.21 p47「もののけ姫」宮崎駿の「置き手紙」]

9 天子独裁制の下においては、手許が少し狂えばその影響する所は絶大であり、明代の人民は、宋代の人民よりも不幸であったと思われる。歴史は常に時間と共に進歩するとは限らない。特に歴史の繰返しが行われる場合、模倣は原型よりも劣る場合が多いのである。 [宮崎市定「中国史 下」第3篇 近世史 4 明 p.470]

10 私たちが暮らしている現代世界からみると、産業革命以前の世界はまるで別の惑星かと思われる点が多々あるが、そうした違いの中でも特に重要な変化が二つある。その一つは、この57世紀のうち55世紀を通じてマルサスの指摘が正しかった事だ。私が言いたいのは、文明の歴史のほぼ全てを通して、技術改良が生活水準を持続的に向上させたわけではなかったという点にある。むしろ逆に、技術改良から得られた利得は人口増加によって薄められ、生活の諸資源を圧迫し、最終的にはほとんどの人々の生活をほぼ以前の水準に押し戻してしまった。· · · · · · 人類の歴史の大部分の時代に起きてきたことをうまく説明する。彼の理論が、長い歴史文明のなかのわずか二世紀のあいだ、それもたまたま、著作の出版に続く二世紀に限って、うまく当てはまらなかったのだ。─中略─特に、産業革命以前における人口と実質賃金の長期的動態を理解する上で最も重要な学問領域は、macroeconomics ではなく, microbe economics である。─中略─ここまでの説明は魅力的だが、しかしこれが二一世紀の経済展望にとって重要かどうかは疑問である。

 もう一つの大変化は, ビジネスサイクルすなわち景気循環が始まったことである。─中略─今日私たちが知っているような景気後退が起きるには、流通する金や銀よりも優先されて、あるいはこれらになり代わって機能する信用紙幣制度の存在が前提となる。─中略─景気後退の第一号は、予想通り最初に工業化した国で起きたのである。 [P. Krugman,「景気循環の波は消滅した?」 中央公論1997-8 p377.]

11 洋の東西を問わず、「正体がばれると悪の力は失われる」ということが共通するのは不思議なのだが、しかし、このことが人間社会というものの不思議をとてもよく説明している。人間は誰でも、人間社会の中で他人と調和してうまく暮らしていたいのだ。悪魔といういものにさえもそういう欲望はあるらしい。だから、社会から逸脱して恨みを抱えて、他人に祟るなどということをしてしまう人間でも、「自分がそんなことをしている」と認めるのは、とても恥ずかしいのだ。根本にそういう羞恥心があるから、「自分が何者であるか」ということを暴かれるのが苦しい。「自白によって祟りが終わる」という古くからの悪魔祓いの構造は、このことを端的に証明している。正体がばれたら力はなくなる正体を知られてしまったらお仕舞いだし、「こっちはもうおまえの正体を知っている」は、に対してとても強い力になりうる。

· · · · · ·

「幽霊の正体見たり枯尾花」という言葉がある。その事実ははっきりしていたとしても、しかし暗い中で風に揺れるススキの穂を見定める勇気がなければ、まだ幽霊は存在するだろう。 [橋本治、「まだこわいものはあるだろうか。」天使のウィンク1、中央公論1997- p258]

12 隷従の対象が、平等思想であるのか、競争原理なのか。いずれにしろ、現代の競争社会をこうした「観念への隷従」という側面から再吟味してみる必要を感じさせるような局面にさしかかってきたことは確かであろう。競争の礼賛は往時のマルクス経済学のいくつかのドグマを想起させるほど、観念的で熱っぽさを帯びてきたからだ。 [猪木武徳、「競争社会の二つの顔生存のためそして遊戯として」、中央公論1998- p25]

 · · · · · · 社会の中の人材の評価のシステムが多元的であるほうが、社会秩序にとって好しという。しかしその多元的システム自体をどう創り上げるかは、難しい政策論となる。ただひとつ明らかなのは、現代民主主義の下では、こうした多元的評価システムを創り上げることはなかなか難しいということである。

· · ·

正義のルールの遵守と、アダムスミスのいう慈愛(benevolence)の精神が相俟ってはじめて、市場はひとつのシステムとしての意味を持つのである。 [猪木武徳、「競争社会の二つの顔生存のためそして遊戯として」、中央公論1998-5 p35]

14 平成の歩みとは、そのまま日本という国が衰微していく歩みです。 [江藤淳、「天下の奇観小渕・竹下内閣」、文芸春秋、1998ー9 p104]

15 いま、私たちにとって必要なことは、「適応」ではなく「対応」ということです。この国に生きる人々のこれからの生活はどうあるべきなのか、本当の豊かさとは何なの下、それを実現するためのあるべき政治とは何か、そういって問いかけを基礎に置いた対抗思潮というものをきちんと築いたうえで、状況に対して主体的に「対応」をなしていくこと。これが真の国際化時代への道であるわけです。

 現にヨーロッパに生起している新しい思潮の中に、私たちはそれを実感することができるわけですね。

 これとは正反対に、私たちの社会で叫ばれるグローバル・スタンダード論も、規制緩和論も、そしてさまざまな改革論は、ひとたび巻き起こった世界の趨勢にどう対応するか、適応力とそのためのテクニックを社会正義のように論じるものになっている。 [内橋克人、「問い直された「改革」の本意」、世界1998- p39]

16 社会の形がほんの少しずつでも変わって来たのだとしたら、それは男たちの孤独な闘争によって得られたものよりも、原始的な欲望による混血や結婚によって得られたもののほうが多かったかもしれないのだ。 [大庭みな子「男性達の掘った墓穴」(日本の名随筆83「男心」p117]

17 そしてもし社会にほんとうの意味での仕事をしている魅力ある女たちがあふれていれば、男たちは今よりはずっと愉しいのではないだろうか。 [大庭みな子「男性達の掘った墓穴」(日本の名随筆83「男心」p117]

18 サイコロとはいったい何か。人びとを何千年も愉しませて来たこの簡単な道具。大の男をも愉しませたに違いないこの玩具こそ、宇宙の謎の象徴だという気がしてくる。不確定性に対する人間の認知とも言える。 [大庭みな子「賽子と渦」(「耳ぶくろ」83年版ベストエッセイ集(文芸春秋)p205)世界1983年二月号]

19 科学は不可解なもの、神秘なものの消滅を目指し、その予見を事実として確認した上で確固たる地位を築いたわけだが、人の心に依然としてうつろな部分が残っているのはいったいどういうわけだろう。しかも、このうつろな部分こそが生きていることの証明であるという気さえするのだ。 [大庭みな子「賽子と渦」(「耳ぶくろ」83年版ベストエッセイ集(文芸春秋)p207]

20 アインシュタインがサイコロの中の法則性はやがて科学で説明できると信じていたとしても、サイコロの目は六分の一の確率で出るという確率論はあったにしても、人生にとっては、一回きりしか人生のない各個人にとっては、次の目がいくつになるかが問題であり、そこにはいろいろな人生の舞台が展開されるということになる。 [大庭みな子「賽子と渦」(「耳ぶくろ」83年版ベストエッセイ集(文芸春秋)p208]

21 私はなぜ文学をやるか。人間が永遠に思い悩むようなことを思い悩んでいるからだ。生まれたということは死ぬということであるのに、わからないことを思い悩んでいる限り、生きているような気がするからだ。 [大庭みな子「賽子と渦」(「耳ぶくろ」83年版ベストエッセイ集(文芸春秋)p209]

22 コンピューターがモダンアートらしき複雑な幾何学模様を描き出したにしても、焔と渦の描く不可思議さには及ばないだろう。創ろうとする心の昂奮は、自分でも予期できないものへの期待なのだ。 [大庭みな子「賽子と渦」(「耳ぶくろ」83年版ベストエッセイ集(文芸春秋)p212]

23 詩を思わぬ日はままあるが、翻訳のペンを動かさない日は極めて稀だ。理由は詩を思うはつらく、翻訳を進めるのは楽しいからだ。 [堀口大学「翻訳こぼれ話」(日本の名随筆(別巻45)「翻訳」p9]

24 要するに語学だけ達者なら、翻訳なぞ誰にでも出来るといふ様な時期は、早く過ぎて貰はねば、どうも面白くない。 [小林秀雄「翻訳」(日本の名随筆(別巻45)「翻訳」p29]

25 詩は「翻案」されるべきものであって「翻訳」さるべきものではないといふことである。 [萩原朔太郎「詩の翻訳について」(日本の名随筆(別巻45)「翻訳」p70]

26 すべての訳詩は、それが翻訳者自身の創作であり、翻案である限りに於いて価値を持てる。換言すれば詩の翻訳者は、原作を自分の中に融化し、自分の芸術的肉体として、細胞化した場合にのみ、初めて訳者としての著作権を有するのである。即ち例へばポオの翻訳におけるボードレエルの場合であって、これが即ち「名訳」である。そしてすべての名訳は、それ自ら翻訳者の創作であり、正しく翻案に外ならないのだ。[萩原朔太郎「詩の翻訳について」(日本の名随筆(別巻45)「翻訳」p71-2]

27 訳詩を読む人々への注意は、第一に先づその訳者が、詩人として、文学者として、原作者と同等以上、もしくは同等、もしくは最悪の場合に於いてすら、雁行する程度の才能を持つてゐるか否かを見るべきである。訳者にもしそれだけの資格がなく、原作者との比較に於いて、問題にならないヘツポコ詩人であるとすれば、むしろ全然さうした翻訳を読まないほうが利口である。 [萩原朔太郎「詩の翻訳について」(日本の名随筆(別巻45)「翻訳」p73]

28 これは亡き片岡鉄兵さんから聞いた話であるが、若き日の佐藤春夫が某氏訳の「ドリアン-グレイの肖像」の誤訳を痛烈に指摘したことがあった。それを読んだ上田敏は、その才筆に感嘆しながらも、日本人の持つイヤなところのよく出た文章だと言ったそうである。一般に誤訳指摘の文章が、第三者にも快く読まれないのは、訳者よりも自分の方がはるかによくテキストが読めるという自負がおのずから文章に出るからであろう。従って、指摘されたほうは逆に、指摘者の翻訳から誤訳を見つけてきて、そういうお前だってこんな滑稽な誤訳をやっているではないかと食い下がり、結局両者の泥仕合になるばあいが少なくない。これでは稔りのある誤訳論議にはならないのである。 第一、誤訳指摘という言い方がよくない。「翻訳助け合い」とか「楽しい誤訳」とかしたらどんなものか...[河盛好蔵「誤訳の効用」(日本の名随筆(別巻45)「翻訳」p33]

29 EU 統合という流れの背景にあるのは、二十世紀の特色と言われる一民族一国家の「国民国家」というシテムを、次の時代にどうしていったらいいかという試みへの挑戦ともいえる。もうひとつは、1917年のロシア革命以来、二十世紀を通して欧州は社会主義という路線に悩み抜いた。その明らかな矛盾と眼界を目にして、市場化という流れのなかに路線をとった。けれども他方で、自分たちが二十世紀に苦しみ抜いた社会主義とは何だったのかという問いを、いまだに問題意識として引き継ぎながら、市場経済下での「社会政策重視」という議論を固めようとしている。つまり欧州は二十一世紀の新しいあり方を探っているんですね。 [寺島実郎「いま直面する危機の本質」中央公論1998-十一、p37-8]

30 実際にモスクワに行って感ずるのは、西側の資本主義が東側に持ち込めたものは何なのかということです。よく言われるているように、一にジャンクフード。アメリカのハンバーガーチェーンの怒涛のごとき進出。二にセックス産業。一流ホテルでも黒下着女が集まるような雰囲気。三に金融マフィアの跋扈。モスクワの河に「カジノ」と書いた舟が浮かんでいるのに象徴されるカジノ経済。要するにカネにするためには何でもありという「万物の商品化」状況を作ってしまった。 [寺島実郎「いま直面する危機の本質」中央公論1998-十一、p38]

31 「本質的な課題は、指数関数的に増加する可能な選択肢の中からの探索法である」などといった主張には、振る舞い上の証拠も内観上の証拠も存在しない。 逆に、すべてのプロトコルはチェスが次の二種類の振る舞いを含んでいることを立証している。(1)知覚野の全体的組織化による照準合わせ。 もともと知識の周縁にあった一地域に照準が合うが、その地域を興味深いものにしているのは、意識の周縁にあるその他の地域である。 (2)明示的な可能性のしらみつぶしの数え上げ。 [H. Dreyfus,‘ コンピュータにはなにができないか’p182]

32 誰かに新しい単語の意味を教えるために、われわれはよくその単語が名指している対象を指す。 これが子どもに言葉を教える方法であるとする考え方は、アウグスティヌスの「告白」の中にも、またチューリングの機械知能に関する論文の中にも見出すことができる。[H. Dreyfus,‘ コンピュータにはなにができないか’pp195]

33 ウェルトハイマーは問題解決が試行錯誤によるものだとする叙述は問題解決行動の最も重要な側面を排除すると指摘している。 その側面とはすなわち、問題の本質構造の把握、彼の言うところの「洞察」である。 [H. Dreyfus,‘ コンピュータにはなにができないか’p202]

そもそも洞察が要求されるこの段階で、人間が規則を守っていると言うことを示すことに成功したものさえいないからである。 [p207 ]

34 論理学の問題のように過度に単純化された例やアドホックな例を見ると、ある操作がそれ自体で本質的である、あるいは非本質的であるという考えに容易に陥ってしまうものである。 その場合、われわれには、それらの本質的操作と非本質的操作が予めそこにあるからこそ、それらを見つけることが出来るかのように思われてくる。 その結果、単にそれらを選り分けるようなヒューリスティックスを見出せばよいと考えてしまうのである。[H. Dreyfus,‘ コンピュータにはなにができないか’p211]

35 基礎的問題はいまや明らかである。 すなわち、すべての選択肢が明示化されなければならないと言う問題である。[H. Dreyfus,‘ コンピュータにはなにができないか’p229]

36 たとえばシンナーをやっている子に、お前シンナーなんか悪いからやめろ、なんて誰でも言えます。吸わない方がいいなんてことは、やっている本人かてちゃんとわかってるんです。ところがシンナーをやめて、その人がそのあと生きていく世界ということをこっちがちゃんと持ってないかぎりは、絶対にやめさせることなんかできません。 [河合隼雄、「特別対談「麻原、ヒットラー、チャップリン」より。文芸春秋98ー11, p266]

37 その民主主義の権化のような英国において、幾多の困難を救ってきたのは、実はエリートの存在であったというアイロニーのもつ意味を、今の日本人は、もう少し虚心坦懐に噛みしめてみる必要があるのではないか。 [斎藤健「「政か官か」からの脱却」中央公論 1998- 12p46]

38 奉天の会戦時(1905 ) の日本陸軍も、ノモンハン事件時(1939 ) の日本陸軍も、同じ日本陸軍である。が、このわずか三十四年の間に、無惨な変貌を遂げている。 日露戦争時の日本陸軍には、柔軟な発想力、創造性、能力ある人間に思い切ってやらせる能力主義の土壌、見込まれた人間の気概、冷静なリアリズム、そして、同時に多方面に気を配れる構想力、すべて特筆すべきものがあった。そして、それらの特性を体化した健全なエリートが存在していた。しかし、ノモンハン事件は、それらすべてのものが、わずか三十四年の間に失われてしまったことを示している。この間、日本ないし日本人に、いったい何が起こったのか。その分析の中に、現在への警鐘となるヒントが隠されている。 [斎藤健「「政か官か」からの脱却」中央公論 1998- 12p49]

39 (司馬遼太郎氏は... 語っている)エリートというものは、公のためには自らを犠牲にしてでもという強固な精神と、その精神を無事開花させるための冷静なリアリズムとの双方を有すべきなのに、奉天からノモンハンに至る三十四年間の間に、日本の指導層は、出世コースに乗ることが目的となり 、リアリズムを失ったというのである。戦艦大和を作り続ける精神構造は、その帰結である。 [斎藤健「「政か官か」からの脱却」中央公論 1998- 12p51]

40 新渡戸博士は、禁欲や公の精神などについて、西欧のプロテスタンティズムと武士道の中に数多くの倫理的な共通項を認め、その武士道の精神が失われつつあることをあたかも日本の良さが失われるかのごとく嘆いているのであるが、それは、まさに、健全なエリートたちが日本史の舞台から立ち去るのと軌を一にしているのである。 [斎藤健「「政か官か」からの脱却」中央公論 1998- 12p56]

41 一般的にいって、ヨーロッパの思想史をみたとき、古代中世を通じて私有財産と市場にたいして好意的であったとは言えない。このことはすでにプラトンに現れている。 [藤原保信「自由主義の再検討」p11]

42 私有財産や富の蓄積が、倫理的、宗教的に禁止されたり、それに大きな制約が課せられているかぎり、そこの資本主義が発達する道理はないであろう。逆に言うならば、富の無限の所有と蓄積への倫理的、宗教的制約が解除され、むしろそれが正当化されたとき、そこにいはじめて精神史的に資本主義への道が開かれるといえる。 [藤原保信「自由主義の再検討」p14]

43 ロックはその著「政府論」(Two Treaties of Government, 1690 _)の第二論文第五章「所有権について」において、各人の身体とその諸能力は本来的に各人のものであるとしながら、それゆえに労働の所産はまさに所有権として各人に帰属するのが正しいとした。 [藤原保信「自由主義の再検討」p17]

44 近代への転換は、まさにそのような価値のヒエラルヒーの転倒によって特徴づけられる。世俗化が、現世の肯定を否応なしにひき起こしていったというだけではない。さっきのプラトンの図式を用いるならば、魂の理性的部分、気概的部分、欲求的部分のうち、むしろ欲求的部分が中心を占め、他はそれに従属しそのための手段となっていく。あるいは観照的生活、活動的生活、享楽的生活というアリストテレスの図式を用いるならば、享楽的生活がそのまま肯定され、他はそれに従属していくのである。 [藤原保信「自由主義の検討」p57]

45 近代思想が肯定的、否定的に対決しようとしたのは、プラトン=アリストテレス的伝統であったのである。それは何を意味するのであろうか。たしかにこのような生のヒエラルヒーの肯定は、その背後において身分制社会の階層構造に対応し、それを反映しかつ正当化するものであったともいえる。勇気を説き、節制を説き、知の支配を説くことは、そこでの支配階級にとっては好都合であったかもしれない。しかもそこでは支配に与りえない人びとが厳然と存在し、自然による区別を通じてそれが正当化されていったのである。 その意味では、ヒエラルヒーの転倒と欲求の開放は、そのような身分制秩序の解体と結びついていたともいえる。ホッブズが人間の自然の状態を自由で平等な状態ととらえたのも、それと無縁ではないであろう。人間を魂の卓越性によってではなく、欲求と嫌悪によってとらえる限り、そこにはおよそ自然的な優劣は生じえない。われわれはこのことの意味を看過してはならない。にもかかわらず、欲求とそのための手段としての力の解放が、その後の社会にかかわる様々の問題を生みだしていったこともたしかである。そして自由主義はその延長線上に位置せしめられるものであった。 [藤原保信「自由主義の再検討」p62]

46 ホッブズやロックのばあいには、たとえ価値のヒエラルヒーの転倒がもたらされ、欲求が解放されたとしても、なおもそれを外的に規制するものとしての自然法の存在が厳然と信じられていた。自然法は、例えその認識は人間の自然的能力の正しい行使によって可能であるとしても、なおもそれは神の造った客観的掟として存在していたのである。[藤原保信「自由主義の再検討」p69]

47 スミスのばあいには、人間の意志に先立つ客観的な道徳規範としての自然法の存在を認めなかった。にもかかわらず、同感という人間の自然的能力を通じてある種の道徳規則が成立し、それが人間を拘束していくことを認めたのである。神の与えた自然能力を正しく駆使することを通じて、人間は調和的な秩序へと到達することができる。これにたいして、およそそのような道徳規則を認めないのが、功利主義者ベンサムである。ベンサムにおいては、快楽と苦痛という自然的事実がそのまま肯定され、それが唯一の価値の基準となっていくのである。われわれはそこに、近代思想において解放された欲求の全面的開花をみるであろう。それを道徳的自然主義と呼ぶこともできよう。 [藤原保信「自由主義の再検討」p75-6]

48 市民社会は、「国家生活からおのれを完全に切り離し、人間のあらゆる類的紐帯をひき裂き、利己主義、私利的欲望をもってこの類的紐帯におき換え、人間世界をたがいに敵対しあうアトム的個々人の世界に解消してしまう」。この様にして、スミスやベンサムが自然調和を見た市民社会に、マルクスはむしろ差別と対立の構図をみる。 [藤原保信「自由主義の再検討」p91]

49 現実の運動に参加した多くの人びとの真摯な努力にもかかわらず、実際に成立した社会主義体制がマルクスの意図したものからおおいに離れてしまったことは否めない。それをほんらいのマルクス主義からの逸脱、あるいは体制化の過程における「手段」の「目的」からの乖離と糾弾することはやさしい。しかしわたくしにはその原因はマルクスの立論そのもののうちに内在していたように思われる。 [藤原保信「自由主義の再検討」p128]

50 人間が制度とともに変わるというある種の楽観主義は、社会主義に相応しい人間像の創出に失敗したのみならず、権力の悪に無防備であった。いな、たんに無防備であるのみならず、それ自身が中央、地方を通じて権力闘争というかたちをとり、ときには利己的な目的のために利用されていったのである。 [藤原保信「自由主義の再検討」p131]

51 むしろ歴史の誤りは誤りとしつつ、なおも人類の共通の遺産として継承され生かされていかなければならない部分はおおきい。とりわけ私有財産と資本主義の悪へのマルクスの告発には他の追随を許さないものを含んでおり、歴史のなかで克服の対象として絶えず自覚されていかなければならないであろう。いなそのためには理念としての社会主義は、その克服の目標として永久に光を放ちつづけるであろう。 [藤原保信「自由主義の再検討」p134-5]

52 資本主義の悪を告発し、その打倒を叫ぶ体制や勢力の存在そのものが、それとの対抗上、資本主義の自己修正への努力を促していったといえる。 [藤原保信「自由主義の再検討」p139]

53 ところが、そのようにして子供の世界からお金を遠ざけようとしていた大人たちはむろんのこと、当の子供たちもまた、現実の経済社会のなかでは貨幣が経済的な価値基準になっていることも、貨幣が一種の権力として振る舞っていることも知っていたのである。 

  その意味では、貨幣ほど非友好的な必要財はなかった。人々は精神のある部分では貨幣に対して非友好的な態度をとりつづけ、現実の経済生活のなかでは貨幣を承認していた。もっともこの貨幣をめぐる精神の分化は、ある時代の特徴でも、日本の社会の特徴でもなかった。どこの国でも、中世後期に入って、貨幣が単なる交換財から経済の主役へと転じはじめたとき、人々は貨幣に対して警戒の目をむけていたのである。あるいはこう述べればよいのかもしれない。人々は道徳や倫理、思想的な精神のなかでは、貨幣に対して冷たい態度をとりつづけた。だが現実の俗世界のなかでは次第に貨幣を受け入れるしかなかった。こうして、思想がとらえる貨幣と経済がとらえる貨幣との間に断絶が生じる。 [内山 節「貨幣の思想史お金について考えた人々」p8]

54 マルクスは「ユダヤ人問題によせて」において、近代市民革命によってもたらされた政治的解放の本質を、政治的国家からの市民社会の解放であり、自然的欲望の解放、まさに市民社会の原理をなす物質主義と利己主義の完成とみていた(この点では市民社会を「欲求の体系」とみたヘーゲルに共通する)。そこで人びとは形式的、観念的には国家の成員として公人でありながら、市民社会の領域においては私人として利己的に振る舞う。そこに支配するものは貨幣であり、かつての神にかわり貨幣が祭祀としての位置を占める。それゆえに市民社会は、人びとの類的・共同的絆を断ち切り、差別と不平等を産みださざるをえない。ここでは彼岸としての外的国家すら、そのような市民社会の物質主義と利己主義を保証するものとして存在する。 [藤原保信「自由主義の再検討」p142-3]

55 人間の直接的、人格的絆が絶たれ、人間と人間の関係が商品を媒介とした物と物との関係に置き換えられていく。ここでは物質主義と利己主義、利潤への「限りなき盲目的衝動、人狼的渇望」は資本家個人の倫理性のいかんにかかわりなく、商品生産の世界における必然的法則としてはたらく。競争に打ち勝ち、より多くの利潤を上げることなしには生き残りえないからである。資本主義が資本主義としてある限り、利潤動機に促されたこのような資本の論理は無視することはできないであろう。 [藤原保信「自由主義の再検討」p143]

56 自由主義(その政治形態としての議会制民主主義)が、次善のものにすぎないという自覚は重要であるように思われる。最善の政治は、時には議会制民主主義よりも、専制政府のもとにおいても存在しうる。このことはプラトンの哲人王の理想においてすでに明らかであるといえる。にもかかわらず、人のコントロールを超えた専制政府は、権力の濫用という点で最悪の政治に転ずる危険性を持つ。この点において、政権交替が可能な複数の政党を持つ議会制民主主義のひとつのメリットは、最悪の政府の出現を回避するということにあるといえる。つまりここでもそれは、最高の政治を実現するものとしてよりも、最悪の政治を阻止するという点にその存在理由があるといえる。 [藤原保信「自由主義の再検討」p155]

57 政治が経済の論理に従属し、それを保証するという形をもってしてはもはや問題を解決しえないこともたしかであろう。むしろ資本主義の経済過程にたいする政治の介入の仕方、その矛盾を回避するための規制の方向が問題なのである。 [藤原保信「自由主義の再検討」p156]

58 今日の大方の社会科学が、意識的にせよ無意識的にせよ功利主義をみずからの価値前提としていることは明らかであろう。いな功利主義は、今日おおかたの人びとの日常的な行動原理をなし、政治社会の判断基準をなしているとさえいえる。

 このようにみたとき、1970年代に相次いで政治哲学の復権を唱え、自由主義に新しい哲学的基礎づけをしようとしたJ. ロールズ、R. ノズィック、R. ドゥオーキン等が。いずれも功利主義批判をその立場のひとつの出発点としているのも当然であるといえる。 [藤原保信「自由主義の再検討」p158]

59 ロールズの功利主義批判の主眼は、功利主義はいっけんそうみえるほど個人とその人格を尊重していないということにある。それはたしかに、個人を一人として数えながらその幸福の総和を社会善とする限り、個人を平等のものとして尊重しているようにみえるかもしれない。しかしロールズによれば、このばあい功利主義は、そのような幸福すなわち満足の総和が個人の間にどのように配分されるかを間接的にしか考慮しない。· · ·  容易にある人の目的のために他の人のそれが犠牲にされるという危険性をもつというのである。 [藤原保信「自由主義の再検討」p159]

60 ドゥオーキンによれば、社会の福祉を選好の総和としてとらえる功利主義は、このような選好の相違を無視するだけではない。むしろそのような選好の相互の衝突と相克のなかで、強者の選好が弱者の選好を、あるいは多数者の選好が少数者の選好を犠牲にしているという事実に十分なめ眼を向けることができないというのである。 [藤原保信「自由主義の再検討」p160]

61 ロールズ、ドゥオーキン、ノズィックのこのような功利主義批判は、それなりに説得力をもっている。にもかかわらず、かれらは功利主義にかわって新しい別の価値観を呈示し、それによって自由主義を基礎づけようとするわけではない。むしろ究極的な価値の選択を各人に委ねながら、もっぱら富、権力、等々社会的価値の配分の基準を問うのである。この点で重要なのは、かれらに共通する善(the good)と正(the just)ないし権利(right)との区別である。 [藤原保信「自由主義の再検討」p161]

62 かれら(ロールズ、ドゥオーキン、ノズィック)はまず善を問い、その最大化を正とするいわゆる目的論(テレオロジー)を避け、もっぱら正のみを問い、そのなかで各人に各人の善を実現せしめる義務論(デオントロジー)をみずからの道徳理論として選択する。

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かれらの理論は自由主義の理論としてひとつの点で共通していた。それはすでに述べた善と正の区別である。まず正を定義し、そのなかで各人にそれぞれの善を追求せしめようとするのである。かれらはそれこそ自由義の要諦であると考える。

[藤原保信「自由主義の再検討」p162-3, p165]

63 マッキンタイヤーやテイラーによれば、分析哲学や実存哲学、さらには現象学をも含め、近現代の哲学はおしなべて感情主義かまたは主観主義に陥っている。すなわち、それは善への直接的問いを回避することを通じて、価値の究極的な選択を個人の感情や主観に委ねてしまっている。しかしこれは人間存在とその道徳的行為についての根本的誤解に基づく。 [藤原保信「自由主義の再検討」p172]

64 少なくとも正・不正についての客観的判断の基準を立てようとし、それを社会制度を判断する第一の基準としようとするロールズらの理論は、価値相対主義とは異なるし、かれらのうちに政治哲学の復権をみるひとつの所以もそこのある。にもかかわらず、かれらが善と正を区別し、究極的価値への問いを回避するとき、その理由は価値相対主義者のものと共通する。 [藤原保信「自由主義の再検討」p176]

65 あらゆる社会と同じく今日の社会においても、さまざまの不平等も存在し特権も存在する。にもかかわらずそのような社会で、価値相対主義を唱えることは、結局のところ、既存の不平等や特権を放任し、時には隠蔽し、結果的にそれを擁護することにならないであろうか。そのようなばあいには、まずもってみずからの価値前提とそれをしからしめている社会への反省が、責任ある生き方と責任ある理論の大前提をなすといえる。 [藤原保信「自由主義の再検討」p178]

66 資本主義が私有財産を基本とし利潤動機によって動かされるかぎり、それは物質主義や利己主義と無縁ではありえないし、それは現在の南北問題や地球環境問題とも深い関わりをもっている。 [藤原保信「自由主義の再検討」p186]

67 さて、このような「非」によって規定された領域が指向されるのは、歴史に倣えば、大きな転換期の予兆と考えることができる。中略「非」の方向に駆られた探求は、茫漠たる領域を開拓しようという意志の現れなのだ。 [吉田善章「非線形科学についての雑感」現代数学の基礎、月報no13 p1 (1998/2)]

68 今日、非線形性・複雑性の探求は必ずしも難しい作業ではない。逆説的ではあるが、この分野の隆盛は、一つには研究の手軽さによっている。計算機が有力な手助けになるからだ。確かに、学生や若手の研究者がある問題に取り組もうというとき、深遠な数学を勉強するより計算機のプログラムを書く方がとっつきやすい。線形理論の場合と違って「もしかすると数学的に綺麗に片づくのでは?」という恐れを抱くことなく、逆に「数学などは非線形問題には何の役にも立たぬ」と豪語しながら、ひたすら計算機の出力するグラフィック

スに見とれるのである。問題が複雑であればあるほど、この確信は強いものとなる。 [吉田善章「非線形科学についての雑感」現代数学の基礎、月報no13 p8 (1998/2)]

69 この姫君のの給事、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり、本地たづねるこそ、心ばえをかしけれ」とて....  [「虫めづる姫君」]

70 北の(北朝鮮の)ミサイルも日米のTMD(戦域ミサイル防衛)も同様に冷戦の危険な遺産であり、世界が緊急に取り組まねばならない地球環境の破壊や貧困、経済や金融の混乱を「迎撃」するのにまるで無力なことだけは確実である。 [高木尭「TMDは有害である」世界1998-11 p33]

71 実体経済に着目すればロシアはまだ体制転換大不況から脱出していないが、外資の70%が流入したモスクワ中心の金融・サービス業の繁栄に目を奪われると、ロシアは順調に市場経済化の道を歩んでいるという見方が生まれる。だがその実体は「マネーゲーム」と大差ないものだった。大津定美のいう「一都資本主義」である。  [佐藤経明「何がロシアの経済危機を増幅させたか」世界1998-11 p42]

72 考えてみればロシアは、巨額の資本逃避と人的資本流出、資源輸出で西側を「支援」し、国内には巨額のドル現金が流通、しかも欧米製品の巨額の輸入で西側企業を潤しているリッチな国である。中・長期的には国民が自分たちの金を自国に投資するような条件とメカニズムを作り上げるしか、本当の解決はない。 [佐藤経明「何がロシアの経済危機を増幅させたか」世界1998-11 p46]

73 ロシアにおけるIMF 処方箋の失敗はその根底にある、自由主義の度合いの高いアングロ・サクソン型の資本主義を「グローバル・モデル」と見なす資本主義観の見直しを求める意味あいを持っているが、それにはなお多くの時間を必要とするだろう。 [佐藤経明「何がロシアの経済危機を増幅させたか」世界1998-11p46]

74 昨今ムダな大型の土木中心の公共事業に対する批判が澎湃と沸き起こってきた。遅すぎたといってよかろう。実は「公共」の二文字こそがクセものだった。... 要するに「公共」とは何なのかが今問われているのではないか。...  ... ハード面での施設整備も当然に必要となるが、マンパワー人的資源やシステムといった、対人サービスの質を重視したソフト面中心の福祉基盤整備が、雇用や経済波及効果も含めて、後代の人々も長く受益する21世紀型の投資であることを強調しておかなければならない。 [岡本祐三「福祉こそが次代の経済を開く」世界1998-11 p60]

75 日本各地の夜の盛り場には、夜勤専門のサービス業の女性が夥しく働いている。一方スウェーデンやデンマークでは、その代わり同じサービス業でも、夜勤の訪問看護婦やホーム・ヘルパーが何万人も夜通し働いている。要するに産業構造的に分類すれば、同じ「夜間サービス業」でも、内容次第で片や「風俗営業」、かたや「福祉事業」ということになるわけだが、この発想の違いが、市民生活の安心さにとって大きな相違を生むことになる。要するにこれは人的資源や財の配分のしかた、つまり価値観の差だけなのだ。 [岡本祐三「福祉こそが次代の経済を開く」世界1998-11 p61]

76 金融デリバティブは、1971・72年、アメリカが固定為替相場を廃止したために生まれた。長期的にはユーロの拡大が為替相場の安定化に寄与するだろう。しかし、短期的には三つの施策が必要である。

(1) 投機に脅かされている国に対して、短資流入を制限することを認めるべきである。

(2) 先進諸国は、共同で銀行・金融監督当局の権限を拡大することが必要である。

(3) IMF は最後の貸し手として民間金融機関の国際的なリスクを引き受けてはならない。...

このようなイニシャティブはアメリカからは出ないだろう。結局アメリカは投機的な肉食獣的資本主義の発祥の地なのだ。 [H. シュミット「グローバリズムの幻想アメリカの投機的肉食獣的資本主義との決別を」世界1998-12 p49、原文Zeit 寄稿]

77 「教科書体」が「ゴチック体」になったということは、単に「活字が置き換わった」ということではない。そうではなく、書き手の身体感覚を含みこみ、書き手の筆づかいや読み手自身の身体感覚を呼び起こす仕掛けを持った「文字/道具」が、身体感覚とは無縁な「記号/単線」に置き換わった、ということだ。 [山下柚実「コンピュータと喪失する「感覚/五感」」世界1998-12 p275]

78 コンピュータ画面に向かいながら育つ子供たちが、いつまでも「身体で感じること」の深い意義を見失わずにいられるかどうか。そこに問題は潜んでいるのではないか? [山下柚実「コンピュータと喪失する「感覚/五感」」世界1998-12 p277]

79 近代の日本人は、百科辞典の項目の一つ一つに、詩歌による解説をつけ、ものごとを詩歌的に解読して来たともいへる。たとへば「鯉文学」とか「雲文学」とかいつた系列が考へられる。その蓄積が、ぼくらの物事の見方を無意識のうちに規定してゐるともいへる。 [岡井隆「鯉の詩歌」図書5971999/1p1]

80 技術的抽象とは、時間経過を捨象して空間的効果を抽象する、ということになります。航空機などもよい例です。地理的な自然空間の距離などは技術的空間が設定されたら全く縮減され、寝ているうちに運ばれるのです。たいへんな便益ですが、時間の短縮が意識の希薄化につながる恐れもないわけではない。旅の意味は名勝を見るだけではなく、そこの至る経過を忍ぶ意味もあります。そうでなければ巡礼の意味も消えてしまいます。 [今道友信「一哲学者の歩んだ道」 第三回 中央公論1999-1, p252]

81 「超常現象と解釈される体験」が実在しているのは疑う余地はない。

 では、その超常体験と呼ばれるものの正体は何なのか。

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 勿論、宇宙人とか霊といった超自然的なものが正体だという仮説があり得る。原因を徹底的に考えるのなら、それらも視野に入れなければならないのは当然だ。しかし仮説で「説明できる」ということと、仮説が「証明される」こととはまったく別の話だ。

 この超常原理仮説は、数ある解釈の中で、最も科学的知識と整合性が無く、信頼性に欠ける最弱の仮説と言ってよい。これを採択するのは、ほぼ最後の最後になってからということになるだろう。

 オカルトに染まった人たちは、この慎重な態度とは無縁らしい。「どんなに不思議な体験でも、人の体験ほど当てにならないものはない」という心理学の基本的な原則が顧みられることはない。「不思議な体験」の報告があると、超常原理での説明へ直行してしまう。そこでは仮説の懐疑的な吟味も、実証的な裏付けも、たの可能性の検討もろくに行われない。「偶然でそんなことが起こるとは信じられない」という決めつけで、超能力の存在や霊の存在へ結論が飛躍してしまう。この飛躍の原因は「平凡な体験には平凡な原因があり、超常的な体験には、超常的な原因がなければならない」という思いこみだろう。だが、それは原因帰属のバイアスという典型的な錯覚である。

 こういった思考を停止して体験を解釈する非論理的な思考の態度(スタイル)こそ現代のオカルトの特徴といえるだろう。 [菊池聡「世紀末オカルト幻想を振払え」 中央公論1999-1, p281-2]

82 エンゲルスは「自然科学者を神秘世界に媒介するのは思考を放棄した平凡な経験」と指摘した。まさに至言であると言えよう。 [菊池聡「世紀末オカルト幻想を振払え」 中央公論1999-1, p283]

83 正しく判断するためには、どれくらい予言をしたのか、どれくらい外れたのか、という「体験しない」情報が絶対に必要になる。 [菊池聡「世紀末オカルト幻想を振払え」 中央公論1999-1, p285]

84 情報処理システムとしての人間は、実は不完全であるのに、体験こそ間違いないものと思いこんでしまう。このために、オカルト的な信念に陥ることがままあるということになる。 [菊池聡「世紀末オカルト幻想を振払え」 中央公論1999-1, p285]

85 偉そうな科学者たちは古くさい常識にとらわれているが、世界の真実は別の所にある。そして、自分はその真実を知ることができる人間なのだ。こうして科学という社会の権威は地に落ち、ひいては自分を虐げてきた状況は一気に大逆転する。書店にあふれるオカルト科学本には、そんな歪んだ自意識が見え隠れするものが実に多い。  [菊池聡「世紀末オカルト幻想を振払え」 中央公論1999-1, p286]

86 本来論理的に考え、客観的に追究すべきことをうやむやにし、「論理よりも感性へ、思考よりも体験へ」と向かったとき、オカルトが日本人を決定的に蝕む土壌ができあがるであろう。その危険はすでに小学校において、体験を重視する生活科を新設し、理科の時間を削減することで、徐々に進行していると指摘する教育学者も多い。 [菊池聡「世紀末オカルト幻想を振払え」 中央公論1999-1, p288]

87 知識偏重を否定することが必然的に体験重視に向かうであろう日本の教育に欠けているのは、自分の体験に対して懐疑的な視線を向けられるクリティカル・シンキングの育成だ。 [菊池聡「世紀末オカルト幻想を振払え」 中央公論1999-1, p289]

88 いわゆる「開発独裁」ははたして無用の長物になったのだろうか?国民階層の格差を助長するような開発体制が民主化によって打倒されるというのは、実にわかりやすい勧善懲悪のストーリーである。しかしこれは真実なのか、私は深い疑いを持つ。一つは「民主化」なり「民主主義」という言葉があまりに安易に用いられているのではないかという疑いであり、もう一つはそれが倒したとされる「開発独裁」や「開発主義」が現在のアジアにおいてはたしてご用済みのイデオロギーであるかという疑問である。 [甲斐信好「「開発独裁」は無用になったのか」東アジアの経済発展を考える 中央公論1999-2, p152]

89 経済発展なき民主化、その一番不幸な実例が中央アジア諸国であろう。急速な民主化と引き替えに、ウズベキスタンやカザフスタンなど旧ソ連の中央アジアの国々は、年間平均約マイナス八パーセントで経済規模が縮小し独立後一〇年を待たずに半減、平和時での最大の経済悪化を記録した。また平均余命が七年も縮まるという医療体制の崩壊、そして優秀な人材の国外流失という国家としての危機を迎えている。 [甲斐信好「「開発独裁」は無用になったのか」東アジアの経済発展を考える 中央公論1999-2, p152]

90 早熟な民主化はかえって混乱を増すばかりであろう。アジアは総じてそういっていい。 [甲斐信好「「開発独裁」は無用になったのか」東アジアの経済発展を考える 中央公論1999-2, p154]

91  東アジア諸国で現在問題とされているのは、発展をある程度達成した後に、どのように「国家のための政治」から「国民のための政治」へと安定したベクトル変換がなされるかということである。その際重要になってくるのが新しく登場する中間層である。

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中間層の定義は多様であるが、ここでは「公正・効率・専門主義」を重視する新たな種類の官僚と資本家・経営者、都市民とする。

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 特に留意をすべきは、この地域に中間層が生まれた大きな原因が、日本にあった点である。 [甲斐信好「「開発独裁」は無用になったのか」東アジアの経済発展を考える 中央公論1999-2, p157-9]

92 「何よりも何よりも大事なのは立派な詩が書かれることです。誰によってそれが書かれるかというのは、それに比べればまったく些細なことです」 [エリオットを編集したパウンドのことば、 D T Max(村上春樹訳)「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?」  中央公論1999-2, p216]

93 よく言われるように、一流の人たちはかならずしも良い教師ではない。長嶋さんのように、打撃の秘訣を聞かれて、「来た球を打つだけ」などと禅問答のようなことを言ってしまう。経験的に見て、修行の苦労話などを自慢気に語ったり、一日練習を休んだら三日遅れるなどといったことをお題目のように唱えるのは、一流になりきれなかった人に多いようだ。 [斎藤兆史「英語達人伝説」7鈴木大拙(1)  中央公論1999-2,p220]

94 認識の学問がすべての認識を疑問視するとすれば、出発点としてえらばれるどのような認識も、認識としてともども疑問視されるはずで、ならば、認識の学問はどのようにはじまるというのか? [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp5]

95 かくて、デカルトの懐疑考察がわれわれの出発点となる。思考(コギタチオ)の存在、つまり、体験のただなかにあって体験が端的に反省される際の体験の存在は、疑う余地がない。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp7]

96 実在的な内在と、明証性のうちに構成されるほんもののあたえられかたという意味での内在とは、別のものである。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp7]

97 明晰さの第一段階は、かくてこうである。実在的に内在するもの、あるいはおなじことだが、十全にほんものとしてあたえられたものは、疑問の余地なきものである。わたしはそれを利用すべきであって、超越的なもの(実在的な内在物ではないもの)は利用すべきではない。したがってわたしは現象学的還元をおこない、すべての超越的な定立を排除しなければならない。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp8]

98 認識批判がありとあらゆる認識の種類や形式にあてはまる認識の本質を解明しようとする学問だとすれば、それは、いかなる自然的学問も利用することができない。自然的学問の成果や存在確定をたよりとすることなく、それを疑問視しつづけなければならないのだ。認識批判にとって、すべての学問は学問現象にすぎない。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp9]

99 認識可能性の解明は客観的学問の途上にはない。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp10]

100 デカルト的思考からしてすでに現象学的に還元されなければならない。心理学的に統覚され客観化された心理学的現象は、じつは、絶対的にあたえられたものではなく、絶対的にあたえられるのは、還元された純粋な現象だけである。体験する自我、客観、世界の時間のなかにある人間、さまざまな事物、等々は、絶対的にあたえられたものではなく、したがって体験も自我の体験としては絶対的にあたえられたものではない。われわれは心理学の土台を、記述心理学の土台すらも、きっぱりとふりすてる。それとともに、根元的にせまってくる問いもまた還元される。つまり、特定の人間であるわたしが、わたしの体験のなかで、たとえばわたしのそとにある存在そのものをいかにして的確にとらえうるか、といった問いはもはや成立しない。もともと多義的であり、その超越的な負荷のために玉虫色にひかる複雑な問いのかわりに、いまや純粋な根本的問いがあらわれる。すなわち、純粋な認識現象はいかにして自己に内在しないものに的中しうるか、認識という絶対的にほんものとしてあたえられるものがいかにしてほんものとしてあたえられないものに的中しうるか、この的中はいかに理解さるべきか、という問いが。 [E フッサール「現象学の理念」長谷川宏訳 五つの講義の思考の歩みp11]